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依頼を受ける時

 丁度その日のバイトが終わり、ボヌールの外に出ようとした時だったと思う。

 雑巾のせいでふやけた指先で、自転車のハンドルを。

 拭き掃除のせいで痛む足でペダルを捉えた、そんな瞬間。


 このタイミングで、突然。

 初期設定から変えていないままの通知音がリリリン、と俺の鞄から鳴り響いたのだ。


「電話?……珍しい」


 反射的にそう呟き、俺は鞄を漁る。

 最早スマートフォンには必須と言っても良い某コミュニケーションアプリが発達して以降、電話をわざわざ行う機会は激減している。

 相手の名前を示す液晶画面すら、久しぶりに見る感覚があったくらいだった。


 ……ただし今回見た画面は、かつて見たどれとも違っていたが。


「名前出てないな、番号だけ……?」


 画面上に映し出された、スマートフォンの番号らしき数字の列を見てそう呟く。

 どうやら、俺のスマートフォンに登録されていない番号から発信されているらしい。

 登録された番号なら、その名前が出るはずだからだ。


 ──そうなる考えられるのは、セールスか、迷惑電話か。はたまた、単なる間違い電話か……。


 妥当な例をいくつか脳裏に挙げて、俺はげんなりとした顔をする。

 現代人なら当然の反応だろう。


 一昔前ならいざ知らず、今の時代の人間にとって「知らない番号からの電話には極力出ない」というのは常識に近い。

 基本的に、出たところで良いことは無い。

 だからこそ、ここは通話拒否のマークを押すのが一番良いのだろう。


「でも、今回ばかりは事情が違うな……」


 だがそこで思わず、俺は声を出してしまった。

 同時に、軽く思考を悩ませてみる。


 事情が違うというのは、言うまでも無く今朝姉さんからされた話の事である。

 すなわち、鏡から俺に電話が来るかもしれないという事情。


 あの話を考えれば、この知らない番号からの着信というのがまさしく鏡からのそれ、ということは十分に有り得る。

 だからこそ、通話拒否がしにくいのだ。


 ──えー、どうしようかな、本当に。わざわざかけてきたってことは、何か用事があるかもしれないし、出た方が良いんだろうが……ただの迷惑電話だったら面倒だしなあ……。


 そんなことを考えて、俺は自転車置き場で唸ってしまった。

 無論、その間も俺のスマートフォンはリリリン、リリリン、と鳴り続けている。


 その音を聞いていると、少しばかり気が焦ってきた。

 どうしてこう、電話の音というのは人間の気を急かすのだろうか。

 人の行動を煽るために作曲されているとしか思えない。


「……ええい、開くか、もう!」


 結局、俺はその電話による「急かし」に負けた。

 おりゃあ、と変なことを言いながら通話開始のボタンを押す。

 さらに、素早く耳元にまでスマートフォンを持って行った。


「はい、もしもし……待たせてすいません」


 とりあえず、そんなことを言って置く。

 これで変な声が聞こえたら嫌だなあ、などと思っていたのだが────幸いなことに電話越しに聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だった。

