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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Stage15:小春にして君を離れ

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十年という時

 ……俺が核心を述べるのと同時に、座っている床が微かに揺らいだような気がした。

 丁度この部屋の真下で、誰かが動揺しているような。

 その振動が、一階の天井越しに伝わってきているかのような。


 このことを自覚しながら、俺は推理を一人語りに切り替える。

 YAMIには悪いが、一息に行こう。




「……恐らくですが、原田さんも最初は食べる気はなかったんだと思います。いくら食べる物にすら困っていたとしても、お供え物を食べるっていう発想は中々出てきませんからね」


「最初にお菓子たちを移動させた理由は、もっと別のところにあるのではないでしょうか」


「原田さんが言っていました。この事故の少し後、台風があったと。それも、このアパートが倒壊しかねないような大型の物が」


「これは調べればすぐに分かることですし、事故が起きた九月頃という時期から考えても真実でしょう。実際に十年前、事故から少し経った頃に台風が東京を襲った」


「台風の進路ってニュースになりますからね。当時の原田さんも心配になった訳です」


「アパートの真ん前に放置されているあのお菓子たち、大丈夫だろうか」


「台風が来たら、吹っ飛んじゃうんじゃないだろうか?」


「そんな心配をしたのではないでしょうか」


「因みにこれ、お供え物全般における問題点の一つでもあります。悪天候の時にお供え物が悲惨なことになるっていうのは、どこでも問題になっているようですから」


「どれほど綺麗な献花をしても、雨が降れば花弁は散ってしまう。千羽鶴などを捧げてみても、風が吹けば吹っ飛んでしまう」


「ただの雨ですらそんな感じなんですから、大型の台風が来た日にはあらゆるものが消し飛びます。まあ間違いなく、原形を保っている物はないでしょう」


「だからこそ管理されたお墓やちゃんとした献花台などでは、台風上陸前にお供え物の片づけや一時避難をするのが常識らしいですが……」


「突発的な事故だったことに加え、各々がボランティアでお供えをしたこの現場では、そんなことまではされない」


「よく気が付く人なら片付けてくれるかもしれませんけど、生憎とこの時はそう言う人がいなかったんでしょう。台風上陸直前になっても、お供え物たちは放置されていた」


「このままだと、玩具だろうがお菓子だろうがどこかに吹っ飛んでいく運命にあります。これでは故人の冥福が祈れないばかりか、今生きている俺たちにも悪影響です」


「お菓子や花はともかく、玩具の方は結構な重量がありますからね。うっかり飛んでいって誰かに激突してしまったら、最悪大怪我。人に当たらなくても、車にぶつかって凄まじい損害を与えてしまうことも有り得る」


「だったら仕方が無い。近所に住む自分が一旦引き上げておくか……」


「原田さんは最初、そんな感情だったんじゃないでしょうか」


「故に、彼の室内には大量のお菓子や玩具が運び込まれた」


「前職をクビになり、再就職にも苦労して食い詰めていた彼の部屋に、大量の食べ物が用意された」


「勿論、そのお菓子はあくまで一時避難しているだけ。台風が去れば、また元の場所に戻しに行くのが理想です」


「しかし実際問題────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


「そんな考えが、当時からあったんでしょう」


「台風が上陸するという状況ですら、それらのお供え物は原田さん以外の誰も片付けなかった。であれば、台風が去った後に元に戻したところで、恐らくは腐るまで放置されるだけ」


