手を借りる時
「……で、この数時間、どうする?後々のことを考えておくと、晩御飯くらいは先に食べておいた方が良いと思うけど」
「正直食欲湧きませんけど、そうですね」
俺もこの立場になって初めて分かったことだが、食欲というものは恐ろしく精神状態とリンクするらしい。
茉奈について氷川さんに知らされた時点から、俺は空腹を殆ど感じていなかった。
普段なら、おやつでもつまもうかと言う時間なのに、だ。
思えば、ファミレスで氷川さんが先に昼食を取るように勧めたのは、このせいかもしれない。
話を続けてしまえば、食べる気が失せるのを察していたのか。
「……でも、今すぐは何をしましょう。いくら何でも、夕食にはまだ早いですし」
「そうだねえ……私の経験で言うと、こういう時はいっそのこと頭を切り替えて、パーッと遊んだ方が良いんだけど」
出来そう?という感じで凛音さんが俺の顔を覗き込む。
だが、ふるふると俺は首を振ることになった。
とてもじゃないが、そこまでの気持ちの切り替えは出来ない。
それを察したのか、不意に凛音さんは何かを考え込むような表情を見せる。
そして、「時間があれば考えて欲しいんだけどさ」と前置いた。
何かしら、考え事をさせて時間を潰させたいらしい。
「……今、ふと思ったんだけどさあ、監視カメラの件って、よく考えたら不思議だよね。茉奈ちゃんがそこに映っていたって言うの」
「監視カメラ?」
「うん。だってほら、警察が頑張ったのに、未だに犯行時刻以外の茉奈ちゃんの姿は見つかっていないんでしょ?他の時刻にだって、ボヌールに出入りしたかもしれないのに」
「それは、本当にちょっと来てすぐに帰ったとか……それに何か、昨日のボヌールは人が多かったとか何とか言ってましたけど。似たような人影が多くて、紛れちゃったんじゃないですか?」
「そこ!そこがおかしいの」
不意にビシッと凛音さんは俺を指さす。
思いがけない動きだったの、おおう、とのけ反った。
俺の動揺を無視して、凛音さんは語り続ける。
「その監視カメラで映している場所って、ボヌールの正面玄関だよね?関係者用入口とかじゃなくて」
「そうだったはずですが……」
「つまり、そこを通る人って普通、営業か関係者かトレーナー関連のはず。普通に考えたら、高校生くらいの若い女の子じゃないよね?」
「まあ、そうでしょうね」
これは俺もバイトとして分かることだったので、頷いておく。
バイトに向かう際は関係者用入口から入るので、俺自身、正面入り口などそうそう使ったことが無い。
あそこを使うのは、もっとちゃんとした外部からの客の方が多いはずだ。
「だから、仮にちょっとくらい人が多かったにしても、警察による監視カメラのチェックはもっと早く終わったはずなんだよね。だってそんな営業マンたちの中に茉奈ちゃんが一人だけ居たら、凄く目立つじゃん?」
「……言われてみれば、そうですね。人が多いと言っても、茉奈くらいの年齢の人影に絞れば、本来数はそう多くないでしょうし。背丈や髪型で判別はつくはず……」
段々と凛音さんの言いたいことが分かってきて、俺は真剣な顔になっていく。
確かに変だ、と思ったのだ。
氷川さんに聞かされた時はそういう物かと思ったが、あの話の中にあった全ての言葉を信じるなら、いくら何でも警察のチェックが遅すぎる。
凛音さんの言う通り、正面玄関を利用する人間に茉奈くらいの年頃の女子は少ない。
強いて言えばボヌールに所属するアイドルたちは年齢が近いが、彼女たちは普通、関係者用出入口を利用する。
故に多少人が多かろうが、茉奈の発見は簡単なはずなのだ。
前にも考えた通り、監視カメラのチェックなんてことは早々になっている捜査である。
茉奈が別の時間帯に映っているのならすぐにその報告があるはずだし、居ないのであればそれはそれで居ません、と迅速に分かるはずなのだ。
なのに、似通った姿に紛れてまだ判別がついていないというのは────。
「昨日に限って、茉奈くらいの年の子がボヌールに押しかけていたってことか……?そうじゃないと、区別出来ないってことにはならないはず」
理屈上、そう言うことになる。
警察の手を煩わせるほど、昨日のボヌールには女子高生の出入りが多かったということなのだから。
