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迷子になる時

 気軽にお遣いを頼んでくるだけあって、目的地であるコンサートホールはボヌールの事務所から本当に近い位置にあった。

 具体的に言えば、電車で二駅くらいである。

 目的の駅の真ん中には堂々と「月野羽衣ライブ!」と書かれたポスターが貼られていて、迷うと言うこともなかった。


 だが、しかし。

 すいすいと進むことが出来たのは、あくまで会場に辿り着くまでの話。

 会場の中に入った瞬間、俺は少々困ってしまった。


 当たり前のことではあるのだが、俺はその会場に一度も行ったことが無いし、関係者用の控室にも行ったことが無い。

 ポスターに導かれて会場には行けたのだが、一度中に入ってしまうと何が何やら分からなくなるのである。


 勿論、篠原さんが建物内部の地図を簡単に書いてくれてはいる。

 しかし地図と言う物は、その場所に対して一切知識がない者が見た場合、結構な確率で意味が伝わらないものだ。


 だから、なのだろうが────。


「……どこだ、控室」


 お茶を収めた袋を右手に、書いてもらった地図を左手に。

 そんな物たちで両手を埋めたまま、俺は呆然と会場内で呟いた。


 会場内に入ってから、十分強が経過している。

 だと言うのに俺は未だ、関係者用の控室に辿り着けていない。

 そこにお茶を置くだけで、この仕事は終わるはずなのだが。


「ヤバイな……迷子か?これ」


 意識よりも先に無意識が事態を正しく認識したのか、意図せずそんな言葉を呟いてしまう。

 認めたくはないが、仕方が無い。


 どうやら俺は、道に迷ってしまっているようだった。

 この、狭い関係者用通路の中で……。




「おかしいな、ちゃんと地図を見て歩いてきたんだけど……」


 恐らく迷子になった人間が全員実行する行為なのだろうが、俺はまずじっくりと地図を睨みつけ、道順を再確認した。

 そこには大雑把な絵で、関係者用入口からの道順が書かれてある。

 これによれば、入り口から中に入って真っすぐ奥に進めば右手の方に控室はある、という風になっていた。


 故に、俺はその通りに歩いてきたつもりなのだが────どうにも風景が周囲と一致しない。

 この地図が正しければ、俺の右手の方には既に控室が見えていなければおかしいのだ。

 しかし実際のところ、俺の視界に映る物は全く違う。


「何か、倉庫って感じの部屋だよな。この通路から繋がっているの……」


 通路の真ん中に佇み、周囲をキョロキョロと見渡しながらそう確認する。

 この「倉庫って感じ」というのは、決して俺の推測ではない。

 何せ廊下から繋がる部屋の扉の殆どに、堂々と「第一倉庫」とか「機材準備室」とか明記されているのだ。


 倉庫を控室に転用したとかいう事情が無い限り、このような部屋がアイドルの控室になることはまず無いだろう。

 偶々開いていたらしい部屋の一室──俺が来た時から、何故か扉が半開きだった──の中を軽く覗きもしたのだが、室内に収められているのは名前も分からない機材だけだった。


 倉庫の風景を無視しても、全体的に床が割と埃っぽいというか、あまり使われていないような印象がする空間だった。

 どう見たって人の気配がない。


 推測だが、ここのコンサートホールの管理をしている人たちですらそうそう使わないよう物を押し込めておく場所なのでは無いだろうか、ここ。

 床には足跡が見えるので、誰も来ていない訳でも無いらしいが。


「そうなると、ここは今回のライブでは大して使われない部屋なんだから……もしかして、入ってくるところを間違えたか?俺が使ったのとは別の場所に、もう一つの関係者用入口があるとか?」


 続いて、有り得そうな可能性を挙げてみる。

 俺はここに来るとき、会場入口は例のスタッフ証で切り抜けたのだが、関係者用入口を探す過程で少し迷っていたのである。

 渡された地図には「関係者用入口から入った後の道順」しか書いていなかったので、関係者用入口の位置そのものが分からなかったのだ。


 結局会場の周囲を沿うようにぐるりと回り、何とか見つけた「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた扉を開けたのである。

