真の落とし穴を目指す時
「木の上、はどうでしょうかね……」
上を見上げて最初に目に入った物がそれだったので、俺はつい呟いてみる。
すると、RUNがはっきりと困惑の表情を浮かべたのが分かった。
「木の上、ですか?菜月ちゃんはそこに居ると?」
「実際、ゲームエリア内で誰にも見つからない場所ではあります。カメラは落とし穴の様子を映すための物ですから、当然下を向いている。スタッフも落とし穴を避けながら捜索しているのだから、視線は地面に向いている。仮に長澤が最終戦の途中から木登りをして、そのままずっと上に居るのなら……」
カメラにもその死角にも存在せず、誰にも見つからないということも有り得る。
しかし当然ながら、即座に反論が飛んできた。
「でもそれは、番組の行動としてルール違反です。普通に地面を歩いてゴールまで辿り着くようにと、最初にスタッフさんから言われましたから。木登りを許可したら、落とし穴ロワイアルじゃないでしょう?」
「……ですよね」
「そもそも、菜月ちゃんがそんなことをする理由はありません。彼女がズルをしてこのゲームに勝とうとしていたなら、まだ話は分かりますけど……」
それは長澤の性格上考えにくい、ということはすぐに分かった。
というか仮に木の上に登ったとしても、スタッフが大声で呼びかけて捜索する中で降りてこない理由が無い。
これまた、理屈上可能だが真実ではない仮説に過ぎなかった。
そう言うことを言い募ったRUNは、途中ではっとした顔を浮かべて言葉を止める。
そして、焦ったような動きで頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。私は推理もしていないのに、否定ばかりして」
「いえ……謝らないでください。全部正論です」
RUNを宥めながら、俺は自然と俯く。
先程、木の枝を見つめた反動だろうか。
今度は下ばかり凝視してしまっていた。
──でも、木の上が駄目だとすると……他に思いつくのは、何だ?ゲームエリア内に留まりながら、スタッフにも見つからずに居る状況とは?
落とし穴のどれかに居るのなら、仮に怪我をしていたり意識を失ったりしていても、既に見つかっている。
実はこの地図が間違っていて落とし穴が他にもあるなら話は変わってくるが、それなら番組中か捜索中にスタッフの誰かが指摘しているはずだ。
逆に言えば────。
「本物の落とし穴がこの森にあったのなら……」
「……え?」
俺の呟きに、RUNが不思議そうな声を漏らす。
意味が分からなかったのだろう。
だが、その瞬間。
冗談みたいにあっさり────俺の心中にはそのイメージが浮かんできた。
イメージの材料となるのは、全てこれまでに聞いた話だ。
この土地の使われ方の話。
そして、長澤自身が言っていた話。
それらは瞬く間に結びついて、一つの推理の形を見せつけてくる。
途端、ドクンと心臓が高鳴った。
まるで脳よりも先に、本能がそれこそ正解だと理解したように。
……ああ、と無自覚に呟く。
そして俺は、RUNの腕をガッと掴んでいた。
「……RUNさん!」
「え、ま、松原さん……」
「すぐに、YAMIさんに連絡を取ってください!地図を送るように頼んでほしいんです!」
説明するのもまだるっこしく、俺はRUNの腕を掴んだまま鬼気迫る顔で問いかける。
だが、流石に言葉を省き過ぎたらしい。
RUNは怯えたような表情を浮かべ、唇を浅く噛んだ。
その態度に流石に我に返った俺は、もう少し言葉を付け足していく。
「その、多分RUNさんには訳が分からないと思うんですけど、本当にYAMIさんが持っているであろう情報が必要なんです。長澤の居場所を知るために、どうしても……!」
「YAMIちゃんが、ですか?」
「はい、だって彼女は……」
そこからさらに懇願しようとしたところで、不意に、背後から足音が聞こえた。
落葉の目立つ秋の地面を、静かに踏みしめる音。
反射的に振り返ると、そこには見知った顔があった。
「碓水さん……戻ってきてたんですか?」
「今、通話が終わったところですから……その上で、少し松原君に伝言があるのですが」
彼女が来るまでに繰り広げられていた会話なんて聞いていなかっただろうに、何故か彼女は委細承知したかのように話をする。
そして、自分のスマートフォンをピカリと光らせた。
「松原プロデューサー補が……お姉さんが、これを届けろとのことでした。今、松原君のスマートフォンにも届いていると思います」
言われた瞬間に俺はRUNの手を振り払い、自分のスマートフォンを見やる。
姉さん、伝言というだけで行動する理由には十分だった。
読み込み時間すら煩わしく思いながら、俺は姉さんとのトーク画面を開く。
すると言葉の通り、姉さんから画像ファイルが送信されているのが見て取れた。
震える指先でその内容を読み取った俺は、一目見た瞬間におお、と掠れた声を漏らす。
──姉さん、碓水さんから電話で報告を受けてたから……すぐに推理して、これを調べてくれたんだな。それで、現場に居る俺に届けた……。
そこで珍しく、俺は純粋な感謝をする。
これで動ける、と思って。
姉さんに送って貰った画像。
そして、既に持っている地図。
この二つがあれば、何とかなる。
それを確信した瞬間に、俺は動いていた。
まず、スマートフォンのライトを起動。
周囲を照らせる程度の明るさがあることを確認してから、アルバムアプリを利用して二枚の画像を並べて画面に映し出す。
