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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Stage5:ロック・グッドバイ

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もう一度、夕暮れ時/consulting detective(Stage5 終)

「それで?そのお前に出来ることというのは、何なんだ、玲?」


 俺が天沢に推理を語った、次の日。

 何とか理由を付けて姉さんと会い、昨日の出来事を全て伝えると、姉さんはそんな問いかけを俺にしてきた。


 余程忙しいのか、彼女は俺の話を聞きながらもパソコンから指を離していない。

 それでも、こうして問いかけてくるあたり、ちゃんと理解はしてくれているようだが。


「……その前に聞かせて欲しい、姉さん」


 相変わらず忙しいのに、迷惑をかけてしまうな、と申し訳なく思う。

 だがこちらにはこちらの事情があるので、遠慮なく問いかけた。


「……何だ?」

「天沢のオーバートレーニングに対して、姉さんはどんな対策を取るんだ?それを、まず聞いておきたい」


 四月に雛倉ジムへと天沢を向かわせたことから分かるように、姉さんは天沢へのオーバートレーニングに対して、適時対策を取っている。

 当然、今回のことに対しても対策を打ち出さないといけない訳だ。

 その案を、一先ず聞いておきたかった。


「……まあ、とりあえず例のジムへとまた行かせる形になるな。私たちは今の忙しさから言って、丁寧な対応が出来ない。自主練は一旦全て禁止にして、そちらに対応を任せた方が良いだろう。体を壊してからでは、何もかもが遅い。不安になりがちな性格とかについては、またジムからの紹介でカウンセリングでも行かせよう」


 淡々と、姉さんは素人目にも妥当だな、と思える対策を告げる。

 まあ、そんな感じになる気はしていた。


 凛音さんの引退騒動から数えて、一週間以上経過している。

 その間オーバートレーニングを続けていたと考えると、既に天沢の体には相応の負荷がかかっている可能性は高い。


 パッと見は普通そうに見えたし、実際現在のところは特に怪我などはしていないようだが、油断は出来ないということだ。

 再び自主練をさせないようにするのは、必須事項と言えた。

 そうやって頷いていると、姉さんは不意に、「ただ……」と含みを持たせる。


「ただ、今は夏休みということもあって、ジムの方の時間が取りにくいからな……茜には、かなり待たせる形にはなってしまう。その間にまた練習をしないか、気を付けないといけないが」

「……なるほど」

「それに、ジムでの説教の効果は長続きしないってことは今回のことで証明されてしまったからな……また、新しい対策も考えようとは思う。これについては、まだ私も思いついていないが」


 前々から決めていたのか、流れるような説明をしてくれる。

 それらを一息に言い切ってから、姉さんは俺を上目遣いに見つめた。


 お前はどうする、と聞いているらしい。

 それを受けて、まず俺は姉さんの提案を咀嚼した。


 ──しかし、自主練の全面禁止か。天沢の一番恐れていた奴が来たな……。


 元々ダンスが好きな天沢としては、今以上に苦しくなるかもしれない対応策。

 しかし、妥当でもある対策。

 それについて、俺はまず持論を述べることにする。


「……俺も、そんな感じで対応するのは正しいと思う。天沢本人の話からしても、彼女のオーバートレーニング癖は、もう本人の意思で制御できるものでもないらしいし」

「茜本人が、そう言っていたのか?」

「ああ……天沢が言ってた。彼女も一応、毎日『今日こそは約束を守って二時間だけ練習しよう』と考えてレッスン室に来ていたって。でも、その初心を守れたことが無い、と」


 昨日、休憩室の会話の中で去り際に言っていたことである。

 そしてこれこそ、彼女がオーバートレーニングなんてやらかしていながら、わざわざボヌールのレッスン室を使っていた理由でもあった。


 変な話だが、俺はこの理由を聞いて一番納得がいった。

 ああなるほど、そうだったのか、と。


 と言うのも、何気に不思議だったのである。

 彼女はここのところ、オーバートレーニングを繰り返していた。

 当然、それは周囲にはバレてはならないことでもあった。


 だというのに、何故、人目のあるボヌールのレッスン室を練習場所として使っていたのか?


