毒だった時(Stage8 終)
……尤も、それはそれとして。
実際に目の前に猫が居て、長澤が居て、そして彼女よりはいくらか想像力が働く俺が居る以上。
嫌な役回りではあったが、聞かなくてはならないことがあった。
「……それで、これからどうするんだ?」
出来るだけ長澤の顔を見ないようにしながら、ポツリとそう問いかける。
すると、すぐに長澤が意図を察したように下を向いた。
その明晰さに助けられながら、俺は現実論を投げかける。
「今はまだ君のお小遣いが減るくらいで済んでいるが、夏休みが終わってしまえば、毎日こっそり世話をするなんて不可能だろう。学校もあれば、レッスンもある。ただでさえ秋のミニライブを控えている以上、時間を取るのは難しくなるはずだ」
「はい……そう、ですよね」
言われるまでも無い、という風に力なく長澤が肯定した。
それを感じて、俺はそれ以上の追及を控える。
言おうと思えば、もっと問題点を挙げ連ねることも出来た。
例えば、こうして不法侵入をして他所の家の猫に餌をやっている時点で、「アイドル」としては大問題である。
まさかこの程度で炎上するとも思えないが、まあ間違いなく賞賛はされまい。
そうでなくとも、彼女がここに通い詰めているというのは別の意味でリスクを背負う可能性もあった。
例えば──家主の夜逃げ理由にもよるが──諦め悪くここに押しかけた債権者や借金取りに見つかって、何かしら揉め事に発展する、なんてことも有り得なくはない。
言っては何だが、そう長く続くシステムでも無いのだ、こっそり猫の世話をするなんてことは。
それを分かっていたからこそ、俺たちがわざわざここに駆け付けた。
所詮は長澤が勝手にやっていることなんだからまあいいや、とは切り捨てられなかったために。
だから、俺たちがこれを見つけたのを良い契機として、決めた方が良いだろう。
どれほど猫が、この場所に居ることを望んだとしても。
猫と長澤の、対処を。
「どうする?……猫を連れ出す覚悟は、ありそうか?」
最悪俺たちが勝手にやるしかないか、と思いつつも、最後に俺は長澤に確認を取る。
すると、長澤が恐ろしく苦い顔をした。
ここまで苦渋に満ちた長澤の顔なんて見たことが無い、というレベルの顔である。
恐らく、以前猫を連れ出そうとした時のことを思い出してしまったのだろう。
その時に芽生えた、猫への同情も。
そう言った感情が、理性的な行動を妨げているように見えたが────。
「……迷うこと無くない?猫のためを思えば、さっさと連れ出して獣医にでも連れて行くべきでしょ、これ。その瀬奈ちゃんだって、本気で猫を探しに戻ってくるなら、長澤ちゃんに連絡くらいするだろうし」
────突然、その場に解答が降ってきた。
それも、随分とさらりとした声で。
その声に釣られるようにして、俺と長澤は同時に前を向く。
当然のことながら、そこには白猫と戯れている茉奈の姿があった。
抵抗もされずに猫を腕に抱きかかえた彼女は、なんてことないように話を続ける。
「ぶっちゃけた話さー、毛布とか餌とかあげただけじゃ、ちゃんと世話したって言えないじゃん?長澤ちゃんが居る間はまだ良いよ。でも、居ない間は……遊んでくれる人も居なくて、夜に寒くなっても寝る場所なんてなくて、しかも玩具の一つもないんでしょ?」
「それは……」
「これから夏も終わって寒くなるんだし、さっさと新しい飼い主を探した方が良いよ……うっかり、死なせたりしちゃう前にさ」
最後の言葉は、語尾が少し震えていた。
それを察した俺は、話を代わりにしようとする。
しかし、茉奈は手でそれを制した。
「長澤ちゃん」
「は、はい」
「アタシもさー……実を言うと昔、近いことしてたことあるんだよね。実家の方で、偶然玲と一緒に野良犬を拾ってさ」
「野良犬を……?」
「うん。親が犬嫌いだったから、通学路の近くでこっそり餌をあげて……勝手に名前も付けてた。イチって名前」
唐突に始まった昔語りに、長澤が目を白黒とさせる。
しかしその隣で、俺はそれを話すのか、と一人驚いていた。
「時期もそう、丁度夏休みだった。だから玲がウチに居たんだしね。イチは本当に可愛い子犬で、人を噛んだことも無いような子で、自分だけじゃ鳥を捕まえることも出来なくて……玲はそこまででも無かったけど、アタシはいっつもその犬と遊んで、世話してた。餌は何とか、玲が近くの店から調達してくれたしね。あのころから、玲は変に賢かったから」
