遺産が届く時
「……どこから入手したんですか、これ」
「んー、話すと長くなるんだけど」
どこから話そうか、とでも言いたげに凛音さんは人差し指を顎に添える。
その状態でしばらく迷ってから、彼女はしずしずと話を始めた。
「まず、アイドルとして現役時代だった時の話なんだけど、私、それなりの規模の公式ファンクラブがあったの。知ってる?」
「それは、まあ」
以前、彼女のことを知ろうと彼女の名前で検索した時のことを思い出す。
あの時、検索結果のかなり上の方にファンサイトが表示されていた。
恐らく、ファンクラブというのはアレの類だろう。
「今でもあるんですか、それ?」
「ううん。まだ私の引退からそんなに時間が経ってないから閉鎖とまでは行っていないけど、ほぼほぼ開店休業状態。これからは会報とか特別グッズとかの販売も辞めて、チケット特典とかも緩やかになくなっていく感じ」
「詳しいですね?」
「実際に内容を聞いてきたからね。ファンクラブの運営会社とは、代理人を介して話し合いをしたもの」
──ああ、そういう話し合いもあったのか。
当然と言えば当然だが、彼女がアイドル引退を表明したからと言って、即座に全ての繋がりが切れる訳でも無い。
この二ヶ月の間、公式ファンクラブの閉鎖も含めて話し合いの場は設けられていたらしい。
今言った開店休業状態というのも、彼女の意向が働いているのだろうか。
「それで、ここからが大事なんだけどね。そのファンクラブは、実は私へのファンレターやプレゼントの送り先でもあったの。ファンが何かを送りたいと思ったら、まずファンクラブの運営にそれを送って、後で運営がまとめて私かボヌール事務所に転送をしていたから」
「要は、取りまとめてもらっていたんですね?一通ごと送ってもらっていたら、きりがないし」
「そういうこと。だけどほら、私、引退しちゃったでしょ?だからそれに合わせて、とんでもない量のファンレターがその窓口に届いちゃったらしくて」
まあそうなるだろうな、と俺は頷く。
ネットの反応だけでも、炎上するわ荒れるわ閉鎖するわと阿鼻叫喚だったのだ。
SNSで有名人宛にいくらでも言葉を投げかけられるこの時代でも、熱心なファンの中には直筆の手紙を送る人だって居るだろう。
せめて最後に、と窓口にファンレターが殺到するのは当然の帰結と言えた。
「しかも手紙だけじゃなくて、プレゼントとかを送る人も多くてね。運営の人もまさか勝手に処分出来ないから、一度直に受け取りに来てって話になったの。本当に、トラックを何台も呼ばないと運べない量になってたから」
「それで、貴女自身がそれらを受け取ることになった、と?」
「うん。どうせ空いてるからってことで、さっき言った実家に運んだの。それでまあ、適当にまとめて捨てていったんだけど」
──……捨てたのか。
ある種予想出来た反応ではあったが、俺は少し眉を顰める。
いやまあ、彼女が一般人になった以上、トラックでも無ければ運べないというそれらを、全て完全に取っておくことが不可能だというのはよく分かるのだが。
それでも少し、裏事情を知る者としてはファンに同情してしまう。
「でもほら、手紙とかはすぐに捨てられるけど、プレゼントはそうも行かないでしょ?」
「……換金できるかどうか、見極めないといけないからですか?」
「それもあるけど、それ以上に危険物が無いか確かめないといけないから。偶に、自分の汗や唾の詰まった瓶とかを送ってくる人も居るしね。運営も本当に丸ごと私に転送していて、精査をしていなかったから、自分でそういう危険物を仕分けしないといけなかったの」
俺の聞いた邪推を否定はせず、彼女はさらに気持ち悪い例を持ち出してくる。
どちらにせよ聞いて良い気持ちにはならない話を前に、俺が「うわー……」という顔をしていると、不意に彼女はビシッと画面を指さした。
「この動画は、そうやって送られてきたプレゼントの一つ。わざわざプレゼント用に包装されたUSBが、転送された荷物の中に一つあってね。それを開いたら、この動画が入ってた」
「ファンから届いたUSBですか……良く開けましたね、そんな物」
「まあ、何となく気になって。ある意味、その危険性をようく知っているもの」
そう言いながら、彼女は意味深に笑う。
前回、その危険性とやらのせいで酷い目に遭った俺は、そこで話の追及を止めた。
この辺りは深掘りしたくない。
「でも、何故この内容の物が貴女のファンクラブに届いたんでしょうか?グラジオラスと貴女のファンクラブは、本来は関係ないはずでは?」
届いた経緯を把握した俺は、次にそこを聞く。
一先ず、これが最大の疑問だったのだ。
内容がシンプルなこともあり、この動画が何を意図しているか、というのは一瞬で分かる。
ドラマなどでよく見る、脅迫動画だ。
後少しで開催されるオーディションの宣伝ライブ、すなわちイノセントライブに対して、グラジオラス出演の撤回を求めている。
動画内での人形爆破は、そのデモンストレーションということだろうか。
だが、これがボヌールに送られてきたのならともかく、凛音さんのファンクラブに送られてきた理由が分からない。
確かに凛音さんの最後の仕事にグラジオラスは関わったが、それがどうして送付に繋がるのか。
「んー、それについては理屈的にはちょっと分からない。ただ、感情的にはちょっと分かる気もする」
「感情的に?」
「うん。多分だけどこの人、グラジオラスの仕事が増えているのが許せないんじゃない?だから、私に報告する意味も込めて、これをファンクラブの窓口に送ったんだと思う。貴女の代わりにこの子たちを倒しますっていう意志表示で」
──……へ?
