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香りが真実を運ぶ時

「手順としては簡単なものだ。どうせ消火の過程で多少は泥が付いていただろうし、それに上塗りするようにして泥を塗るだけ」


「さっき見た地面の跡は、それによるものだろう。多分こう、焦げ跡が付いた腕の部分を持って、地面に擦りつけるようなことをしたんだ」


「その後、余りにも露骨に抉れた部分は靴底でならしてしまえば、あんな感じの跡になる」


「こういう小細工を行うことで、その上着は一応、パッと見た分には焦げていることは分からなくなった」


「そのせいで上着の左腕の部分だけピンポイントで汚れているっていう変な状態になったけど……そこまでは気が回らなかったんだろう。焦ってもいただろうし」


「そして、もう一つ……焦げ跡以外の物を誤魔化すために、彼女は細工をした」


「それが、元々持ち込んでいた香水だ。ついさっきまで喫煙していた彼女は、多分人が近づけばすぐにわかるくらいには煙草の臭いが染み付いていただろうから。喫煙を誤魔化すには、これも何とかしなければならない」


「だから彼女は、予め持参していた香水を上着や自分自身に振りかけた」


「本来はもうちょっと落ち着いて一服して、換気も十分にして、その上で少量の香水を使う流れだったんじゃないかと思う。だがハプニングも相まって、香水をちょっとばかり早く使うことになったんだ」


「……ただ、彼女はここでも焦っていたんだろう」


「或いは、緊張で手元が狂ったか」


「彼女がその時に使用した香水の量は、ちょっとばかり多過ぎた。近くに居る人が、臭いのキツさで顔をしかめる程に」


「だから、普段ではありえないくらいに香水を使っていたんだ」


「まあ香水の量が少ないと、それはそれで煙草の臭いが残って問題になる。一方で量が多い分には、確実に煙草の痕跡を消せる。だから、意図的に香水の量を多くした可能性もあるけど」


「何にせよ少し過剰な形になったとは言え、臭いは誤魔化せた訳だ。元々倉庫内で閉め切って喫煙をしていたのか、廊下や外にはあまり煙草の臭いが漏れていなかったし」


「後始末で言えば、煙草の吸殻が残っているけど……これは水に浸してから上着のポケットにでも入れたのか……そこはちょっと分からない」


「まあ、何らかの形で処分はしたんだろう。元が小さいものだし、隠しようはあったはずだ」


「これで痕跡隠蔽は完了だ。一見して『香水がキツイな』とは思われても、煙草は連想されない姿にはなった」


「そうなると後は、すぐにでも焦げ跡の付いたフリースを手荷物にでも隠した方が良い。あまり長くそこにいると泥が乾いて剥がれるから、焦げ跡が隠せなくなる」


「だから彼女はフリースを抱えたまま、すぐに控室の方へと戻ってきた。一応の名目としては、『夜のライブの打ち合わせが迫っているので急いでいる』という形にして」


「……そしてこの時、彼女は細工をしたそのフリースを抱きかかえて歩くことにした」


「何でかって?……それはまあ、出来るだけ見られないようにするためだろう」


「さっきも言ったけど、フリースに泥を付けたのは()()見咎められた時のためだ。理想を言えば、最初から誰にも上着について気に留められないのが一番良いのは間違いない」


「もっと言うなら、上着の存在自体に注目を浴びないのが最善だ」


「だから上着を抱きかかえて、隠すように持ち運んだんだ……泥が自分の体につきかねないし、結構汚れただろうけど、そこは割り切ったんだろう」


「そうやってあまり人目につかないようにそさくさと歩いた彼女だが……ここでまた、ハプニングが起こる」


「下を向いてスタスタと歩いていたから、関係者用入口を通ったところで人とぶつかったんだ」


「それがさっきの出来事……彼女は、運悪く俺とぶつかってしまった。ついでに、君たちとも邂逅した」


「多分、一瞬で不味いと悟っただろう」


「俺はまあともかく、君たちグラジオラスメンバーと彼女は面識もある。何も言わずにすぐに立ち去るというのは少し不自然だ」


「本当ならさっさと上着を隠したかっただろうが、変な態度で上着を抱えたまま走り去ったら、それはそれで不審がられる恐れもある」


「だから、とりあえずは世間話には付き合ったんだろう。何も話さない、というのも変だし」


「実際には、すぐに走り去ったところで特におかしいとは思われなかった可能性はあるが……この辺りは、自然な対応をしようと思いすぎて逆に墓穴を掘った形になるのかもしれない」