 数日振りに聞く、鏡の声である。


『もしもし、松原君?……私だけど、分かる?鏡奏なんだけど』

「ああ、流石に分かる。姉さんから番号を聞いて、かけてきたんだろう?」


 なまじ結構待たせてしまったせいで疑われていることを察したらしく、彼女の声は不安げだった。

 それを落ち着かせるためにも、俺は以前と同様に敬語を捨てて軽い口調で受け答えをする。


「それで……何の用だ?」


 さっさと本題に入るべく、率直にそんなことを聞いた。

 唐突だったかもしれないが、こういう前振りの部分を余り引き延ばしても仕方が無い。


 そしてそのことは、鏡も分かっていたらしい。

 特に混乱することなく、彼女はこんな言葉から話し始めた。


『んー、平たく言うなら頼み事になるんだろうけど……ええと松原君、今は電話、大丈夫?時間とか、場所とか』

「まあ、不味い状況では無いな」


 そう言いながら、俺は自転車置き場を見てみる。

 周囲に人が居る訳でも無いし、俺自身も時間に余裕が無い訳でも無い。

 電話くらいならいくらでも出来る。


 そういう節のことを、俺は鏡に伝えた。

 すると即座に、彼女はこう返した。


『ねえ、松原君って……推理得意だよね?」

「推理?」

『そう、推理。松原君、そう言うの出来る人でしょ?例えばほら、この前の月野先輩が謹慎処分になったやつ。あの切っ掛けになった話だって、全部合ってたし』

「……まあ、あれに関してはそうなったけど」

『だから、松原君に謎解きを頼みたいの……出来れば、今すぐに』


 ──謎解き、か……。


 予想通りのような、意外な気もするような。

 不思議な響きを持つ提案を鏡が俺に持ちかける。


 まさかこんな、フィクションに出てくる依頼人みたいな台詞を俺の人生で聞くことになるとは思わなかった。

 今一つ現実感を得られないまま、俺は常識的な返答をしてみる。


「……謎って言うのは、どういうことだ?もし何かの犯罪とかに関わっているのだったら、普通に警察を呼んだ方が良いと思うが」

『いやいや、そう言うんじゃないから。簡単に言えば……』


 軽く否定してから、話をまとめるようにして鏡は少し黙った。

 しかし、すぐに的確な説明を思いついたらしい。

 彼女は端的に、自分の要件をこうまとめた。


『頼みたいことって言うのは要するに……()()()()()()()なの。松原君には、心霊写真に映った幽霊の正体を突き止めて欲しい』

「……心霊写真?」


 アイドルにあまり似合わない単語が飛び出たことに驚き、俺は思わず鏡の言葉をオウム返しに繰り返した。

 聞き間違えじゃないか、とすら思ってしまう。

 しかし間違いなく、鏡は心霊写真と言っていたのだった────。






「……あ、来た来た。おーい、こっちこっち!」


 鏡の指定する場所──等星高校と言う近くにある女子高である──に自転車で辿り着くと、校門の前で鏡がブンブンと手を振っているのが分かった。

 どうやら、俺が辿り着くのを待っていてくれたらしい。


 その親切に乗っかる形で、俺はボヌールから乗ってきた自転車をそちらに走らせる。

 即座にすっきりとした恰好──白いブラウスと同じく白いバッグ、黒いデニムにパンプスといった具合──をした鏡が、手で謝りながらこちらに駆け寄ってくるのが分かった。


「やー、ごめんごめん。わざわざ呼び立てちゃって」

「まあ、それはいいけど……」


 そう言いながら、とりあえず俺は自転車を降りて手で押していく。

 この自転車はどうすればいいのかと一瞬思ったが、それを察したらしい鏡が「向こうの自転車置き場に置けばいいって、スタッフさんが言ってたよ」と告げた。


 結果として、俺は鏡と二人で高校の自転車置き場に向かうことになる。

 そこでようやく、俺は彼女から詳しい話を聞くことにした。

 電話越しだと分かりにくいという鏡の意見から、今の今まで話を聞けていなかったのである。


「鏡、早速良いか?……心霊写真云々っていうのは、何だ?どういう話なんだ?」


 自転車を押しながら、まずそこを聞いてみた。

 ここに来るまでは全く事情が分かっていなかったのだが、一度疑問を口に出すと次から次へと聞きたいことが現れる。

 いやそもそも、彼女たちはどうして────。


「……というかよく考えれば、何でここに鏡が居るのかも聞いてないな。仕事だっけ?」

「そうそう。今日は私たち、モデルとしての仕事があったからさー。私も、さっきまで撮影に参加してたんだけどね」


 最初にそんな説明をした鏡は、途中でほら、と校庭の一画を指さす。

 つられて、俺はそちらを見てみた。

 すると、確かに「モデルの撮影風景」という感じの光景がそこには広がっていた。


 最初に目に入るのは、校庭の中心に佇む一人の制服姿の少女。

 ロングヘアの黒髪を艶やかに揺らし、すらりとした長身をすっと伸ばした高校生くらいの少女だ。


 彼女の顔立ちはモデルという言葉に違わず、非常に整っている。

 それも、俺たちくらいの年齢では見慣れない感じの整い方だった。


 どちらかと言えば可愛い系の顔をしている鏡や長澤とは、また違ったジャンルの美しさ、というか。

 年齢に不相応なほどに大人びた顔をしている。


 そんな彼女から視線を外すと、彼女の前には大きな一眼レフを構えた男性が居ることに気がつく。

 その周囲には、反射板か何かを持っている男性。

 さらに、どやどやと動き回るスタッフらしき人たちの姿も見えた。


「あれは……()()()さんが、撮影をしているのか」


 全てを確認してから、ようやく俺は理解をする。

 中心に居る少女が誰なのかは、流石に分かったのだ。


 この間の月野羽衣のライプで、夜の部から参加していた二人のグラジオラスメンバー。

 酒井桜と帯刀多織とか言ったが、その片割れである。

 俺は直に話したことは無かったが、レッスン室で一方的に見ることはあるので顔は知っていた。


「……つまり、今日は鏡とあの酒井さんが学校でモデルとして撮影をしているのか?」

「そういうこと。ゴールデンウィークで生徒の人が居ないから、あるファッション雑誌が敷地を貸してもらったらしくて。私はともかく桜さんは元々モデルだから、こういう仕事も来るんだよねー。今回は私も混ぜてもらった、みたいな」


