<Back Stage>煙の器・後編(Stage2 終)
「君の行動を時系列順にまとめると、以下のようになる。悪いが一息に言わせてもらおう。自白が出来ないのなら、黙って聞いていてくれ」
「まず……君が羽衣の喫煙行為に協力、ないし黙認するようになったのは割と最近のはずだ。仮にかなりの長期間行っていたのなら、普通は流石にどこかで嗅ぎつかれている」
「しかし、羽衣は今まで悪い噂は聞いたことが無かった……かなり最近になって、羽衣の方から煙草の提供を頼まれたというあたりか」
「その申し出を何故断らなかったのかは知らないが……まあ、バレなければいいとでも思っていたのか?羽衣の年齢は十九歳だから、あと一年経てば喫煙自体は可能になるしな」
「だから下手に叱責してアイドルを不機嫌にさせるよりも、おねだりを聞いてあげた方が良いと踏んだ。所詮は一年の辛抱だ。バレないように手を尽くすことさえすればいい、と」
「何なら、すぐに飽きるだろうと思っていたのかもしれない。どうせ、一、二回で止めてくれるだろう、と」
「しかし、その判断は間違いだった」
「君の甘い予想に反して、煙草を吸い始めた羽衣はすぐにヘビースモーカーになってしまった。それこそ、ライブの合間でも我慢できなくなるくらいに」
「だからこそ、君は羽衣の求めに応じて煙草を吸う場所を提供する必要に迫られるようになった。今更事務所にバレてしまったら、吸い始めの時期に黙認していた君の責任が追及されてしまうからね」
「自分の保身のためにも、羽衣のイメージのためにも、君はライブの休憩時間でも行ける範囲のバレにくい喫煙所を探さなければならなかった、ということだ」
「あのコンサートホールの倉庫は、そうやって追い詰められた君が見つけた絶好の隠れ場所だったんだろう」
「マネージャーとして施設の構造やら鍵の管理やらを知っている君なら、そういう場所を見つけられてもおかしくはない。何か他の用事にかこつけて、予め見つけておいたんだろう?」
「その上で君は、事前に羽衣と打ち合わせて細かい段取りを決めた」
「ライブ後に暇になったら、自分は隙を見てあの倉庫に行く。その後で羽衣が来れば、自分が見張り代わりになって喫煙をさせてあげよう。大体、そんな予定だろう」
「その段取りに従い、昨日、君は煙草とライターを持って倉庫に向かった」
「ああ、それと……君が用意した物は他にもあるだろう?」
「まず、煙草の臭いを誤魔化すための香水。これも羽衣ではなく、君が持ってきたはずだ。玲の報告書によれば羽衣は殆ど手荷物が無かったし、ポケットが膨らんだ様子も無かったようだから、君の所持品の中にあったとする方が妥当だ」
「そして次に重要な提供物が……灰皿代わりの缶コーヒーだ」
「ほら、偶にいるだろう?灰皿を使うのを面倒くさがって、缶飲料を灰皿代わりに使う人」
「羽衣は、そういうタイプの喫煙者だったんだろう」
「このやり方には、中に飲み物を少し残しておけば吸い殻を消火出来るという利点もある。立場上、携帯灰皿をおおっぴらに持ち歩けないこともあって、羽衣は缶飲料を灰皿にすることを習慣にしていたんだろうな」
「もっと言えば、仮に誰かに喫煙を疑われて所持品を見られた場合でも、手に持っているのが缶コーヒーならまだ誤魔化しがきく」
「『飲みさしなんだ』の一言で、ある程度誤魔化せるだろう。コーヒーくらい強い香りを持つ物なら、中に収めた吸い殻の臭いも多少は弱まるだろうし」
「まあ要するに、君たちも喫煙を疑われないようにそれなりの努力をしていたということだ。実際、昨日になるまで羽衣の喫煙は誰にもバレていなかったんだから。これ以外にも、色々と工夫をしていたんだろう?」
「そういう準備もした上で……君は打ち合わせに従って羽衣が来るよりも先に倉庫に行き、羽衣を待っていた。それが、玲の見た『スタッフ風の男性が関係者用入口から倉庫に入っていった』という光景だ」
「しかし君たちの計画には、ここで誤算が生じる……迷子になっていた玲が、君の後を追って倉庫の方に来たんだ」
「驚いただろう?本来ならあそこには、殆ど人が来ない想定だった。そんなところに目撃者が来たんだからな」
