糸を手繰る時
※本章はラブコメ成分がやや強くなっています。注意してお読みください。
最近ふっと気が付いたことなのだが、俺はボヌールでバイトなんてことをしている割に、アイドルの撮影や仕事風景を見に行った経験に乏しい。
現場に出向いたことは何度かあるのだが、仕事している光景そのものを見たことが殆ど無いのだ。
無論、これには理由がある。
単純に、見るタイミングをことごとく逃しているからである。
月野羽衣のライブでは控室にお茶を届けただけで、ライブそのものはやっていない時間に来訪。
鏡に「幽霊の手」で呼び出された時は、撮影班の影で控室をこそこそと調査していた。
イノセントライブ本番に至っては、行くはずだったのに凛音さんによって不参加になっている。
唯一しっかり撮影風景を見たのは、夏休み最初の「ライジングタイム」の撮影くらいか。
しかしあれだって、最後には放映中止に陥っている。
こうして考えると、作成から発表まで十全にこなした仕事を見学した経験は本当に一回も無いのかもしれなかった。
だからだろうか。
銀砂書店での一件から一週間程度経過した、十月のある日。
長澤が俺にあんな提案をしてきたのは。
「ファム・ファタール……何だこれ、曲名?」
ボヌールの休憩室に、俺の素っ頓狂な声が響く。
長澤が突然渡してきたチラシを読み上げた結果、そんな声になったのだ。
しかしこれは良い反応では無かったのか、長澤はすぐに首を横に振る。
「いえ、CDショップの名前です。映玖市内では無いんですけど、都内のお店で……」
彼女はそう言いながら、今度は地図アプリを起動したタブレットをこちらに見せてくる。
受け取ってみると、そこには確かに二十三区内に立地しているCDショップの画像が表示されていた。
写真で見た感じ、結構な大型店のようである。
「要するに、都心にある大型CDショップだな……これがどうしたんだ?」
「……来週の日曜日、グラジオラスがそこで小さなイベントをするんです。だから、伝えたくて」
「イベント?歌う感じの?」
「はい。このショップの一画には小さなステージがあって……そこで二曲くらい披露しつつ、自分たちのCDの宣伝をする予定になっているんです。営業の一つで、そういう仕事があって」
──あー、あるな、そう言うの。
言われて、俺も何となく想像がついた。
CDショップに限らず、新曲を出した歌手やアイドルがしばしばやっている営業活動の一つである。
実際に売り場となる場所で曲を披露して注目を集め、そのまま自分たちのCDやグッズを売っていく。
こうして言葉にしても分かる通り、凄く直接的な宣伝活動だ。
販促用のミニライブと呼ぶのが、一番正確な表現だろうか。
「このお店、毎週日曜日には必ず誰かアーティストを呼ぶようにしているんです。日曜日にここに来れば誰かには必ず会える、という形にしているんですね。だから……」
「グラジオラスもそのゲストとして呼ばれた、ということか?」
「はい。結構色んな人に機会をくださる方針だそうで……松原プロデューサー補が、受けて損は無いと」
「損得の話はよく分からないが……凄いな、また曲を披露する場が増えた」
このイベントのことを今知ったばかりなので、正直俺にはこれがどのくらい重要な仕事かは今一つ分かっていなかったが、一応褒めてみる。
イノセントライブ以降、彼女たちがこなす新しい仕事の話は聞いていなかったので、こういった活動は俺としても新鮮な響きがあった。
どんな場所であれ、彼女たちに仕事があるのは良いことだ。
掃除のバイトが終わってすぐに長澤が話しかけてきた理由も、そこにあるのかもしれない。
彼女自身も、また歌う機会があったことが嬉しいのか。
そこまで理解したところで、長澤が「それで、ですね……」と提案をした。
「少し、提案があるんですが」
「何だ?」
「このイベント……松原さんも、来て欲しいんです」
「……俺が?」
え、と思って顔を見上げる。
すると眼前の長澤はいつの間にか非常に真剣な顔をしていて、俺は少し気圧された。
「それはまた……何で?」
「……この前のイノセントライブ、松原さん、来れなかったじゃないですか」
「ああ、凛音さんに呼ばれてたから……」
この辺りは、以前話した経緯である。
銀砂書店の一件でも、鏡に多少嫌みのようなことを言われた。
それをまさか長澤が触れてくるとは思っておらず、俺はかなり意外の念を抱いた。
「それでふと思ったんですけど、松原さん、私たちの曲をなんだかんだでちゃんと聞けていないじゃないですか。イノセントライブの映像は販売されていませんから、後から見るのは不可能ですし」
「あー……まあ確かに、君たちの曲をちゃんと聞いた機会自体が無いが」
せいぜい、レッスン中に彼女たちが歌っているのを聞いているだけである。
動画サイトや音楽サービスなどを利用すれば家でも彼女たちの曲を聞けるのだが、俺は元々あまり音楽を聴かないので、そういうツールの利用自体をやっていない。
練習している最中のそれは飽きる程聞いたことがあるが、正式なレコーディング後の歌は碌に聞けていない訳だ。
