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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Stage11:王たちの沈黙

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まずは、ページをめくる時

 時の流れというのは恐ろしいもので、俺がボヌールでバイトを始めてから半年が経過した。

 四月に始めて、今がもう十月なのだから、そういう計算になる。

 高校一年生の半分が、もう終わってしまったのだ。


 半年と言えば、言葉の上では随分長い期間のように思えてしまう。

 だが実際に自分で体験してみると「もうそんなに経ったのか」という感覚の方が強かった。


 こういう言い方は中年めいていて嫌なのだけど、半年ってこんなに短かったっけ、というのが本音だ。

 グラジオラスメンバーと知り合って以降、とにかく色んなことが起きていたので、体感時間が妙に短くなっているのかもしれない。


 それでも、この短く長い時間を細かく振り返ってみるならば。

 俺のボヌールでの半年間は、やっていたことの内容からして、二つの期間に分けられる気がする。


 一期目が、バイト開始から凛音さんの引退まで。

 二期目が、凛音さんの引退からイノセントライブまでだ。


 一期目の頃は、俺はそこまで深く芸能界の事情に通じていなかった、

 芸能事務所でバイトをしていたが、まだ一般人だった。

 言っていればこの時期は、俺がこの世界に──或いは、アイドルの存在に──慣れ始めるまでの時期だったのだろう。


 しかし二期目あたりから、話が違ってきた。

 この辺りからは芸能界に慣れ始めるというより、その性質を見極めるような時期だった。

 最終的に「とにかく理不尽な場所」という結論に至ったのはちょっと悲しいが、収獲と言えば収獲と言える。


 こうして振り返ると、それぞれの段階で俺には何らかのテーマを背負っていたのかもしれない。

 個人的に何となく気にしていただけで、目的と言えるほどの強い物では無かったけれど。

 それでも、各時期の経験が俺にある種の学びを与えてくれていた。


 そして、この流れに乗っかるのであれば。

 三期目、すなわちイノセントライブが終わった十月から、クリスマスライブを終えるまで。

 この時期のテーマも、自然と決まってくる。


 それはきっと────「本物と偽物」ということになるのだろう。


 ふわっとしていて、だけど明確で。

 誰も悪く無くて、全員が悪い、そんなテーマ。

 このテーマのために、俺は何度も様々な人と議論をするようになった。


 だから、皆さん。

 少し、お時間を頂きたい。


 ここからは────本物と偽物について、話をしよう。






「……本屋に行こう」


 はた、と思い立ったのは土曜日の昼。

 十月になって初めての休日、しかもバイトの予定が無いという出来すぎな日のことである。


 姉さんはとっくに仕事に行っていたので、一人で昼まで爆睡して。

 何をしようか、と昼食を食べながらカレンダーを見つめたところでふと思いついたのだ。


「最近、行けてないしな……いや、何なら半年くらいは本屋に行ってないか?」


 寝癖の残った頭をバリボリ掻きながら、ポツリと呟く。

 まさかそこまででは無かったはず、という想定で口にしたのだが、恐ろしいことに真実だった。

 振り返ればこの半年、碌に本屋に行けていない。


 ──これだと、趣味は読書とか言えなくなっちゃうな……。


 何となく恥ずかしくなり、俺は掻く場所を首の後ろに変更する。

 別にまあそれで何かが変わる訳でも無いのだが、気分の問題だ。

 ああ、いつの間にか本屋が遠くなっちゃったなあ、と思って。


 ……元々俺は、本を読むのも買うのも好きな人間だった。

 葉兄ちゃんに勧められる形で推理小説系の読書を始め、それ以降ジャンルに拘らず、色々と読んできている。

 中学生だった頃は、図書館にも良く行っていた。


 それがどうしてか、ここのところ本屋に行けていない。

 何故、と思い返せば、理由は単純だった。

 ボヌールのバイトのせいである。


 あのバイトがあるために、学校の帰りはボヌールへ直接向かうようなことも増えた。

 そして一度バイトを終えると何だか疲れてしまうので、どこにも寄り道をせずに帰ってしまう。

 休日にもバイトがあることが多く、自然と他の場所から足が遠ざかっていた。


 加えて夏休みを超えると、天沢がオーバートレーニングをしないか監視することも仕事の一つになったので、更に本屋に行く時間は無くなってしまっていた。

 天沢のレッスンの時間に合わせてこっちの予定が決まるので、必然的にそうなってしまうのである。

 そうでなくともあの時期は、放火事件の容疑者になるわ、従姉妹が押しかけてくるわ、爆弾を追いかける羽目になるわと碌でもないことが連発し、プライベートな時間がゴリゴリ削れていたのだ。