「慌てて、君は適当な倉庫に隠れた。君としては玲が誰かすら分かっていなかったんだろうが、見られたくないという思いが勝ったんだろう。君は身じろぎもせず、声も潜めて、倉庫に潜んだ」
「玲が最初に来た時に見つけた『半開きのままになっている扉』というのは、その痕跡だろう。扉を閉める暇も無いくらいに急いで室内に隠れた、ということだ」
「もし玲が室内の様子をもう少し詳しく探っていたなら、中に潜んでいる君とバッタリ鉢合わせただろうが……幸いなことに、玲はちょっと様子を見ただけですぐに立ち去った」
「倉庫の床には君の足跡も付着していただろうから、玲がそれに気がつく可能性も結構あったはずだが、流石に玲もそんな痕跡には気に留めなかったんだろう。この時の玲はただの迷子で、状況を分かっていなかっただろうから」
「寧ろ玲が歩き回ることで、君の足跡は上書きされてしまったくらいだ」
「……そういった幸運も相まって、君は一先ず隠れおおせた」
「ホッとしただろう?」
「助かった、と思ったはずだ」
「まあそのタイミングで玲が去ったせいで、手筈通りに倉庫に向かっていた羽衣と玲は遭遇してしまったんだがね」
「しかし、ここでも君たちは幸運な出来事に出会う」
「というのも玲はその時、月野羽衣について大して詳しくなかった」
「玲にもっとアイドルに関する知識があったのなら、出会ったその瞬間にこの悪だくみは詰んでいた可能性もあった。月野羽衣がこんなところで何をしているんだ、と騒がれてしまうかもしれないから」
「しかし生憎と、玲はアイドルに詳しくなかった。だから玲は自分が話しかけた相手がアイドルであることにも気が付かず、そこで普通にすれ違ってしまった」
「これまた、とんでもない幸運だろうな」
「……何が言いたいかって?」
「君たちがそこで騒がれなかったのは、殆ど奇跡だったってことだよ」
「この幸運のどれか一つでも崩れたら、その瞬間に悪だくみは破綻していたんだから」
「まあ何にせよ、この奇跡を君たちから見れば、邪魔者が消えたということを意味する」
「正しい道順を教えてあげた以上、また玲が倉庫に戻ってくる可能性は低い。乱入した少年は首尾よく追い払うことが出来た」
「だから合流した君と羽衣は、今度こそ煙草を吸うことにした」
「と言っても、羽衣が倉庫に籠った後に君が廊下で見回りをしただけだがね」
「そもそも羽衣が躊躇い無く喫煙をしたのは、君という見張りの存在を信頼していたからだろう。そうでなければ、一人で誰が来るか分からない倉庫内で喫煙するのはリスクが大きすぎる。何とか誤魔化せると踏んでいたからこそ、こんなことをしたんだ」
「そういう訳で、彼女は思う存分に煙草を吸った。吸い殻はある程度中身を残した缶コーヒーに収め、臭いが廊下に漏れないように扉は閉め切った」
「……しかし、ここで玲が推理した通りのハプニングが起こる」
「上着も脱がずに喫煙していた羽衣は、フリースを燃やしてしまったんだ」
「そこからの部分は、玲が既に推理をしている。だからここでは省こう」
「重要なのは、その後の部分だ」
「すなわち、羽衣が上着に泥を付けて偽装をすると同時に……君は何を処理したのかという部分」
「これに関しては、少し考えれば分かる」
「時系列的にはこの話の後、控室で玲が君の『ある様子』を目撃しているからね」
「それがこの箇所だ……玲が控室で君と出会ったシーンで、明記している」
「君は、まだ中身が残っている缶コーヒーをゴミ箱に捨てている。中身が飛び散っていた、と」
「この缶こそ、君たちが灰皿代わりにしていた缶コーヒーだろう?羽衣が焦げ跡のついたジャージを泥で偽装している時、君は煙草の吸殻と灰皿を処分していた訳だ」
「妥当な役割分担だと思うよ。もしこの役割が逆で君が羽衣のフリースを持ち歩いて処分していたなら、いくら何でも怪しくなってしまうから」
「何でマネージャーがアイドルの上着を勝手に捨てているんだ、あまつさえ持ち帰っているんだ、という話になったかもしれない」
「また、羽衣が缶コーヒーと吸殻を処分するというのも中々リスクが大きい。仮に転んで中身でもぶちまけたら、その瞬間に詰みだからね」
「だから上着は羽衣が、吸殻入りの缶コーヒーについては君が処理をすることにした」
