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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Stage10:ASMRは二度喉を鳴らす

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初耳な時

 率直に言えば、帯刀多織という人物がどんな人なのかと質問されてしまうと、俺は返事に困ってしまう。

 鏡とはまた違った理由で、説明に窮するからだ。


 いや本当に、かなり情けない話なのだが、俺は未だに彼女のことを掴みあぐねていた。

 というか、身も蓋も無いことを言えばあんまりサシで会話をしたことが無い。


 知り合ってから今まで、一体彼女とどのくらい話しただろうか。

 ひょっとしたら、累計しても数時間程度かもしれない。


 彼女は基本、休憩室にいる時もそれ以外の時も、寝ることを主眼としている。

 必然的に、何も用事が無い時にはずっとソファで寝転がっていることが多い。

 このせいで、俺と彼女は何気にじっくりと話す機会が少ないままここに来てしまったのだ。


 思えば、最初に彼女について推理した梅雨時の「日常の謎」もそうだった。

 あの時、俺は彼女が休憩室で寝ている姿はずっと見ていたが、彼女本人と話したのはほんの数分に留まる。

 同じ空間を共有してはいたが、同じ会話は共有していないのだ。


 勿論、だからと言って全く親しくないということでも無い。

 この前の昔話では中々鋭い推理を言い合ったし、それ以外にも狩野山の火事では聞き込みやら情報提供やらと色々と協力をしてもらった。


 あの時に連絡先も交換したので、話したことが少ないと言いつつも、実はいつでも電話出来る関係ではあるのだ。

 ただ、鏡のように頻繁にかけてこないので有効活用されていないだけで。


 しかしそれでも、俺の彼女に対する理解がかなり表層的なそれでしかないというのは変わらない。

 子役をしていて高く評価された(これも凛音さんの事件を読み解く鍵となった)とか、演技力は実際に高い(聞き込みの時に確認済み)とか、色々知ってはいるが、それだけだ。

 例えば、どうして役者からアイドルに転身したのか、ということすら聞いていなかった。


 別段、それで何か問題があるという訳でも無い。

 だが、夏休みを通して他のメンバーのことは良かれ悪かれ詳しくなっているので、相対的に帯刀さんに対する認識だけ浮いてしまっていた。


 一人だけ印象がフワフワしているというか、未だに謎の人のままというか。

 強いて分かっていることを挙げれば、かつての会話からしてかなり天然入っているな、というだけだ。


 だから今回は、そんな彼女の内面を深く知っていく話────では無い。

 生憎と言うか、相変わらずと言うか、今回も彼女のことはよく分からなかった。

 彼女の妙な趣味を、一つ知っただけである。


 しかしそれは、彼女の雰囲気には似つかわしくない程に重い事件と結びついていくのだった……。






『……じゃあ、松原君は今日も掃除のバイトだったの?』

「ああ。君たちが練習をしていない日でも、掃除自体はあるからな」


 その日、すなわち九月まで残り一週間程度に迫ったある日。

 掃除道具を片手で片付けながら、俺は天沢と電話で会話をしていた。

 この夏休みに入ってからは珍しくもなくなった、彼女への「監視」の一環である。


 特にグラジオラスの練習が無い日でも、俺は天沢と一日に一回は会話するようにしている。

 そうしておかないと、彼女が家で勝手に禁止中の自主練をしてしまう可能性があるからだ。


 我ながらしつこいというか、正直互いに手間ではあったのだが、天沢が特に嫌がっていないのでこの習慣は持続していた。

 その習慣の中で雑談をするというのも、よくあることとなる。


「まあでも、今日はあんまりレッスン室も汚れてなかったよ……やっぱり、グラジオラスの練習量だけが突出している。君たちが使う日ほど、床が汚れているし」

『他のユニットは、また別のレッスン場を借りていたり、そもそもダンスにあまり力を入れていないことも多いから……別の場所を借りる余裕は無いけど、ダンスを基礎から頑張らなきゃいけない新人ユニット程、その部屋はよく使うの』