問題は、何故昨日に限ってそんなことになっていたのか、という理由である。
一瞬、まさか例のオーディションか、なんてことも考えたが、それは来週の話だった。
天沢はイノセントライブと同じくして行われると言っていたから、間違いない。
「……凛音さん、昨日って何か、ボヌールでそういうイベントがあったんでしょうか?女子高生が集まりそうなやつ」
仕方なく、俺はまず凛音さんに事情を聞いてみる。
姉さんなどのボヌール関係者に直接聞こうかとも思ったのだが、さっき電話したばかりだし、目の前の元関係者に聞いた方が早いと踏んだのだ。
仮に分からなかったら、その時は例の撒き餌作戦の時にでも、周囲に聞けば良い。
「えー?つまり、何かのイベントが昨日あったかってこと?そうなると分かんないなあ……私、どっちかと言うとイベントを開催する側であって、参加する側じゃなかったし」
「そうですか……なら、ボヌール会館に向かった時に姉さんにでも聞いて……」
「あ、でもアレなら分かるかも」
そう言いながら、凛音さんは突然、先程閉じたノートパソコンを開き始める。
どうかしたのかと思っていると、彼女はバババっと動画サイトを画面上に表示した。
横から覗き込んでみると、「夢の行く末 ~ボヌールオーディション完全密着~」というダサいタイトルが視界に収まる。
「……何ですか、これ?」
「玲君も聞いたこと無い?ボヌールのオーディションの様子を映したネット番組。これは去年のやつだけどさ、オーディション開始前から隠し撮りとかもしてるから、何か参考になるかも」
──そう言えば、天沢がそんなこと言ってたな……オーディションの様子は放映されるって。
凛音さんがそれを見ていたことに驚きながら、俺はそれを見てみる。
正直、ボヌール関係者に電話した方が話が早い気もしたが、ここはもう流れだった。
どうせ、撒き餌作戦までは特にやることも無いのである。
「作りは安っぽいけどね。出演しているのは本当にアイドル目指して履歴書を送ってきた子たちで、様子もリアルそのものだから、中々見ごたえはあると思う。んーと、オーディション当日前の様子は……」
カチカチ、と凛音さんは前説を飛ばして本編の一部を見せてくれる。
ぶつ切りに映し出されるのは、オーディションに向かうまでの出願者の様子を見せるムービーだった。
流石に全ての応募者を映し出す訳では無いが、特に目立つ人物には注目しているのだろうか。
スッスッスッ、と凛音さんは目立つところをピックアップするように動画を見せてくれる。
チラチラと映るのは、緊張した様子でオーディションへと向かうべく地方の自宅から電車に乗る応募者の様子。
さらに何人かはキーパーソンとして番組側から注目されているのか、家の様子やインタビューも流れる。
「割と、ドキュメンタリー風味なんですね。特定の人に密着する感じの」
「まあね。こういう番組は、視聴者から見て共感しやすい、主人公的な存在が居ると映像が分かりやすくなるから。本当に受かるかどうかはともかくとして、顔が良くて頑張り屋な子を見つけてくるの」
毎年毎年よくやるよね、と軽く毒を混ぜた紹介が入った。
どうも経験者であるためか、凛音さんにこういう番組を語らせると口が悪くなる。
ただ、その紹介文に気になることがあって、俺は本筋から離れたことではあるが質問した。
「この注目されている女の子、オーディションが終わったら普通に不合格ってこともあるんですか?ここまで番組で着目されているのに」
「そう言うこともあるわ。そもそもこういうドキュメンタリーって、成功譚よりも悲劇の方が話題を稼ぎやすい。頑張ったけど駄目でしたって子を見せると、何だかんだ言って泣いてくれる視聴者は多いから……最初から、落ちる子に密着する予定で番組を作っているの」
「そう言う物ですか?」
「そう言う物よ。だからこそ、ボヌールも落ちそうな子の情報を予め番組スタッフに教えているんだからね」
──……ボヌール側も、やることやってるな、それ
あんまり聞きたくない裏話だなあ、と思って俺はやや顔を引きつらせる。