「しかしそれを決めた頃には、時間的にはやや厳しくなっていた。夜の部の打ち合わせが迫っていたからだ」
「だから君たちは倉庫の煙草の臭いを処理する暇も無く、外に出ることにした」
「最初に外に出たのは君だろう。君の場合、羽衣のためにも周囲の人通りに注意してあげる必要がある。予め先に出て行って、今は外に出ても大丈夫かどうか確かめてあげたんだろう」
「そして君は缶コーヒー片手に控室にまで出向き、震える手でそれを捨てた」
「一度捨ててしまえば、仮に中身の吸殻が見つかったにしてもそれが羽衣の物とは断定できなくなる。誰か煙草を吸った不届き者が居たらしい、となるだけだ」
「羽衣の痕跡を消すという一点で言えば、君の仕事はこれで終わったと言っても良い」
「だからこそ、君は『今なら大丈夫だ』とでも言って羽衣を呼び寄せたんだろう。直接呼びに行ったのか、連絡でも入れたのかは分からないが」
「……しかし幸運続きだった君たちにも、ここで不運が訪れる」
「その不運というのが、丁度君が吸殻を処分していた時に控室には玲が居たということだ。図らずも、全ての行為の目撃者になっていた玲に君は姿を見られていた」
「しかも不味いことに、君は玲の顔を知らなかった……最初の遭遇時にすぐに隠れてしまったから、玲の顔をよく見ていなかったんだろう?」
「事務所内でもすれ違うくらいはしていたかもしれないが、こちらはこちらで人が多すぎて、ただのバイトの顔など覚えていないだろうし」
「そのために君はそこにいる少年と一度遭遇していることにも気が付かず……ジャージを抱えた羽衣をその場に呼び寄せてしまった」
「後から歩いてきた羽衣は玲とぶつかってしまい────今回の一件が、発覚した」
「……どうだ?全体の流れとしては、間違っていないだろう?」
そこまで言い終えてから、夏美は視線を上に向けた。
勿論そこには、依然として椅子に座ったまま話を聞く渋沢の姿がある。
しかし、彼の表情はここに来た時は大きく変わっていた。
顔色は、赤でも青でも無く。
強いて言うなら、能面のような雰囲気になっている。
しかし、何時までもそのままではいられなかったのか。
能面の一部が、ピクリと動く。
「……証拠は、あるんですか?」
ボソリ、と弱々しい声が響いた。
あまりに弱々しい声に、夏美はそれが渋沢の声とは思えなかったくらいである。
蚊の鳴くような声どころか、ミジンコのさざめきのような声で彼は言葉を重ねていく。
「羽衣の喫煙は、実際に煙草の臭いがする部屋を見つけたという証拠もある。ですが私の関与は推測に過ぎません。控室に缶コーヒーを捨てていたのだって、ただ単に私が飲んでいた物を捨てていただけと考えるのが普通でしょう。何故、それが灰皿なんて言い切れるんです?」
ボソボソと、意外に鋭いことを渋沢は並び立てる。
どうやら羽衣はともかく、自分だけはまだ助かると思っているらしい、と夏美は彼の内心を推測した。
──こんな態度になっている時点で、自分が関与していますって言っているような物だがな……。
明らかに委縮している渋沢を前に、夏美は軽く呆れながらそんなことを思う。
最早理屈めいた言い訳など、意味も無いだろうに。
しかしどうやら、止めを刺さないと彼は諦めきれないらしい。
それを察した夏美は、ため息を吐いて最後の論拠を述べることにした。
「少し、話は変わるが……今までの推理で、まだ述べていない謎がある。そこについて述べて、君に対する最後通牒としよう」
「……何ですか、それは」
「いや何、君たちが喫煙のために使い、玲が迷い込んだ関係者用入口の鍵の管理についてだよ」
思い返せば不思議な話だろう、と夏美は前置きをする。
「玲の話の中でも特に、この部分の理由が分からなかったんだよ……何故、そんなに人通りが少なくライブ中でも殆ど使わないような場所が、鍵が掛かっていなかったのかな、と思ってね」
トン、ともう一度夏美は机を指で叩く。
玲が迷子になり、倉庫へと繋がる関係者用入口に入っていったことを書いてある箇所だ。
実を言うと、読んだ時から夏美は不思議に思っていたのだ。
何故この扉は開いていたのだろう、と。
