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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Stage12:陥穽の中の失楽

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被弾する時

「まつばら、さん……?」


 俺が無自覚に泣いてしまっている内に、亀裂の奥からはか細い声が聞こえてくる。

 それが長澤の声だと分かった瞬間、俺は慌てて亀裂に手を突っ込んでいた。

 ここへきて逃してしまっては堪らない。


「そうだ、なかなか見つからなかったから、助けに来た……立てるか?」

「あ、その……足を少し、捻ってしまっていて。いえ、全然大したことじゃないんですけど」


 言い訳をするような声を聞いて、俺はおおよその状況を察する。

 落とし穴から自力で這い上がれなかったのは、それが原因のようだ。

 予想通り、古すぎるこの落とし穴には安全上の問題があったのだろう。


「今、こっちから引き上げる……届くか?」

「あ、はい。深さはそれほどじゃないので……」


 返事の後、えい、と可愛らしい声が聞こえる。

 同時に、俺が伸ばしている手に感触があった。

 小さな、本当に小さな掌がこちらを掴んでいる。


 底に水でも溜まっていたのか、彼女の手は濡れて冷え切っていた。

 そのことが何故か少し辛くて、俺は可能な限り強く手を握り返す。

 彼女が痛がりそうなくらいに。


「引き上げる。目に何か入ったら危ないから、両目を閉じてくれ」

「わ、分かりました……どうぞ」

「じゃあ行くぞ……いち、にの」


 さん、と言いながら彼女を掴んだ右腕に全ての力を込める。

 全く筋力に自信のない俺の肘はたったこれだけの動きでも悲鳴を上げていたが、構いはしない。

 肩にかなりの負荷をかけながら引き抜くと、割合すぐに土埃に塗れた少女が引きずり出された。


 ──……出せた!