 いくらレッスン室を使っている人が少ないとは言え、それでも訪れる人はゼロではない。

 本当にオーバートレーニングのことを隠したいのなら、彼女はもっと別の場所で練習をすべきなのだ。

 それでも、彼女は毎日ボヌールに来ていた。


 この矛盾に対する解答は、天沢の話によればシンプルだ。

 曰く、彼女なりの枷だったらしい。


 と言うのは、彼女としても、約束を破っていることに前から罪悪感はあったそうなのだ。

 過剰に練習はせず、ちゃんと二時間きっかりで終わった方が良い、とは分かっていた。


 だからこそ、「今日こそはオーバートレーニングはすっぱりやめて、約束通り、二時間だけやろう。約束通りの時間しか練習しないんだから、ここを使っても問題ない」と自分に言い聞かせつつ、ボヌールのレッスン室を使っていたらしい。

 何なら、いくら自分でもこんなに人目のある場所ならば、周囲を気にして約束を守るだろう──多少オーバートレーニングがしたくなっても、自制出来るだろう──とも思っていたそうだ。


 しかし、現実には予定通りの二時間が過ぎても、彼女は自制が出来なかった。

 この程度の練習で大丈夫なのか、本当に良いのか、という自らの囁きに勝てなかった。

 結果、あと一時間だけ、もう三十分だけ、と言い訳しながらレッスン室に籠り続け────その勢いで日が暮れる、という毎日だったらしい。


「……だから、一つ思うんだけど、さ」

「何だ?」

「専門家への相談は勿論すべきだと思うけど……それに加えて今の天沢には、予定時刻が来た瞬間に、強制的に練習を止めさせるストッパー的な存在が必要なんじゃないかって思う。どれほど彼女が練習を続けたがっても、無理矢理にでもレッスン室から引っぺがすような人が。自分で自分を止められなくても、そういう人が居れば、多分、当面は体を壊さないんじゃないか?」

「……まあ、それはそうかもしれないが」


 少し興味を抱いたように、姉さんが指を止めてこちらに視線をやる。

 何が言いたいか知らんが、続けろ、とその顔が言っていた。

 それに勢いづいて、俺は昨日から考えていた提案を述べる。


「だから、さ。一つ提案、なんだけど」

「何だ?」

「さっき姉さんも言ってた新しい対策の一環として……俺が、そのストッパーになるのはどうかなあ、と思って。そして、監視役を設ける代わりに、現状許されている二時間の自主練は継続する……どう?」


 大分変なことを言っているなあ、と俺は自分でそれを口にしながら、自分に呆れる。

 自惚れも過ぎるというか、姉さんの立場からすれば傾聴する価値も無い話だ。

 多少時間を置けば、専門家には会えるのだから。


 つまりこれは、本来なら、一蹴されてしかるべき提案。

 どう考えても、一般人のバイトにやらせはしない話。


 しかし、それを聞いても、姉さんは眉を微かに動かすだけだった。

 それを頼みに、もう少し俺は話を続ける。


「……実際、実行可能な話ではあるだろう?俺は夏休みでどうせ毎日暇だし、バイトが再開したらどうせここには来ないといけない。それに、天沢にもその内『お詫び』関連の仕事の順番が回ってくるかもしれない以上、さっき言ったように練習時間を急にゼロにするのは、あまり良くないだろう?」


 天沢にも言ったが、彼女だけが暇、というのはあくまで現時点での話。

 時間が経てば、恐らくは彼女にも仕事が来ることもあるだろう。

 そうでなくとも、メンバー全員で出演してください、というオファーがあれば、それだけで確実に出ることとなる。

 

 つまり、またオーバートレーニングをしていたからと言って、練習を一切するな、体を休ませることに専念せよ、とは言いにくい状況なのだ。

 次に来た仕事は、テレビでのステージ披露でした、なんてこともあるかもしれないのだから。


 そうなると、許されている二時間の自主練自体は、続けた方が良いということになる。

 いくら何でも、練習ゼロの状態で本番には向かえまい。

 オーバーにならない範囲で、やらせなければならないのだ。


 その上で、ボヌールの人達が凛音さんの引退騒動の影響で忙しく、グラジオラスメンバーも何かと「お詫び」関連の仕事が入っているのなら、やはりストッパーには俺が一番適任である。

 どう考えたって、この事務所に出入りする人間の中で、俺が最も暇なのだから。


「幸い、今のところ天沢も体が不調だとか、既に怪我しているということは無いらしい。この状態で練習をゼロにさせると、また何もしていないという状況に不安に陥るかもしれない。だったら、現状許されている量の自主練くらいは……」