「……」
「でもさ、ほら、夏休みってすぐ終わるじゃん?当然、学校が始まるってことで玲が東京に帰っちゃってね……いつも餌を調達してくれてた玲が居なくなっちゃったから、秋からはアタシが一人で世話してしたんだ」
……そこから先を、俺は知っている。
過去の茉奈が辿った未来を、俺は聞いている。
俺は当時、「自由研究のために」とか「職業体験の宿題があって」とか適当な理由を付けて、近くにあったペットショップや食料品店からイチの餌になりそうな物を貰っていた。
宿題の締めに、こういう商品をお店の人がくれたという証拠の写真を貼ると説得力が出るんです、なんて嘘を言うと、いたいけな子どもの頼みということもあってか、結構無料で貰えたのである。
賞味期限切れの缶詰だったり、売れ残りだったりしたが、俺が居る時期はそれでイチの餌を賄えたのだ。
だが当然ながら、夏休みが終わってしまうと、そんな手は使えない。
だから、一人世話係を押し付けられる形となった茉奈は、そのやり方で食べ物を貰うことが出来なかった。
小学生のお小遣いでは、新しく餌を買うにしても、たかが知れている。
故に、先述したように茉奈は自分に与えられた食事を減らして、イチの餌を捻出していた。
給食も、普段のおやつも、とにかく残しまくってイチに密かに与えていたらしい。
イチは体が弱っていて、自力で餌を獲ることが出来なかったので、そうせざるを得なかったのだ。
しかし勿論、それらはあくまで人間用の料理であって、犬用の食事ではない。
だから────。
「アタシ、知らなかったんだよね。犬にチョコレートを食べさせちゃいけないって……気が付いた時には、もう遅かった」
「……じゃあ、その子は」
「……次の日に会いに行った時には、もう大分苦しんでてね」
仰天した当時の茉奈は、慌てて両親に泣きついた。
子どもの目に見ても、死期が近いとすぐに分かる程の苦しみようだったらしい。
伯父さんたちも流石に娘が泣いて頼む物だから、いくら犬嫌いと言っても流石に獣医の元に連れて行ったのだが────全て、遅かった。
「今でも、はっきり覚えてる。アタシのせいでイチが死んだってことも。目の前で最後まで苦しみながら冷たくなるイチの姿も」
「そんな……」
「全部、知識不足だったアタシの自業自得なんだけどさ、一時期は、動物全般ダメになるくらいショックだったな。まあ今は、流石に何とかなっているんだけど」
そう言いながら、茉奈は白猫をふわりと撫でる。
彼女は「何とかなっている」と言うが、その指の動きには未だに無理があった。
イチの死にざまを直に見なかった俺は、本当にもう大丈夫になっているのだが────彼女は未だに、キツイ物があるのだろう。
──この件に関しては、俺は本当に謝り通しだな……。
話を聞いて、改めて俺はそう思う。
というのも、イチの死因については俺は彼女に対して引け目があるのだ。
当時の俺は、イチの世話をそこまで積極的にはしていなかった。
餌の調達はしたが、それだけだったと言ってもいい。
茉奈も言っているように、割と最初の方で飽きてしまったのだ。
だから、家に帰る時も茉奈の負担のことを考えなかった。
まあ別にいいや、何とかなるだろう、くらいに考えて、そのまま東京に帰った記憶がある。
……俺自身は、犬に与えてはいけない食べ物についての知識が当時からあったのに、特に忠告することも無く帰宅したのだ。
茉奈が言っていた通り、この頃から俺は、何をするべきで何をしてはならないかを見極めるのは上手かった。
だが、あくまで見極めるだけで、行動は伴っていなかった。
自分が居ない場所のことは、本当に放置していた。
まだ小学生だったからと言えばそれまでだが、我ながら恐ろしく無責任だったと言わざるを得ない。
夜逃げに乗じてペットを捨てたここの一家といい勝負……いや、切羽詰まった理由も無く、本当にただの無関心で放り捨てたことを考えれば、それ以下か。
結果として、世話の全てを担うことになった茉奈が、その死を見届けることとなった。
俺が一度でも、犬の世話についてちゃんと調べるように言って置けば、防げた悲劇だったのに。
或いは少しでも、その後に起きることを予見していれば、何とかなったかもしれないのに。
そのせいか茉奈は、ずっと動物が好きだった茉奈は、その趣味を自ら捨ててしまった。
見るだけで、思い出すと言って。
