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確率的に有り得ない時

 待っていて欲しいと言われはしたが、所詮は荷物を取りに行くだけなのでグラジオラスの三名はすぐに戻ってきた。

 控え室の正面で待つ形になっていた俺は、間を置かずに彼女たちの姿を認めて何となく片手を上げる。

 すると三人の代表、という感じで鏡奏が手を振り返してきた。


 ──常に元気だな、この人……。


 まともに話してまだ数分だが、このやり取りだけで鏡奏のキャラクター性を完全に把握したような気分になるのは何故だろうか。

 まあ、アイドルと相対していながら大して緊張もせずに話せているのは彼女の雰囲気が大きいと思われるので、その点では助かっているのかもしれないが。


「ごめんねー、待たせて。そっちはもう帰れる?」

「ええ、そうしましょうか」


 特に荷物も無い俺は、彼女の言葉につられて廊下の壁から背中を離す。

 その上で出口の方向に歩きだしたのだが────出口に辿り着くまでの短い時間すら沈黙が耐えられない、という感じで鏡奏はすぐに話しかけてきた。


「ねえねえ、松原君。何気にさっきから気になっていたんだけどさ」

「何ですか?」

「それそれ。その敬語って、誰に対してもそうなの?菜月みたいに、どんな人に対しても常に敬語とか?」

「いや、そういう訳じゃないですけど……」


 いくら何でも、そこまで礼儀の正しい性格ではない。

 流石に訂正しておく。


「バイトとは言え仕事ではあるんだから、こうしているだけですよ。そもそも皆さんアイドルなんですから」


 手をヒラヒラと振りながら、そう理由を説明した。

 これで納得してもらえるか、と思ったのだが、すぐに鏡奏が「えー?」と不満そうに声を出す。


「別に、私たち目上って訳じゃないと思うけど……年だって、大して変わらないでしょ?少なくとも、菜月より年下とかじゃないよね?いくつだっけ?」

「今、高校一年生ですけど……」


 変な流れになってきたなと思いつつ答えると、「あ、そうなの?」と少し驚いたような声が返ってきた。

 鏡奏のそれではなく、天沢茜の声である。


「もしかするともっと年上なのかなって思っていたけど……同い年だったのね、貴方」

「はあ、そうなりますね。因みに他の方は……」

「私と奏が高校一年生で、二人とも貴方と同い年。そして、菜月が……」

「あ、私は中学二年生、です。まだ誕生日が来てないので、十三歳ですけど」


 天沢茜の説明に合わせるようにして、長澤菜月も自己紹介をする。

 これについては姉さんから前に聞いたな、と俺は以前の話を思い返した。

 それにかぶさるようにして、鏡奏も口を挟む。


「だからさ、松原君、敬語止めない?こっちもちょっと、それだと話しにくいというか、距離と感じるというか……別に、タメ口で良いでしょ?私なんか、凄い先輩以外には皆タメ口だよ?」

「えー……?」


 今度は俺が「えー?」という番だった。

 普通の状況ならこれで乗っかってもいいのかもしれないが、俺と彼女たちの仕事上の関係性はちょっと特殊である。


 こういう場合、バイトというのはアイドル相手にタメ口で良いのだろうか。

 人によっては失礼な態度に思われるような気もするが。


 どうにも分からず、俺は助けを求めるようにして天沢茜の方を見た。

 すると、彼女は意外にも鏡奏に同意する意見を出す。


「私も別に、タメ口で良いと思うけど……だってほら、私の方からは、既にタメ口で話しているのだし。片方だけ敬語って言うのも、変でしょう?」

「……それはまあ、確かに」


 思い返せば前回の推理の途中から、天沢茜は常にタメ口だった。

 そんな彼女にこう言われてみると、確かに俺の方だけ敬語というのも変な気がしてくる。

 しかし、そうなると────。


「……必然的に、『天沢』とか『鏡』とかを呼び捨てるような形になるけど、良いのか?俺は普段、こういう話し方だから」


 一度、タメ口でそう確認してみる。

 すると何か面白いものでも見つけたように、鏡奏が「おおー!」と声を上げた。


「だいじょぶ、だいじょぶ!それで良いって。っていうか、自然体みたいな感じがして、私はそっちの方が好きかも」

「それは、また……どうも?」


 タメ口で話すだけで褒められるというよく分からない経験に、俺は困惑しながら頷いてみる。

 すぐに苦笑いを浮かべた天沢茜────改め天沢が、俺の耳元に口を近づけた。


「ごめんなさい。奏は多分、菜月のことを気にしているの。菜月は凄く礼儀正しい子で、いつも敬語だから……それで、貴方の敬語も嫌だったんだと思う」

「長澤さん……じゃない、長澤が?」


 そう言えばさっきの敬語に関する話でも、「菜月みたいに」というフレーズがあった。

 長澤菜月は同じアイドルグループのメンバーに対しても、常に敬語で話しているということか。

 話し振りからすると、鏡はそれを気にしているらしい。


 ──まだ距離を置かれているとか、仲良くなり切れていないと危惧している、とか?


