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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Stage16:水棲法廷

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損なう時

 ──でもこうして二人を比べると、素人目にも「慣れ」みたいなのが分かるな……酒井さん、全く寒がっていない。


 神も信じていないくせに祈りだけは捧げた後、撮影の様子を見守りながら、俺はそんな感想を抱く。

 背中姿だけとは言え、発見があったのだ。


 釣竿を握ってからの酒井さんは、恐ろしいくらいに堂々としている。

 絶対に寒いだろうにそれは表に出さず、ベストポジションを探して周囲を移動するカメラマンには笑顔も向けていた。

 彼女の動きには、一切に「無理をしている感」が無い。


 一方、その隣に立つ鏡に視線をやれば、彼女には少しだけ「無理をしている感」が残っていた。

 しばしば足踏みをするのは寒さを紛らわせるためだろうし、釣竿を持つ手も細かく震えている。

 実際に寒いから仕方が無いのだろうが、そのせいでポーズや姿勢が大きく崩れているように見える場面も多々あるようだった。


 そのせいか、カメラマンの動きは酒井さんを中心としたものになる。

 元より、酒井さん単体で受ける予定だった仕事というのもあるのだろうか。

 鏡のことは、太陽が昇り切って寒さがマシになるまでは待つ方針なのかもしれない。


 ──でもこれ、鏡が特別慣れてないって訳じゃないよな。寒いのは事実なんだし……寧ろ、酒井さんの方が凄い。どうやったら寒がらなくなるんだ、これ。


 そう考えている内に、再び風が吹く。

 今日は特に風が強いのか、それらは最早ビュウっと吹くのではなく、擬音で表すのならギョーッとでも言うべき妙な音を奏でていた。

 俺は反射的に上着を押さえたが、視界の先に立つ酒井さんはそれでも姿勢を崩さない。


「……碓水さん」

「はい、何です?」

「酒井さん、さっきから本当に全く寒がっていませんけど……あれ、コツとかあるんですか?」


 いよいよ不思議に思った俺は、つい碓水さんに質問をする。

 すると、彼女はいくらか悩んだ様子を見せてから、身も蓋も無い回答をした。


「私も、直接酒井から聞いた訳ではないですが……まあ、『根性』じゃないでしょうか」

「あ、そういう感じなんですか。精神論的な」

「ええ。そもそもモデルの仕事は、暑さや寒さに耐えることの繰り返しですから。聞いたことありませんか?まだ暑い時期に秋物や冬物の撮影をしたり、肌寒い時期に水着を着たりするというのは……」