この話が本当なら、この密着取材をされている子は、実は合格は無理だと知っているスタッフに「合格目指して頑張ってください」とか言われながらオーディションに挑んでいる訳だ。
仕方の無いことかもしれないが、横から聞く分には理不尽にも感じる話である。
「……玲君には変に聞こえるかもしれないけど、このくらいの仕込みはよくある話だよ?例えば、オーディション内でもこういうのをしているし」
俺が硬直した顔を浮かべたことが気にかかったのか、凛音さんはそこで動画の時間をぐっと進めた。
ここだ、と言って見せた場面では、刺激的なテロップが映っている。
『ボヌールのオーディションは甘くない……!試されるのは、人格』
そのテロップの下に広がるのは、オーディション中のアイドルの控室。
パッと見て分かるのは、教本片手に他の子にダンスの内容を聞きまわっている応募者と、それを邪険に振り払う別の応募者の姿だった。
ついでに、端の方ではその様子を密かにチェックする試験官の存在も見える。
「……これは?」
「ボヌールのオーディションでやっている、人格テストの一つ。これ、ダンステスト直前の試験室なんだけどね、実は控室の中に、ボヌールが雇ったサクラ応募者を混ぜているの。それで、テスト直前にわざと別の応募者の邪魔させてるって訳」
「あー……そう言う時に邪険にするのか、ちゃんと相手にするのかも含めて、オーディションってことですか?一種の抜き打ちテストみたいな」
「そうそう。勿論、邪険にした子は評価がガタッと下がるよ。流石に世間からの批判もあって、即落ちじゃないけど」
この番組の存在があるから、ボヌールも毎年サクラにやらせることを変えているんだけどね、と説明が続く。
それを聞いてなるほど、と思った。
来年度の受験者がこの番組を見ている可能性がある以上、流石にサクラの同じ内容を繰り返させては、一発で人格テストだと気づかれてしまう。
だからこそ、様々な新種の方法で応募者の性格を試しているということか。
純粋にダンスや面接を頑張ろうとしている応募者に対して、かなりアンフェアなテストを課している気はしたが、これがボヌールのやり口らしい。
「……でもこれ、その内応募者全員がこれを警戒し出しそうですけどね。どれだけサクラに邪魔されても、怒らなくなるだけなんじゃないですか?」
「ま、それもそう。だからこそ、ボヌールもこの様子を番組で公開しているんじゃない?サクラの存在を考慮しているかどうかを試す、的な」
──つまり厳密には人格のテストというより、情報収集のテストということか?せめて自分が挑むオーディションの詳細くらい、事前に調べて置けっていう。調べてさえいれば、サクラの存在には察しがつくんだから、と。
だとしても変なことやっているなあ、と俺は軽く呆れる。
生憎と採用に関わることをしたことが無いので、この手法の感覚は正直よく分からなかった。
こんな手段で合否を決めていたら、実力はあってもシャイな性格の子が落ちまくるだけなんじゃないだろうか、とすら思うのだが。
──まあでも、今はボヌールの選考基準は関係ないな。オーディション前の様子を伺いたかったんだから……。
そこで俺は思い直して、話を戻そうとする。
だがその瞬間、あれ、と凛音さんが声を上げたために、俺は視線を止めざるを得なかった。
「ねえ、玲君。これ、グラジオラスの子じゃない?」
「え、本当ですか?」
言われてパッと画面を見つめてみれば、なるほど確かにグラジオラスメンバーの姿がそこに映っていた。
グラジオラスにおける唯一のオーディション組────鏡奏。
その、一年前の光景である。
場面としては、先程の続き。
サクラ役の人物が、ダンスのやり方を周囲に聞いている場面のワンシーン。
その中で、にこやかに対応をする鏡の姿があった。
『ありがとうございます。このオーディションに挑むまで、覚えることが多すぎて……正直、猫の手も借りたい心境でしたから、ダンスの順番をど忘れしちゃったんです』
『いえいえ、困った時はお互い様ですから……』
恐縮した演技を見せるサクラに対して、鏡は笑顔で何かしら教える。
その様子は演技っぽくはなく、普通に素で対応しているように見えた。
彼女の未来の姿を知っている俺としては、へえ、となった。