 何となく、俺は少し遅れるようにしてついてくる長澤をチラリと横目で見る。

 思い返してみれば、彼女は今までもオドオドしているというか、他の人の発言に追従するような話し方をしていた気もする。

 その辺りを鏡は気に病んでいて────俺の敬語に対しても、同じような気配を感じ取ったのだろうか。


 ──こういう風に変に距離感を詰めてくるのは、どちらかというと長澤のためということか?


 思い付きに等しい推理だが、そんなことを考えて俺はまた後ろの長澤の方を見やる。

 このメンバーの中では初めて知り合った存在でもあるし、もうちょっと彼女のことを知りたくて────。




 ……しかし、そんなことを考えていたせいで。

 俺は、前方への注意が疎かになっていたのだろう。


 実はこの時、俺の前方からはとある人物が早足で通路を駆け抜けようとしていた。

 余程急いでいるのか、前も見ず、顔を伏せながら。


 長澤の方を見ていた俺は、その人物を避けることが出来なかった。

 だからこそ、まあまあの強さでぶつかってしまったのである。

 あまり大きな音ではないが、それでもドン、と音が響く程度にはしっかりと。




 まず感じたのは、俺の脇の辺りを走る衝撃。

 続いてべしゃり、と何かが貼り付いたかのような感触。

 最後にツン、と鼻につくほどの女性物の香水の香りが通り抜けていった。


「うおっ……あ、すいません。前、見えてなくて」


 反射的に、俺は前方に顔を向けて謝罪を入れる。

 ついでにこれまたある種の反射なのか、相手とぶつかってしまったところを軽く手で払った。

 別に汚れたわけではないのだが、小さな痛みを誤魔化すようにぶつかってしまった左半身を手で拭って……。


 ──ん?


 そこで俺は、自分の手に妙な感触を得た。

 何か、俺の手に付着している。

 より正確に言うと、相手とぶつかったところを拭った拍子に何故かその手が()()()()()


 ──何だ、これ。何が付いた?


 ぶつかった相手には失礼な対応になってしまうが、俺はそこで視線をずらして自分の手の方を見つめてしまう。

 手に走った感触が割と不快な物だったこともあり、つい気になったのだ。

 そして自分の手を観察した俺は、さらなる疑問に包まれる。


 ──これ……泥?


 一瞬目を疑ったが、間違いない。

 俺の手には少量の泥がへばりついている。


 理由は考えるまでも無い。

 俺が今ぶつかった相手の体には、泥が付いていたのだろう。

 だからぶつかった拍子に、俺にもそれが付着した。


 ──でも何でこの人、泥なんか付けているんだ?パッと見、普通の格好をしている相手に見えるけど……。


 率直に、そんなことを考える。

 そもそもにして、何故相手の体に泥が付いていたのか。

 外の地面はぬかるんでいたが、それでも人の体に付着しているというのは流石にそうそう無い。


 自然、俺は視線を上げて相手を見つめた。

 ぶつかった拍子に壁まで弾き飛ばされてしまい、その場で休んでいるらしいその人を。


 そして────俺はもう一度驚く。

 目の前の光景が、意外過ぎて。


 先程に泥の件については、一時忘れた。

 そんなことよりも、「この人、見たことあるぞ」という衝撃の方が大きかったのである。


 ──さっき、俺に関係者用入口の場所を教えてくれたスタッフの人だ……フリースを脱いでるけど、間違いない。


 相変わらずの眼鏡と帽子で顔が良く見えなかったが、判別は可能だった。

 間違いなく、俺の目の前に居るのはあのスタッフの女性である。

 今はフリースを脱いで、それを抱え込むように両手で持っているが、違いといえばそれだけだった。


 彼女は不意に俺の方を見つめ、ちょっと驚いた感じで口を開ける。

 向こうも、俺がさっき会ったばかりの存在であることに気が付いたのだろうか。


 しかし、その驚きも一瞬の事だった。

 すぐにその女性は表情を隠し、ボソボソと返答をする。


「……いえ、こちらもすいません。ちょっと、下を向いていたので……では」


 何か、急ぐ用事でもあったのだろうか。

 彼女はそれだけの言葉を言い終わると、スタスタと歩き去ろうとする。


 俺たちが先程までいた、あの控室の方に向かっているのだろう。

 キツイくらいに身に纏っている香水の匂いが、彼女の動きに追従するようにして流れていく。


 しかし彼女の行動は、そこでまたも止められた。

 再び人にぶつかった訳ではない。

 俺の後ろに居た鏡が、素っ頓狂な声で話しかけたのである。


「あれ、()()()()じゃないですか?……どうしたんです?」


 鏡の言葉を受けて、まるで電流でも流したように女性は足を止める。

 そのままゆっくりと振り返って、俺たちの方を────いや恐らくは、鏡、天沢、長澤と言ったグラジオラスメンバーの方を見た。


 彼女の瞳は軽く揺れ動き、まるで何かに混乱しているように見える。

 だが恐れ知らずの鏡が彼女の前に立ち、何やら話をし始めた。


 ──……月野?……月野、だって?