「だからどうせなら、この機会に聞いて欲しいな、と。折角の音楽イベントですし……いかが、でしょうか?」
何故か少し緊張した風に、長澤はこちらを見上げて問いかける。
緊張の代償か、言葉遣いもちょっと怪しかった。
その様子を不思議に思いながらも、俺はスマートフォンを取り出し、一先ずバイトの予定を確認する、
レッスン室の利用が週末に集中する都合上、日曜日であろうと掃除のバイトが入る時はある。
こうして確認を取らないと、返事も出来なかった。
「ええっと、何時から?そのイベント」
「あ、十三時ですけど……」
「今週末が無し、来週末は……土曜日が無し、日曜日が午前。うん、行ける」
元々俺は、バイト以外には大した予定も無い人間だ。
こうも誘われたのであれば、断る理由は無い。
彼女たちが歌うところをちゃんと見たことが無いというも事実なのだし、グラジオラスの知り合いとしてやはり見ておきたかった。
「じゃあバイトが終わり次第、その『ファム・ファタール』とか言うCDショップに行けば良いんだな、その日は?」
「あ、はい、そうです。別にチケットとかそう言うのは無いので……その、楽しんでください!私、イベント中に松原さんを見つけたら手も振りますから!」
「いや、それは贔屓だから止めた方が良いと思うが……何にせよ、楽しみにしてるよ」
軽く告げると、長澤は何故かそこで拳をぎゅっと握る。
無論、俺を殴ろうとしているのではない。
単純に、「頑張るぞ!」という意志を見せているのだろう。
普段そういう仕草をしない彼女だからこそ、割と印象に残る。
頑張ろうとしている彼女相手には失礼な感想かもしれないが、かなり可愛かった。
──しかし、握り拳みたいな物騒な仕草ですらこの子がやると可愛く見えるんだから、人間の印象って言うのはつくづく不思議だなあ……。
仮に姉さんや氷川さんが同じ仕草をしていたら、俺は命の危機を感じるだろう。
長澤のこれが可愛く見えるのは、彼女の危険性の無さの証明かもしれない。
そんな馬鹿なことを考えていると、長澤は握り拳を見つめながら照れ隠しのように言葉を続けた。
「『ファム・ファタール』もそうですけど、他のお仕事のお誘いも多いので……やっぱり、凄く気合いを入れて頑張ろうって思っちゃいますね。立て続けにある分、体調管理や怪我に注意ですけど」
「仕事……例えばどんな?」
レッスンの度に青い顔をしている彼女の姿を思い出しつつ、俺は独り言に質問を放ってみる。
立て続けに仕事があると言っても、あの様子では体力的に厳しいんじゃないかと勝手に心配になったのだ。
しかしその意図は伝わらなかったのか、普通に返事がなされる。
「ええっと、例えば今週末にはネット番組の収録があります。仮題ですけど、『落とし穴ロワイアル』という番組で……」
「落とし穴、ロワイアル……?」
ダサいというか、直球過ぎるネーミングを耳にした俺は思わず復唱してしまった。
なんだそれは、となったのだ。
こちらの響きは長澤にも十分に伝わったのだろう。
彼女は少し考えてから肩にかけていた鞄を一度下ろすと、中からホッチキスで綴じられた書類の束を取り出した。
説明するよりこれを見せた方が早い、と考えたらしい。
「これ、その番組の企画書です。これを読むと、大体分かると思います」
「企画書、か……」
久しぶりに読むな、と思いながら俺はそれを手に取る。
この手の物を見るのは、姉さんに「ライジングタイム」の企画書を手渡されて以来である。
あの時の企画書よりも分量がある書類をパラパラと流し読みしていくと、やがて事情が分かってきた。
「……要するに、アイドル対抗のサバイバルゲームを開催しているネット番組が既にあるんだな?落とし穴ナントカは、その一環で作られた企画だと。落とし穴が大量に用意された森にアイドルを集めて、一度も引っ掛からずに踏破出来るか競う、みたいな」
「そういうことです。結構たくさんのアイドルを呼んでいただける企画で……今回、私も呼ばれたんです。だから、頑張ろうって」
「へえ……でも、ソロって珍しいな。ユニットごとの参加じゃないのか?」
「元がサバイバルゲームですから……人数の多いユニットが丸々参戦すると、そのユニットが有利過ぎるでしょう?」
──あー、確かに。どうしても協力しちゃうか。
企画書を見た限り「集められたアイドル同士でしのぎを削り合い、最後に残ったただ一人だけが賞金を得る」というゲームが想定されているようだ。
他のアイドルを騙して落とし穴に向かわせたり、逆に他のアイドルを救うことで特別アイテムを手に入れたりと、参加者同士が番組中に騙し合いや化かし合いをすることでゲーム性を保つらしい。
だからこそ、グラジオラスのような五人ユニットが丸ごと参戦して互いに協力し合うと──元々の仲の良さから言って、有り得ない話じゃない──他の参加者に対してフェアではないのだ。
五人で協力して他の参加者を駆逐してしまうというのは、番組としても面白みに欠けるだろう。