今思えば、その後の茉奈がファッション関係を趣味にしたのは、その辺りの反動があったのかもしれない。
犬や猫と違って、服は放置していても死なないのだから。
服の死蔵と、生物の死は、どうしようもなく違う。
「……だからさ、長澤ちゃん」
湿っぽくなった雰囲気を振り切るように、茉奈は顔を上げる。
ビクッ、と長澤の肩が跳ねた。
「この子がこの家を離れたくないのも分かるし、長澤ちゃんがこの子を待たせさせたいのも分かるけど……やっぱり今の状態を続けるのは、無責任だよ」
「……はい」
「だからさ、ちゃんと探してあげよ?」
ニコッ、と茉奈はそこで無理に微笑む。
その表情を、長澤はしばらく見つめていた。
そして、何か学ぶことがあったのだろうか。
今までの躊躇いが嘘のように、グッと足に力を籠めて立ち上がって。
そして明朗に、「はい……!」と言ってくれた。
……そこから起きた騒動について、俺は特記しない。
基本的には、猫を獣医と預かり先の元に連行するために奮闘した話と捉えてくれて構わない。
結果だけ言えば、俺は十五か所引っ掻かれ、三か所噛まれ、五発ほど猫パンチを喰らった。
俺より少ないが、茉奈もそこそこのダメージを負ったらしい。
なまじ長澤の肌には傷をつけられないため──肌に傷跡でも残れば、アイドルとしての仕事に支障が出る──俺たちが体を張った形となった。
ある意味では、俺たちが来て良かったとも言える。
ついでに言えば、新しい飼い主が決まるまでの間、鏡がその猫を預かってくれることも即日決定した。
長澤のダイエット疑惑払拭のために電話したところ、話の流れで真相を解説し、その場でOKしてくれたのである。
何でも、鏡の家では元々猫を飼った経験があるらしく、設備などが備わっているらしい。
「良いって良いって、菜月への杞憂を松原君が晴らしてくれたから、これはその依頼料みたいなもんだしさー……新しい飼い主探すのも手伝う。友達に連絡入れるから……もし決まらなかったら、私が飼おっか?」
こんなことを言って朗らかに笑う鏡を前に、長澤がちょっと泣きそうな顔で笑っていたのをよく覚えている。
それは、最初から頼れば良かったという後悔か。
或いはメンバーに恵まれたことの歓喜か。
この辺りは、俺たちとしても聞かなかった。
何にせよ、全体的に収まるべき場所に収まったと言える結果になったのは事実である。
猫の引き取り手のみまだ決まっていないが、これはまあのんびり探せばいいだろう。
長澤に起きた問題は一応の解決を見た、と言っていいと思う。
ただ……敢えて問題を探すなら。
これらの段取りをつけた際には、すっかり夜になってしまっていて。
当然の帰結として、茉奈の買い物は中断の憂き目を見たのは、問題と言えるだろうか────。
「つーかーれーたー!」
家に帰った途端、バタン、と茉奈が玄関に倒れ伏した。
同時に、俺もその後ろで両手に抱えた荷物をドサリと落とす。
一個一個は軽いとは言え、これを抱えて鏡の家と獣医のところにまで向かったのは、流石に無理があった。
最早、手首の感覚が無い。
「もう、八時か……」
「あーもー……お腹空いたしー、お風呂入ってないしー、結局買い物全部出来なかったしー……サイアク」
ブーブー言いながら茉奈は立ち上がり、よろよろと洗面所に向かおうとする。
多分、化粧を落とそうとしているのだろう。
彼女の背中を見ながら、俺は付き合わせちゃったなあ、と申し訳なく思う。
そしてつい、去ろうとする茉奈の背中に向けて声を発した。
まだ言っていない言葉があるな、という思いで。
「……茉奈」
「ん?何?」
ギロリ、と恨めし気な茉奈の視線。
それにやや怖気づきながらも、俺は言うべきことを言うことにする。
これに関しては、昔と違って気が付いた時点で行動を伴うべきだろう。
「……茉奈、ありがとう。今日、最後まで付き合ってくれて」
「……何、改まって」
「いや、後半は殆ど、こっちの事情に巻き込んじゃったからさ」
何だかもう本来の目的を忘れかけている節があるが、今日の買い物は本来、茉奈を怒らせてしまった俺がお詫びとして行ったことである。
それが途中で「日常の謎」に捕まり、いつしか茉奈の意見はガン無視で長澤との対応ばかりしてしまった。
茉奈も茉奈で、いつでも「アタシは買い物の続きに戻るね」と言っても良かったはずなのに、何だかんだで鏡の家まで付き合ってくれたのである。
