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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Stage10:ASMRは二度喉を鳴らす

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見えない時/backyard

「……どうですか、帯刀さん」


 最後の確認として、そう問いかけた。

 俺の視線の先に居る帯刀さんは、いくらかの迷いを滲ませた後、不意に表情をふにゃりと緩ませる。

 そして、「あーあ」とだけ言った。


「アドリブの割には気合入れたつもりだったんだけど……やっぱり、無理があった?」

「いえ、演技自体は全く問題ありませんでした。俺が見抜いたのはあくまで状況的な矛盾であって、貴女の態度ではありませんし」


 帯刀さんの態度自体は、俺の目から見て本当に自然な物────ただただ、「怪談が実際に起きたことに驚いている人」そのものと言えるリアクションだった。

 言葉遣いにも、表情にも一切のわざとらしさ、演技臭さと言った物は無かったと思う。


 強いて言うなら、台詞回しはその場その場で考えていたせいか矛盾点があったり、やや大げさな台詞──突然「神に誓う」などと言い出すなど──が多かった気もするが、それは彼女の責任ではない。

 そもそも論だが、役者に脚本まで即興で任せようというところに無理がある。

 つまり、責めるべき脚本家兼監督兼犯人は別に居るのだが────。


「……因みに、当の姉さんがどこに行ったかは分かりますか?」

「ううん、知らない。別の仕事に行く前にちょっと休みに来たとか何とか言って、ここに来たくらいだしー……今頃はもう、その仕事の方じゃない?」


 ──……逃げたな。


 チッと軽く舌打ちする。

 正直かなり文句を言いたかったのだが、この分だとスマートフォンの電源も切っているだろう。


 姉さんがよくやる手口だった。

 あの人の悪戯は基本、ヒット&アウェイである。


「何か、ごめんね?私もまさか、プロデューサー補が松原君の首を絞めるなんて思ってなくて……一応、言いつけ通りに演技したけど、本心は分かっていなかったというか。言い訳だけど」

「いえ、帯刀さんが謝ることじゃないですよ。悪いのはあの人ですから」


 舌打ちを聞かれたのか、帯刀さんが同情半分、申し訳なさ半分、という感じの顔で声をかけてきた。

 だが、軽く手を振って否定する。

 代わりに、一応全体の流れを聞くことにした。


「因みに何ですが、姉さんが来たのは俺がASMRを聞き始めてから、どのくらい経ってからなんですか?」

「んーと……十五分経った時くらい?フラッとこっちに来てね。何しているんだって聞かれたから、花房さんから聞いた話も含めて、全部説明したの」

「起こしてくれても良かったのに……」

「だって松原君、ASMRに集中したいかもしれないからー……」


 一々起こす程の事でも無い、と思っていたらしい。

 まあ確かに、姉さんの休憩時間だって大して長い物では無いだろうし、呼び起こすのも手間だという考えになるのも自然ではあった。


「それで話していたら、休憩時間が終わった姉さんが悪戯を仕掛けよう、と言い出したんですね?どうせだから俺に仕掛けよう、と」

「うん。この様子だと私の存在に気が付いていないだろうからって。それで、起きた松原君に何か聞かれたら適当に誤魔化してって言われて……」


 結果、即座に姉さんが俺の首を絞めた後逃走、慌てて俺を呼び起こした帯刀さんが即興で話を作った、という流れになったようだ。

 そう言う意味では、姉さんの行動に一番驚いたのはこの人かもしれない。

 口振りからすると、悪戯を仕掛けるということは聞かされていても、首を絞めるとまでは言われていなかったそうだし。


「でも、前々から凄い人だと思っていたけどー……松原プロデューサー補、本当に凄いね。話を聞いてから、試そうとするまでに一切の間が無かったもん。即断即決というか」

「はあ……そんな様子だったんですか」

「そうそう。私も、あれくらい当意即妙の返しが出来るようにならないとなあーって思ったもん」


 そこでうんうん、と帯刀さんは不意に頷き始める。

 どうやら、姉さんのあの妙な行動力を前に敬服する物があったらしい。


 ……殺す気が無かったとは言え、姉が弟の首を絞める様子を見て「酷い」でも「ドン引きだ」でも無く、「凄い」という感想を抱くあたり、この人も相当「凄い」と思ったが。

 そこは流石に、俺も口にはしなかった。

 何というか、物の捉え方ってとかく変わるよなあって思う。


「まあでも、これで今回の事件は解決って感じかな。とりあえず、松原君も困っていることないみたいだし」

「ええ、まあ……そうなると、帯刀さんのASMR巡りも終わりですね。少なくとも、この作品については」

「そうだねー。次はまた、何か面白いの無いかなー」


 楽しそうにそう言いながら、帯刀さんはまたスマートフォンを操作し始める。

 この様子からすると、先程のサイトを巡っているのだろうか。


 最初の方の話からすると、ASMRを聞くこと自体は彼女の元々の趣味らしいし、次のお供を探しているのだろう。

 異様に真剣な様子でフリックする彼女の様子を見ながら、俺はちょっと力なく笑った。


 ──しかし、こう……この人も、分からない人だなあ。役者さんって、こんな感じなのか?


