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今更ながら紹介される時

「それで、どうしてここに?」


 三人は互いに多少話した後、代表者という感じで天沢茜が口を開いた。

 三人の中で一番俺と面識があるのは彼女なので、自分から聞いておこうと思ったのだろう。

 そのせいか、自然な流れでも俺も説明に入れた。


「ええっと、何でもこの控室に送るお茶の数が間違っていたらしくて。十本くらい事務所に残っちゃってたんで、こちらに届けるように頼まれたんです」

「ふーん。でも、お茶なんて普通に余ってるのに……」


 しょうも無いこと頼まれちゃったね、と鏡奏が同情的なことを口にする。

 それを聞いて、全くだと思った。

 貴重な休日の時間を割き、迷子になってまで俺は何をしているのやら。


「……因みに、そちらはどうしてこの会場に?」


 俺は何となく、会話の流れでそんなことを聞いてみる。

 考えられる理由は多くは無かったが、それでも多少は気になったのだ。

 すぐに帰ってきた答えは、まあ予想通りの物だったが。


「私たち、このライブのバックダンサーですから。慣例的に、事務所の先輩のライブでは後輩のアイドルの子が手伝うようになってて……」

「月野先輩の後ろで、さっきまで踊ってたんだよねー。午前のライブ自体がもう終わったけど」


 俺の問いには、長澤菜月と鏡奏がめいめい説明してくれる。

 それを受けて、天沢茜がさらに補足した。


「私たちみたいな新人は、どうしても経験が足りないでしょう?だから、こういう場所でステージの経験を積むようになっているの。今日はその一つだった、ということ」

「なるほど……じゃあ貴女方は皆、午前中のライブに?」

「ええ。午前中は私たち三人で……桜さんと多織さんも、夜に参加する予定になっているしね」


 ──桜?多織?


 一瞬誰か分からず、当惑した表情を浮かべてしまう。

 しかし幸い、すぐに記憶が想起された。

 確かこの名前は……。


「ああ、そうか。グラジオラスの残り二人ですね?」

「そう、酒井桜(さかいさくら)さんと、帯刀多織(たてわきたお)さん……松原君は、話したことが無いかもしれないけど」


 そう言えば直に話したことは無いなと思いつつ、俺は以前見たレッスン風景を思い出して一人納得する。

 話によれば、グラジオラスは五人組のグループだった。

 ここに居る三人を除いた残り二人のメンバーも、ライブは参加するようだ。


 今日の月野羽衣のライブは、昼の部と夜の部に分かれているとも言っていた。

 昼はこの三人、夜は残りの二人と、参加者を分配したのだろう。


 互いにおおよその事情を把握し、俺と天沢茜はなるほどなるほど、と納得し合う。

 と言っても、視線を合わせて頷き合っただけだが。

 するとその様子を見て、長澤菜月が不思議そうな顔をした。


「茜さん、彼と親しいんですか?何だか、見知った雰囲気ですけど……」

「え?……あー、それは」

「あ、それ、私も気になった」


 乗っかるようにして、鏡奏の方も問いかける。


「私たち、あの人と話したことそんなにないよね?菜月が初日にちょっと会話した、とかは言ってたけど……どこで親しくなったの、茜?」


 その声色は純粋な疑問を示すそれではなく、どちらかと言うと少しからかいの混じった物だった。

 どうやら、鏡奏はこういうイジリをするタイプらしい。


 ──不味いな……面識がある理由が言いにくい。全部言ったら、タブレットの一件がバレちゃうし。


 説明に困って、俺は首の後ろをバリボリと掻いた。

 かなり小規模ではあるが、あの話は他人に知られては不味い話……嫌な言い方をすれば、天沢茜が犯したルール違反を揉み消した話だ。

 同じグループのメンバーであろうとそう簡単に話すのもどうか、という気がする。


 天沢茜の方も同じようなことを考えたのだろう。

 困ったような顔で少し固まった後、こちらを少し見て。

 それから、こんな感じの事を告げた。


「大したことない話よ……以前、私がレッスン室に忘れ物をしたのを彼が拾って届けてくれたの。その時に、ちょっと自己紹介をしたから」

「へー……いつ?」

「一週間くらい前だったと思うけど」


 そう言って、天沢茜はもう一度こちらを見た。

 恐らく「こういう設定で誤魔化すので、話を合わせて欲しい」という意図があったのだろう。


 俺の方も異存は無かったので、すぐにその話に乗っかった。

 タブレットを置き忘れたからこそルール違反になるのであって、それ以外の忘れ物という設定にするのなら特に問題は無い。


「今、天沢さんが話した通りですよ。まあ、数分話しただけですけどね。互いに顔と名前を知っているだけ、というか」

「ふーん?」


 何だつまんない、とでも言いたげな顔で鏡奏が口を尖らせる。

 もうちょっと、色気のある話でも期待していたのだろうか。

 それはそれでアイドルとしてはどうなんだと思い、俺は呆れた声を出そうとして────。




「……あれ、渋沢さん?お疲れ様です」


 口を挟まずに興味深そうに会話を聞いていた長澤菜月が、ふと控室の入口付近を見てそんな声を上げた。


 ──渋沢……?