丁度、両者の内容を比較出来るように。
それだけの準備をしてから、俺は碓水さんとRUNに申し訳程度に頭を下げた。
一応、言って置かないといけないと思ったのだ。
「……長澤の居場所、分かりました。今から行ってきます」
二人の反応は対照的だった。
碓水さんは、まるで俺がそうすると誰かに聞かされていたかのように驚かず。
RUNは逆に、はっきりと目を丸くして驚く。
だが、それぞれのフォローをしている暇は無い。
俺はそこからは振り返らずに、スマートフォンのライトを頼りに夜の森に駆け出していく。
ああ、ただ一応。
検算も兼ねて、例の言葉を呟いてはいた。
今の自分の目的地を、再確認するために。
「さて────」
長澤が何故消えたのか。
長澤はどうして、今も見つかっていないのか。
今回の行方不明事件の謎は、詰まるところこの点だけだ。
そして先述したように、誘拐犯に連れて行かれたとか、ゲームエリア外に居るとか言う可能性は考えにくい。
勿論、普通に落とし穴の中に居る訳でも、木の上に登っている訳でもない。
故に残ったのが、事故という可能性。
このエリア内には実は、番組スタッフすら把握していない落とし穴がもう一つ存在していて。
その落とし穴に長澤が引っ掛かってしまったのではないか、という可能性だ。
勿論普通なら、こんな可能性は考慮に値しない。
このような番組の企画ならともかく、それ以外の要因で勝手に落とし穴が掘られるなんて有り得ない話だ。
普通、森の地面と言うのは平たいものである。
だが、この場所は。
この土地に限っては、そんな常識的な理屈は通用しない可能性がある。
俺が気が付いたのは、その一点だった。
碓水さんは言っていた。
落とし穴系の企画は許可を取るのが難しくなっていて、利用可能な場所は少なくなっている。
だからこそ、それが許されるこの土地は何度も何度も落とし穴系の企画に利用されている、と。
RUNも口にしていたはずだ。
以前、YAMIがこの番組と似たような番組に出演していた。
ほんの三ヶ月前、ここはロケ地になっていた、と。
つまりこの土地には、何度も何度も落とし穴が掘られている訳だ。
それこそ、「落とし穴が掘られたことのない場所」の方が少なくなるくらいに利用されているのでは無いだろうか。
だとすれば、ここで一つの妄想が出来る。
それほどまでに何度も落とし穴が掘られたとして────その全てを。
番組スタッフは、ちゃんと埋め直したのだろうか?
本来なら、撮影に使用した落とし穴は全て元の状態に戻さなくてはならない。
そうじゃないと危険すぎるし、土地の管理者との契約などにも違反することになるだろう。
真っ当なスタッフなら、全て埋め直してから森を去る。
だが、何度も何度もここで番組撮影が行われていたのならば。
一つくらい、あったのではないだろうか。
杜撰というか、適当に埋め戻しをした番組も。
例えば、埋めるための土の量が足りなくて落ち葉で嵩を誤魔化したとか。
単純に落とし穴の場所を把握していなくて、存在を忘れてしまったとか。
そういう物が、一つくらいあるのではないだろうか。
こじつけなのは分かっている。
常識的に考えれば、そんなことが起こるはずも無い。
いくら何でも適当過ぎるし、プロの仕事ではないとすら言えるだろう。
だが同時に、こう考えれば他のことに説明がつく……ついてしまう。
だからこそ、一旦この説に従って思考を進めてみよう。
さて、前述した経緯で落とし穴を一つ、丸々埋め直さないまま放置して帰った番組があったとしよう。
落とし穴は普通、パッと見は地面に見えるように偽装して配置される。
その状態の落とし穴を一つ作ったまま、彼らは帰ってしまったのだ。
そしてその番組の何個か後に、今回の番組スタッフがここに来る。
アイドルたちに「落とし穴ロワイアル(仮)」を行わせるために、落とし穴を掘りに来たスタッフが来たのだ。
この時、スタッフたちは隠された落とし穴の存在に気が付くのか。
あれ、何か俺たちが来る前から落とし穴が一つあるぞ、という話になるのか。
入念にロケハンをしたのなら、そういうことも有り得るだろう。
スタッフが上手い具合にその真上を踏み込むようなことがあれば、そのことで気が付いたっておかしくはない。
だが恐らく、この番組は今までの番組で使用されたエリアとは少しずれたエリアを使っていたはずだ。
同じ場所ばかり使っていると、地盤の問題が生じる上に、以前の番組を出演者が見ていた場合に落とし穴の位置を予測されやすいという問題も生まれる。
つまり、その隠された落とし穴からやや離れた場所をメインにロケハンした可能性が高い訳だ。
ならば、前の番組が放置した落とし穴に気が付かずに番組制作を進めるということも有り得る気がする。
直接踏まない限りは、気が付きようが無い話だ。
自分たちが来る前にこの土地を使っていた番組について、何から何まで知っているという訳では無いだろうから。
そうして、隠された落とし穴は誰にも見つからないままとなり。
一方で撮影中、長澤が最終戦のエリアで姿を消した。
こうなると、話は簡単だ。
その埋め戻されなかった落とし穴は、今回の「落とし穴ロワイアル(仮)」のゲームエリア内に引っ掛かるようにして存在しているのではないか。
前回の番組と今回の企画、それぞれのエリアにはある程度のダブりが発生していて、今回の出演者が歩いて辿り着ける場所にその落とし穴はあったのではないか。
そして、長澤はそれに落ちたのではないか?