 そこで、思わず安堵してしまったのが不味かったのだろうか。

 本来なら引き上げた彼女を支えるはずの俺の体が、ぐらりと後方に崩れる。

 引き上げる際の動きに勢いがつきすぎて、止まらなくなったのだ。


 当然、その動きには手を繋いだままの長澤も道連れとなる。

 あ、と小さな悲鳴を彼女が発したのが分かった。

 だが、気が付いた時にはもう遅く────俺たちは互いに互いの体にしがみついて、そのままドスンと尻もちをついた。


 幸い、前述したようにこの森には木の葉の絨毯があるので痛みは大したことない。

 俺はばたん、と地面を背にして寝転がり、その上から長澤が乗っかる形になる。

 図らずも、零距離から互いを見つめ合うような形になった。


 ──近い……。


 俺の視界一杯に映るのは、幾つもの木の葉の欠片と濡れた土を髪の毛に引っかけた少女の姿。

 頬には涙の痕があり、瞳は突然の出来事に驚いて丸くなっている。


 潤んだ両目には、しっかりと俺の顔が映っていて。

 砂のついた唇は、何かを言いたそうに震えていた。


 恐らく、普通に考えるならば。

 今の彼女は、お世辞にも美しい状態とは言い難いのだろうが。

 それでも────俺は彼女から目を離せなかった。


 向こうは、どう考えていたのか。

 どうしてか二人とも動きだせず、じーっと見つめ合う。

 二人して、何も言わなかった。






「……帰るか」

「……ですね」


 互いに動かなかったのは、ほんの数分。

 どちらともなく、俺たちは起き上がっていた。

 長澤はスタッフたちの視点では現状行方不明のままで、俺も早く帰らないと碓水さんやRUNが心配しそうなので、あまりうだうだは出来ない。


「帰り道は俺が案内するが……立てるか?」

「……頑張ってみます」


 ゆらりと起き上がりながら聞くと、長澤は一見大丈夫そうな様子で立ち上がろうとする。

 だが、右足を地面に立てた瞬間に彼女の顔は苦し気な表情で染まった。

 捻ったという足はそちららしい。


 ──普通に歩いて帰らせるのは無理だな……俺だけ先に戻るとか、他の人に電話して担架を持ってきてもらうって手もあるけど、そっちじゃ時間がかかり過ぎるか。


 今気が付いたのだが、十月も後半になってきた現在の季節柄、この森は意外と気温が低くなってきている。

 ここで長澤を放置していると、風邪を引かせてしまいそうだ。


 一般人なら風邪を引いたところで数日休めばいいだけの話だが、アイドルが風邪を引くというのはまた意味合いが変わってくる。

 仕事の予定に影響するからだ。

 そうなると、俺がするべき行動は限られてきた。


「……おぶるよ。嫌じゃなかったら、乗ってくれ」


 そう言って、俺は長澤の前にしゃがみこむ。

 どう考えたって、これが最も効率的だと踏んだのだ。

 二人で一緒に帰るには、これが一番早い。


 ──あ、でも長澤の性格上、遠慮されるか?


 しゃがみこんでから、俺はそんなことを気にする。

 だが意外にも、すぐに「お願いします」という声が響いてきた。


 同時に俺の背中が感じ取ったのは、後方から重ねられる湿った服の感触。

 吐息がかかる。


「……よし、じゃあ動くぞ。せーのっ」


 気合を入れて立ち上がると同時に、おっとっと、となった。

 予想以上の重みが背中にかかったので、バランスを崩したのである。

 途端に、背後から申し訳なさそうな声が聞こえた。


「ごめんなさい。重い……ですか?」

「……まさか。軽すぎてびっくりしただけだよ」


 長澤に気を遣って大嘘を吐く。

 いくら俺でも、ここで本当に「重い」という程アホじゃない。

 ここのところグラジオラスメンバーに嘘を吐く機会が多いのだが、今は嘘を重ねるしか無かった。


 ──さっき俺の上に乗ってた時も感じたけど、意外と体重あるな、長澤……筋肉のせいか?


 出会った時から体力がないと言っていたので何となく非常に軽いイメージがあったのだが、彼女はその実、グラジオラスメンバーとしてしっかり修練を積んでいたらしい。

 抱えた足や背中に密着する胴体には、しなやかながらも確かな筋肉の感触があった。

 ひょっとすると、俺よりも余程鍛えられた体格をしているのではないだろうか。


 ──ここで「軽いよ」とか言えたら格好いいんだろうが……とことん格好付かないな。いやまあ、特に運動もしていない俺が女の子を一人抱えるっていうのが、そもそも無理があるんだろうだけど……。


 それはそれとして、おぶると言い出したのが俺からなのも事実。

 ここで「やっぱり重いから下りてくれる?」なんて言ったら、情けないとかそういうレベルの話では無い気がする。

 結果、最後の執念を振り絞って俺は森の中を歩き始めた。


 長澤をおぶっているために地図は見られないが、来る時に道は覚えたので問題ない。

 かなりのスローペースながら、俺は歩きだした。


 一歩、また一歩。

 足を踏み出して行く度に、木の葉の絨毯がパリパリパリ、と音を立てながら沈む。

 その音を聞いて初めて、俺は人をおぶっていることを実感出来た気がした。


 進んでいく内に長澤の方もおぶられるコツのような物を掴んだのか、体をよじって姿勢を整えてくれる。

 お陰で、短時間で俺の負荷は大分マシになった。

 それを好機と感じた俺は、背後の長澤に話しかけることにする。


「……なあ、長澤。少し聞いても良いか?」

「どうしました?」

「いや、あの落とし穴に引っ掛かった経緯とか、その後のこととかを色々聞きたくて」


 彼女が行方不明になったことについて、長澤側の視点では全く話していない。

 だからこそ、このタイミングで聞いておきたかったのだ。

 その意図は長澤もすぐに分かったのか、救出直後の割にはすらすらと説明がなされる。


「ええと、私も松原さんがどのくらいのことを知っているのか分かりませんけど……最終戦の途中であの落とし穴にはまっちゃったのは、聞いてますか?」

「ああ、こっちだとカメラに突然映らなくなったという認識だった……でも長澤、何であんな境界線ギリギリを歩いてたんだ?」

「最終戦、私は本当に勝ち残る気だったので……そこは寧ろ安全なんじゃないかな、と思ったんです」


 実際は安全でも何でもなかったんですけどね、と自嘲の声が続く。

 それを聞いて、俺は何を言いたいのかを何となく察した。

 平たく言えば、これは今回の企画における攻略法の話である。


「落とし穴は全て、ゲームエリア内に掘られているから……境界線ギリギリ、何なら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と考えたんだな?そんなところに落とし穴があると、ゲームエリア内に落とし穴が掘られているというルールに反するから」