「ああ、そっか。だからグラジオラスがここをよく使っているんだな。まだ新人扱いだから」

『そういうこと。それに、今はミニライブも迫っているしね』


 用具の片づけを終えながらも、俺たちは話を続ける。

 正直なところ、完全に雑談になっていたのだが、互いに止めはしなかった。

 こういった何気ない会話からでも、オーバートレーニングの兆候を見つけ出すのが俺の仕事の一つである上、天沢の方もそれが分かっているらしい。


 結果、どうでもいいことだろうが二人で話を続ける。

 と言っても、本当に意味の無い話題だと流石に話が続かないため、内容は自然と秋の連休にあるというライブに集約していった。


「……前々から聞きたかったんだが、そのミニライブってどういうイベントなんだ?何だか、他の仕事よりも熱心に練習しているように見えるけど」

『あれ、聞いてなかった?』

「ああ、姉さんに聞くタイミングを逃して」


 言い訳がましくそう言うと、天沢が「松原プロデューサー補も忙しいから……」と零す。

 そして、当事者だけあってすらすらと説明してくれた。


『簡単に言えば、ボヌールで開催している大規模オーディションを宣伝するイベントね。元々ボヌールは、伝統的に毎年九月から十月くらいに大きなオーディションを行っているの。知ってた?』

「いや、初耳だ……有名な話なのか?」

『一般にはそこまで知名度が無いかもしれないけど……ネット番組で特番を組んだり、オーディションの一部はボヌールの公式動画チャンネルから放送されたりはする。だから、そうね。アイドルに詳しい人には注目のイベント、という感じかしら』


 へえ、と俺は新しい知識に頷く。

 言われてみれば、最近そう言ったオーディションのポスターをボヌールの廊下で何度も見た記憶がある。

 その大規模オーディションとやらに向けて、ボヌール全体が突き進んでいるということか。


『ただ、最近はアイドルを目指す人自体が少なくなっているから……オーディションをただ開いても、余り応募が来ないこともあるの。だから、数年前から宣伝のイベントも何個もやるようになっているらしいわ』

「アイドルも人材不足ってことか……こう言うのも、時代の流れってことか?」

『そうね。今はほら、動画配信者になるとか、SNSでバズるとか、色々と有名になる手段が多いでしょう?だからかもしれないって、鳳プロデューサーがぼやいていたのを聞いたことがある』


 この時代、別に芸能事務所に入らなければ絶対に有名になれない、という訳でも無い。

 だからこそ、大手芸能事務所のオーディションですら応募数が減ってきており、事務所側もただ待っているだけではいられない、ということらしい。


 俺は昔の芸能界の様子に詳しい訳では無いが、それでもこういう話を聞くと、時代が変わったんだなあ、と思う。

 業界では古参であるはずのボヌールですらそれなのだから、何というか、今の芸能界の流れを推し量れるような話だった。


「……あれ、でもそういう宣伝があるのは良いとして、どうしてグラジオラスがミニライブをすることになるんだ?確か酒井さんも君も、オーディションじゃなくてスカウトじゃ……」

『まあ、私はそうね。グラジオラスだと、オーディションから入ったメンバーは奏だけだもの。ただ今回の場合は、私たちがまだアイドルとしては新人だってことの方が重要だから』

「……どういうことだ?」

『つまりね、芸能事務所に入ったらたった一年でもこんなにダンスや歌が出来るようになりますよ、こんな風なユニットを組めますよ、と宣伝したいのよ。そういうのを外部に見せていけば、アイドルに憧れる人が増えるかもしれないでしょう?』

「ああー……」


 これまた、言われてみれば、という話だった。

 同時に、納得出来る話でもある。


 先程話にも出ていたように、グラジオラスのアイドル歴は短い。

 俺がバイトを始めた時点で、デビューして半年とかだったから、ミニライブ時でも芸歴は一年程度だろう。

 つまり、ボヌールがアピールしたい芸能界に興味を持つ若手層から見れば、比較的立場の近い先輩、ということになる。


 そんなグラジオラスだからこそ、宣伝効果がある、ということなのだろう。

 一年目でもここまでになれる、こんな舞台を用意してもらえると示すことで、応募数を増やす狙いがあるのか。


「でも、本当にオーディションでアイドルになったのは鏡だけなんだろう?だとしたら、ちょっと宣伝としては狡くないか、それ?特に酒井さんや帯刀さんは前々から芸能界に関わっていた人だし、ボヌールで一年やれば必ず君たちになれる訳じゃないんじゃ……」