ちょっと理解しかねる内容に、俺は本気で首を傾げる。
最初から最後まで日本語で言われているのに、全く意味が分からない。
そのことを向こうも察したのか、凛音さんは説明を追加してくれた。
「玲君は私以上に知っていると思うけど、グラジオラス、最近お仕事増えているでしょ?私の引退のせいで『ライジングタイム』が駄目になったから、その代償で」
「ええ、それはそうです。今はやや落ち着いていますが、本来グラジオラスの知名度ではオファーが来ないような仕事まで来たとか言ってました」
「だよね。でもそれってさ、当然視聴者の人たちも察しが付いていると思うんだよね。最近この人たち、割とよく見るな、みたいに。人によっては、それが私の引退の影響であることにも気が付くかもしれない……私のファンだった人たちは、特に」
──「ライジングタイム」の騒動を知っている分、凛音さんのファン程、グラジオラスがプッシュされる理由に心当たりがあるってことか。製作者やテレビ局側が配慮しているな、と察しやすい。
凛音さんが言うように当然の流れではあったので、俺もここまでは理解出来る。
問題は、次だ。
「でも、それで……それだけで、グラジオラスが憎くなるんですか?そんな、貴女の次に登板機会が多くなったというだけで?確かに、貴女の引退を利用して名を挙げた側面はありますが……」
「世の中、そんなものでしょ。推しのアイドルが引退したのに、それに乗じて別の新人アイドルが名前を売りだしているなんて許せない。好きだったアイドルの騒動に便乗しているみたいで不愉快だ……そんな風に思う人、そこそこ居るとは思う」
勿論、夏美先輩たちはそう言った反応があることも考慮して、それでもメリットが大きいと判断してプロデュースをしているんだけどね、と凛音さんなりのフォローが入る。
一方俺は、驚くやら呆れるやらで微妙な表情をしてしまった。
──それが本当なら、八つ当たりというか何というか……世の中、どこで恨みを買うか分からないな。
少なくとも、グラジオラスメンバーの頑張りと凛音さんの真意を知る俺からすれば、とんでもなく理不尽な話に聞こえる。
尤も、世間的には凛音さん引退の真相は伏せられているので、仕方の無い部分もあるかもしれないが。
「だけど今回のイノセントライブは、特に貴女の引退とは関係ないイベントですよ?元々デビュー一年目のアイドルってことで決まってたそうですし……イベントの企画時期を考えれば、関係の無いことは分かるのでは?」
「そこまでの判断力、こういうの送ってくる人には無いって。そもそも、もう私が関係あろうがなかろうが、グラジオラスってだけで憎いんだろうし……わざわざファンクラブ窓口に報告してきたあたり、自分の行動を疑ってはいないでしょ」
ご苦労なことだよねー、と鼻で笑うように凛音さんが嘲りの言葉を漏らす。
曲がりなりにもトップアイドルとして十年近く活躍してきた彼女としては、この程度のことは想定内、ということか。
偶然とはいえ、彼女の所業がこれの原因の一端を担っている、ということは思考の外らしいが。
「しかし……この動画が本当だとすると、実際に会場が爆破されるってことですか?」
「犯人が本気なら、そうなるね。その前祝いに、元々の推しだった私に送ってきたんだろうし」
まるで何でもないことのように、凛音さんは簡単に頷く。
だが、現実的なその後の話題もくっつけた。
「でもまあ、普通こう言うのはあくまで脅し。実際にやる気はない場合は多いんだけど……」
以前、姉さんから聞いたことのある理屈を凛音さんが再演する。
内容的には同意出来ることだったので、俺は一つ頷いた。
そうだ、本当に会場を爆破する気なら、こんな動画を送る必要は無い。
わざわざ動画なんて用意せず、何も言わずに当日の会場を爆破した方がよっぽど効果があるはずだ。
所謂予告状という物全体に言えることだが……こんな形で事前に事件を起こすことを漏らしてしまうと、警備が厳重になるわ郵便手段で証拠が増えるわで、犯人にとって良いことなど殆ど無いのだ。
逆に言えば、こんな物を送っている時点で犯人は実際に事件を起こす気は無い、という考え方も出来る。
この人物はあくまで脅迫程度しか出来ない小心者で、それ故にわざわざ予告動画を送った。
上手くいけば、勝手にボヌールが怯えてイノセントライブを中止にしてくれるかもしれない、という期待を籠めて。