「お前の監視付きで許しておくのがベター、ということか」


 ふむ、と頷いてから、姉さんは瞳を閉じる。

 彼女の脳内で、リスクヘッジに関する算盤がパチパチと弾かれているのが透けて見えた。


 俺の提案を、真剣に吟味してくれているのか。

 しばらくそうしてから、姉さんは目を閉じたまま呟く。


「……少し、聞くぞ」

「どうぞ」

「今更と言えば今更だが、業務内容が掃除から離れすぎている。もしそれを実行しても、お前にはバイト代は出ないが、それで良いのか?」

「まあ、それは別に良いよ。元から滅茶苦茶お金に困っていた訳じゃないし、そもそもバイト代だって余って貯金しているくらいだし……」


 最初の指摘は、本当に困っていないことなので一蹴する。

 事実、四月から俺の口座に振りこまれているバイト代は、大して使うアテもなく着々とため込まれている状況にあった。

 時給の高さと拘束時間の変な長さのせいで、高校生としてはそこそこの額になっているのだが、何に使えばいいのだろうか、アレ。


「じゃあ、次。その監視とやらを実行した場合、実際に練習する天沢はともかく、見張っているだけのお前は付き添う間、かなり暇になる。要するに、これは掃除のバイト以上に退屈な話だ。それでもいいのか?」

「それも……別に良い。監視している間は、それこそ、天沢のダンスでも見ているから」


 こちらも、大した問題では無かった。

 本心から、そう返答する。


 素人目に見ても、彼女の動きは流麗に過ぎる。

 例えそれが、身体の負荷を無視したオーバートレーニングの賜物であろうが、美しい物は美しい。


 そんな美しい物を、一円も払わずに見守れる立場になるのだから、退屈で困るというのはちょっと想像出来なかった。

 練習だとしても、多分飽きないだろう。


「それもどうかって気がするが、まあいいだろう。最後だ……お前の提案を採用したとしても、まさか茜と四六時中一緒に居る訳じゃない。あくまで、二時間の練習の間、一緒に居るだけだ。そうだな?」

「そうなるな。俺だって夏休みの宿題がまだちょっと残っているし」

「それはさっさとやれ、私は手伝わないからな……脱線したが、つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。この点については、何か対策はあるか?」


 流石は姉さん、と言うべきか。

 そこで彼女は、俺の提案の根本的な弱点と言えるところを指摘した。


 そう、姉さんの言う通りだ。

 あくまでこれは、許容されている二時間の練習を見張るためだけの物。

 彼女が自宅や別のジムなどでこっそり練習を始めてしまえば、オーバートレーニングを防ぐという目論見はご破算となる。


 この場合、彼女が練習のし過ぎで体を壊すかもしれない、というリスクは変化しない。

 何なら、俺に見張らせているという安心感から、周囲がオーバートレーニングに気が付くのが遅れるかもしれない。

 そこを、姉さんは聞いているのだ。


 無論、俺としてもこの点は吟味していた。

 だから、予め用意していた答えを告げておく。


「そこについては……それこそ、()()をしようと思う」

「推理?」

「ああ。要するに、今回と同じことをするんだ」


 ────今回の一件を振り返るに、天沢は、オーバートレーニングを隠そうとしていた。

 だが、結局は不思議な点を残してしまい、俺に見抜かれてしまった。


 また、四月に密かにオーバートレーニングをしていた時も、これは同様だ。

 彼女は証拠隠滅に慌てるあまり、タブレットを置き忘れるという致命的なミスを犯した。

 そのせいで、俺に追いつかれたのである。


 つまり、変な言い方になるが。

 天沢には、「一切の証拠を残さずにオーバートレーニングの痕跡を隠し通せる程の隠滅能力」というような物は無い訳だ。

 

 失礼な話だが、彼女の知恵は俺のそれを大きくは超えていない。

 彼女が何か隠し事をした場合、必ずどこかにおかしな点や矛盾点が生まれる。

 少なくとも、俺のような探偵擬きでも気が付けるくらいには、証拠が残るのだ。


 ならば、これからの俺の出来ることは────。


「だから……天沢がまた変なことをし始めたら、俺が絶対に推理して、それを見抜く。出会った時しかり、今回しかり、経験はあるんだ。次も、絶対にやって見せる。何度でも」

「そして、何か隠し事をしていたらすぐに私に報告、という流れか」

「そういうこと。それでその時には、もっとキツイ対策を始めたらいい」


 ここまで見張って尚、オーバートレーニングを再開させてしまうのであれば、最早仕方が無い。

 練習の全面禁止だろうが何だろうが、やらざるを得ないだろう。

 ただ、それを始めるか否かのタイミングを、俺の推理によって推し量らせてもらう、ということだ。


「まあ要するに、天沢付きのマネージャー役になるというか、顧問みたいなことをするというか……顧問探偵?みたいになるんだ。何か彼女がやらかしたら、それを一番最初に推理する探偵役。それになることを、姉さんには許してほしい」

