爆弾を作る時(Stage7 終)
「因みにこの真相、松原君はその後に教えてもらったの?茉奈ちゃんが何をしていたかっていうのは」
「まあ、ある程度は。それを抜きにしても、母屋に帰ってきたら、明らかに室内にメロンのいい香りが漂っているんだからな。小学生でも、流石に真相に気が付くよ」
だから、半分くらいは本人から聞いたのでは無く、自分で解いた記憶もある。
明らかに急いで何を食べていたらしい茉奈──口元に、まるで髭のようにしてメロンの果汁が付着していた──を見ているうちに、おおよその真相は自然と分かった。
その上で茉奈を問い詰めて、細かいところを補完した流れである。
既にメロンの完食という目的を果たしていた茉奈は、そこまで抵抗せずに真相を教えてくれたのだ。
「じゃあ、その時の松原君は結局、従姉妹さんに良いようにやられちゃったのね。折角のメロンも食べられちゃったし……」
やや同情するようにして、天沢はそんな言葉を労うようにして声をかけてくる。
六年前の話だというのに、俺が高級メロンを食べられなかったことを残念がっているのか。
「メロン関係については、確かにそんな感じだったかもな……尤も、他の部分でつり合いはとってもらったけど」
「つり合い?」
「ああ。言っただろう?これは元々、俺が夏休みの宿題をこなせなくて困っていたところから始まった話だって」
要するに、茉奈は「高級メロンを一人で完食すること」が最終目標だったが、俺はそうでは無かった、という話である。
俺は元々、読書感想文なり、自由研究なりが完成すればそれで良かったのだ。
この時の俺は丁度よく、茉奈がやったことの真相を知った。
そして、その事実は俺に大きなアドバンテージを与える物だった。
何せ────。
「俺はその場で、茉奈にこう言ったんだ。『事故とは言え、茉奈がメロンを隠したことで、幾つかのスイカが駄目になっちゃっている。つまり茉奈は、食べ物を粗末にした訳だ。もしこのことが伯父さんたちにバレたら……ただ単にメロンを盗んだということよりも、もっと怒られるんじゃないかな?』って」
「あ、そう言えば……その子のお父さんたち、食べ物を粗末にすることに凄く厳しいって」
「ああ、その通り。ただ高級メロンを独り占めしたかったというだけなら、まだ子どものしたことだってことで済むかもしれない。でも、スイカの爆発という形で食べ物を粗末にした以上、彼女はもっと叱られてしまうんだ」
恐らく、茉奈がメロンの独り占めに走ったのは、「万一見つかっても逆鱗には触れないだろう」という読みも関係している。
何せ、盗んで一人で食べたということは、食べ物を粗末にしたどころか大事に味わって食べているのである。
盗んだこと自体は叱られても、大激怒とまではいかないだろう、と踏んだのだ。
しかし、スイカの爆発を引き起こした以上、この案件は伯父さんたちの逆鱗に触れてしまう。
どう安く見積もっても、夕食抜きは固い。
食い意地の張った茉奈にとっては、中々辛いはずだ。
つまり茉奈は、実は本人の知らないところでやったことの罪深さが膨れ上がってしまっていた。
そのことに気が付いた俺は、彼女にそれを自覚させて────さらに、こう囁いたのである。
「『俺がこのことを告げ口したら、茉奈は凄く叱られる……俺の意向次第で、それは決まってしまうんだ。だから、取り引きしない?』って感じのことを、その場で言った」
「取り引き?」
「ああ。茉奈もすぐに乗ってくれた……お陰で俺は、夏休みの宿題が一つ減ったよ」
そういって、俺は天沢に対してちょっと笑って見せる。
すると、天沢たちが「うわあ……」という顔になった。
これに関しては、全員が意図をすぐに察したらしい。
「松原君……悪うー……」
うつ伏せのままの帯刀さんが、ぼそりとそう呟く。
意図的かどうかは知らないが、六年前に聞いたそれと全く同じ語調だった。
それを前にして、俺は少々言い訳めいたことを話すことになる。
「まあ、当時はとにかく宿題が面倒だったので……親戚同士、こういうのはちょこちょこありましたから。姉さんとか、俺にもっと凄いことしてたし」
「いえ、それもどうかと思うけど」
今度は天沢からツッコミが入った。
これに関しては心底同意することだったので、俺はタハハ、と笑う。
笑うしかない。
……ここまで言うと、もう直接言葉にするのもアレだが、一応詳しく述べておこう。
