繋いでみる時
──しかし流石に、本当に心霊写真でしたとは考え難いしな。それだと推理のしようが無いし……もうちょっと情報を集めてみるか。
唸りながらも、俺はそちらの方向に思考をシフトさせる。
というか、撮影に関する情報は大体聞いたが、それ以上の話は特に聞いていない。
例えば、この話の当事者である酒井桜とはどんな人なのか。
そんな基礎的な話さえ、碌に聞いていない。
案外その辺りから、この謎は紐解けるかもしれなかった。
思いつくままに、俺は質問を口に出してみる。
「なあ、鏡……その酒井さんって人は、どんな人なんだ?今更だけど」
そう問いかけると、鏡は「……どゆこと?」と言って首を捻った。
質問が漠然としすぎて、意図を掴めなかったらしい。
もう少し、俺は補足を入れることにする。
「何というか、こう……どういう経緯で芸能界に入って、どういう活躍をしているか、どういう考えの人なのか、とかを知りたい。年齢すら聞いたことなかったし」
「つまり、酒井さんのアイドル遍歴が知りたいってこと?」
ようやく合点がいった風の鏡を前に、俺は頷く。
すると再び、彼女は考え考えという様子で口を開いた。
「そう言われると話すことが多いなあー……ええとまず、年は私たちの二つ上で、高校三年生。私たちの中では最年長だから、割とグラジオラスのリーダー的な立ち位置のアイドル、かな」
「最年長なのか……」
「そう。次に年長なのは多織さんだけど、多織さんも高校二年生だしね」
「へー……」
軽く納得しつつ、俺はそんな声を漏らす。
酒井さんも帯刀さんも大人びた綺麗な容姿をしていたので逆に年齢が把握しにくかったのだが、ここでようやく知ることが出来た。
同時に十八歳のメンバーが最年長というグラジオラスメンバーの若さにも、少し驚く。
「この世界に入った経緯自体は、さっき言ったやつくらいしか私も知らない。そこは申し訳ないんだけど」
「まずはモデルをしていて、その後アイドルにスカウトとかいうアレか」
先程聞いた話をそのまま反芻する。
骨と皮しかないような話だが、鏡がそれ以上知らないというのならもう知りようが無いだろう。
まあ人の過去話など、例え同じアイドルグループのメンバーであろうともそう詮索するものでは無い。
「……因みに、モデルの頃の酒井さんってどんな風に活躍していたんだ?知っている話だけで良いんだが」
それでも多少は情報が欲しくて、もう少し突っ込んでみる。
すると鏡は一つ、思い出したように話してくれた。
「私も直に見た訳じゃないけど、凄く期待されてたって話を聞いたことはある。モデルって、売れ出すまでに長く苦労する人も結構居るらしいんだけど、そんなことは全然無かったって言うし。アイドルに転身した時も、結構周りの人に残念がられたとか何とか」
「……割と最初から成功した部類の人だったのか?アイドルに転身せずとも、モデルとしてやっていけるくらいに」
「そうそう。だからこそモデル業界の話に詳しくなったんだと思う。それで私も、今回の撮影で心得的なことを教えてもらう流れになったんだから」
そこまで楽しそうに言ってから、鏡は不意に、何かを新しく発見をしたような顔をする。
「そう言う意味では、モデルについて心得があるっていうのが桜さんの個性かなー。さっき言ってた『どんな人』っていう質問への答えはそれになるかも」
「心得、か」
「うん。実際、モデルの仕事に凄く真摯な人だよ?休憩時間だろうと新しいポーズをずっと考えていて、間違ってもスマートフォンを弄らない、みたいな。基本、真面目な人だしね」
そう言ってから、自分の言葉に納得したように鏡はうんうんと頷く。
彼女の様子からは、酒井さんへの尊敬の念が透けて見えた。
アイドルとして、モデルとして、人として。
純粋に尊敬しているらしい。
そう考えると、今日の撮影は彼女にとっても誇らしいものだったのだろうか。
「因みに、どんなことを言われたんだ、その心得?」
段々と話の内容が逸れてきていた感はあったが、興味があったので俺はそちらも尋ねてみる。
先程の話の中で「衣装が汚れない立ち方」とかは聞いたが、それ以外について好奇心が湧いたのだ。
鏡も話しているうちに説明したくなったのか、ええっとね、とすぐに乗ってくる。
そして、こんな心得を紹介した。
「内容としては色々あるんだけど……一番大事にしてるのは、『モデルの世界は横の繋がりが強いから、スタッフの評判にも気を払った方が良い』ってことだったと思う。とにかく、悪い評判が立たないように気を付けるのが先決だって」
「横の繋がり?」