「行きつく先は再び原田さんが片付ける羽目になるか、カラスにでも持っていかれるか。そのどちらか」


「……だったら」


「もう、戻さなくていいのではないか?」


「寧ろ……食うに困っている自分が食べた方が、食べ物を有効活用していると言えるんじゃないか?」


「台風に合わせて回収したそれらのお菓子は、本来処分されるような時期よりも早く運ばれた。つまり、まだ腐ってはいなかった」


「賞味期限が切れたものはあったかもしれませんが、消費期限はなんとかなっていたはずです」


「だから……彼は」


「それらを、元に戻さずに食べた」


「飢えに負けたと言い切ってしまうと、ちょっと酷な言い方かもしれませんが」


「幸い、このことは誰かに気づかれることもありませんでした。また、姿を消したお供え物たちが話題に上がることもありませんでした」


「ひょっとすると、お供え物が消えたことに気づいた人自体は居たかもしれませんが、まさか誰かが盗んだとは思わなかった」


「誰がやったかは知らないけど、この前の台風のせいで片付けたのかな。そのくらいに思われていたんじゃないでしょうか」


「そうしている内に交通事故も風化し、現場に置かれていたお供え物を気に留める人は居なくなった」


「……原田さん一人を除いて」


「そう、原田さんだけはずっとこのことを覚えていたんです」


「覚えていたし、悔いていたのでしょう」


「自分で食べておきながら後からそれを悔いるというのも、矛盾した態度であるかのように思えるかもしれませんが……感情的には、理解出来る気もします」


「ホームページにも書いてありましたけど、お供え物を処分するっていう行為は、割と罪悪感を伴う場合が多いそうですからね」


「何となく嫌だ、罰が当たりそうな気がする、なんて理由で誰もやりたがらない」


「お供え物が腐るまで放置されてしまう理由の一つが、まさしくそれだったはずです」


「そんな風に移動させるだけでも罪悪感を伴うお供え物たちを、経済的な事情があったとは言え食べてしまったとなると……」


「ずっと気にしていたって、おかしくはないでしょう」


「再就職が決まり、少なくとも食事に困ることは無くなった時期には、ことさら気になったんじゃないでしょうか」


「今の自分は、有難いことに普通に暮らすことが出来ている。だけどこれはあの時、お供え物に手を付けてまで飢えをしのいだお陰だ。そんな過去を背負って自分は生きているんだ……」


「暮らしに困らなくなればなるほど、そんな罪悪感が彼を包んだんじゃないでしょうか」


「実際、過去の振る舞いを忘れていなかったのは間違いありません……そうじゃないと、あのロボットが現在も彼の手元にあることに説明がつかない」


「さっきも言いましたが、あの玩具は十年前に販売されたもの。事故当時に誰かがお供え物として電柱の傍に置き、そして台風直前になって原田さんが回収した物です」


「他のお菓子と違って、これは消費されることはありませんでした。食べられませんからね」


「そして彼は、状況からすると十年間ずっと、このロボットを部屋に置いていた」


「もし彼がお供え物を食べたことを『あの時は仕方なかった』とか『そんなに引きずることでもない』と開き直っていたのなら、あんな玩具はとっくの昔に捨てていると思いません?」


「何なら時間を置いてからどこかで転売すれば、小遣い稼ぎくらいにはなります。古い玩具はプレミアがつくことがありますから」


「再就職直後などはそこまで暮らしに余裕があった訳でも無いでしょうし、日銭のために売り払うチャンスはいくらでもあった」


「だというのに、十年経ってもあのロボットをパッケージごと持っているあたりに……彼の心情と言うか、このことへの引きずり具合が出ている気がします」


「悪意があっての振る舞いでは無かったとは言え、ずっと彼は過去の行いに罪悪感を抱いていた」


「当然の流れとして、次に彼はこう考えます……さて、これからはどうするべきだろうか?」


「この罪悪感を消すには、どうすれば良いか?」


「償おうとするなら、どうするのが一番なのか?」


「因みにYAMIさん、これにはどんな方法があると思います?」


「正直に、被害者遺族やお供えをした人に言いに行く?……なるほど」


「確かに、それが真っ当な方法です。被害者の子に捧げられた物を横から盗んだんですから、遺族に全てを打ち明けて謝るというのは、一つのけじめになる」


「向こうがどういう反応するかは分かりませんが──この件が窃盗で刑事事件になるかどうかは、時間経過もあって微妙なところですし──正直に言ったということで、少なくとも原田さんは楽になれるでしょう」


「ただ……恐らく、彼はその方法を取らなかった」


「もしかすると、遺族や彼らの作った団体に『お供え物は誰かに持ち去られる可能性があるから、現場付近に置かない方が良い』くらいのことは匿名の手紙などで伝えた可能性はありますが、自分がやったとは言い出さなかったんじゃないでしょうか」


「まあ、これは結果から逆算した妄想ですけどね。もしここで正直に言い出していたなら、十年越しにあんなことをする必要が無い。逆に言えば、この時は言えなかったってことです」


「原田さんを擁護するみたいになりますけど、これまた心情的に何となく分かる気がします」


「正直に自らの行いを自白するというのは、本来なら賞賛されることでしょうけど、この場合は中々残酷な選択になりかねませんから」


「だってそもそも、今回の遺族は『事故現場に供えられたお菓子たちが無くなっている』ということ自体に気が付いていないんです」


「先程言ったように、『心ある人たちがお供えをしてくれたけど、台風のために誰かが片付けてくれた』くらいに思っている。他の人が盗んで食べたなんて、想像もしていない」


「そんな何も知らない彼らに、原田さんが『いや実は、あのお供え物は自分がこっそり食べたんですよ、すいませんでした』と言いに行くのは……ちょっと、嫌がられる可能性が高い」