そうであれば、こちらとしても望んだ展開なのだが────。
「でも、実際に動画内で爆発物を扱っているのは気になりますね。少なくとも犯人は、このくらいの物は爆破出来る手段を持っていることになる。会場爆破は出来なくても、人間相手には十分な殺傷力があるかも……」
「でしょ?それが気になって、私も玲君にこれを見せたの。これを無視しちゃったら、流石に私も寝覚めが悪いしね」
そこで凛音さんは、偉いでしょ、とでも言いたげに軽く胸を張る。
無論、俺としては彼女を褒める理由は特に無いので、その挙動は無視した。
代わりに、もう一つ気になったことを聞く。
「でもこれ、犯人の正体はすぐ分かるんじゃないですか?そんな、俺に伝えるなんてことをしなくても、その情報を警察に届ければいいんじゃ……」
「正体?……どうして分かるって言えるの?」
「だってこの人、ファンクラブの会員だったんでしょう?そしてファンクラブとかに入るには、住所なり名前なりを登録しないといけないはずです。だから、運営会社に聞けば……」
そこまで言ったところで、いや違うな、と気が付く。
仮にそれで正体が分かるのなら、この人が調べていないはずが無い。
現時点で犯人の正体について言及が無い時点で、その方法では分からなかったということだ。
思わず凛音さんの顔を見ると、視線の先で彼女は明白な苦笑いを浮かべていた。
そして、仕方ないなあ、とでも言いたげに補足してくる。
「一応、玲君の言う通り登録された名義はあったんだけどね……ちょっと調べて分かったんだけど、どうも偽の物だったみたい。住所自体は実在するけど、誰も住んでないみたいだから」
「偽の名義……?」
「結構ある手段なの。私のファンクラブって、登録会員は優先的にライブのチケットが取れたり、限定グッズの抽選が当たりやすくなったりする特典があったから。だけどそう言うのは普通、登録会員の中からクジで選ばれる。だったら、登録する名義が多い方が有利でしょ?普通なら、一つのアカウントにつき一回しか応募出来ないし……だから、一人で複数のアカウントを持っている人が結構居るみたい」
──……別の端末や口座を何個も用意して、それぞれ適当な名義で新会員としてファンクラブに入会を繰り返す人が居る訳か。そうすれば、アカウントの数だけ応募出来る。
単純に考えて、三つのアカウントがあれば当たる確率は三倍、十個あれば十倍になる。
偽アカウントを増やせば増やすほど、そのクジとやらに申し込む回数を増やせるのだ。
名義さえ用意出来れば、割と簡単に実行可能な手段だろう。
「でもそれ、運営は取り締まらなかったんですか?明らかにズルですけど」
「まあ、明らかに架空の住所とかだったら、流石に登録出来ないようにしてたらしいけど……それ以上は取り締まって無かったと思う。運営としても、旨味があるしね」
「旨味?」
「うん。だってほら、アカウントの数が増えれば増える程、その人は普通の人の何倍も月額費を払ってくれることになるでしょ?アカウントごとに料金は徴収されるから。運営から見れば、これほど良いお客さんも居ないじゃない?」
ああー、と俺はまた頷いた。
確かに、短期的にはそういうことになる。
十個アカウントを作った人を例にすれば、その人は通常の十倍の月額費を払うことになるのだから。
可能ならクジなどに当選した時点で増設したアカウントを消したいだろうが、当選結果の発表まではある程度の期間を要するだろうから、そんなすぐには登録解除を出来ない。
必然的に、ある程度の期間は複数のアカウントを同時に動かしておく必要がある。
その期間中に集金があれば、通常の何倍もの月額費を徴収されるのだ。
ちゃんと払ってくれるのであれば、ファンクラブ側から見ればこれも良い稼ぎなのだろう。
結果として、本来はルール違反でありながらも目こぼしされてきた、という流れか。
「この動画を送ってきた人のアカウントは、まさしくそういうタイプだった。だから適当に用意した名義しか登録してなくて、本当の素性は一切分からないの。IPアドレスとかから辿る手段はあるのかもしれないけど、運営はそこまでする気はないみたいだし」
「正体不明の脅迫者、ですか……」
この点は前回の事件より質が悪いな、と俺は内心でぼやく。
前回の事件ではブラックリストのお陰で、犯人の正体だけは真っ先に分かった。
しかし、今回はそうも行かないらしい。