 そう言って、鏡は胸を張って自慢する。

 話を聞く感じでは、どうもあそこで撮影している酒井桜に乗っかるような形で彼女も撮影に参加しているらしい。


 今までダンスレッスンくらいしか見たことが無かったので、その話は俺としては新鮮なものだった。

 こういう感じの仕事もしていたんだな、と変なベクトルで驚く。


「ええと、それで……その撮影をしていて、何が起きたんだ?見た感じ、普通に撮影しているみたいだが」


 話しているうちに自転車置き場に辿り着いたので、自転車に鍵をかけながら本題に入る。

 すると鏡は「そうなんだよねー」と言って、人差し指を下唇に当てた。


「ぶっちゃけ、困っているって程のことでも無いんだけどね。私だけ気にしているというか……まあ、呼んでおいてアレだけど、私の好奇心の問題かも」

「好奇心?」

「そう……説明するより、見てもらった方が早いかな」


 そう言いながら、彼女はバッグからスマートフォンを取り出し素早く操作する。

 その上でほら見てみて、とこちらに画面を向けてきた。


 停めた自転車の荷台に座る形になった俺は、その画面を屈むようにして覗き込む。

 目に入るのは、この高校の校舎に寄り添うようにして佇む鏡を撮影した写真。

 先程まで参加していたという、撮影中に撮られた物の一枚だろうか。


 しかしそれを見た俺は、鏡そのものではなくその恰好に注意が向いた。


「……何だこれ、コスプレ?」


 思わず、呟いてしまう。

 すかさず補足が入った。


「まあ、そんな感じ。私も、応援団の学ランなんて初めて着たけど」


 多少恥ずかしい気持ちがあるのか、鏡は写真を見せながら苦笑を浮かべる。

 それを目にしながらも、俺は写真から視線を逸らさなかった。


 不躾ではあったが、仕方が無いだろう。

 学ランを着込んで応援団風のポーズを取っているアイドルの写真というのは、普段は中々見られない物である。

 苦笑を浮かべる現実の鏡とは対照的に、写真の中の鏡は快活な笑みを浮かべているので、対比が凄かったが。


「この撮影、テーマがコスプレだったというか……学ラン着たり、バスケ部の格好したり、色んな格好をして撮影してたんだよね。それで、こういうのも撮ったというか」


 今時の撮影はデジタルだから、その内の幾つかを私のスマートフォンにも送ってもらったんだけどね、と解説が続く。


「これに、何か問題が?」

「ううん。この写真は普通に気に入ったから貰っただけ……問題があるのは、こっち」


 そう言って、鏡はスッと画面を横にスライドさせる。

 すると当然ながら、アルバムのアプリに記録されている次の写真が現れた。


 今度の写真は、撮影対象が鏡ではない。

 画面に映っている少女の姿は、間違いなく酒井桜のそれだった。


 彼女の着ている服装は、先程の鏡のそれと全く同じ。

 要するに、酒井桜が学ランを着込んでいる写真だったのである。


「どう?パッと見て、何か分かる?」


 まるで俺を試すように、鏡はそんなことを言う。

 それに乗ったわけではないが、俺はじっくりと写真を観察してみることにした。


 ──と言っても、別に問題がある写真には見えないけどな。普通に可愛いというか。何なら、さっきの鏡の写真よりも綺麗に見えるけど。


 流石に鏡の前で「こっちの方が良い」とは言えないので、心の中でだけそう思う。

 だが実際、写真上の彼女は鏡のそれよりもさらに綺麗に見えた。


 酒井桜は元々モデルだったと先程言っていたが、その辺りの経歴からだろうか。