 一方、俺の方もさらなる混乱に襲われていた。

 原因は勿論、鏡が告げた「月野先輩」という単語である。

 彼女がそう呼ぶということは、このジャージ姿の女性は────。


 ──え、もしかしてこの人、今日の主役のアイドルなのか?……マジで?


 思いがけないところから襲ってきた急展開に、俺は割と真剣に頭が呆けてしまう。

 状況的に、そうとしか考えられない。


 先程の控室でも、彼女は月野羽衣の事を指して「月野先輩」と呼称していた。

 凄い先輩相手に対してのみ鏡は敬語を使うという、さっき聞いた話とも符合する。

 総合的に考えて、この女性の名前は「月野羽衣」としか考えられない。


 ……つまり、なんだ。

 先程の俺は「アイドルのライブ会場を歩き回っていたら、その主役のアイドルにばったり出会う」という、レアケースというか、非現実的というか、安いネット小説みたいな展開に遭遇していたということだろうか。


 ──本当かよ……。


 心の中で、そんなことをぼやく。

 もしそうだとしたら、一体どんな確率だ。

 理屈上そうとしか考えられないとは思いながらも、流石に信じられない。


 グラジオラスメンバーと知り合っておいて何だが、普通アイドルというのは、こう簡単には出会わない存在だろう。

 そもそもバイトの中で必然的にアイドルと出会うのと、今回のような形でアイドルと出会うのでは意味合いが違う。

 俺が迷子になってあの通路を歩いていたのは、完全な偶然なのだから。


 ──……どうにも信じられない。一応、確かめておくか……。


 ごちゃごちゃと考えている内にそんな考えに至った俺は、何やら先輩後輩として会話をしているらしい鏡たちを尻目にこっそりと天沢茜の方に近寄った。

 どうもさっきから、困ったことがあると彼女に頼ってばかりな気がする。

 申し訳ないことをしているなと思いながら、恐る恐る声をかけた。


「……なあ」

「ん、何?」

「あの人って……その、アイドルの人?」


 問いかけた瞬間、天沢が訳が分からなそうな顔をした。

 道行く人に「一足す一って答えは二ですよね?」と問いかけたら、今の天沢と同じ顔をしてくれることだろう。

 その顔のまま、彼女は律儀にも答えてくれる。


「……当然でしょう?月野羽衣さん。今日の主役なんだから……もしかして、アイドルに詳しくないの?」

「あー……うん。多分、そう」


 無論、その「もしかして」である。

 俺はテレビや動画サイトの類を大して見ないし、ボヌールでバイトを始めてからも純粋に掃除以外のことはやっていなかった。

 行きの際に見たライブのポスターでも俺の地図ばかり見ていて、アイドルの顔は注視していない。


 月野羽衣についても、ドラマとかよく出てるな、名前は知っているかも、くらいの認識だ。

 顔は最初からよく知らなかった。


 しかしまさか、直に話しても気が付かないとは。

 色んな意味で自分にびっくりである。


 ──いやだって、あんな裏道って感じのところをアイドルが歩いているとか想像できなかったし……何であんなところ歩いていたんだ、この人?


 ある種の八つ当たりというか、自己弁護めいた思考でそんなことを考える。

 仮に彼女がもうちょっとしっかりした格好で控室の真ん中に座っていたら、俺も流石に分かったことだろう。

 顔でも隠しているような帽子と眼鏡を身につけた上で日も射さないような場所に居るから、ピンと来なかったのである。


「そういえば先輩、どうしたんですかその上着?今日は割と寒いでしょう?」

「ああ……これはその、ちょっと派手に転んじゃって……」

「え?……あー、確かに、泥がついちゃってますね……」


 俺がそんなことを考えている内に、鏡とジャージ姿のスタッフ、改め月野羽衣の会話には変化があったらしい。

 泥という言葉に引き寄せられ、俺はそちらに視線をやる。


 すると、月野羽衣が自分の抱えていたフリースを鏡の前で広げているのが見えた。

 何か、状況を説明しているのか。

 少し早口で、彼女はフリースのある部分を指さす。


「ほら、ここの腕の部分。転んだ時に地面に突っ込んじゃったから、ぐちゃぐちゃでしょう?」

「うわー……これはまた、災難でしたね」

「まあ、良いけどね。もう捨てるから、これも」


 そんなことを言いながら、彼女は素早くフリースを畳み、また胸の前で抱える。

 彼女の言葉通り、左腕の部分だけが泥まみれになってしまっているその服を。


 俺はその服をチラリと見て────少しだけ、首を捻った。

 というのもその光景を見た瞬間、俺の頭が二つの理解をしたのである。


 心の半分は、納得を。

 もう半分が、何らかの謎を。

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