 誰だそれ、と俺も入口の方を見やる。

 すると確かに、そこには新しい人影があった。


 そこに居たのは、背の高いスーツ姿の男性。

 七三分けに銀縁眼鏡、鋭い瞳に引き締まった顎と、如何にも仕事が出来ますという感じの顔をした中々の美形だった。

 誰だろうと思った次の瞬間には、彼の胸元に俺と同じスタッフ証がぶら下がっていることに気が付く。


 ──グラジオラスメンバーとも知り合いみたいだし……ボヌールの社員か?


 考えている内に、その人物は「ああ、お疲れ」と挨拶をしながらスタスタと部屋に入ってくる。

 そして、部屋の隅に置いてあるゴミ箱に手に持っていた何か──よくよく見たら缶コーヒーだった。さっきまで飲んでいたのだろうか──を突っ込む。

 まだ缶の中に中身が残っていたのか、ピシャッと液体が跳ねる音がした。


「渋沢さん、お疲れ様です」

「お疲れ様でーす」


 最初に天沢茜が、次に鏡奏がやや間延びして挨拶をする。

 結果的に、俺と長澤菜月がそれに続くような形で会釈をした。

 同時に俺は偶々位置が近かった長澤菜月に近寄って、ひそひそ声で質問をする。


「……誰ですか、この人?」

「月野先輩のチーフマネージャーさんですよ。ライブなので、見に来ているんです」

「チーフマネージャー?」

「月野先輩、人気の人だからマネージャーさんが何人か居て……そのマネージャーさんたちのまとめ役、ということです」


 長澤菜月の方も、コソコソと回答を返してくる。

 それを聞きながら、俺はへえ、と驚いていた。

 結構若く見えるのだが──三十そこそこだろう──その「まとめ役」になっているということは、見た目通り優秀な人なのだろうか。


 そんな今更のような確認をする俺たちを尻目に、渋沢というチーフマネージャーは跳ねたコーヒーのついた手をハンカチで拭き、さらに物のついでという感じでこちらを見た。

 彼が身動きするたびに、男物の香水の匂いが控室に微かに広がる。

 割とお洒落に注意を払う人なのだろうか。


「……君たち、確か、グラジオラスだったな?午前の部に出てた……」

「あ、はい、そうです!午前の部も終わって、お弁当も受け取ったので、これから帰ろうとしているところで……」


 少し緊張した様子で、鏡奏が返事をする。

 彼からすれば、バックダンサーだったグラジオラスメンバーの印象はそこまで強くないらしい。

 何となく帰るタイミングを逃した──渋沢マネージャーが出入り口を体で塞ぐように立っているので出にくいのだ──俺は、傍観しながらそう考える。


「そうか。なら、本当にお疲れ様だな。メインは羽衣だったとはいえ、かなり疲れただろう?」

「あ、それはまあ、それなりに……はい、疲れました」

「練習はしてきたつもりでしたけど、やっぱり本番の緊張は違うなと思いました」


 アイドルたちを労う渋沢マネージャーの言葉に対して、長澤菜月と天沢茜が、それぞれ実に「らしい」返答をする。

 質問者としても予想通りだったのか、帰ってきたのは浅い微笑みだった。


「どれほど経験しても、本番は緊張する物だ。君たちもこれから頑張ってくれよ」


 彼女たちの言葉を受け止めると、如何にも百戦錬磨という感じで渋沢マネージャーはそんなことを言う。

 そして、彼はそのままくるりとこちらに背を向けた。

 帰るらしい。


 ──単純に、缶コーヒーを捨てに来たのか。それで偶々グラジオラスメンバーを見つけたから声をかけた、と。


 担当しているアイドルのライブなのだから当然の事なのだろうが、彼もボヌールの人間らしく動きが「爆速」である。

 せかせかとした動きで彼は廊下に向かい、すぐに姿が見えなくなった。




「……やっぱり、担当マネージャーさんって、忙しいんですね。ライブとライブの間でも、こんなに走り回って……」


 渋沢さんが立ち去ってから、何となく俺はそんなことを呟く。

 アイドルのマネージャーと呼ばれる人の仕事ぶりを見るのはこれが初めてだったので、ちょっと印象深かったのだ。

 普段の掃除バイトでは、マネージャーたちと話すような機会は特に無い。


「凄いよねー。月野先輩、中学二年生の頃からアイドルしているけど、最初から渋沢さんがマネージャーしているんだって。もう五年くらい二人三脚で、一緒に駆けあがってるって言うか……」