これが、今回の真相となる。
無論、その落とし穴に落ちる様子はどのカメラにも映らない。
固定カメラは全て、番組が新しく用意した落とし穴の近くのみに設置されている。
番組側も想定していないその落とし穴に、カメラなんてものは存在していない。
更に言うならば、丁度その落とし穴は固定カメラたちの死角に存在していたのだろう。
カメラにも映らないような地味なエリアに存在していた落とし穴だからこそ、ロケハンしていたスタッフたちも見逃してしまったのだ。
誰にも見られない、エリアの端っこの方に存在していると思われる。
斯くして、どのカメラにも映らないまま長澤は隠された落とし穴に転落。
この時点で、非常に見つけにくい立場になってしまった。
ある意味、落とし穴の真価を発揮したとも言える。
番組用の安全なそれではない、本当にブービートラップとして機能するような本物の落とし穴。
頭痛が痛いみたいな言い方でアレだが、隠し落とし穴とでも呼んでおこうか。
長澤は、それに引っ掛かったのだ。
そして、ここから話がややこしいのだが。
長澤は多分、隠し落とし穴に転落した後に助けなどを一切求めなかっただろう。
寧ろ、ずっとそこに居た可能性が高い。
何故かと言えば、理由は簡単。
長澤の視点では、自分が嵌った落とし穴が番組スタッフが掘った物なのか、それとも予想外の代物なのかは、全く分からないからである。
それが以前の番組が埋め戻し忘れた物だと分かるのは、落とし穴の位置を全て知っている人物のみ
しかし長澤は出演者なので、正式な落とし穴の位置など知っているはずも無い。
だからそれに引っ掛かった瞬間は、これも番組演出の一環だと思ったはずだ。
番組のルール上、落とし穴に引っ掛かった出演者はその場でしばらく待機するように言われている。
優勝者が決まった後、スタッフが回収するから、と。
このルールがあるので、長澤は移動したり這い上がろうとしたりはしなかった。
ルールに違反する訳にもいかないので、じっと優勝者が決まるのを待っていたのだろう。
出演者が番組に存在していないはずの落とし穴に引っ掛かって姿を消したというのに、誰も騒がないまま時間が過ぎたのだ。
無論、優勝者が決まってからこの問題は表在化する。
スタッフは脱落者を地図に従って回収したが、当然その地図に長澤が引っ掛かった隠し落とし穴の存在は無い。
だからこそ、全ての落とし穴から脱落者を回収したのに長澤が居ないという状況になったのだ。
恐らく、長澤はスタッフが脱落者を回収していく様子を落とし穴の底から普通に聞いているとは思う。
いつ自分は救助してもらえるのかな、順番で言えば後の方かな、なんてことを思いながらスタッフが来てくれるのを待っていたのではないだろうか。
長澤は自分が居る落とし穴は普通に番組が用意した物だと思っているから、スタッフに呼び掛けるようなことをしなくても、いずれは回収してもらえると思っていた。
だからこそ、何も言わなかった。
しかし落とし穴の底からでは地上の様子は分からず、スタッフが一人足りないことに首を捻りながら帰ってしまったのに気が付かなかった、というところだろう。
ただしその後、スタッフが大声で呼びかけながら長澤を捜索した際に、何の反応も返さなかったことについては俺も理由がよく分かっていない。
渡されていた発煙筒を焚かなかった理由も、同じく不明。
隠し落とし穴の入り口が捜索中に見つからなかった理由については、落葉で埋まったとか、単純に暗くて分かりにくかったとかで説明がつくかもしれないが、ここについてはまだ消化不良だ。
色々と仮説は考えられるが、今一つしっくりこない。
何にせよ、確かなのは一つ。
誰にも見つかっていない落とし穴の中で、長澤が一人取り残されているという事実。
それが、一番大事なことだった。
──だからこそ、さっさと見つけないと……!
慣れない全力疾走にぜいぜい言いながら、俺はそう考えてスマートフォン上の画像を見る。
一枚は、スタッフから貰った今回の番組の地図。
もう一枚は、姉さんが送ってきた画像────三ヶ月前に行われた、今回のエリアと少し被るように作られた落とし穴系番組の資料である。