「あー、ドラマとかで見たことあります」


 当たり前だが、ファッション雑誌に載る衣服と言うのは、出版時期に合わせた季節感に基づいて選択されている。

 そしてそれを撮影するために、モデルたちは撮影時期の季節よりも少し先の衣服を着こなさなければならない。

 冬になってから冬物の撮影をした場合、うかうかしていると出版が間に合わないのだ。


「じゃあ、そういう撮影を繰り返している内に、酒井さんはちょっとやそっとの暑さ寒さでは何も言わなくなったってことですか?」

「平たく言えば、そういうことでしょう。勿論、それだけ過酷な体験をしてきたということですので、一概に喜ぶべきことでもないのですが……」


 それでもこういう撮影では役に立つスキルですね、と碓水さんは苦笑交じりに明言する。

 果たして、俺たちが会話している間も、酒井さんは全く寒がらずに綺麗な姿勢を維持していた。

 震えも、すくみも、遠くにあるかのように。


 ──凄まじいな……人間の生理機能を、仕事への執念が凌駕している。


 もはや威厳すら感じる彼女の姿を前に、俺は静かに畏敬の念を抱く。

 無論、彼女とて人間なのだから、完全には震えをなくすことは出来ないだろう。

 衣服の下は鳥肌だらけなのかもしれないし、震えの方はポージングを利用して上手く隠しているのかもしれない。


 しかしそれでも、冬の海を前にして彼女が微動だにしていないのは事実だった。

 この人って本当にプロなんだな、と改めて思った。


「……あ、揺れてます!」


 不意に、その酒井さんが大きな声を出す。

 どうやら早くも魚が引っ掛かったようで、釣り竿の先端が小刻みに揺れ始めていた。

 慌てて援護に向かう雑誌のスタッフ──酒井さんも釣りに慣れているわけではないので、釣り上げるのを助けるのだ──の背中を見ながら、俺はこの撮影の成功を確信していた。




 ……ここからの展開は、概ね俺の確信通りに進んでいったと思う。

 ポツポツとであるが、酒井さんは着実に魚を釣り上げて行き、スタッフの助けも借りながらクーラーボックスを満たしていく。

 無論、一匹吊り上げるごとにアップでの撮影もしないといけないのだが、彼女はそれらも素早くこなしていた。


 一方、酒井さんに心配されていた鏡の方も、大きな問題はなく経過していく。

 当初こそ寒さと不慣れな釣りのせいで居心地が悪そうだったが、それでも針を海に沈めているのは間違いない。

 何度かスタッフの援助込みで魚を釣り上げては、精一杯撮影に参加していた。


 ──多少、酒井さんよりは撮影に手間取っている感じはあるが……そんなに変な風では無いな。


 近くで様子を見ながら、俺は拍子抜けした気分でそう判断する。

 細かいところを言えば、魚を持つのに慣れていないせいか魚を掴むのに難儀したり、そのせいでNGを出したりはしていたが、それだけで変だとは言えない。


 寧ろ、駆け出しのアイドルとしては普通の行為だろう。

 NGを殆ど出さない酒井さんの方がおかしいのだ、この場合。


 ──やっぱり、酒井さんが心配し過ぎたってことか?……このまま無難に撮影が終われば、そう考えるしかないけど。


 二人の様子を見守りながら、俺はぼんやりとそう考える。

 酒井さんがあれほどにまで言うのならと昨夜の時点では考えていたのだが、こうも普通の時間が続くと、どうしても鏡への警戒度は下がっていく。

 人間の感覚とは不思議な物で、一度そう考えると、こうして張り付いている自分が馬鹿みたいに見えてきた。


 ──何のために、旅館にまで泊まったんだか……いやまあ、珍しい体験でもあったから、別に良いんだけど。


 内心、そんなことをぼやく。

 何にせよ、現状では鏡についても撮影についても、問題無しと言えそうだ。


 そんなことを、心の中でで考えた瞬間。

 俺の隣で、「ちょっと、問題ですね……」という声が聞こえた。




「え、何か問題ありました、碓水さん?」


 ある種タイミングの良い発言を耳にして、俺は反射的に問いかけ直す。

 まさか独り言でも呟いてしまっていたのか、と一瞬不安になったのだ。

 しかし流石にそれは杞憂だったらしく、碓水さんは全く別の論点から解説をしてくれる。


「いや、あの中身を考えると、少し問題があると思って……」


 少しだけ困ったような顔で、碓水さんは酒井さんの足元に設置されたクーラーボックスを指さした。

 更に、鏡の足元の方に置かれている別のクーラーボックスもついでのように指さす。


 その流れで、俺はスタッフの足元に転がるクーラーボックス──予備か何かなのか、現場には更にもう一つクーラーボックスが用意されていた──を見そうになったが、碓水さんはそちらに関しては気にしていなかった。

 結果、俺は鏡と酒井さんだけを見ながら問い返すことにする。


「釣れた魚が、どうかしましたか?」

「いえ、二人とも、現状で釣れているのは小魚ばかりでしょう?言葉は悪いですが、雑魚しか釣れていないんです。これでは少々、雑誌の表紙を飾るにしては地味過ぎると思ってしまって」

「え?……あー」


 聞いた瞬間はよく意味が分からなかったのだが、段々と理解する。

 撮影の進行や鏡の様子ばかり気にしていたから気が付かなかったが、確かに重大な問題だった。


「確かに釣り雑誌の表紙なんだから、普通は割と大きな魚を釣り上げたところを表紙にしますよね。不慣れなアイドルでも、こんな大きな魚を釣れたんですっているアピールにもなるから」

