仕掛けをしておく時
唐突だが────この場を借りて少し、俺の苦手な物について話がしたい。
多くの人にとってはどうでもいい話題だろうが、ちょっと我慢してもらおう。
というのは今回の「日常の謎」に、これは少しだけ関わってくる話題なのだ。
俺がホラー物の作品が苦手だ、という事実は。
まず、俺がホラーの中でも何を苦手としているか。
そこから解説したい。
一口にホラーが苦手と言っても、人によっては色々とタイプがあると思う。
ホラーが得意な人からは全部一緒くたに「怖がり」に見えているのかもしれないが、実のところホラー嫌いな人にとって、各々が何を怖がっているのかは結構細分化されているのである。
例えば単純に、お化けや怪物の存在そのものが苦手な人。
或いは、ゾゾッとするストーリー展開や鬱展開そのものが嫌いな人。
もしくは心臓に悪いショッキングな光景が──要するに、ビックリ系が──嫌な人。
結論から言ってしまえば、俺の怖がり方は三番目のタイプである。
ショッキングな展開が突然来る、というのにどうにも弱い。
逆に言えば、他二つの怖さについては大して怖がっていない。
幽霊や怪物の存在は元々信じていないし、人がガンガン死にやすい推理小説なんてものをよく読む都合上、鬱展開は寧ろ慣れている。
だからそれらは全く怖く無くて────突然こっちをびっくりさせる物だけが苦手なのである。
だから例えばホラー映画の殺人鬼が登場するようなシーンでも、ひたひたと主人公の後ろから忍び寄ってくる……という展開はそこまで怖くない。
逆に、普通に生きている登場人物が突然地面から生えてきた手に殺害される、みたいなのが怖い。
BGMのピアノがいきなり「バーン!」となるだけで、もうトラウマである。
こうして考えると、俺は厳密にはホラーが苦手というよりも「予測出来ない物」が苦手なのかもしれない。
実際ホラーに限らず、びっくり箱や雷の類も苦手である。
予測出来ないからだ。
しかし、何故俺はこういう物を苦手にするようになったのか?
それに関しては、実を言うと明確な切っ掛けがある。
正確には切っ掛けというか、元凶と言うべき存在が二人居ると言った方がいいか。
二人とも俺の血縁である。
一人目は、祖父母の家に行った際によく会っていた俺の従兄弟。
そして二人目が、昔から悪戯好きだった俺の姉さん。
この二人が間違いなく元凶だ。
まず従兄弟の方は、割とホラー作品とかを好んで見るタイプだった。
彼は幼い俺に推理小説を勧めてきた人でもあるので、そういう系統の作品全般が好きだったのだろう。
祖父母の家に彼が帰ってくる時には暇潰しがてらなのか、何冊ものホラー小説や映画を持ち込んでいた記憶がある。
そしてまあ、彼としては善意だったのだろうが。
俺に対しても、従兄弟はとあるホラー映画を勧めてきた。
怖いけど凄く面白いから、と。
その作品はホラーの中でもミステリ寄りな作品だったので、既に推理小説を好んでいた俺に合っていると踏んだのだろうか。
ここまで来ると予想がつくと思うが、そのホラー映画というのがまさしく、「衝撃的で予測のつかない展開と映像が次から次へと襲い掛かる」という感じの作品だった。
視聴していて、まだ小学生だった俺は思わず何度も叫んでしまったくらいである。
見終わる頃には、散々トラウマになっていた。
だからこそ、悪意が無かった従兄弟には悪いが、俺は彼を元凶の一人として数えている。
神がかった勘の良さを持つ人だったのだが、俺の趣味嗜好だけは読めなかったのか。
尤も、この時の従兄弟の罪状は姉さんの罪状に比べれば塵に等しい。
その映画によって形成された俺のトラウマをさらに加速させたのは、紛れもなく姉さんのせいだからである。
今でもしょうもない悪戯や小さな悪だくみを俺に仕掛けてくることがある姉さんだが、昔の姉さんの悪戯はそれはもう凄かった。
姉さんもまだ学生で暇な時間が多かったからか、弟で遊ぶことを趣味としていた節がある。
仮装やら変装やら、何かと俺を怖がらせてその反応を楽しんでいたのだ、あの人は。
しかも質が悪いことに、姉さんは悪戯を仕掛ける時に一つ一つのクオリティにやけに凝るのである。
そこまでするか、というレベルで拘るというか。
決して、大げさに言っているのではない。
クリスマスに何故かサンタではなくホラー映画の殺人鬼の仮装を行い、さらに模造刀を持って暴れる人物など、世界広しと言えども我が姉くらいしか居ないだろう。