「顧問探偵、ね」


 顧問弁護士というのはよく聞くが、顧問探偵というのはあまり聞かないな、とやや笑って姉さんが感想を述べた。

 そして、意外と言うか何というか、大して悩むこともなく決済は降りた。

 ゆらりと姉さんは瞳を見開き、気負うことなく言葉を放つ。


「まあ、良いだろう。やりたいというのなら、やってみろ」

「……あ、良いのか?」

「ああ。さっきも言ったように、どうせ雛倉ジムでの予約はかなり先になるんだ。これからお盆で、しばらくあそこはやっていないしな。とりあえずはそこで専門家の対策とカウンセリングを受けるまでの間は、お前の監視に委ねよう」


 ──凄いな……こういうのも、「爆速」なのか、姉さん。


 呆気ないくらいに簡単に認められて、俺はちょっと驚く。

 正直、「素人に監視させるくらいなら、普通に練習を全面禁止にした方がマシ」と一蹴されるかもしれないとも思っていたのだが。

 しかし事実として俺の提案は普通に受け入れられており、自然、俺はそれに沿った対応をする。


「了解……ええと、ありがとう」

「いや、今回は私が後手に回っていたからな……寧ろ、お前に助けられた形になる。このくらいの要求、断る理由が無い」


 そう言って、姉さんは自身の後頭部を、キーボードから離した爪で浅く掻いた。

 この癖、姉弟で共通していたらしい。

 何気に、初めて知った。


「凛音の騒動をなまじ間近に見た分、茜が真っ先に崩れる可能性があるのは分かっていたが……忙しさにかまけて、オーバートレーニングに気が付けなかった。そう言う意味では、今回は私のやらかしをお前に尻拭いしてもらったんだ。すまなかったな、玲」

「……仕方ないよ。それだけ忙しかったら」


 らしくもなくしおらしいことを言う姉さんを前にして、俺はつい彼女を庇う。

 実際、夏休み入って以降、姉さんが家に帰ってきたところを見たことが無い。


 下手なブラック企業もドン引きするような状況に姉さんが身を置いていることは、明らかだった。

 この人はそれすらもちょっと楽しんでいそうだから、まあアレだが。


「それでも、だ。私には責任があるからな……そう言う意味でも、今のお前の提案は助かった。少し癪だが、葉の勘を信じて良かったよ」

「……葉兄ちゃん?」


 突然飛び出た名前に、俺は首を傾げる。

 しかし、それに答えず、姉さんは俺を追い払うようにヒラヒラと手を振った。

 何でもない、と言いたいらしい。


「まあ、提案は委細承知した。早速今日から、天沢が自主練をしたいと言い出した時はそうしておいてくれ。もし誰かに、掃除のバイトが何故ここに居るのかと聞かれたら、私の命令だと言えばそれでいい」