「……そして立ち話なんてするから、案の定、鏡には抱きかかえていた上着についても質問をされた」


「これは何とか、予め用意していた通り『転んだ』という言い訳と泥を見せることで乗り切ったが……それ以上の会話は危険だと思ったんだろう」


「適当なところで会話を打ち切り、それを控室に隠しに行った」


「彼女の動きは、大体こんな流れだったんだと思う。勿論、全て俺の妄想だけど」






 全てを言い終わると、何故か一気に喉が渇いた感じがした。

 長い間演説のように話していたこと以上に、自分が言及していることの重大さがこれをもたらしていたのだろう。

 喫煙禁止のライブ会場における、未成年アイドルの喫煙疑惑────少々、高校生が話すには大きな話題だ。


「一応、考えられることはこれで全部だが……何か、質問あるか?」


 その渇きを癒すためにか、俺は三人に問いかける。

 彼女たちと会話することで、重大さを紛らわせたかったのかもしれない。

 すると別に俺のためではないだろうが、鏡が小さく手を挙げた。


「そのー、質問というか確認なんだけど、良い?」

「どうぞ」

「ええっと……今のを聞いて、凄い話だなって思ったし、筋は通っているとは思うんだけど……その、証拠は無いよね、これ?」


 鏡の指摘に、俺は頷く。

 彼女の言っていることは正しいと感じたからだ。


 そうだ、この推理には証拠は無い。

 強いて言うなら水溜まり近くの泥の乱れは証拠と言ってもいいかもしれないが、それだって確かなものとは言えないだろう。

 俺がこの場所に来る前に誰かがあそこで転び、それで地面が乱れた、なんて可能性だってあるのだから。


「……途中で言った通り、俺が今話したことはあくまで、『転んでもいないのに泥の付いた上着を抱えた人が居たとして、どういう経緯ならそれがあり得るか』を考えたシミュレーションみたいなものだ。本当かどうかは、また別の話になる」

「つまりは、連想ゲームみたいなものですね?何らかの理由で上着に泥を付けたのなら、それは焦げ跡を隠すためじゃないか。そしてその焦げ跡は喫煙のためじゃないか、と連想できるまま紐づけてみた、みたいな……」


 話を聞いた長澤が、そんなまとめをした。

 これまた間違いのないことなので、俺はもう一度頷く。


 実際、この推理は大部分が俺の偏見で構成されていた。

 雑に言えば、「水と言ったら消火だし、焦げ跡と人気のない場所って言ったら煙草だろ」みたいな決めつけで進んだ話だ。


 予防線代わりに「所詮は妄想」という文言を推理に付け加えたが、こうして振り返るとその言葉も間違っていない。

 まさしくそのまま、現時点で俺の話は妄想である。

 仮に今、俺がこの推理をボヌールの社員に──例えば姉さんに──伝えても鼻で笑われるだろう。


 ──タブレットの件と同様、現実にはこういう推理をしても中々決定的な証拠なんて見つからないものだが……。


 二人の言葉を受けて、俺はそんなことを考える。

 あの時も理屈だけでは正解を導き出せず、最後の最後は賭けみたいなものだった。


 どうにも、理論のみでたった一つの真実を断定するというのは難しいらしい。

 それが出来るのは推理小説の探偵だけ、ということか。


 ──だからこそ真実なんてものは、()()()()()()()()()()()……。


 ふと、脳裏にそんな言葉がをよぎる。

 まあこの場合は嗅がないと分からない、かもしれないが。


 そんなことを考えた瞬間。

 流れを見守っていた天沢が、不意にこんなことを口にする。


「……それで、松原君」

「ん?」

「……()は?」


 あまりにも端的な、意図不明な言葉だった。

 思わず、オウム返しにしてしまう。


「次?」

「ええ、次の推理、よ」


 そう言って、彼女は自身の髪を軽くかき上げた。


「……貴方がこの話を本当にただの妄想だと思っているのなら、長々と話なんてしないでしょう?こうして話しているということは、もっと確かな証拠があるということ……貴方は最後の最後に、自分の目で真相を確かめに行くタイプだから」


 ──だからこそ、あの時も私に直接会いに来たんでしょう?


 最後の一言は、彼女は口にしなかった。

 しかし、その瞳が雄弁に語っていた。

 タブレットの一件の時だって、最後は本人に直接確かめることで真相を明らかにしただろう、と。


 まあ要するに、「出せ」と言っているのだろう。

 真相を確信出来る、直接見た証拠を。


「直接って……え、もしかして松原君、月野先輩に直接確かめに行くつもり?それは流石に、止めといたほうが良いんじゃ……仮に本当だったら絶対に認めないだろうし、間違いだったら言いがかりをつけることになるし」


 訳が分からないような様子で──当然だ、彼女は前回の推理を知らない──鏡が制止の言葉を並べる。

 それを前にして、俺は軽く笑った。


 一つは、鏡の勘違いがおかしくて。

 そしてもう一つは、思った以上に天沢が俺の思考パターンを読んでいたという事実が楽しくて。


 ──推理って言うのは、一回見せるだけでも癖を把握されるものなんだな……。


 何となく、そんな感想を抱いた。

 しかしこうも求められたならば、黙っている訳にもいかない。

 故に俺は間違いを訂正しつつ────俺なりの確かめ方について言及した。


「流石に、本人に聞きはしない。今の話が正しいかどうか確かめるには、もっと簡単な手段がある」

「もっと、簡単な……?」

「ああ、そのためにわざわざこの部屋の前にまで来たんだ」


 そう言って、俺は自分が背もたれ代わりにしていた扉を見る。

 この扉の位置は、何とか覚えていた。

 それを見つめながら、俺は軽く説明を付け足す。


「最初にここに来て、迷子になった時……俺はここの扉を開けて、中の様子を見たんだ。控室じゃなくて、倉庫でしかないことを確認するために。何故か知らないけど、()()()()()()()()()()()()()。俺はその時中をちょっと覗き見してから、半開きのまま放置した」