「去年のこの番組に、出ていたんですね、鏡」
「みたいだね。見た感じ、ちゃんと対応出来ているみたいだけど。前もって調べていたのか、もしくは素かな?」
「……何だか、彼女が合格した理由が分かってきた気もします」
軽くそんなことを言ってから、俺は今度こそ動画の再生位置を戻そうとする。
いくら何でも、話が本筋からそれ過ぎた。
動画内でも「猫の手も借りたい」という諺が出てきたが、それを言いたいのはこっちの方なんだから────。
「…………え?」
「ん?どしたん、玲君」
両掌で頬杖をつく凛音さんが質問をしてきたが、俺は答えない。
答えられない。
頭の中ではあまりにもたくさんのことが、その色彩を一変させてしまっていた。
「……いや、そうか、だから……だよな、うん」
ガチャン、と脳内で音がする。
俺の中で、歯車が回る。
カチカチキリリ、と音が鳴る。
いや、違うか。
この音はきっと、俺の歯車と、茉奈の歯車が噛み合ったが故の物。
ようやっと、茉奈が「消息不明の重要参考人」から「俺のよく知る従姉妹」に戻っていく音だった。
「……どうりで、警察が見つけられないはずだ。繋がりとしては薄すぎる。茉奈も一々言ってないだろうし。それで時期も……うん、これでずれは埋まる」
「おーい?玲君?」
「だったら、今は……単純に、充電関係か?……だよな、茉奈がしそうなミスだ。前もそうだった。なら……」
俺の目の間で掌を上下に動かして正気を確認しようとする凛音さんを無視して、俺はスマートフォンを勢いよく取り出す。
そして、即座にある人物に電話を掛けた。
茉奈では無い、しかし茉奈に繋がり得る人物の番号に。
しばし、待機音を響かせて待ち続ける。
だが、生憎と繋がらなかった。
流石に、相手が忙しすぎたか。
十秒もせずにそれを察した俺は、すぐに画面を電話からアプリのトーク画面に切り替える。
そして、一心不乱にとある内容の文字列を打ち込んでいった。
このメッセージに既読が付くのは、恐らく夜だろう。
返答の結果を受けてこちらが行動出来るようになるのは、早くても明日の朝か。
やはり待ち時間ばかり長くなってしまうことに苦笑しながらも、俺は今までとは対照的に晴れ晴れとした気分になっていた。
やった……。
────やった!
やってやった!
今確かに、俺は茉奈にまつわる出来事の真相を掴んだ。
物証など碌に無いが、しかし確信出来る推理が浮かんでいる。
ここが高級ホテルなどでなければ、快哉を叫んでいたかもしれない。
それほどまでに、解けたことが嬉しくなってくる推理だった。
俺はその歓喜に呆けてしまい、しばし中腰のままよく分からない表情で佇んでしまう。
すると、くいくい、と俺の服の袖が引っ張られた。
「れいくーん?流石に私も不安になってきたんだけどー?」
「あ……すいません」
いつの間にか、凛音さんの俺の片腕を抱きかかえるようにして傍に立っている。
よっぽど、今の俺の様子が変に見えたらしい。
そこで何とか現実に戻ってきた俺は、慌てて頭を下げる。
「ちょっと今、新しい推理に気が付いて……ええ、もう大丈夫です。ちゃんと、整理つきました」
「ふーん?何か、解けた感じ」
「はい。『タロス』はまださっぱりですが……茉奈の真相については、目鼻が付きました」
驚かれるか、とも思っていたのだが。
意外にも凛音さんは、目立った反応を示さなかった。
どことなく予想していたような顔をしながら、代わりにいつの間にか冷蔵庫から持ち出していたらしいブドウを摘まむ。
イチゴはアレルギーがあっても、ブドウは大丈夫なの。
そんなこと言ってブドウの粒をモグモグと噛みながら、彼女はつい、とこちらにも一粒差し出した。
「よくわかんないけど、一息ついたなら、食べる?」
「……いただきましょう」
先程まで食欲が無いと言っていたのに、ここでブドウを見た途端に唾が湧いてきたのだから、人間と言うのも現金な生き物である。
推理が出来たら、お腹が空いてきた。
凛音さんもそれが分かっているのか、ずい、と体を寄せる。
「はい、玲君。あーん」
「いえ、自分で食……」
理性で断ろうとした矢先に、ングゥ、と言葉が遮られる。
……味は、極上だった。




