現場に向かってみる時
しばし、記憶を漁るための間が置かれる。
それが終わってから、彼女たちは思いついた順に口を開いていった。
「変わったこと、変わったこと……ええと、ライブに関しては特に問題なくこなせていたはずです。普通に盛り上がってましたし、歌もトークもいつも通り上手くて……」
「でも私たちはあくまでバックダンサーだったから、それ以上のことはちょっと分からない。会場に着いた時の挨拶を除けば、月野先輩との会話だって殆ど無かったから……」
長澤と天沢が、それぞれ記憶を振り返って話してくれる。
それを聞いて、まあそうだろうなと思った。
話を聞く限り、あくまで月野羽衣と二人は事務所の先輩後輩というだけの関係であり、そこまで親しいという訳でも無いらしい。
その状態で変わったことを教えて欲しい、と言われても無茶な頼みだろう。
大前提となる、普段の状態のことが良く分からないのだから。
「……因みに、鏡は?」
だから俺は、唯一親しく話している感じだった鏡に話を振ってみる。
すると、彼女はあまり悩まない様子で一つの事実に言及した。
「変わったことって言うのなら、あれじゃない?ほら、さっきの香水」
「香水?……あの人が、さっきもつけてた?」
「そう、それ。私、今まで何度も月野先輩と会ったことあるけど、あんな風に……ええと、たくさん香水を使っているのはちょっと初めてだったと思って」
流石に後輩としての自制が働いたのか、彼女は言葉を選んでいた。
しかしそれでも、話しぶりで何となく察することが出来る。
要は、香水がキツ過ぎるという話だ。
普段の月野羽衣を知らない俺としては、ああ言う物なのかとも思っていたのだが────どうもあの香水の使い方は、知り合いである鏡から見ても妙な物だったらしい。
その辺りが気になり、もう少し俺は突っ込んで質問をする。
「……普段は、あそこまで香水つけない人なのか?ライブ後の汗の臭いを隠すためとか、そういう目的で使っているんだと思っていたんだが」
「えー、でも、私は月野先輩があんな風に香水を使っているところ、見たことないなー。ステージの後は、ここのシャワー室を使わせてもらうし。香水自体は持ってはいるかもしれないけど、常用しているって程じゃ……だから私も、何であんなに香水を使っていたのか分かんなくて」
話を聞いて、へえ、と呟く。
なるほど確かに、妙な話だった。
つまり月野羽衣は、今日に限って突然鼻が曲がる程香水を使用し始めたということなのだから。
──そう言えば、俺が道を尋ねた時点では香水なんてつけていなかったな……あの時の様子こそ、普段通りってことか。
あの時、俺は道を尋ねるためにそこそこ近くまで彼女に近寄っている。
しかし、香水の匂いがキツかったという記憶はない。
場所が外だったことを考慮しても、あのレベルで香水を使用していたのなら印象に残っていてもよさそうなものなのに。
つまりあの時の彼女は、香水なんて使っていなかった。
俺が最初に彼女と話してから、この廊下でぶつかって再会するまでの間に、月野羽衣は突然多量の香水を使用しているのである。
何らかの理由で、必然性に応じて。
「……手掛かりを見つけたというよりも、謎が増えたな。何でいきなりそんなに香水を使ったんだ、彼女?」
「普通に考えれば、転んだ時に体に変な臭いが付いちゃったから、それを隠すためにですかね……?月野先輩の言う『転んだ』という話が事実なら、ですけど」
少し困ったような顔で、長澤菜月が推測を足していく。
彼女の話は的を射ていた。
本当に彼女が転んだのなら、香水を多量に使用していることはそう不思議でもない。
しかし先述した通り、その転んだという話自体が既に怪しくなっている。
そもそも、本当に悪臭を消すために香水を使ったというのなら────。
「それはそれで、彼女が泥の付いた上着をああいう持ち方をしていたのがさらに不思議になるな……」
「あんな持ち方をしたら、せっかく香水をつけてもまた体に泥がくっついちゃうしねー……難しいね、この話。一体どうして……」
うーん、と鏡がやや大げさに唸る。
その心境は、俺とほぼシンクロしていた。
どう話を考えていっても、どこかで別の話が引っ掛かる。
堂々巡りでもしている気分だった。
行き詰った感覚をどうにかしたくて、俺は話の方向を変える。
「質問を変えるけど……鏡、もうちょっと外野の話を聞いてもいいか?」
「あれ、私に?何々?」
「鏡が噂好きって言うのを見込んで聞くんだが……月野羽衣ってアイドルについて、何か、特徴的な話とか知らないか?ライブ前は絶対にどこかに行くとか、服についてはこういう扱いをする、みたいな」
先述したように、俺は月野羽衣というアイドルについてよく知らない。
出会った時点では、顔すら分かっていなかったのだ。
よくよく考えれば、この状況で疑問を解決するというのは根本的に無理がある。
その辺りの情報も埋めておかないと、と思ったのだ。
しかし、質問される形となった鏡はかなり困った顔をした。
「……月野先輩、基本的に王道のアイドルというか、凄い身綺麗な人だから、そんな特徴的な話なんて特に無いけどなー……スキャンダルとか変な噂とか、そういうのも殆ど無いし。それ以外のプライベートの癖とかは、流石に私も知らないし」
「そうか……まあ、そうだろうな」
「バナナが好きとか、自動車免許の試験に落ちたことがあるとか、どうでもいいエピソードは知っているけど……関係ある、これ?」
「ないだろうな……」
ある種の納得を感じながら、俺は一つ頷いて彼女の話を制止する。
わざわざ聞いておいて何だが、予想してしかるべき話だったような気もした。