「そういうことです。もしゲームエリアの端っこの方に落とし穴を掘って、その穴の縁がちょっとでもゲームエリアから出ていたら、出演者から番組にクレームが来ちゃいます。だから、そんな議論を呼びそうな場所に落とし穴は掘らないんじゃないかな、と思って端っこばかりを歩くようにしていたんです」


 ──それはまた……セコイというか何というか。


 妙なところで発揮される長澤の推理力に、俺は呆れと賞賛を半々に感じる。

 同時に、そう言えば最終戦の地図では比較的真ん中の方に落とし穴が多かったな、ということも思い出した。

 つまりこの理屈、バッチリ正解だった訳である。


「だから中間地点の三角形の岩を見つけてからは、真っすぐに境界線の方にまで行きました。丁度そのタイミングで、この推理を思いついたので……それで、殆ど境界のロープに掴まるように歩こうとしたんですけど」

「突然、あの落とし穴に転落したんだな」

「はい。引っ掛かった時は、私みたいな出演者への対抗策なのかなって思いました。メタ読みをする出演者に対する番組側の対策と言うか……落とし穴の入り口自体は、ギリギリ境界線内にあるようでしたし」


 無論、実際にはそうじゃない。

 不運にも、そこには以前ここに来た番組が埋め戻し忘れた落とし穴があった。


 そして経年劣化により、穴の蓋部分はかなり脆くなっていたのだろう。

 長澤が踏んだことで、被せられた蓋には細い隙間が空いてしまった。

 長澤は──筋肉量はどうあれ──かなり細い体格をしているので、そこに吸い込まれるように落ちていったのだ。


 本来なら同時に破れるはずである蓋の他の部分が原形をとどめていたのは、長らく放置されたことで一部は地面と固着していたとか、そんな理由だろうか。

 何にせよ、様々な要因が重なった末に非常に分かりにくい落とし穴になっていたのは間違いない。


「ただ一応、中の様子が変だなとは思っていたんです。雨水が溜まったのか、底が水たまりみたいになっていましたし……スタッフさんが渡してくれた発煙筒は、それでダメになりました」

「濡れると駄目になるタイプの発煙筒だったのか……」

「多分、そうです。入ってきた穴の部分も落ち葉ですぐに覆われてしまって、流石に変だな、と」

「その時点では助けは求めなかったのか?」

「変だなとは思いましたけど、確証はありませんでしたし……番組の進行を妨げるのが怖かったので、それ以上は何もしませんでした。そもそも、最終戦中は近くにスタッフさんは居ないという話でしたから」


 要するに、優勝者が出るまで待機というルールの悪いところが出ていたようだ。

 同時に、俺の推理の合っている部分でもある。


「それで、しばらく待って……本当におかしいと気が付いたのは、その後です」

「スタッフが回収に来なかった時だな?」

「はい。近くを歩いている気配はあったので、すぐに助けてくれるんじゃないかと思ってしまって、自分から声を上げるようなことはしなかったんです。私はその、出演者の中でも芸歴が浅いので……」


 他の芸歴が長いアイドルを差し置いて、スタッフに救出を催促するのは気が引けたということか。

 長澤がわざわざこうして気にしているところを見ると、本当にそれだけでクレームが来ることもあるのだろう。

 ここは番組のルールではなく、芸能界の悪いところが出ている。


「だけど、スタッフさんが段々いなくなっちゃったことに気が付いてからは、もう何となく事情はわかりました。私は多分、番組側が想定していないような状況にあるんだなって」