「スタッフ間の繋がりが深かったり、噂の広がるスピードが速かったりするってこと。だから注意しなきゃいけないっていう教訓、みたいな?」
話を聞いて、ふーん、と俺は気の無い返事をする。
正直、今一つピンとこなかった。
一番大事な教えと言う割に、外堀を埋めるようなことを言っているな、というか。
素人考えだが、そう言ったスタッフの評判よりもポーズとか魅せ方の方が重要なんじゃ無いだろうか。
俺が納得しかねているのを察知したのか、鏡が軽く口を尖らせる。
そして諭すようにこう言った。
「……松原君には分からない感覚かもしれないけど、私たちにとっては本当に大事なんだよ、これ?実際ほら、今日の撮影だって酒井さんの評判や信頼があったからこそ決まったんだし」
「ああ、そう言えば……」
言われて、彼女たちが代役であることを思い出した。
確か本来やるはずのモデルが来れなくなったからこそ、酒井桜・鏡奏ペアが代役に選ばれたのだ。
そして代役に選ばれた理由は────モデル時代の酒井桜の繋がりを辿って、だったか。
「酒井さんが言うにはね……『ポーズや表情を作る技術は最初は出来なくて当然だし、ちょっとずつ磨いていくしかない。でも真面目さや誠実さをアピールして信頼を得ることは、最初から出来ることだし、同時にしなければいけないことでもある。最初の撮影で不真面目なモデルだと思われると、二度と使ってもらえないし、スタッフの間で悪い評判も立つ』だって……私は、一理あると思うけどなー」
「そう言われると納得出来るな……この業界が噂が広まりやすいというのなら、猶更」
ようやく教訓の意図を察して、俺は頷く。
ここまで言われると流石に理解出来た。
詰まるところ、評判のような見えない力は意外と大きな影響力を持つ、ということだろう。
もしかするとモデル業界に限らず、どんなことにだって言えることなのかもしれない。
人間、なんだかんだ言って信頼と言う物を非常に大事にしている。
「じゃあ酒井さんは、そう言うことも気にしてモデルの仕事をしているのか……今も」
「そうだろうねー。実際今日も、雨のせいで時間的に厳しいって言われても黙々と撮影をこなしているし」
何となくそこで、俺と鏡は未だに撮影中の酒井桜の方を見つめる。
あの綺麗な立ち姿を披露するまでに、どれだけの注意が支払われているのか。
多分、俺には想像も出来ないレベルのことが行われているのだろう。
……対照的に、個人的な疑問から撮影現場にほぼ一般人のバイトを呼び出している鏡は、その心得を実践出来ていないのではないかという気もしたが。
ここはまあ、実際に来てしまった俺が言える話でも無いだろう、多分。
──……と、話がずれてたな。問題はモデルの心得じゃなくて、この心霊写真の話なんだし……。
そこでようやく、俺は意識を目の前の謎に戻した。
今のモデルに関するエピソードも興味深かったが、目の前には別に解かなくてはいけない謎がある。
自分から聞いておいてなんだが、酒井桜についてこれ以上深掘りしたところで、この謎とは関係の無い話が出るだけだろう。
情報を集めたいなら、もう少し別の話を聞く必要がある。
そんなことを考えて話を変えようとした瞬間のことだった。
「……ん?」
俺の額に何か、冷たい物がぶつかった。
あれ、と思って顔を上げると、今度は俺の頬にそれがぶつかる。
「雨、降ってきちゃった……」
鏡の言葉に釣られて空を見上げた俺は、彼女と同時に驚く。
いつの間にか、空は完全に雨雲に覆われていた。
薄いとは言え、しっかりと雨を降らしそうな色をしている。
先程から天気は怪しかったのだが、どうやらいよいよ崩れ出してしまったらしい。
まだいけるだろうと判断していたのだが、見通しが甘かったのか。
勘の良い従兄弟ならこういう天気予報は百発百中で当てるのだが、俺にはどうにも無理だったようだ。
自転車置き場に設置された薄いトタン屋根が、タンタンタン、とリズミカルな音を立て始める。
自然、俺は非常に慌てる羽目になった。
「一応屋根があるとは言え……ここじゃ濡れるな。どこか、雨宿り出来る場所は……」
反射的に、屋根を探して周囲を見渡す。
いつの間にか、雨だけで無く風まで一緒に吹いてきていたのだ。
横に壁が無いこの自転車置き場では身体が濡れてしまう。
せめてもう少し、しっかり雨宿り出来る場所を探す必要があった。
そう考えていると、鏡が何かを提案するような口調でこう言ってくる。
「ここが無理なら……松原君、校舎に入る?」
「校舎?」
「うん。教室を利用した控室が用意されてるから……松原君も一応事務所の人なんだし、普通に使って良いと思うけど」
──……そうか?