「いくら現場でのお供え物を不要だと考えるようになった方々だとしても、食べて良いとまでは言ってませんから」


「真実を知ってしまえば、被害者遺族はかなり不快に思うでしょう。知りたくなかった、と感じるかもしれない」


「何なら……最初から気づいていなかったんだから、いっそのこと最後まで教えてくれなければ良かったのに、なんてことを言われるかもしれません」


「それを抜きにしても、犯人側から先に頭を下げられたとなると、謝られた側は対応に困ることがありますしね。先に謝られると、仮に正当な怒りでもぶつけにくくなるというか」


「そう思うと、難しい問題です」


「既に問題が発覚して遺族が困っていたならともかく、気が付いていない上に誰も困っていない出来事に関して、恐らくは不快に感じるであろう真相を伝えに行く」


「それは、果たして正しいのか?」


「ただ、自分が正直に謝ったという免罪符を手に入れたいだけじゃないのか?楽になりたいだけじゃないのか?」


「いくらかの自己保身も含みつつ、そんなことを考えたんじゃないでしょうか……想像ですけどね」


「何にせよ、彼は自らの振る舞いを誰にも言えずにいた」


「かといって忘れ去ることも出来ず、事故現場近くのこの家を引っ越すことは無く、玩具などはずっと保管していた」


「そんなこんなで、十年が経過したんです」


「しかしそんな彼にも、転機が訪れます」


「工場が移転することになり、このアパートからは通えなくなった」


「自分を雇ってくれた工場には恩もあるので、流石に引っ越しをするしかなくなりました」


「だからこそ、考えたのでしょう」


「これは節目だ、と」


「この辺りで、自分の過去に決着を着けるべきなんじゃないか」


「新しい家に行く前に、禊を済ませるべきじゃないか────」


「要は、自分なりにけじめをつけるというか、割り切りたかったんでしょうね」


「十年前に考えた通り、正直に言うのは無理……それでも、何かないか」


「十分な償いをしたと言い切れるようなけじめの取り方は無いか、必死に考えた」


「彼がしたことは端的に言えば、お供え物の窃盗」


「本来ならもう少し長く、あの場で故人に捧げられたであろうお供え物たちは、彼が途中で食べたことで早めに姿を消した」


「言ってみれば、彼の行為によって『本来ならもっとお供えされていたであろう時間』がお供え物と一緒に盗まれているんです。これは、今回の一件における損失の一つと言っても良い」


「そして償いと言うのは普通、相手の損失を埋め合わせることを意味します」


「だからこそ、思ったんでしょう」


「この行いを償いたいのなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「自分が盗まなければ実現したであろう、もう何日分かのお供え物留置期間。それを再現すればいいんじゃないのか」


「再びお供え物の内容を再現し、今度こそ食べ物が腐るくらいにまで置いておく」


「そうすれば、お供えという行為自体のやり直しになるのではないか、償ったと言えるのではないか────?」


「要は、自分が台無しにしない、『本来のお供え』を故人に体験させたかった形になりますね」


「……説明しておいてアレですが、ちょっと理解しにくい行為に見えてしまいますね、これ」


「まあ実際、あまり合理的な考えではありません」


「わざわざ当時のお供え物を再現したところで、被害者や遺族が何か得する訳でもない。正直に謝った訳でも無く、ただただ道路にお菓子などを放置しただけ」


「厳しい言い方をすれば、自己満足に過ぎません。そもそも、十年経っても過去を気にしていること自体が……」


「だけど、せざるを得なかったのでしょう。誰も得しないどころか、別ベクトルに迷惑な行為であったとしても、お供えをやり直させてあげたかった」


「何度も言っているように、彼本人のけじめの問題ですからね、これ。客観的な意味があるかどうかは、究極どうでも良かったんでしょう」


「無論、真っ昼間に置けば流石に人目につく。だけど夜中にこっそり置けば、この寂れ具合ではまず気が付かれない」


「だからこそ、記憶しているお菓子のラインナップを再現して──それこそ、俺たちが見た記事の写真を参考にしたんでしょう──保管していた玩具を引っ張り出して、夜な夜なお供えをし直した」


「時間帯としては、YAMIさんが普段ならもう寝ているような深夜です……尤も、YAMIさんの帰りが遅かった日には、偶々見られてしまったようですけれど」


「それでも、やり続けた。ここから引っ越すまで、十年前のロスタイムを埋め合わせるまで」




 ……そこまで話したところで、不意に下の階に動きがあった。

 ギイギイと床が踏まれ、バタリと扉が開閉する。

 来たか、とだけ思った。

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