 聞きようによっては酷い偏見にも捉えられることを、俺はついつい心の内で考える。

 今回は帯刀さんと結構関わったが、やっぱりその心の内は見えなかったな、と思ったのだ。


 聞くと死ぬというASMRを、恐れることなく聞き続ける謎の好奇心。

 それで実際に妙な体験をしても、普通に持続させる執着心。

 目の前で姉さんが奇行を働いても、言われるがままに演技を続ける丹力。


 考えてみれば、この人の行動原理も大概謎である。

 分かっていることと言えば、年齢に不相応なほどに発達した演技力だけだ。

 今こうして見ている姿だって、果たして「素」なのか演技なのか。


 ──そう言う意味では、グラジオラスで一番怖い人だな、この人。彼女が本当に何か悪いことをしたら、俺は見抜けないかもしれない。


 帯刀さんを見つめながら、ふとそんなことも思う。

 というのも、以前姉さん相手に、天沢の監視役を申し出た時の話を思い出したのだ。


 あの時俺は、天沢が何かを隠れてやったとしてもそれを見抜ける、と言った。

 何故かと言えば、天沢にはそう言ったことを隠せる証拠隠滅能力も、悟らせないだけの演技力も無い。

 故に、俺の目でも見抜けるのだ、と。


 あの時の言葉は、今でも間違っていないと思う。

 事実、帯刀さん以外のメンバー相手では、不審な行動を取った時に俺は見抜いている。


 しかし、帯刀さんだけは。

 見抜けるかどうか、正直自信が無い。


 今回は向こうも即興劇だったために、矛盾を突くことで何とかなった。

 だが、仮に彼女が本気の準備をした上で演技をされたら、どうだっただろうか。


 その場合、俺はずっと誰も居ないのに首が絞められたという怪現象について頭を悩ませていたのではないだろうか。

 姉さんの悪戯だと、見抜くことも出来ないまま。


 ──まあ、俺が見抜けていないことなんて、この世にいくらでもあるんだろうけどさ……。


 最終的にそんな結論に行きつき、俺ははあ、と息を吐く。

 そして、未だにASMRを選定し続ける帯刀さんに、「今更ですけど、適当なところで帰宅してくださいね」とだけ告げて、長くなりすぎたバイトから帰るのだった。








「……カラオケで良いか」


 とりあえず街に出た松原夏美は、最初にそう口にした。

 誰に聞かれる訳でも無い、小さな独り言。

 ただただ方針決定のために、人混みの中でそんな言葉を漏らすのは、彼女にとってよくあることだった。


 尤も、今回に限っては完全に突拍子もない言葉、という訳では無い。

 彼女の目の前には、けばけばしい色で記載されたカラオケボックスの看板がある。

 弟の首を絞めてから、逃げるようにボヌールを出た直後、それが目に入ったが故の発言だった。


 別段、ここでなくてはならないと言える程の理由は無い。

 周囲に話を聞かれないような個室であれば、トイレでも良いのだ。

 しかし、一度目に映った以上はここを利用してみるのも一興だろう。


「……二時間、個室で」


 速やかにそう考えた夏美は、するりとその店舗に立ち寄って受付に声をかける。

 平日の昼間ということもあってか、特に待たされることなくボックスに通された。

 スーツ姿の女性が突如としてやって来たことが物珍しかったのか、店員にやや好奇の目線で見られたが、そのくらいである。


 端末操作と終了時刻に関する話を流し聞きしてから、夏美はドカリと安っぽい椅子に座る。

 それと同時に、自分のスマートフォンを弄り始めた。


 説明をしてくれた店員には悪いが、長居する気は無い。

 次の仕事までは実のところやや余裕があるのだが、さっさと済ませるに越したことは無いだろう。


 まず検索するのは、多織の話に出てきた「花房」という劇団員の名前。

 下の名前までは聞いていなかったが、一応番組名を聞いていたことが幸いして、すぐにそれらしき名前が出てくる。

 ついでに、彼がやっていると思しきSNSのアカウントも。


「個人でやってくれているなら、後は楽だな……」


 思わずそう呟きながら、夏美はいくらかの操作をしていく。

 実行するのは、ボヌール関係者の間で頻繁に使用される、芸能人のアカウントから同一人物と思しき別アカウントを析出する方法────平たく言えば、裏アカウントの探索である。