何が悲しくて、殺人鬼のコスプレをした人からクリスマスプレゼントのゲームソフトを受け取らなくてはならないのか。
あの時は泣きに泣いたものだが、涙の内訳を明かすなら、プレゼントの嬉しさが一割。
残り九割は純粋な恐怖である。
それと、もうちょっと地味な悪戯の被害もあった。
パッと思いつく物と言えば────心霊写真の偽造だろうか。
何ということも無い日の昼間に突然、姉さんが「なあ、玲、これを見てみろ……」とか言って俺に写真をポイっと渡す。
言われるままに見てみると、実はその写真には姉さんの手によってお化けの影が加工されており、凝視している内にうっかり見つけてしまう。
急にそんなのを見つけるというのは先述したビックリ系の驚きに該当するので、俺としてかなり怖い。
当然ギャアッと叫んでしまって、せいぜい逃げ回ることになるという流れだ。
勿論、その写真は本当に幽霊の類を映していた訳ではない。
姉さんがもっと前に撮影したことがある写真を一度印刷して、インクやボールペンで怪しい影を付け、その状態でコピーして渡してくるのである。
こうして解き明かしてしまえば単純な仕掛けだが、中々どうして姉さんは影を付け加えるのが上手く、実際に写真を見た時にはかなり怖かった。
黒い背景に埃のような白い粉状の物をちょっとばら撒いてから印刷するだけで幽霊風の白い影に見えてしまうのだから、人間の認識とは不思議なものだ。
分かっていても、初見だとビクッとなる。
そんなこんなで、従兄弟が種蒔きを、姉さんが水やりをする形でじっくりと俺のホラー嫌いは成長していった訳である。
つくづく業の深い親戚というか、しょうもない趣味というか。
思い出すだけでげんなりとする。
そして今回は、まさにこの心霊写真に関連した話────ではない。
同じ心霊写真でも、意味が違う。
姉さんの偽造した幽霊の影は悪戯心百パーセントで形成されていたが、今回俺が出会った幽霊はもっと違う存在だった。
生真面目で、面倒見がよくて。
プロ意識が高くて、そして少々不器用。
そんな幽霊。
今回の「日常の謎」は、俺がその幽霊に出会う話だ。
────月野羽衣のライブに参加してから、少々の時間が経過したとある日。
いつの間にか、世間はゴールデンウィークに突入する時期となっていた。
学生である俺としては、学校がないというだけで嬉しい時期だ。
特に理由が無くても昼まで寝ていても大丈夫な期間、と言い換えてもいい。
ただし、学生としてはともかく。
ボヌールでバイトをする身分としては、あまり喜んでいるばかりではいられない時期でもある。
これは考えてみれば当然の話だ。
芸能事務所であるボヌールでは、ゴールデンウィークにも仕事がある。
寧ろゴールデンウィークのようなファンたちが休日になる日こそ、アイドルたちはイベントやら握手会やらで忙しい。
それに引きずられる形で、俺はゴールデンウィーク中も掃除のバイトが入っていた。
だから始まりの場面は、ゴールデンウィーク二日目のこととなる。
────ピピピ、ピピピ、とスマートフォンからアラームが鳴っている。
昨日、一応仕掛けておいた目覚まし機能だ。
早起きする必要は無いとは言え、それでも昼のバイトに遅刻するのは不味い。
「……起きるか」
半覚醒状態のまま布団の中で幸せな時間を過ごしていた俺は、それを境に状態を起こす。
十分な睡眠がとれた影響か、すぐに目のピントが合った。
ボーッとすることも無く、早い段階で意識が覚醒する。
「……朝か。いやまあ、もう九時過ぎだけどさ」
そう言いながら、俺はのろのろとベッドから降りた。
昨日寝たのが夜の十一時くらいだったので、十時間ちょっと寝た計算になる。
普段の睡眠時間は六時間くらいなので、倍近い時間を寝てしまった。
「まあ、バイトは十一時からだし、大丈夫だろ……」
そう言いながら一階に降りた俺は、朝特有の涙がこぼれる目を拭う。
そして一応、「おはようー」と下に声をかけた。
もう姉さんは出勤しているだろうし、両親も不在なので、俺以外に人が居ないのは確定しているのだが────。
「ん、おはよう。遅かったな」
「あれ……居たのか、姉さん?」
居間に向かった瞬間に意外な光景を目にしてしまい、俺は目をパチパチと開閉させる。
一瞬、まだ寝ぼけているのかとすら思った。
だってそうだろう。
休日とは言え、この時間帯にまだ姉さんが家に居るなどそうそう無いことである。
彼女が食卓でもそもそと朝食を食べている──つまり、そのくらい時間に余裕がある──というのだから、猶更だった。