 俺の言葉に答えるように、鏡奏がそんなことを言った。

 どういう訳か、その話の内容は妙に詳しい。

 月野羽衣のファンなのかな、などと考えて────。


「ところで、松原君、今からどうする?もしかして、ボヌールまで帰ったりする?」


 思考を進める前に、鏡奏がくるりとこちらを振り返った。

 突発的な行動に、思わず俺はおっとっと、と心理的に姿勢を立て直す。


 ──話のテンポ早いな、この人。さっきまで全く別の話をしていたのに。


 あまりにも話の切り替えが早いせいで、スパッと答えられなかった。

 微妙に話しにくいな、と思いつつ返答する。


「俺はまあ、お茶も届け終わったので報告がてら一度ボヌールに戻りますけど……ええと、どうして?」

「だってほら、私たちも一度事務所に帰ることになっているからさ。どうせ同じようにボヌールまで帰るんだったら、ここで別れる必要も無いかなーって」


 凄く明るい口調でそう言ってから、軽く鏡奏は首を傾げる。

 さも「何故この人は当たり前のことを聞いているんだろう?」とでも思っているような顔だった。

 首の動きに合わせてさらさらと揺れるセミロングも、その感情を明瞭に伝えてくる。


 ──要するに、「一緒に帰らないか」ってことか?別に断る理由もないけど……距離感近いな、この人。


 互いに存在だけなら前から知っていたとは言え、まともに話し出してから五分くらいしか経っていない相手に割とグイグイ来ている。

 どうも、かなり活発な性格をしているアイドルらしい。

 話しているだけで、「陽」のオーラにテンションを持って行かれそうになった。


 そのオーラのせいか、俺はちょっと返事を出来ないまま固まってしまう。

 すると俺の様子を見かねてか、他二人が口を挟んだ。


「……奏、落ち着いて。初見の人は、貴女のテンションの高さをよく知らないんだから」

「えー、だってー。私も松原君の事とか、松原プロデューサー補の情報とか知りたいしー。松原プロデューサー補の昔話って、すっごく聞きたくない?」

「奏さんのゴシップ好きも、ほどほどにしておかないと、痛い目見ると思いますよ……」


 長澤菜月と天沢茜がめいめいで窘めると、反射的にか口を尖らせ、むーっと鏡奏は不満を示す。

 俺と帰りたいというのは、そういう目論見もあったようだった。


 ──つまりこの人、周囲の人に聞きまわるくらいに芸能関係のゴシップが好きなのか……ああ、だからさっきも、月野羽衣の詳しい話を?


 変なところで謎が解けてしまい、それに乗じて俺は自分を取り戻す。

 ゴシップ好きのアイドルとは、また変な人と知り合った。

 そんなことを思いつつ、ようやく口を開く。


「ええと、俺も異存は無いですし……じゃあ、帰りましょうか、一緒に」

「あれ、良いの?何か、躊躇ってなかった?」

「いえ、姉さんの話くらいならいくらでも出来るので……」


 寧ろ弟として、語りたいことは山ほどある。

 恐らく八割は愚痴だが、鏡奏には興味深いことだろう。

 だからこその返答だったのだが、こちらの予想以上に喜んでもらえたらしく────鏡奏はニコッと、見惚れそうになるほどに綺麗な笑みを返した。


「そう?じゃあ、松原君が体験した話とか、たっぷり聞かせて!約束!」


 そう言った瞬間には彼女はこちらに背を向け、「荷物持ってくるから、ちょっと待っててー!」と言って駆け出していった。

 それにつられてか、慌てて他二人もその背中を追いかける。

 彼女たちも、荷物を取りに行ったのだろう。


 ただし、相も変わらず律儀な長澤菜月は走り出す前に手刀でお辞儀をしていくのを忘れなかった。

 俺より若いのに出来た子だなあ……などと思いつつ、俺はお辞儀を返す。

 同時に俺は「約束」を守るべく、印象的な姉さんとのエピソードについて回想を始めていた。






 しかし、結果から言えば。

 鏡奏とのこの約束は、守られなかった。


 何故か?

 それの理由は、単純。

 俺が再び「日常の謎」に出会い────話題の中心がそれに切り替わったからである。


 いや、もっと正確に言おう。

 既に俺は「日常の謎」に出会っている。

 ただ、気が付いていなかっただけで。


 この「自分が気が付けていないことがある」ということに気が付いたのが、その五分後。

 鏡奏たち三人を、依然として控室で待っていた時のことだった。

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