要するに、俺は茉奈のことを脅迫したのである。
メロン泥棒の件と、スイカ爆発のことは黙っておいてやるから、口止め料代わりに俺の宿題をやってくれ、と。
茉奈が途中で述べていたが、彼女と俺は通っている小学校が違うので、仮に二人して全く同じ内容の宿題を提出しようが、まずバレはしない。
茉奈はそれを利用して、俺がやった宿題を自分が丸写しすると言っていたが、当然これは、立場を逆にしても通用する理屈である。
つまり、茉奈がやった宿題を俺が丸写しして提出しても、特に問題は無いということだ。
元々、俺は姉さんがやった宿題を丸写しする気だった。
そのコピー対象が、紆余曲折を経て姉さんから茉奈に変化した形になる。
茉奈は茉奈でどうせ自分の宿題は何時かやらなくてはいけないことなので、それに乗っかったのだ。
かくして、両者の利害が一致する形で事件は終結したのである。
俺は爆発したスイカの皮などを密かに捨てて、隠蔽に協力。
茉奈は茉奈で、それから自力で自由研究を作成し、それを俺に見せてきた。
何だかんだで、高級メロンの代わりに和室に放置された普通のメロンの方も「期待していたほどの味じゃなかったね」で済んだ記憶がある。
爆発なんて派手なことが起こった割に、静かに話はけりがついたのだった。
「こういう訳で、長くなったが、俺の思い出話は終了だ。茉奈の人となりも、まあ大体説明出来た……と思う」
そこまで言ったところで、俺は話の締めとしてパン、と掌を軽く打つ。
すると、ちょっと呆れたように鏡が口を挟んだ。
「何か、昔の謎解きの様子って言うよりも、当時の松原君って結構悪い子だったんだなあっていうのだけ分かった気がするけど」
「あー……それはまあ、うん」
これに関しては否定出来ないところではあったので、俺は軽く頷く。
この話の頃、すなわち十歳頃というのは、姉さんが大学への通学のために家を出て下宿しており、俺の頭を押さえつける存在が居なかった時期である。
ある意味で、俺が一番調子に乗っていた頃だった。
親戚相手とは言え、推理を通して脅迫したり、宿題も可能な限り手抜きして提出したりしていたのは、その辺りが影響している気がする。
──その後、姉さんがボヌールに就職してこっちに戻ってきて、また鼻っ柱を叩き折られるんだけどなあ……。
当時の記憶を反芻して、俺はまた遠い目をした。
そして同時に、ある意味茉奈と俺は逆方向の育ち方をしたな、とも思う。
俺の場合、まず姉さんに良いようにやられて泣き喚いていた幼少期、姉さんの影が薄くなって鼻高々だった少年期を経て、今のニュートラルな状態に落ち着いたが。
茉奈の場合はその逆で、最初は真面目で良い子だったのが、段々と凄い方向に向かった。
そういう意味では────。
「まあでも、今の俺と茉奈は、立場が逆転しているからな。その辺りを考慮すると、あの頃にした悪さはもう清算されている感じもある。今だと、茉奈の我が儘をこっちを聞く方が多いし」
「我が儘って……前言っていた、洗濯のこと?」
今の関係性を振り返ってふとそんな言葉を漏らすと、天沢が思い出したようにそう問いかけた。
彼女には茉奈からの電話について話したことがあったので、自然と連想されたらしい。
逆に他の四人は、洗濯と聞いて不思議そうな顔をした。
「何々、その子とまた何かあったの?洗濯って」
「まあ、ちょっとな……何にせよ、今は茉奈の方が俺に対して横暴なのは間違いないって話だ」
「そんなに、悪い人になったんですか?」
「悪い人というか……ケバい人になったな。可愛げも無くなった」
鏡と長澤の質問を、軽く処理する。
だが俺の最後に言葉に、長澤がきょとん、とした顔をした。
ケバい、という言葉が分からなかったのだろうか。
補足がてら、俺はそこで意味を説明しようとして────その瞬間。
俺は、自分から見て背中側にあった扉から、苛立たし気に声が響くのを知覚した。
「そっかー……玲はアタシのこと、そんな風に思ってたんだあ」
ふーん、知らなかったなあ。
そんな、冷え冷えとした声。
それと、コツコツとつま先で床を叩く音。
最後に、ファサリ、と髪が揺れた音がした。
それらの音を耳にした瞬間、俺は自身の体を構成する筋肉の全てを使って、瞬時に背後を振り返る。
脳はまさかそんな、と混乱していたのだが、脊髄が敏感に危険を察知していたのだ。