仮に変なスキャンダルでもあるようなアイドルなら、こうも盛況にライブが行われているはずもない。
そしてこの謎を一発で解けるような特徴的なエピソードなんてものが彼女にあるのなら、俺たちが悩むまでも無く鏡がこの謎を解いているはずだ。
詰まるところ、月野羽衣に関する話を聞くだけで謎が解けるなら苦労はないということらしい。
そこまで認識してから、俺は改めて考えをまとめた。
──彼女の行動は主に動機が謎だらけ。そして話を聞くだけで考えられるのは、恐らくここまで……そうなると。
俺の頭の中に、ふと。
新たな選択肢が浮かんでくる。
こんな小さな話でわざわざやることか、という気もした。
だがここまで考えてしまうともう、やらざるを得ないというか。
俺は三人の前で、その選択肢をぼんやりと口にする。
「ここまで考えて分からないのなら……後はもう、実際に見るしかない、か」
「見る……?どうするんですか?」
いよいよ不思議そうに、長澤がこちらを仰ぎ見る。
そんな彼女のキョトン顔を前にして、俺はこう呟いた。
「いや、どうせ午後も暇だから……ちょっと行ってこようと思って。彼女が転んだであろう場所に」
現場検証と言うと、素人が警察の真似をしているみたいで恥ずかしいが。
分かりやすさを優先すれば、そういう言葉になる。
要は、俺が最初に月野羽衣に出会ったあの場所を調べてみるということ。
そうすれば少しは、分かることもあるだろう────。
割と意外だったのだが、俺が行ったこの提案に対して三人は大して反対しなかった。
誰も「別にそこまでしなくても」という風なことを言わなかったのである。
それどころか、俺についてこようとした。
俺が言うのも何だが、普通なら制止するのが常識的な対応だろう。
それでも彼女たちが制止しなかったあたり、どうやら彼女たちも真相が気になってきたようだった。
左腕の泥云々は俺の言いがかりに近いが、香水の件に関しては知り合いである鏡から見てもおかしい話である。
月野羽衣本人はもう夜のライブの準備に行ってしまっているので、本人に真相を直接聞くことも出来ない。
だからこそ、彼女たちも自分で調べてみたいと思ったのだろうか。
「……それに私たち、帰りの時間とかも特に決まっていないから時間には余裕があるの。マネージャーさんだって、他二人のメンバーを迎えに行っているもの」
「元々、遅刻が絶対に許されない行きの道のりはともかく、帰りに関しては各自でやるように言われていましたから」
「その分、こういう風に帰りに寄り道できる点が便利だしねー」
グラジオラスメンバーがそんな感想を述べる中、俺たち四人はコソコソと会場の端を歩いて行く。
そうやってわざわざ狭い通路を抜けていくと、俺がさっき迷子になった場所にはすぐに辿り着いた。
眼前に広がるのは、俺にとっては二度目、彼女たちは初めて見る光景である。
時間経過でそれなりに乾いているとは言え、未だにぬかるんだ地面が広がる会場の裏手。
そこには相変わらず「もう一つの関係者用入口」が存在していて────それを前に、俺は解説を入れておく。
「アレが、俺が最初に入っちゃった場所だ……歩いて行った方向から言って、彼女もあっちに入っていったんだと思う」
「あそこから出てくる松原君と月野先輩はすれ違ったんだもんね……当然、進んでいったのは逆方向、か」
鏡が俺の推測を肯定した。
証拠などは特に無いのだが、普通に考えればこの推測は外れていないだろう。
そもそもこの通路を抜けていくと、関係者用入口以外には目的地と呼べるような場所がない。
ここを無視してしまえば、後は俺が来た経路を逆走する形で会場の外に出るだけである。
いくら何でも、ライブの主役がその休憩中に会場外に逃げるとも思えない。
夜のライブの最終確認が迫っている──先程彼女は、そう言って立ち去ったのだ──という時間帯に、外に遊びに行くようなことはしないだろう。
つまり、あの時ここを歩いていた彼女は何か目的があってここに来ていた訳だ。
土の質の問題か、足跡などが地面にはあまり綺麗に残っていないので断言は出来ないが、まず間違いない。
彼女は俺に続く形でこの倉庫の中に入ったのだ。
「だけど、月野先輩は、一体ここに何の用が……こんなところ、私たちも来たことが無いのだけれど」
「そうなのか?」
天沢がそんなことを言ったので、俺は問い返す。
すると、彼女は当然のように肯定した。
「このコンサートホール、今までもアイドルのライブに使われたことがあって、私たちはそれを手伝ったこともあるけど……控室とかはいつもあっち、さっきまで居た方だったと思う」
「つまり……君たちもこの倉庫スペースに立ち入ったことは無い?」
「少なくとも、私はね。多分この倉庫は、本当に普段使わない機材を仕舞っておくための場所なんじゃない?」
天沢はそう言うと、鏡と長澤の方に同意を求めるように視線をやった。
即座に彼女たち二人も、「言われてみればそうだった」という感じの顔をする。
──逆に言えば、普通にアイドルとしての仕事をする分にはこの辺りに来る必要は無い訳か……いよいよ謎だな。
何のために、昼のライブと夜のライブの間という暇を縫ってここに来たのか。
普通に考えれば「誰にも知られずに、どこかでこっそり休みたかった」とかの理由になるのだろうか。
まあそれはそれで「休憩したかったというのが理由なら、香水を使うだけしてすぐに帰ってきているのはおかしい」という矛盾に至ってしまうけれど。
──こういった謎も、実際に見て解くしかない、か。
結局はそうなって、俺は顔を前に上げる。
そして今度こそ迷子ではなく純粋に目的を持って、その扉を開けていった。