──実際、他の参加者も大抵がソロだな……三人組ユニットのボーカルだけとか、デュオの片割れだけとか。長澤が一人で参加するのも、当然と言えば当然なのか。
参加予定アイドルのリストをパラパラと見やりながら、そんなことを思う。
だがそうしている内に、俺は不意に気を引く名前を見かけた。
「……お?」
「どうしたんです?」
「いや……ちょっとな。E&PのRUNが居たから……」
不思議そうにする長澤の前で、俺はゴソゴソとポケットを漁る。
そして、未だに残っている金属製のストラップの感触を確かめた。
……一週間前のことになる。
俺は少々事情があって、二人組のアイドルグループ「E&P」と関わった。
そしてその際、メンバーの一人であるRUNの私物と思しきストラップを拾うという経験もした。
彼女がとても大切にしているというそれを、うっかり手にしたのである。
前回の事件の記録は、そこで終わったはずだ。
あの時はそこで語り終えたが────実はこれ、後が大変だった。
拾った瞬間にも危惧していたことなのだが、俺にはそれを彼女に返す手段が無かったのである。
まず俺が拾った時点で、E&Pの二人はとっくに帰ってしまっていた。
追いかけていって渡す、というのが既に不可能だった訳だ。
そもそも追いかけようにも、近く居るかどうかすら分からなかった。
しかも不味いことに、二人はボヌール所属でも何でもない他事務所のアイドルなので、俺は彼女たちの連絡先などを一切知らない。
グラジオラスを相手にしている時のように、電話で話を通せないのだ。
仕方なく、RUNの知り合いだという鏡を介して渡そうかとも思ったのだが、これにも少し躊躇いがあった。
というのも仮にそれを頼んだとすると、鏡に「何故それがRUNの物だと分かるのか?」という点を聞かれる可能性が高い。
そうなると銀砂書店での出来事を語らざるを得ず、芋蔓式に万引き騒動について鏡に知られるかもしれなかった。
あの一件は最終的に、被害が無かったことや店員側の落ち度があったということが影響して表沙汰になっていない。
SNSなどもチラっと覗いたのだが、人だかりができていた割に話題にもなっていなかった。
どうやら、そもそもあそこで警報音を鳴らしていたのがYAMIだと気が付かれていないらしい。
そうなると、ああして静かに終えた事件の真相を他者に言いふらすのもどうか、という気がする。
可能なら、誰にも事情を話さずにストラップをRUNに返すのがベストだろう。
一番角が立たないし、前回の真相を知る者を増やさずに済む。
そういう訳で、鏡に助力を仰ぐのは自主却下。
適当な理由をでっちあげてRUNの連絡先を聞き出そうかとも考えたのだが、それで前回失敗したことを想起して思いとどまった。
ただでさえ変な印象を抱かれている──E&Pが好きな身長フェチだとか何とか──節があるので、更に誤解されるのは普通に嫌だった。
こうなると残る手段は、彼女たちの所属事務所であるバレットエンターテイメントへの郵送だけ。
ボヌールならともかく、俺が他事務所のアイドルに直に会う機会などまず無いのだから、窓口に送るしかない。
しかしこれも、本当に彼女たちの手に届くかどうか分からないという問題があった。
なまじ俺の場合、凛音さんから「自分はファンからのプレゼントなんてガンガン処分している」という話を聞いていたので、郵送という手段自体を信じ切れないところがあった。
本人の手に渡る前にスタッフに捨てられるのでは、という危惧があるのだ。
それ以前に、ストラップは金属製なので金属探知機などで勝手に弾かれる可能性もある。
話によればこのストラップはRUNにとって大事な物らしいし、確実に本人の手に返したかった。
結果、あーでもないこーでもないと四つ葉のクローバーのストラップを見つめつつ考えていたのだが。
ひょっとすると────この企画は、良い機会かもしれない。
さっき確認した限り、今週末もバイトは無い。
ならば、長澤について行けば……。
「RUNに会うこと自体は出来るか……最悪、現場のスタッフを介して『落とし物です。撮影中に誰かが落としたのかも』とか言えば良いんだしな」
「あの、どうしたんですか?」
そこまで呟いたところで、俺は誰かに体を揺さぶられる。
慌てて顔を上げると、不審気な顔でこちらを見つめる長澤の顔があった。
少々、一人で考えこみ過ぎていたらしい。
「何だか、一人で呟いてましたけど……その、E&Pが何か?」
「あ、いや……ちょっとな」
銀砂書店での一件は誰にも話していないことなので、俺は口ごもる。
彼女たちに対して理不尽なことをしないというのが少し前に決めた俺の信条なのだが、この一件は彼女たちとは関係の無い話であるので、扱いが難しかった。
結果として、俺は長澤から逃げるようにして話を切り上げる。
「……長澤、これのことを教えてくれてありがとう。ええっと、またな。少し用事が出来た」
「え、あの……」
こちらを見つめる長澤に頭を下げながら、俺はレッスン室を立ち去る。
そして番組撮影の同行許可を得るべく、姉さんの執務室へと駆けだしていった。