「まあ、そういうことです。勿論釣りは予測不可能なので、釣れないのは仕方が無いんですが……それでも、釣れているのが掌よりも小さな雑魚だけでは、少々おさまりが悪い」


 言われてみれば、彼女たちが釣っているのはどれも「掌よりも小さな魚」だった。

 仕掛けが悪いのか、運が悪いのかは知らないが、そこそこに大きな魚というのは一匹も釣れていないようである。

 釣れるどころか、針に引っ掛かった気配すら無かった。


 ──二人とも大して釣りに慣れてないらしいから、ぶっちゃけこれでも大健闘なんだろうけど……撮影としては不味いよな。どうするんだ、これ。


 現状、クーラーボックスが雑魚で満たされているのは間違いない。

 それこそ、昨日見た雑魚専門店で売れそうなレベルである。

 いくら酒井さんたちがモデルとして綺麗に映ろうとも、隣に掲げる魚がこれではやや迫力不足だろう。


 しかし、碓水さんの言う通り釣りは予測不可能なことも事実。

 大物が釣れていないのが問題であることを認識出来ても、対策と言うのが打てない。

 ただただ、天に祈るだけである。


「……でも、その辺りは雑誌側が考えてくれるんじゃないですかね?彼らだって、こういう釣りに初挑戦するモデルを撮ることには慣れているでしょうし」

「……だと良いんですが」


 どこか含みを持たせた発言を残して、碓水さんは押し黙る。

 そのせいか、俺はついつい近くに居る撮影スタッフの方に意識をやった。

 彼らはどんな様子になっているのかな、と今更ながら気になったのである。


 もし、彼らが本当に酒井さんや鏡に大物を釣り上げて欲しいのなら、そろそろ焦って来ても良いはず。

 撮影の終了予定時刻が迫ってきている現状、対策があるのなら何かしらやってもよさそうなものだった。

 しかししばらくそちらを観察した俺は、真反対の感想を抱く。


 ──でも、スタッフは割とのんびりしてるな……別に、雑魚しか撮れなくてもそれで良いのか?


 見た感じ、彼らの様子はそこまで焦りを伴った物では無い。

 ちょくちょく酒井さんや鏡の釣りを手伝わなくてはいけないので、タモを持ったり針を外したりと忙しくはしているが、困ったような雰囲気は醸し出していない。

 彼ら的には、撮影は予定通りに進んでいるのか。


 じゃあ心配はないのかな、と一応判断しておく。

 恐らくは碓水さんよりも彼らの方が、この手の撮影には通じているはず。

 その彼らが大丈夫そうにしているのなら、俺があれこれ考える必要は無いだろう。


 素人なりにそう考えたところで、釣り場には新たな動きがあった。

 酒井さんが、「来ました!……大きい!」と叫んだのである。


「おっ」

「話していた大物、来たんでしょうか」


 タイミングがタイミングだったので、俺と碓水さんはすぐに反応する。

 興味を押さえられず、カメラに映らない範囲で海の方にも近づいて行った。

 無論、スタッフたちは俺たちよりも先に駆け出している。


「酒井さん、足を踏ん張って、竿を強く持って……重いですか?」

「今までよりも重いです!これは……」

「少し前まで、アジが入れ食い状態だったそうですから、それかもしれません。ここは結構大物のアジも掛かりますから……代わりましょうか?」

「桜さん、頑張って!」


 酒井さんと鏡、更に撮影スタッフが集まってわちゃわちゃとし始める。

 そうしている間にも、海に垂らされた釣り糸は右へ左へ。

 カメラマンが、ここぞとばかりに糸に振り回される酒井さんを撮影しているのが印象的だった。


 竿をスタッフに渡すタイミングを逃したのか、酒井さんは細腕でその状態のままリールを巻こうとする。

 かなり無理をしているのか、ギリギリという音が俺にまで聞こえてきた。

 その糸は、こちらの期待感を煽るようにして縦横無尽に動き回り────唐突に、終わりが来た。


「……あっ」


 最初に呟いたのは、依然として釣竿を握っていた酒井さんではなく、俺だった。

 少し離れた位置から見ていたのが良かったのか、彼女よりも先に分かったのである。

 あ、バラした、と。


「あちゃあー……逃げちゃいましたね」

「餌だけ取られたかな……」


 続いて声を出したのは、釣り雑誌のスタッフたち。

 こちらも慣れているのか、糸の動きだけで分かったようだった。

 魚が逃げたらしい、と酒井さんよりも先に察する。


「あ、ええと……ごめんなさい、逃がしたようです」

「いえいえ、仕方が無いことですよ。こういうこともあります」

「寧ろ、こちらがすいません。もっと早く、貴女から竿を受け取るべきだった」


 随分と軽くなった糸を回収する酒井さんの隣で、スタッフたちがめいめい慰めの言葉をかける。

 なまじ大物だった分、勿体ないことをしてしまったが、問題とはならなかった。

 すぐに彼らは後ろに下がり、それに従うようにして俺と碓水さんも無言で定位置に戻る。


 そしてこの時────スタッフたちの呟きが、俺の耳に届いた。


「……でも、アジなら問題無いよな?」

「ああ、あるからな」


 ──……ん?