「そこからは、声を上げたのか?」

「いえ、周りには人がいなかったので、まずは自力で這い上がろうとしました。だけど、失敗して転んじゃって」

「だから、右足を捻ったのか」


 落とし穴の底と地面との間には、俺たちが互いに精一杯手を伸ばしてようやく互いの手を掴めるかどうか、というぐらいの距離があった。

 つまり、長澤一人だと地面の縁に手が届かないのである。

 その状態で無理に這い上がろうとしたせいで、コケて足を捻ったという流れらしい。


「そこからは、自力で脱出するのは諦めました。段々痛みが強くなったので……」

「まあ、そうなるな……で、その後の事なんだけど」


 話している内に、俺が聞きたかったところにまで辿り着いた。

 より真剣に、俺は問いを投げかける。


「この後、スタッフが森の中を捜索したと聞いている。大声で君の名前を呼びかけたはずだ。長澤はそれ、聞こえていたのか?」

「はい、覚えてます」

「だよな、位置的に聞こえないって程の距離は無いし……何でその時、大声で返事をしなかったんだ?」


 来る途中も考えた通り、ここだけがどうしても分からない。

 いくら場所が分かり辛かったとしても、長澤の返事が届きさえすれば、スタッフだってあの落とし穴を発見出来る。


 だから本来なら、ここで長澤は見つかっていたはずなのだ。

 それなのに返事が無かったからこそ、大騒ぎになった訳で。


 もしかすると来週にあるという歌の仕事のために喉を痛めないようにしていたのか、なんて可能性も考えたのだが、今一つしっくりこなかった。

 多少大声を上げて助けを求めたところで、そんな風に仕事に支障は出ないだろうからだ。

 それこそ、喉に負担がかかりにくいという腹式呼吸での発声を俺に教えてくれたのは長澤なのだから。


 もっと言えば今の長澤を見て分かる通り、彼女は足を怪我してしまっている。

 恐らく、来週の仕事は休むしかないだろう。


 逆に言えば、次の仕事に配慮するなんてことはまず考えなくて良いのだ。

 どの道休むのだから、配慮するだけ損である。

 スタッフに救出してもらわないといつまでも出られない以上、どれだけ負荷がかかろうが大声を出すのが普通だと思うのだが────この辺り、どうなのか。


 それだけの疑問を籠めて、俺は背後の長澤を横目で見やる。

 すると彼女はどうしてか、俺の首の後ろに顔をうずめるような姿勢になっていた。

 表情が見えない。


 正直くすぐったかったのだが、注意するのもアレなので耐えた。

 するとその状態のまま、彼女は小さく答える。


「一応……普通の声で呼びかけはしました。ただ、気が付いてくれなくて」

「風とかも吹いてたからな……地下から響く声にもなるし、聞こえにくかったのか」


 これについては、まあ納得出来る。

 だが次に、長澤は予想だにしない理由を告げた。


「それと……今思えばですけど、『ファム・ファタール』のイベントも関係していたのかもしれません。私、あのイベントにどうしても出たかったので、無意識に大声を避けていた可能性はあります。足の捻挫だって来週には治っているかも、ですから……」

「……そこまで出たかったのか?あのイベント」


 普段の長澤とイメージが繋がらず、俺は怪訝な顔をしてしまう。

 どうにも、動機が行動を説明しきれていない感じがあった。


 勿論、長澤が仕事を真面目にするタイプなのは分かっている。

 事前にわざわざ俺を誘ったくらいだから、「ファム・ファタール」のイベントに気合を入れていたのも間違いないだろう。


 だがそんな、自分の救出の妨げになる程にまで思い入れがあったのだろうか。

 それが理由と言うのはしっくりこない、とさっき考えたばかりなのだが。

 そう言う意図のことを軽く聞くと、即座に返事がなされた。


「当たり前です、絶対に出たかったんです。だって……松原さん、言ってたじゃないですか」

「俺が?何を?」

「……()()()()()()()()()()()()()


 だから、一番綺麗な歌をお聞かせしたかったんです。

 ほんの少しでも、喉を痛めた状態で歌いたくなかったんです。


 松原さん、私たちのために色々頑張ってくれたせいで、イノセントライブに行けなくて。

 だから、私たちの歌を聞くことも出来なくて。

 だけど次のイベントは松原さんが来てくれて────私の歌を、聞いてくれるって言っていたから。


 最後まで悔いているように。

 彼女は、その理由を口にした。


 間違いなく、アイドル失格の理由。

 行方不明になった人間の自己管理としては、失格以前の動機。


 されど俺の背中におぶわれた女の子としては、また違って意味を持ってくる理由を。

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