普通なら、施錠するだろう。
そんな、碌に使わないような倉庫しか無いのであれば。
人の出入りが少ないような扉は、防犯上の観点からも鍵をかけておくのが望ましい。
実際、鍵が開いてしまっていた故に玲はそこに誤って入っていってしまったのである。
仮に玲に悪意があれば、簡単に泥棒が出来てしまう状況だ。
まさか鍵が備え付けられていなかった訳でもあるまいし────最初から鍵が掛かっていなかったというのは、少々、不思議なのだ。
「だから、こう考えたんだ。本来ならその倉庫に繋がる扉は、ライブ中は碌に使わないから鍵を閉めているはずだった……それを、喫煙場所として使いたい君たちが、勝手に鍵を借りて開けたんじゃないかって」
そのことを告げた瞬間、渋沢の肩が面白いくらいに跳ねた。
彼らの計画の、一番杜撰な点を突いたのだ。
当然と言えば当然の反応だろう。
「ライブが普通に成功してしまえば、マネージャーが施設の鍵を借りに来たことなど誰も気に留めない。仕事中に何か使いたいものがあったのかな、と思うだけだ。鍵を借りるなんて言う目立つ行動をしても、バレないと踏んだんだろう?」
「……それ、は」
「だから君がここに来る前に、あのコンサートホールの人に電話をさせてもらった。……昨日のライブ中、ウチの社員が普段使わないような場所の鍵をわざわざ借りに来なかったか、と」
玲の報告書を読んだ後、渋沢が来る前にした電話である。
プロデューサー補佐などしているせいで、そう言った会場スタッフには知り合いが多い。
事実を確かめるのは容易だった。
「結果から言えば、当たりだったよ。君は昨日の朝の時点で、ライブの際には使わないような倉庫の鍵を借りに来たそうだな?夜のライブが始まる前に慌てて返しに来た、とも言っていたよ」
「そ、それは……」
「このことを踏まえて……聞かせてくれないか、渋沢君」
反論も許さず、畳みかける。
この手の輩は、少しでも手を抜くと事実を認めないままずるずると話を引き延ばす。
圧倒的な勢いで叩きのめすしかないということを、夏美は知悉していた。
「もし君が本当に羽衣の喫煙に一切関わっていないというのなら……何故君は、わざわざ普段使わない倉庫の鍵なんて借りに行ったんだ?そしてその鍵を、君は何に使ったんだ?」
少し、間を置く。
それから、叱りつけるようにこう告げた。
「これらのことに私を納得させられるだけの妥当な理由があるというのなら、是非教えて欲しいものだが」
反論は無かった。
いい加減に、精神の限界を迎えたのだろう。
がくり、と渋沢が肩を落としたのが分かった。
陥落したか、と夏美は確認する。
もう抵抗する気力はあるまい。
ここまで来れば、もう後は夏美が出しゃばる話でもない。
彼の上司などの月野羽衣のプロデュースに関わる人間、そして被害者であるコンサートホールの人間が話しあって決める問題だった。
尤も、そこに渋沢の姿は無いだろうが。
「……追って、処分が下るだろう。荷物の整理は早めにしておきたまえ」
最後に、そんなことを付け加える。
すると渋沢は壊れた機械のように、繰り返し頷き続けるのだった。
「……疲れたな」
よろよろと千鳥足で渋沢が去った後、夏美は深呼吸を一度した。
どうにも身体が重い。
仕事は山ほどあるのだが、やる気が起きなかった。
同僚のキャリアに止めを刺すのは、これで何度目だろうか。
それが終わった時は、いつもこうだ。
何度やっても、慣れるような物ではない。
そんなしこりが残っていたからだろうか。
何とはなしに、夏美は独り言を呟いた。
無意識に、休憩を求めて。
「気分転換に……煙草でも吸うか。かなり久しぶりだが」
普段はあまり吸わないのだが、夏美も煙草の経験が無い訳では無い。
だからこそ、その提案は彼女にとって自然な物だった。
ただし久しく喫煙していなかったので、問題が一つあったが。
「ボヌール内の喫煙所……どこだったか」
そう言いながら、夏美は頭を働かせて喫煙所の場所を思い出そうとする。
二階だったか、三階だったか、それとも─────。
──……少なくとも、喫煙禁止の倉庫内では無いだろうなあ。
ふと笑えない冗談を思いつきながら、やがて彼女は重い腰を上げるのだった。