 最初、ただの雑談として流しかけて。

 次いで、俺は疑問符に包まれる。

 どういう意味だ、と。


 だが、そんな疑問を抱いていられたのもほんの少しの間だけだった。

 何故かと言えば、間を置かずして次の声が釣り場に響いたからである。


「っ……来たあ!」


 大声に思わず顔を上げると、そこでは鏡が釣竿を抱えてのけ反っていた。

 どうやら、今度は彼女に当たりが来たらしい。

 俺と碓水さん、そして撮影スタッフは再び中腰になって駆けだそうとする。


 しかし、その動きは先程よりは簡素な物になった。

 というのも、酒井さんの時と比較すると、明らかに竿の動きが小さかったのである。


 恐らく、酒井さんが逃したのとは違う小魚が引っ掛かっているのだろう。

 別に大物ではない、というのは傍目から見るだけでも分かった。

 無論、釣り初心者の鏡にとっては十分な釣果ではあるのだが。


「どっ……せい!」


 果たして、鏡はスタッフの助けも借りながら予想通りに小ぶりな魚を釣り上げる。

 何となく近づいて覗き込んでみると、釣れたのはフグらしかった。


 針の真ん中あたりに噛みついたフグが、ジタバタと小さく動いている。

 生きているフグなんて久しぶりに見たな、と傍から見ていた俺は変な感想を抱いた。

 昨日の市場でも姿を見かけなかったので、そんな感想になったのかもしれない。


 何にせよ、鏡がまた一匹釣り上げたのは事実。

 わあ、と鏡が嬉しそうにフグを手に持つと、即座にカメラマンが一枚撮った。


 フグ特有の何とはなしに愛嬌のある顔も相まってか、鏡がそれを持っているのは妙に似合っている。

 そのせいか、カメラマンは更に提案をした。


「よし、じゃあ奏ちゃん、そのフグを持ってアップで撮ってみようか」

「あ、はい……ええっと、顔の近くで持てば良いですかね?」

「そうだけど……気を付けてね。フグは歯が鋭いから」


 釣り上げたフグを持ちながら、鏡とカメラマンは何やら相談をする。

 しばらくそうやって話した後、構図でも考えているのか、カメラマンは鏡から視線を逸らしてカメラを弄り始めた。

 可愛らしい写真になりそうだと思いつつ、俺はそのタイミングで定位置に戻ろうとして────。


「あっ……」


 不意に鏡の小さな叫び声が後方で響き、振り返ることになった。

 どうした、と考えながら俺は反射的に鏡を見つめる。

 お陰で、何が起きたかはすぐに分かった。


 先程までフグを持っていたはずの、彼女の手。

 それが何故か、何も掴んでいない状態になってしまっている。


 正確に言うと、釣り糸はちゃんと持っているのだが、その先に付いていたはずの魚と針が丸ごと消えてしまっていたのだ。

 丁度、釣り針が固定されたさらに上の方で、糸がちぎれてしまったかのように。


「どうしたんだい、奏ちゃん?」

「ご、ごめんなさい。魚が逃げて……」

「あちゃあ、噛みちぎっちゃったかな?たまにあるんだ、フグには」


 視線を戻したカメラマンと、鏡の会話が続く。

 釣り竿をスタッフに渡しながら頭を下げる鏡と、それをまあまあ、といなすカメラマン。

 恥ずかしさを誤魔化すように、鏡は足元の乾いた堤防を靴底で擦っていた。


 ──何気に、鏡が魚を逃がしたのは初めてだな。この撮影が始まってから。


 振り向いたついで流れを見守っていた俺は、ぼんやりとそんなことを考える。

 だがまあ、仕方の無いことだろう。

 魚と言うのはヌメヌメしているし、一度は釣り上げながらも逃がすことだってある。


 そんなことを考えた瞬間、近くのスタッフがまた口を開いた。

 酒井さんが魚を逃がしてしまった時と、同じように。


「フグか……大丈夫だったか?」

「あ、はい……ほら」

「そうか、なら……いや、待て」


 風の流れのせいか、彼らの会話は自然と俺の耳にも入ってくる。