『まあ、それはそうなんだけど……それでも、私たちの知名度を上げるには良い機会だから。だからこそ、ボヌールも私たちに白羽の矢を立てたんだと思う』


 他のアイドルの舞台にお邪魔させてもらったり、その他大勢でステージに上がったことはあるけど、ソロ経験はほぼ無いから、と説明が続く。

 これまた納得出来る話だったので、俺はなるほど、となった。


 どうやら今度のミニライブはオーディションの宣伝であると同時に、まだ新人のグラジオラスには貴重なソロでのステージ経験を積むチャンスらしい。

 それ故に、今まで以上に気合を入れて練習に臨んでいる、ということか。

 ようやくこれまでの練習の様子の理由を知ることが出来て、俺はスッキリとした。


「じゃあ、これから秋までは練習漬けになるのか?」

『近いわね。やるのは四曲だけど、ダンスも演出も一新するもの。頑張らなくちゃいけない……あ、勿論、オーバートレーニングをしない範囲でね?』

「いや、大丈夫だよ。流石に今の決意を聞き咎めはしない」


 過剰に俺のことを警戒する天沢の様子がおかしく、俺はちょっと笑う。

 流石に、今の発言で彼女を糾弾する気は無かった。

 そこまでやってしまえば、それは監視というより束縛である。


「まあ、じゃあ時間も時間だし今日はこれで……また明日、か」

『ええ、そうね。因みに松原君、これからはどうするの?』

「どうって、普通に帰るよ。君たちが居ない日は、休憩室に行ってもやることが無いし」

『そう……あ、でも、今日なら』


 そこで不意に、天沢は何か思い出したような声を出す。

 そしていくらか声色を真剣なそれにしてから、話を切り出した。


『松原君、ボヌールに居るなら、一つ頼み事をしたいのだけど……』

「ん、何だ?」

『実は今日ね、多織さんが打ち合わせでボヌールに来ているはずなの。時間的に打ち合わせ自体はとっくに終わっていると思うから、今頃はそれこそ休憩室に居ると思う』

「帯刀さんが一人で打ち合わせ……ソロの仕事?」

『ええ、その通り。役者の仕事がある分、多織さんはそういうのも多いから。でもあの人、演技以上に寝るのも好きでしょう?だからいつも、打ち合わせが終わる度に休憩室でお昼寝しているの』


 ──ああ、そういう昼寝の光景、何度も見たことがあるな……。


 容易に想像が出来たので、俺はスマートフォンを耳に当てたまま頷く。

 この分だと、帯刀さんは今この瞬間も休憩室でお昼寝タイムのようだった。


『でもほら、休憩室って私たちが使うことが多いってだけで、別に私たち専用の部屋って訳じゃないでしょう?だから前から、あんまりにも多織さんが長い間居座っていたら、起こすように言われてて……』

「あー……つまり、一度彼女を起こしに行けば良いんだな?それで、程々のところで帰るように言って置く、と」

『そういうこと。お遣いみたいなことを頼んで、本当にごめんなさい。でもあの人、本当に放っておくと夜まで休憩室で寝ていることがあるから……』


 それはまた、と俺はかなり呆れる。

 普通ならまず有り得ないことだが、彼女なら起こり得そうなことでもあった。


「分かった、じゃあ軽く探して、寝ていたら一度起こしておくよ」

『ありがとう。いつもいつも、用事を頼んで申し訳ないけど……』

「別に良いって、それを込みでバイトしているんだし。じゃあ、そういうことで、また明日」


 電話を切る体勢に入りながら、俺はそんなことを言う。

 そもそも、休憩室に寄って彼女を起こす程度のことは、大した手間でも無い。

 姉さんや茉奈が俺に無茶振りしてくるアレコレに比べたら、天沢の対応は天使のようだった。


 ──まあでも、起こすならさっさとした方が良いな。天沢の言う通り、ずっとソファを占拠しているのは迷惑だろうし。


 スマートフォンをポケットにしまいながら、俺はそう考えて足を早める。

 無論、ここと休憩室は大して離れていないので、すぐに辿り着いた。

 普段通り、俺は扉を開けて足を踏み入れる。


「失礼しまーす」


 一応声掛けしたが、返事は無い。

 代わりに、目の前には予想通りの光景が広がっていた。


 すなわち、休憩室に居るのは情報通り、帯刀さん一人。

 白いブラウスと淡い黄色のスカートに身を包んだ彼女は──絶対に服に皺が寄るだろうに──ソファに寝転がり、いつも通りにスヤスヤと寝ていた。

 音楽でも聴きながら寝たのか、頭にはスマートフォンに繋いだヘッドホンが見える。


 ──しっかし、幸せそうに寝るなあ、この人。


 見慣れた光景を目撃した俺は、最初にそんなことを考える。

 そして、ふと彼女のヘッドホンとスマートフォンを見咎めて。

 何を聞いているのかな、と考えた。

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