 地面に対して直立する姿勢と言い、応援団風に正面を向いて顔を映すポーズと言い、何かの写真集の表紙と錯覚するほどの美しさである。


 問題など、見た限りでは────。


「……ん?あれ、これ……」


 しかし、不意に。

 小さな違和感を抱いて、俺はその写真を凝視した。

 無意識に声も零れてしまう。


「松原君も分かる?この、ええと……()()、みたいなの」

「ああ。胸の辺りに何かついてるな。確かに手に見えるか……?」


 決して、目立つほど大きな特徴ではない。

 最初は、画面の汚れか何かかと思ってしまったほどだ。

 しかしちゃんと見てみると、酒井桜が来ている学ランの胸元には、鏡の言葉通りに気になる物があった。


 簡単に言ってしまえば、それは白い汚れである。

 黒い学ランの上に付着しているため、少しだけ際立ってしまっている小さな汚れ。

 悪目立ちするほどでは無いが、じっくり見ると分かってしまうという感じの染みが服に付いてしまっているのだ。


 汚れの形状を表現するなら、星型というのが一番近いだろうか。

 鏡の言う通り、人間の手形として見ることも不可能ではない。

 学ランの上にチョコ作りなどで使う星の型を置いて、そこに砂糖でも振りかければ、丁度こんな感じの汚れになることだろう。


 鏡が心霊写真と呼んでいるのは、これのことか。

 この手形が、何故ついたのか分からない、と。

 それが、彼女の不思議に思っていることなのだろうか。


 しかし────。


「電話で言っていた謎っていうのは……これのことなのか?」

「うん、そう……がっかりした?」

「がっかりというか……」


 率直に言えば、がっかりというより困惑していた。

 正直、騒ぐほどのことか、と思ったのである。


 仕方ないだろう。

 パッと見た限り、これはただの衣装の汚れのようにしか見えない。


 確かに形だけで考えるなら、誰かの手形に見えなくも無いかもしれない。

 だが逆に言えば、「言われてみれば人の手形に見えなくもない」というレベルでしかないのだ。

 幽霊そのものがドーンと映っているのならともかく、これを心霊写真と言い張るのは無理があるのではないだろうか。


 どちらかというと、撮影中に偶々付着した汚れが偶然人の手形っぽく見えただけ、という風に見える。

 それが常識的な結論というものだ。

 こんな物のために、俺はわざわざ呼び出されたのだろうか。


「……今、松原君、こんな物のために電話してまで呼んだのか、とか思ってるでしょ」


 俺の思考を察したのか、鏡が隣でズバッと俺の本心を言い当てた。

 思わず俺が肩を揺らすと、鏡がちょっと諦めた感じの顔をする

 そして、こう続けた。


「確かに、その写真だけ見るとそう見えるだろうけど……もう少し、色々と謎があるんだよね、これ。聞いてくれる?」


 鏡自身、呆れられるのでないかと不安になっている感じの話し方だった。

 もしかすると本人も、これが重大な話なのか分かっていないのかもしれない。

 何が何やら、という感覚なのか。


 ──まだ何か、人を呼ばなくちゃいけないくらいの謎が隠れているってことか?この白い汚れに……?


 鏡の表情を見て、俺はそう察する。

 そして、意識して姿勢を正した。


 とりあえず、分かったことは一つだけ。

 どうやらまた、彼女たちは厄介な「日常の謎」に遭遇しているらしいということだけである。

 それ以外はまだ、白紙のままだった。

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