「ああ、了解」

「あと、このことは茜にも当然言って置けよ……恐らく、部屋の前まで来ているから」


 最後にそんな推理を述べて、姉さんは俺を部屋から退去させたのだった。




「……どうだった?」


 執務室から出た瞬間、俺は姉さんの推理通りの光景を目にする。

 すなわち、いつの間にか廊下で待機していた天沢と出くわしたのだ。


 俺が姉さんにこの提案をすることに関しては、昨日の時点で既に伝えていた。

 それでも、特に待ち合わせていた訳では無かったのだが、来てくれていたらしい。


 まだ午前中──と言ってもあとちょっとでお昼だが──ということもあってか、流石に彼女は練習はしていないようだった。

 服はオレンジのカットソーに青いデニム、靴もサンダルとなっていて、あまり踊ろうという格好ではない。

 レッスン室に向かう途中という訳でもなく、純粋に俺の提案の進捗が気になった、ということか。


「……姉さんの許可は貰ったよ。二時間の自主練については、基本このままってことになった。俺の監視付きで、だけど」

「そう……それは本当に、良かった」


 とりあえず、彼女が一番気にしているであろうことについて報告をすると、彼女はそう言ってほっと安心した顔になった。

 ダンス好きの彼女としては、これ以上練習時間が減らされなかったことが、一番の安堵をもたらしたのだろう。

 自然、最初にそれを確認してから、彼女は申し訳なさそうな顔を浮かべることになった。


「でも、ごめんなさい。松原君に、こんなに迷惑をかけて……元はと言えば、全て私の自業自得なのに、こんなに助力まで……」

「昨日も言ったが、それは別に良いよ。夏休み中暇なんだし、俺も」


 姉さん以上にしおらしい顔をする天沢を前に、調子が狂った俺は、首の後ろをボリボリと掻く。

 昨日の推理が終わってから、彼女はずっとこの調子だ。

 昨日の帰り際にも、自分のためにそんな提案をしなくてもいい、練習の全面禁止も正直辛いけど仕方ない、と実にうるさかった。


 それを何とか押しとどめ、姉さんへの直談判を納得させはしたのだが。

 それでも余程自分を責めているのか、恐ろしく浮かない顔をする彼女に、続いて俺はこう告げる。


「……この提案は、君のためである以上に、俺自身のためにやっていることでもある。その点を言えば、俺に謝ることは無いよ、天沢」

「松原君の、ため?」

「ああ……だって俺は、ある意味感謝しているくらいだから、天沢に」

「……どういうこと?」

()()()()()()()()()()()()ってこと」


 ────葉兄ちゃん相手に、俺がもっと芸能界のことを知ろうと思う、今まで知らなさ過ぎた、と啖呵を切ったのが昨日の電話での出来事。

 しかし実を言えば、俺はあれを言った時点では、どうやってアイドルについて知っていくのかは完全に白紙だった。

 たかが掃除のバイトが、どうやって芸能界に接していくのか、ノープランだったのである。


 しかし今ここに、この世界により深く関わるための、絶好の理由が出現した。

 ふと目を放してしまえば、すぐにオーバートレーニングに走ってしまいかねないアイドルの監視。

 俺にも出来る仕事で、同時に双方に利がある仕事である。


 天沢は、このことで体を壊すのを避けられる。

 俺はこれで、よりグラジオラスに関われるし、これを端緒にもっとこの世界に詳しくなれる。

 互いの利益は一致しているのだ。


 だからこそ、天沢は俺に感謝する必要は無い。

 俺はこの世界について深く知るために、彼女を足掛かりとしたとのだから。

 嫌な言い方をすれば、彼女の失態を利用した、とも言える。


 ──まあ、それを抜きにしても、こんなに頑張っている人がこんなことで追い詰められて行くのは気分が悪い、というのもあるけど。


 内心、そんなことも思った。

 しかし、それは口には出さない。

 言うべきことでも無い。


 だから、俺はそこで会話は打ち切って、普通に次の話題に移った。

 一先ずは、これからのことよりも今日の予定である。


「……因みに、これからどうするんだ、天沢?」

「ええと……今日は、練習無しにするつもり。今まで、やりすぎだったから。普通にお昼ご飯をどこかで食べて帰るけど……松原君も来る?」

「じゃあ、一緒に行こうか。どうせ俺も昼ごはん食べなきゃいけないんだし……早速、監視も兼ねて同行しよう」

「……信用無いのね、私」

「たった今から、君を疑うのが俺の仕事になったからな」

「ええと……苦労掛けます、かしら?」

「その言い方も何か変だな……」


 互いに、らしくも無い軽口を言い合いながらボヌールの廊下を歩いて行く。

 何気に、これも初めての体験だった。

 これからは、よくあることなのかもしれないが。


 ボヌールでバイトを初めて、四ヶ月が経つ。

 そのバイト初日、夕暮れ時に全力ダッシュして追いかけた少女と、こういう関係になるというのは、流石に俺の推理でも予測は出来なかった。


 片や、芸能界に興味を持ち始めた探偵擬き。

 片や、生来の心配性と傑出したダンス技術を併せ持つアイドル。


 二度の「日常の謎」で、アイドルは二回とも犯人役となって。

 俺は探偵役として、彼女を二回とも捕まえた。


 その中で俺たちは、何となくだが互いに互いについて変に詳しくなっていっている。

 だからこそ、こんな軽口まで叩ける。


 この二人、すなわち俺たちを知り合わせた切っ掛けが、常に彼女のオーバートレーニングにあったというのも、こうして振り返れば中々に変な感じがした。

 未だかつて、こんなことが切っ掛けで仲良くなった探偵と犯人なんて、存在するのだろうか。


 本当にこの世界は、「青空密室」だ。

 開けているように見えながら、一度中に踏み入ると、何が起きるか分からない。




 ──この世界では、一般人が毎日体験するようなことは一生起こらず、逆に一般人が一生体験しないようなことが、毎日起こる。


 ──……学べよ、玲?




 ふと、かつて姉さんが言った言葉が頭に浮かんで。

 次の瞬間には、「事務所前のファミレスで良い?」という天沢の声にかき消され、消えた。

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