話を聞いた瞬間、思わず内心で疑問を埋めた。
鏡の厚意を否定するようで悪いが、その部屋、本当に使って良いんだろうか。
この場合、俺が撮影の関係者と言えるかどうかはかなり微妙だと思うのだが。
しかし、迷っていられたのはほんの少しの間だった。
というのもすぐに我慢できなくなったのか、鏡はその提案を告げ終わった瞬間に俺の右手をガシッと掴んだのである。
「え、ちょ、おい?」
「ほら、濡れちゃうし、行くよ!」
止める暇は無かった。
雨がポツポツと振ろうとする校庭を、俺は鏡に引きずられるようにしてダッシュする。
そうして、俺は図らずも次の舞台────等星高校の校舎内へと入っていった。
────入ってから気が付いたことなのだが、この控室という場所は、二つの理由で俺が中々見ることの出来ない場所だった。
一つ目の理由は先述したように、アイドルやらモデルやらの控室だから。
前回もライブの控室を尋ねたが、あの時は控室自体には長居しなかったし、それ以前に「お茶を届ける」という中に入っても良い大義名分があった。
そんな理由すらない状況でただのバイトがこういう場所に来るというのは、やはり初めてだったのである。
そしてもう一つの理由は、もっと単純な理由で────この等星高校という学校が女子高だから。
大前提として、俺が男である以上はまず絶対に見ることの出来ない場所である。
教室の中など、普通は来る物じゃないだろう。
何が言いたいかと言えば。
鏡に引きずられながら校舎に入った俺が、中の様子をキョロキョロと観察してしまったのは不可抗力だった、ということである。
だって、仕方が無いだろう。
俺が男子高校生である以上、こういう空間にはどうしたって一定の興味はある。
ぶっちゃけた話、ボヌール内部よりも興味があるくらいだ。
これは多分、多くの人にとっても分かってもらえる感覚なんじゃないだろうか。
芸能界の一部ということで余りにも日常からかけ離れてしまっているボヌールの事務所よりも、近所の女子高である等星高校の方が、こう、生々しい稀少さが感じられるというか。
想像の範疇を超えていない分、具体的かつ分かりやすい好奇心が生まれるのかもしれない。
自然、俺は控室に行きながらも「おおー、更衣室って部屋の看板が男子と女子で別れてないな。鏡たちもあそこで着替えたのか」とか、「当然だけど、トイレも女子トイレしか無いな」とか、「階段に行くまでに、噂の大木の近くを通るんだな」とか言った、新鮮な発見をしながら歩いていた。
我ながら気持ちの悪い行為ではあったことは認めるが、止められなかったのである。
他に生徒がいる訳でも無く、誰に見られるという訳でも無いのだから別に良いだろう、という開き直りもあった。
……尤も手を繋いでいた鏡からは、俺の様子はしっかりと気持ち悪く映っていたらしい。
あまり好意的には受け止められなかったのは間違いないだろう。
その証拠に控室にまで辿り着いた時の俺は、無言でぶん回すようにして腕を放り投げられてしまった。
キョロキョロ見ていないでさっさと入れ、という鏡の意思表示だろうか。
おかげで俺はただ入り口を超えるだけにとどまらず、勢いを殺せずに結構な距離を歩いてしまった。
「おっと……とっと」
絶対に必要ないであろう声まで漏らしながら、俺は何とかバランスを取る。
姿勢が安定した時には随分と教室の奥に────それこそ、廊下の反対側にある窓の方にまで来てしまった。
突然の雨のせいで撤収が終わっていないのか、控室にまだ誰も居なかったのが幸いだった。
中に人が居たら、前回のライブと同様に人とぶつかってしまったかもしれない。
──流石にもう、泥が付くのは嫌だしな……いやまあ、今回も変な汚れの話だけど。
そんなことを考えながら、俺は顔を上げる。
するとその瞬間、少し意外な風景が目の前の窓に映っていた。
「……なあ、鏡」
気づいた瞬間に、声に出す。
途端に、背後から鏡が反応した。
「ん、何?」
「いや、一つ聞きたくて。あの窓の向こうにある木って……例の噂がある木だよな?」
そう言いながら、俺は前方を指さす。
教室の一辺を埋める窓の、さらに奥。
晴れていれば校庭が見渡せるのであろうベランダの方角を。
そこには、室内からでも十分に認めることが出来るくらいに堂々とした大木の姿があった。
控室は校舎の二階にあるのだが、この高さでも木の頂点が伺えないくらいの大木である。
校舎に寄り添うようにして生えている都合上、教室内からガッツリ見えるのだ。
「……あ、そうか、そう言えば言ってなかった?この控室からも、噂になってた木って見えるんだよね。さっき撮影に関係なかったっていうのは、あくまで撮影場所からは離れていたって話」
「そういうことか……この位置で木が生えている、なら」
鏡の話を聞いてから、俺はふむ、と一つ唸る。
さらに、指を口元に添えて考え込んだ。
何か────何か、思いつきそうな気がして。
先程までは話だけだったが、実際に教室内から木を見てみると、不意に浮かんでくるアイデアがあったのである。
これじゃないか、という案が。
──もしそうだとすると、確認が必要だな……おあつらえ向きにベランダもある。ちょっと濡れはするだろうけど。
チラリ、と俺は横目で窓の外の様子を確認した。
外から見た時点で分かっていたことだが、この等星高校の校舎は教室ごとに小さなベランダが付いている。
多分、窓掃除による転落事故などを防ぐためなのだろう。
だからこそ、窓の外に出ると地面に落下するのではなく、狭いとはいえベランダに繋がる。
あの木にもっと近寄れる、ということだ。
「……ちょっと、あの木のことをよく見てくる」
それに気が付いた時には、俺はもう歩き出していた。
今思いついたばかりの仮説を検証するために。