──いや、でも服はスーツだな。仕事自体はあるのか。
そう考えて、俺は視線を下の方に向ける。
当然というか見慣れた光景というか、姉さんの着ている服はスーツだった。
つまり、これから出勤するということである。
時間に余裕はあれど、仕事が無い訳でも無いらしい。
「……今日は、朝に用事が無かったとか?」
必然的な推測として、そんなことを聞いてみる。
すると、姉さんは菓子パンを咥えながら頷いた。
「今日は仕事が夜に集中しているからな。代わりに朝が遅いんだよ。そうじゃないと体力がもたないしな」
「へえ……」
「そっちは……いつもの通り掃除か?」
ふと気になった、という風に姉さんがこちらに話題を向ける。
話している内に、純粋に俺の予定が気にかかったらしい。
姉さんは忙しすぎるので、同じボヌールで働いている割に俺たちはまず出会うことがない。
俺は姉さんの予定を知るはずが無く、姉さんも俺の予定は知らないのだ。
だから偶に、こういう質問が来ることもある。
「十一時から掃除。まあ、いつも通り一時間くらいで終わるだろうけど。あくまでただの掃除だし」
「だろうな。私が紹介しておいて何だが、あれはやることが単調だ」
そんなことを言いながら、姉さんは自分で淹れたらしいコーヒーをグイ、と飲む。
そしてカップをトン、と机上に戻してから、彼女はふと話題を変えた。
「……ああ、そう言えばお前の顔を見て思い出した。一つ、お前に謝らなければいけないんだった」
「謝る……?」
姉さんに似つかわしくない言葉が唐突に飛び出し、俺は一瞬で困惑する。
話題の変化の仕方も急だったが、内容も負けず劣らず急展開だった。
こともあろうに、姉さんが俺に謝るなど。
今まで数多の悪戯やら悪だくみやらを俺に仕掛けておきながら、悪びれずに高笑いしていた姉さんには実に似つかわしくない単語である。
そんな俺の混乱をよそに、姉さんは意外とちゃんとした話題を切り出した。
「いや、実はな……昨日偶々、奏に廊下で会ったんだが」
「奏って……鏡?グラジオラスの?」
つい先日、月野羽衣のライブで出会った鏡奏の顔が思い浮かぶ。
やけに元気で、噂やゴシップが大好きというアイドルの少女。
彼女がどうしたというのか。
「その場で強く頼まれてな。お前に確認は取らなかったが、連絡先を教えておいた。だから謝っておく」
「へ?……連絡先?」
予想外の内容に、また混乱が強くなる。
いつの間にか俺の連絡先が勝手に知らされていたのも驚きだが、それ以前に鏡の行動理由が意味不明だった。
一体どうして、彼女が俺の連絡先を聞いていたのか。
そこを反射的に尋ねると、姉さんはさも当然のことをしているような顔で返答した。
「別に、よくあることだぞ?元々アイツは話すのが好きというか、顔の広い子だからな。連絡先の交換程度、しない方が珍しい。他所の事務所のアイドルとすら友人がいるくらいだからな」
「……それで、姉さんに?」
「ああ。何でも前に会った時、奏はお前の連絡先を聞けなかったんだったか?それでお前に連絡が取れないままなのもアレだから、手っ取り早く家族から聞いておくとか言っていたな」
それを聞いて、そう言えばそうだったなと思い返す。
俺は今まで鏡と何度か会っているが、連絡先交換などしたことが無い。
最初の頃は俺が一方的に見ていただけだったし──それどころか名前も分からず、Xさんと呼んでいた──この前のライブの時は最後にある事実を知ってしまい、その対応に追われたので連絡先を聞くどころでは無かった。
彼女としては、どうもそれが心残りだったらしい。
「……じゃあその内、向こうから俺に連絡が来るのか?わざわざ聞いてきたってことは」
「普通に考えればそうだろうな。用途は知らんが、別に悪用する訳でもなさそうだったから普通に教えた。ただ、お前の了解を取っていなかったな、と」
「いやまあ、そこは別にいいけど」
別に怒るほどの事でも無いので、軽くそう言って置く。
アイドルのタブレットの管理は厳しいのに、弟の情報については随分と扱い軽いな、と思わなくは無かったが。
ここに関しては最早諦めているので、怒りは湧いてこない。
「でも、何を電話してくるんだろうな……?」
「さあな……ま、向こうに用があれば、勝手に連絡が来るだろう。せいぜい相手をしてやれよ?それこそ、今日にだって電話が鳴るかもしれないからな」
最後にそんなことを言って、姉さんは会話を終わらせた。
────俺のスマートフォンが再び鳴り始めたのは、この会話から約三時間後の事だった。