 元はと言えば、担当アイドルが不要なことを呟いていないか事務所側が調べるための物だが、今回に限っては全く無関係の芸能関係者相手に使うことになった。

 担当アイドルのそれでは無い分、文章の癖を見抜けるレベルではないのがネックだが、それでも同じ業界で使うのだからそれなりに有効だろう。


「……あった」


 果たして、それらしき物を夏美は短時間の内に見つける。

 確証とまではいかないが、それでもこれっぽいな、となる程度のアカウントに入り込んだのである。

 その花房という人物は元々裏アカウントを大して隠す気が無いのか、適当な捨てアカウントで申請を通すだけで簡単に中に入れた。


「で、内容がこれか……」


 ふんふん、と夏美はスクロールして過去の発言を追っていく。

 即座に申請を通されたことから薄々察していたが、どうやら常にSNSを弄っているタイプの人間らしい。

 かなりのペースで書き込みが続けられていた。


「ただ、内容は一つだな……妻との離婚調停が難航している、か。予想通りと言えば、予想通りだが」


 大方、そんなところだろうとは思っていた。

 この人物が裏アカウントなんて作ってくれたおかげで、証拠に近いものが手に入った形になる。

 それらを一度ざっと見据えてから、夏美はフーッ、と細く空気を吐き出した。


「まさか、このアカウントに真相を送ったところで、信じてはくれんだろうしな……大袈裟ではあるが、警察に言って置くか」


 微かに迷ってから、夏美はそう呟く。

 そして次の瞬間には、スマートフォンから電話帳のアプリを呼び出した。


 まず、最近会ったばかりということで、親友の氷川紫苑の番号に掛ける。

 彼女はやはり気心が知れているし、説明も容易だ。

 故に、出来れば出て欲しいなあ、と思いながら呼び出しの表示を押したが────残念なことに、出なかった。


 割と几帳面な彼女が気が付いていないとも思えないので、恐らくは非番で寝ているとか、純粋にスマートフォンが手元にないとか、そんなところだろう。

 仕方なく、夏美は彼女への呼び出しを止める。


 次に電話帳に出てきた警察関係者の番号は、巌刑事のそれだった。

 玲が会ったことのある方ではなく、夏美たちが高校時代の世話になった、父親の方の巌刑事だ。

 彼もまた夏美の推理力や行動力について知悉している存在なので、話は早い。


 ──いやでも、この程度の話に警視庁の重鎮の手を煩わせる必要は無いか……?


 しかし、彼に掛ける直前で夏美は指を止めた。

 映玖署の一警部に過ぎなかった十年前はともかく、今では彼もそれなりの立場になり、毎日忙しくしているという話である。

 正直なことを言えば、この電話はもっと暇そうな刑事相手が良かった。


「そうなると、彼が一番だな。昔から私のパシリみたいなもんだし」


 かなり酷いことを口走りながら、夏美は巌刑事の下に出てきた番号を呼び出す。

 彼なら大して偉くなっていないし、何よりも暇だろうと踏んだのだ。

 果たしてその予感は当たり、三コールもしない内にスマートフォンから声が聞こえた。


『……はい、もしもし。茶木ですけど、松原さん?』

「ああ、私です。実はちょっと、お耳に入れたい情報がありまして」


 やや気まずそうな感じで声を出す相手────茶木刑事を前にして、夏美はわざと前回のことを持ち出さずに話をした。

 前回、すなわち凛音の事件では彼と夏美はニアミスしている。

 だがタイミングが悪かったのか、特に直接会うようなことは無かったのだ。


 つまり、この電話こそ久しぶりの彼との会話になる。

 そのせいか、茶木刑事の方はやや会話の雰囲気を掴み損ねているような声を出していた。

 向こうの方が年上なのに敬語を使ってくるのも、それが理由か。


『情報?……何ですか、それはまた』


 それでも刑事としての性か、茶木刑事はまずそこを聞いてくれる。

 察しの良さに感謝しながら、夏美はずばりと本題に入った。


「広い意味で言えば、聞くと死ぬASMRの話」

『は?エーエス……?』

「狭い意味で言えば、ある殺人未遂の話です」


 彼にとって分かりやすいであろう表現で言い直す。

 途端に、電話の向こうではっきりと息を呑む音がしたのが分かった。

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