俺は半自動的に休憩室の入口に視線を向け────そのまま、呆然と呟く。
「ま、茉奈?……何でここに」
来るのは明日だったはずじゃ、と言いたくて、口を何度か開閉させる。
だが声にならなかったようで、ただその場で唇を動かすだけにとどまった。
結果、俺は意味も無く茉奈の姿を見つめる形になる。
まず目に入るのは、何段階にもウェーブのかかった金色の髪。
照明を照り返して輝くそれは目に痛く、さながら反射材のようになっている。
逆に言えば、そう見えるくらいに鮮やかな金色をしていた。
その下に見えるのは、とても手間をかけたメイク────いや、率直に言おう。
どう贔屓目に見ても、「過剰」としか表現出来ないレベルの厚化粧をした顔があった。
いかなる魔法を使ったのか、元の倍近くに引き延ばされた瞳。
隈取りと錯覚するほどに塗りたくられたアイライン。
地肌が何色なのか、分からないレベルで皮膚を覆うチーク。
血よりも血色の良いリップ。
上述の構成要素が全て、茉奈の顔の上で陣取り合戦の後みたいに塗りたくられているので、こうとしか表現出来ないのだ。
その有様は、メイクというよりも塗装に近かった。
仮に今、この状態のまま茉奈の肉体だけが何処かに消失したなら、この場には化粧品で構成されたデスマスクが残るだろう。
さらに下、すなわち彼女の着ている服は、茉奈の通う高校のそれだったのでマトモではあった。
しかし、顔の方が物凄いので、何だか制服も変わって見えてくる。
少なくとも、勉学に励む高校生のそれには見えない。
要するに、そこに居た俺の従姉妹は。
昔とは打って変わって、恐ろしくゴテゴテと厚化粧をしたギャル風の衣装で佇んでいた。
彼女は中二の頃から常にこの格好なので、最早驚く話でもないのだが────それでも突然見つけると、心臓に悪い。
「……どうも、連絡ミスがあったらしいな。もしくは、玲が日付を勘違いしていたんじゃないか?だから、私が迎えに行く羽目になった」
俺が久しぶりに見る茉奈の姿に呆けていると、やがて待望の説明が追加される。
その声の主は茉奈では無く、いつの間にか姿を見せていた姉さんだった。
何やら訳知り顔で、茉奈の背後から登場してくる。
「松原プロデューサー補……従姉妹さんを、迎えに?」
「まあ、そうだ。仕事のついでにな。偶々電車を使って駅にまで戻ってきたら、茉奈が駅前で待ちぼうけを喰らっていたから、事務所に戻りがてら回収したんだ」
長澤が質問をすると、姉さんは大体の過程を説明してくれる。
同時に、隣に居る茉奈に対して、「ほら、挨拶」と促した。
それを受けて、茉奈は表情を一変させると、するりと礼をする。
「グラジオラスの皆さん、初めまして。夏美さん……ではなくて、松原プロデューサー補及びそこにいる玲君の従姉妹で、松原茉奈と申します。本日は少々、ボヌール内を見学させてもらっていまして……皆さんにご迷惑はかけませんので、どうかお許しを」
「え、あ……はい」
意外と丁寧な挨拶がなされたことに驚いたのか、何度か瞬きをしながら、酒井さんが辛うじて答える。
俺はそれを見ながら、このあたりの礼儀正しさは変わらないなあ、と思った。
伯父さんたちは、食べ物を粗末にすることの次に、こういう礼儀に厳しかった。
だが、そう思っている内に、茉奈は俺の方をキッ、と見つめる。
というか、睨む。
そして、グラジオラスメンバーを無視してツカツカと俺の元に歩み寄ってくると、ぼそりと呟いた。
「こんなに綺麗なアイドルの皆さんに、アタシの居ないところで、アタシのことを『悪い子』とか『ケバい』とか吹き込んだ馬鹿の処分は……分かってんでしょうね、アンタ?」
「ええー……」
──だって、本当にケバいじゃん。
密かにそう思ったが、勿論口にはしなかった。
俺はまだ、命が惜しい。
……何にせよ、事実は一つ。
八月を半ばにして、俺の夏休みはまた賑やかになってしまったらしい、ということだった。
いや、しかし本当に、これには参った。
ここへきて、爆弾みたいな奴が我が家に来てしまった。
どれほどメロンをスイカに近づけようと、ここまでの爆弾は作れまい。
今はもう、夏休みもいよいよ後半戦に向かう時期だ。
今年の夏休みは、初日が例の火災だったので、後半くらいは平穏であって欲しい、などと考えていたのだが。
どうにも俺の儚い望みは、茉奈の言葉と共に吹き飛んでしまったようである。