「こうして振り返ると、俺ってこの半年、地味に大変だったんだなあ……」


 カレンダーを見ながら、うんうんと頷いてしまう。

 我ながら、よくこんな状態を許容していた物だ。

 一言二言、愚痴を言っても良いような気はする。


 何にせよ、こうしたドタバタのせいで本を読むどころではなくなり、本屋に行く機会も減った。

 今では好きな本は通販サイトで購入し、置き配で受け取るのが日常となってしまっている。

 現代っ子らしいと言えばそうだが、本屋によく行っていた身としては、何だか寂しい。


「じゃあ、久しぶりに行くかあ……」


 そう口走るや否や、俺の菓子パンを齧る手の動きがスピードアップ。

 頭の中では、続刊が出ているであろう漫画本のリストが既に出来上がっていた。




 まず、昔からよく行っていた書店を再訪しよう、というのは家を出た瞬間から決めていた案だった。

 久しぶりに本屋に行く以上、品揃えが良い場所に行きたい。

 そうなると自然と、昔からの行きつけに対象が絞られるのである。


 この半年で新しく出来た書店もひょっとすると存在するかもしれないが、品揃えが分からないのは何だか怖い気もするし。

 最初はよく知っている店で、という思考は当然だった。


 そういう訳で、秋と呼ぶにはまだ暑い十月の太陽の元、自転車を漕ぐこと二十分。

 ボヌール事務所からも駅前からも遠い一画に、俺は足を延ばしていた。

 出版不況と言われて久しいこの時代、うっかり潰れていたらどうしよう、なんてことも考えていたのだが────。


「おお、流石にあったな……」


 半年前と変わらずに存在した建物が視界に映って、俺は自転車に乗りながら安堵のため息を漏らす。

 三階建ての白い建物も、やや安っぽい看板も、位置が分かりにくい駐輪場も以前のままだった。

 この辺りで一番大きな書店────「銀砂書店・映玖本店」はちゃんと営業してくれているようである。


 ──本店って言っても、映玖市内にある銀砂書店チェーンはここしかないけどな……都心ならともかく。


 看板を見るたびに思うことを反芻しながら、俺は自転車を停める。

 この書店、つまり銀砂書店は関東一円に展開するチェーン店の本屋だ。

 本店は新宿にデーンと構えていて、そちらは八階建ての店舗らしい。


 その新宿本店と比べれば、この映玖本店は小ぶりな店と言ってもいいだろう。

 しかしそれでも、映玖市にある書店の中では屈指の大きさであることも事実だ。


 映玖市は東京と言っても西の方なので、都会では当たり前のように存在する店が意外と存在していない、ということがよくある。

 そういう場所に三階建ての書店が開店すると、それだけで自動的に「この辺りでは一番品ぞろえが良い店」になるのだ。

 競争力が低い分、一番の名も軽い。


 でもだからこそ、ここに良く行くようになったんだよな、なんて思い出しながら入口をくぐる。

 途端に、オルゴール調のJ-POPが耳に届いた。


 店内BGM、前はクラシック調だったのだが変更したらしい。

 まあそれはどうでも良いけど、と俺は入り口から少し進んで、そのまま一階を一望する。


 まず目に入るのは、入り口真ん前に置いてある特設コーナー。

 新刊本やメディアミックスされた作品、ついでにその関連書籍が並んでいる。


 店員の手書きポップが所狭しと並んでいて、熱量が凄まじい。

 こういう本は爆発的に売れるから、店としても気合を入れているのだろう。


 そこから奥に目をやると、特設コーナーに並ばなかった新刊や単行本コーナーが広がる。

 右に回れば漫画コーナーが、左に行けば文庫本コーナーへと続いている形だ。


 多くの書店がそうだと思うが、二階と三階には専門書や参考書などのややニッチな本が多く配置されているので、俺が行く頻度はかなり少ない。

 受験期ならともかく、普段は一階にある一般文芸と漫画、雑誌の類を買いたくなることの方が多いからだ。

 少なくとも今日に限っては、一階をうろつくだけでも楽しめるだろう。


 ──さて、どこに行こうかな……。


 静かにテンションを上げながら、俺は流れるように特設コーナーに設置された本を眺めていく。

 中学生までは俺の小遣いの都合上、欲しい本を全て買うというのは難しかったのだが、今日は違う。

 半年もバイトしたお陰で、財布の中身は中々潤っている状況だ。


 夏休み中にはちょっと使ってしまったが、それでも余裕があるのは間違いない。

 どのくらい買おうかな、と珍しい種類の思考をしたところで────ふと、目についた表紙があった。


 ──あれ……何か、アイドルの表紙、多いな?特注のカバーが……。


 特設コーナーに置かれてある、大量の文庫本。

 それらの多くに、何故か特注のカバーが付けられていた。

 本来の書籍のカバーの上に、更に固い紙の表紙が被さっている形になる。


 それ自体なら特に珍しくも無い──それこそ作品が映画化、ドラマ化した際によくある。宣伝文句とか公開日を知らせるための物だ──のだが、被せられている新しいカバーが全てアイドルのプロマイドである、というのは流石に珍しかった。