これに関しては、ちゃんと礼を言って置かないと筋が通らないだろう。
きっと、イチのことを思い出して尽力してくれたのだと思うが────それについても、やはりお礼が必要だ。
あのことを自分の口で言うというのは、やはり大きなことだっただろうから。
「……フン、今更しおらしくしても遅いからね、玲。今日の分の残りの買い物には、また玲に付き合ってもらうし?」
「ああ、そうだな。そっちについては、今度こそきっちりこなすよ」
買った物を茉奈の部屋に運びながら、そう答える。
すると彼女は、ややしおらしい俺の姿を変に思ったのか、更に言葉を続けた。
「……言っとくけど、アイドルの前でアタシのことを『化粧がケバイ』とか『昔に比べて横暴になった』とか言ったこと、アタシ、まだ許してないからね!」
「あー……それはまあ、うん」
「だから、これは貸しだから!忘れないでよ?」
ダーッとそう言い切ると、茉奈はチッと軽く舌打ちして、今度こそ洗面所に向かおうとする。
それを聞いて、俺はそういや昨日、そんなこと言ったな、と今更のように思い出した。
……そして何とはなしに、俺は自分の言葉について自分で考え込んで。
再び、彼女を呼び止めた。
「……なあ」
「何?まだなんかあんの?」
「いや、茉奈が許してないって言う、この前言ってたことだけどな」
じっと茉奈が見つめてくる。
その視線を受け止めながら、俺は正直な自分の心を述べた。
「……『化粧がケバイ』の方は、残念だが訂正しない。これは何というか、事実だしな」
最初に、不変の部分を告げておく。
茉奈には昔から色々と──読書感想文で脅した件しかり、イチの件しかり──悪いと思っていることが多いし、それについては可能な限り全てのことを謝ろうとも思っているのだが、それはそれ、これはこれだ。
未だに俺は、今の茉奈の化粧の趣味をどうかと思うし、昔の茉奈の、素の顔が好きだった。
こればっかりは、好みの問題なので変えようが無い。
だが、後者は────横暴になった云々については、確かに訂正しなければならなかった。
ここのところ電話越しにギャーギャー言われたり、向こうも癖になっているのか意味も無く言葉がキツイ時が多かったので、つい「性格が悪くなった」などと言ってしまったが。
彼女は、実のところ。
「……性格については、訂正する。あれは表現が正しくなかった」
「どゆこと?」
「簡単に言えば……茉奈は、昔も今も良い子だってことだ。多少口が悪くなろうが、何だろうが。だから……」
一度、言葉を溜める。
そして、言い切った。
「茉奈が東京に遊びに来てくれて、嬉しかったよ……茉奈の事を紹介するなら、これを最初に伝えておくべきだった」
そもそも、本当に悪い子は野良猫の扱いについて人を諭したりしない。
このことを、最初に言って置くべきだった。
……そうして、言いたいことを言い切ってすっきりした俺は、んじゃ、と片手を上げてその場を去ろうとする。
だが今度は、茉奈の方がこちらを引き留めた。
「……ちょい待ち、玲」
「ん、何だ?」
「アンタさあ……そういう恥ずかしいことも真顔で言うスタイルで、これまでアイドルと接してんの?いつも?」
「え、まあ……そうだと思うが」
真顔も何も、これが俺の素なので変えようが無い。
だから平然と頷くと、茉奈は何故かそこでハアーーッと大きなため息を吐いた。
「葉兄ちゃんもそうだけど、こう言うのを素でやるから怖いわー、アンタら」
「……不満か?」
「そうじゃないけど、人によっては毒というか……ああ、もう!」
そう言いながら、何故か茉奈はわちゃわちゃと自分の頭を掻きむしる。
ただでさえ一日を終えて崩れかけていたメイクやら髪型やらが、一気に崩壊した。
何だ何だ、と俺はそれを呆然と見守ってしまう。
そんなことをしていると、家の奥から物音がした。
反射的に振り返ってみれば、見えるのは姉さんの姿である。
既に帰ってきていたらしい。
「お前ら、何しているんだ?」
棒アイスを食べながらタンクトップ一枚で歩いてきた姉さんは、開口一番にそう言った。
そして、謎に髪を掻きむしる茉奈と所在なく佇む俺をちょっと面白そうな顔で見つめて。
すぐに背中を向けながら、「相変わらず仲良いな」とだけ言った。
──……何が分かったんだ、今ので。
はてな、と俺は首を傾げる。
結局その変な雰囲気のまま、俺たちはしばらく固まってしまうのだった。