 故に流し聞きしていたのだが、唐突にその流れは不穏になった。


「お前、あれか……これ、あそこで?」

「あ、いえ……無かったらしくて」


 やや年嵩の声と、もう少し若い声。

 その二つの声のテンポが、次第に落ちていく。

 そのまま数秒黙った後、不意に年嵩の方がボルテージを上げた。


「……じゃあ、駄目だろうが!」


 大声と言う訳でも無い、軽めの声。

 しかしながら確かに怒声と言うべき声が、釣り場に響いた。

 俺と碓水さん、更に鏡や酒井さんと言ったメンバーは殆ど反射的にそちらを振り向く。


 そのことに、怒声を発した撮影スタッフも気が付いたのだろう。

 彼は素早く頭を下げると、「すいません、何でもありませんから」とだけ告げた。

 そうして、自ら自分の行動を恥じるように押し黙る。


 ──どうしたんだ?何をあんなに怒って……。


 呆気にとられながらも、俺は率直にそう思った。

 しかし俺ほどに彼に声を気にした人は居なかったらしく、彼の行動を受けたメンバーはめいめい自分の仕事に戻ってしまう。

 終わりも近いので構っていられない、とばかりに再び海に向き合っていく。


 だが、こういう時のちょっと気まずい雰囲気と言うのは、中々すぐに晴れる物でもない。

 さっきまで割合に順調に進んでいたはずの撮影は、これを境にどうも息がしづらい雰囲気になってしまったようだった────。




 結果だけ記そう。

 撮影自体は、それから程なくして普通に終わった。

 心配していた大物も、終了直前に酒井さんがリベンジするように大きなアジを釣り上げ、何とか形になった。


 ただ……一度おかしくなった現場の雰囲気の方は、解消されないままだった。

 あの怒声を切っ掛けに、撮影スタッフ自体がややギクシャクした感じになった、というか。

 スタッフ側が黙っているものだから、こちら側から聞き出すことも出来ず、はっきり言って空気が悪いまま撮影は終わった。


 そして一度終わってしまうと、スタッフの数が少ないので撤収は早い。

 俺たちが苦労して運んだ荷物をスタッフたちはテキパキと車に積み込み、そのまま軽く挨拶をして、逃げるように釣り場から去って行った。

 恐らく、編集部に帰っていったのだろう。


 一方、俺たちの方はそこまで簡単に撤収とはいかなかった。

 旅館の方のチェックアウトがあるので、碓水さんがその手続きをしに行って──スタッフたちは先にそういう手続きをしていたが、俺たちは忘れていたのだ──必然的に俺たちはちょっと待たされる感じになる。

 加えて、この手続きがどうも割と長くかかるらしく、碓水さんは俺たちに「最後に、この近くを観光しても良いですよ」と言うくらいだった。


 その言葉に甘えて、俺たち三人はゆらゆらと旅館前の道を下っていって。

 何となく、海の近くにあるベンチに揃って座った。

 鏡が久しぶりに口を開いたのは、その時のことである。


「……ねえ、松原君」

「はい」

「さっきのことだけど……分かる?」


 真剣に問いかけてくる彼女だったが、生憎と主語が無かった。

 しかしこの場合は、そんな物が無くても意味は通じる。

 現に、俺の隣で酒井さんは的確に相槌を打った。


「スタッフさんたちの様子、何か変だったわー……奏がフグを釣った、そのすぐ後くらいから」

「明らかに気まずそうでしたよね?ちょっと、撮影中のスタッフの行動としては有り得ないくらいに」


 ──まあ、そうだろうな……ずっと気にしていたのか、二人とも。


 めいめい違和感を述べる酒井さんと鏡を見ながら、俺は妙な気持になる。

 鏡の監視という名目で同行した撮影だったが、ここへ来て話が変わってきた。

 どうも俺の行くところ、「日常の謎」は向こうから関わり続けるらしい。

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