 少なくとも俺は今まで見たことが無かったので、つい凝視してしまう。


 ──何だ、これ……「『アイドルが選ぶこの一冊』フェア!百冊キャンペーン!」?


 興味が湧いたので、思わず俺はその本を一冊、掴んでみる。

 そのまましげしげと背表紙を見つめて、俺はこの本が自分でもよく知っている題名の物だと気が付いた。


 何のことは無い。

 表紙こそアイドルの写真に変わっているが、中身は夏目漱石の「吾輩は猫である」だったのだ。


 恥ずかしながら読んだことは無いのだが、それでもどんな本かは知っている。

 途端、俺にも事の次第が分かってきた。


 ──あー、あれか。古典の名作を売るために、出版社がアイドルとコラボしたタイプの……今年の場合は、アイドルの写真を使う形になったのか。


 一度思いついてしまえば、よくあることだった。

 なあんだ、という気持ちで俺はそのアイドルの写真を眺めてしまう。

 事のカラクリが見えてくると、それは納得感が強い物だった。




 先程述べた通り、映画化やドラマ化した作品というのは爆発的に売れやすい商品である。

 だから、特設のカバーや帯がメディアミックスの際に用意されることはよくあることだ。

 映画の主演である俳優の写真を使ったり、特別な栞が挟み込まれたりと、原作を売るために涙ぐましい努力がされている。


 そしてこれらの作品とは対照的に、爆発的に売れることが極めて少ないのが────所謂、古典の名作群だ。

 明治の文豪の傑作とか、平安時代に書かれた文学とか、そういうタイプ。


 それらの作品は、中身が名作であることは誰でも知っている。

 だがなまじ名作である分、継続的には売れても一気には売れない。

 他の作品のように映画化やドラマ化する機会もかなり少ないので、アピールが難しいのだ。


 だからなのか、出版社は定期的にこれらの古典作品にテコ入れをすることがある。

 表紙を人気イラストレーターに書いてもらって装丁を変えたり。

 或いは、人気漫画家にコミカライズしてもらって原作とセット販売したり。


 とにかく、若い世代に買ってもらうための努力をする訳だ。

 まずは目を引かれる状態にならないと、手にも取って貰えない。


 個人的な印象では、夏休みの時期に何かのフェアの一環としてやっていることが多い気がする。

 もしくは、読書の秋に引っかけたこの時期だ。

 作品の中身が変わらない以上、売り方を変えているのである。


 で、そういう売り方をするために、芸能人を使うこともしばしばある。

 有名な芸能人にその本を読んでもらって、その様子を表紙に採用する、とかのパターンだ。

 今年の宣伝は、そのタイプだったらしい。


 この「吾輩は猫である」はその一環だろう。

 よくよく見れば、表紙を飾っているアイドルは猫っぽいポーズをしていた。

 猫耳を付けた上で、両手が招き猫みたいな形になっている。


 ──なになに……「読書の秋、特別企画始動!クリスマスローズをはじめとする人気アイドルが選んだ百冊の本に特別カバーをセット!三冊以上購入された方には、メンバーの特別ポスターもプレゼント!各書店で是非お買い求めください」か……。


 文言を読むだけで狙いが分かるキャンペーンの仕組みに、俺は思わず苦笑いしてしまった。

 要は、アイドルの写真目当てにファンがこれらの文庫本を買うのを期待しているのだ。

 恐らくカバーとポスターを抜いた後は、本の中身など読まずに放り捨てるファンも多いだろうが、そういう人も含めて客、ということらしい。


 ──何にせよ、俺はここの本を三冊以上買わないようにした方が良いな。知らないアイドルのポスター貰ったって、置き場所に困るし……いやまあ、そもそも古典名作を今日は買う気が無いけど。


 出版社の目論見とは正反対のことを考えながら、俺はようやく「吾輩が猫である」を平台に戻した。

 そうして、何気なく顔を上げた瞬間。

 不意に、目に留まる物があった。

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