「……ええと、それで?」

「その扉が、今ここに来て天沢と見て回った時には()()()()()()()()()()()。鍵はかかっていないにしろ、見かけ上は全ての扉が閉じられているのを確認したんだから間違いない」


 鏡と長澤に呼ばれる直前に、辛うじて思い出せた記憶。

 それについて告げた瞬間、天沢が「えっ」と言った。


「元々空いていて、手も加えていないのに閉じられていたってことは……()()()()()()()()()()()()()()()ということ?」

「当然、そうなる。風も無い屋内で、自然にこうなるはずが無いから」


 俺がここを立ち去ってから、誰かがここに来たということは間違いない。

 そうでなければ、扉を閉じてもらえるはずもない。

 俺が中を覗き見た時点では無人だったはずだが、その後で何者かがここに侵入したのだ。


「俺の今までの推理が正しかったのなら……月野羽衣がこの屋内で喫煙していたというのなら、彼女はこの部屋を使ったんじゃないかと思う」

「つまり……私たちは今まさに、月野先輩の喫煙場所の真ん前に来ているかもしれないということですか?」


 長澤が押さえ直してくれたので、俺はすぐに頷いておく。

 これまた所詮は仮定に仮定を重ねているだけだが、筋は通るのだ。


 恐らく彼女は上着の焦げ跡の処理を急ぐあまり、自分が居た倉庫の扉に関しては普通に閉めてしまったのだろう。

 来た時の状態のまま半開きのままにしておく、ということをしなかった。


 何なら、焦って勢いよく叩きつけるように閉めたのかもしれない。

 だからこそ、二度目に来た俺たちの前でこの扉はちゃんと閉まっていたのだ。


「そして、もう一つ思い出して欲しい……俺の推理では、月野羽衣は煙草の臭いを誤魔化すために過剰に香水を振りかけた、という話だった」

「確かに、言ってたわね」

「それによって煙草の臭いは消えた訳だが……あくまでそれは、彼女本人に染みついた臭いを誤魔化すための話だ。煙草の臭いっていうのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 そう告げた瞬間、三人が「そういえば」という感じの顔をした。

 勿論彼女たちは喫煙者ではないだろうが、それでも知識として知っていたのだろう。


 事実、煙草の臭いというのは色んな物に染みつく。

 車中で喫煙するとシートに臭いが残るし、屋外であっても、吸った直後であればその場に臭いが残るくらいだ。


 すなわち、喫煙の痕跡を消したい人が居たとすれば。

 その人は自分の臭いだけでなく、吸っていた場所に消臭剤でも撒かないと痕跡を隠しきれないのである。


 このことを頭に入れて今回の一件を思い返すと、面白いことに気がつく。

 月野羽衣は、自分の服に染みついた臭いに関しては香水で消した。


 しかし彼女は────果たして自分が居た部屋の臭いに関しても、換気や消臭と言った後始末をしただろうか?

 扉を慌てて閉め、急ぎすぎて人にぶつかってしまう程度には動揺していた彼女は、本当にそこまで気が回っただろうか?


 この扉を開ければ、それがはっきりする。

 時間的には、彼女がここを立ち去ったと思われる時間から三十分も経っていない。

 煙草の臭いが薄れるには、早い時間だった。


 元々扉を閉め切っていたのか、俺たちが居る廊下にはそんな臭いはしていない。

 しかし、空気の籠った室内なら────。


「だから、ここを開けて確かめてみようと思う。それで煙草の臭いがしたら、この上ない物証になるだろう?」

「確かに、そうなるねー……松原君がこの辺りですれ違った人は、月野先輩しか居ないみたいだし、そう何人もここに来るとは思えないし……」


 納得したような顔で、鏡がうんうんと首を上下に促した。

 そして残り二人の理解度を把握するように、視線を隣にやる。

 果たして、天沢と長澤が大丈夫という風に頷いた。


「……じゃあ、開ける」


 三人をそれぞれ見つめてから、一応俺が扉を開けた。

 取っ手を掴み、ゆっくりとスライドさせる。

 出来るだけ、室内で滞留しているであろう空気の具合が、じっくりと分かるように。


 しかし結論から言えば、その動きはそこまで必要なものでは無かった。

 少し開けた瞬間────すぐに、分かったのだから。




「…………煙草くさっ!」




 反射的にか、顔をしかめながらそう反応した鏡の言葉こそが、全ての答えだった。

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