 丁度、スタッフらしきスーツ姿の男性がその扉を開けて中に入ろうとしていたため、ここで間違いないと考えたのだ。


 だがもしかすると、あれが間違いだったのだろうか。

 今思えば、これだけ大きなイベントなのに関係者用入口に誰もいなかったのも引っ掛かる。

 俺が利用したこの関係者用入口はもっと別の人が使う用途の物で──業者の点検とか──ライブの関係者には、また別の関係者用入口が用意されていたのではないだろうか。


「そうなると、さっさと引き返した方が良いな。また、会場の周囲をぐるっと回ることになるけど……戻るか」


 そうぼやきながら、俺は体を反転させる。

 道を間違えた人間が共通して抱くのであろう徒労感を存分に味わいながら、元々通っていた扉へと戻った。

 大した距離でも無いので、すぐに辿り着いて外に出たが。


 ……扉を開けた途端、屋外を埋める剥き出しの地面が目に入る。

 如何にも裏口という感じの場所だからか、この辺りは舗装もされていない。


 前の日が雨だったせいで水溜りまで複数存在していて、控えめに言ってもぐちゃぐちゃな様子だった。

 近くの壁に貼ってある「敷地内喫煙禁止」というポスターも、雨か風によって薄汚れていた。


「改めて見てみると、これがライブ関係者用の入口に繋がる道のはずが無いよな……どう考えたって汚れるし、警備の人も居ないし」


 人間というのは不思議なもので、ここに入る時には「スタッフの姿もあったし、ここが入り口に違いない」などと考えていたのに、こうして違うと分かってから見てみると「ここが入り口のはずが無い」と思うようになってくる。

 一種の、先入観の賜物なのだろうか。


 何にせよ、先程までの自分の判断が今では信じられないというのは結構落ち込む感覚だ。

 既に味わっている徒労感が、一層増した気がする。


 四月も終わりだというのに、今日はやけに気温が低い。

 気を抜くとくしゃみでもしてしまいそうなその空気感も、テンションを下げるには十分な理由だった。


「……腐っていても仕方ないか。ちゃんとした関係者入口を探さないと……」


 そう言いながら、俺はまた視線をキョロキョロと動かした。

 今度こそ、ちゃんと入り口を見つけようと思ったのである。


 すると、そこに────。


 ──……ん?……スタッフか?


 人が歩いてきた気配を察して、俺はそちらに視線をやった。

 途端に俺の視界の一部が、こちらに近づいてくる一人の女性の姿を捉える。

 会場の外壁に沿うようにして歩いてくる、女性の姿を。


 パッと見た感じ、若い女性だった。

 大きな眼鏡をかけ、帽子を深く被っているので顔が分かりづらいが、二十代くらいだろうか。

 特に手に持つ物もなく、スタスタと早足で歩いている。


 服装としては、簡素な青色のジャージに冬物らしい赤のフリースという構成。

 恐らく今日の寒さに耐えかねて、冬用の上着を着込んできたのだろう。

 両手を上着のポケットを突っ込んで歩く様は、確かに寒そうだった。


 彼女がライブスタッフの一員であることはすぐに分かった。

 というのも彼女はその細い首から、俺と同じようにスタッフ証を下げていたのである。

 どういう立ち位置の人間かは分からないが、このライブの関係者であることは間違いない。


「……あの、すいません!」


 それを認識した瞬間には、俺は彼女に声をかけていた。

 彼女としては鬱陶しい声だったかもしれないが、今の俺の立場からすると彼女の存在は天の助けである。

 頼らない、という選択肢は無かった。


「ちょっと、道をお伺いしても良いですか?その、俺、届け物を頼まれたスタッフなんですけど……」


 彼女の方に駆けよりながら──無論、水溜りを踏まないようには注意した──俺は早口でそう説明する。

 怪しまれるかとも思ったが、これ以外に説明のしようもない。

 俺は眼前の女性がこの話を信じてくれる可能性に賭けて、手早く事情を話した。


 その話を聞いた時、女性がどう思っていたのかは知らない。

 しかし何にせよ、話を聞き終わった彼女は何故か小声でこう言ってくれた。


「……今、私が来た方向を目指して、建物に沿ってそのまま進めば扉があります。そこが今回のライブの関係者用入口ですよ。警備の人とか居るから、すぐに分かると思います」

「あっ、そうですか。ありがとうございます」


 やはり本物の関係者用入口には、警備などもちゃんと敷かれているらしい。

 当然と言えば当然の顛末に、俺は何となく恥ずかしくなる。


 お礼を素早く告げて、その場から歩き出していく。

 すると説明を終えた彼女の方も、妙にキビキビとした動きで俺とは逆方向に──俺が先ほどまでいた倉庫の方に──立ち去っていった。


 ──間違えて入った俺はともかく……彼女はあそこに何の用があるんだろう?


 一瞬、俺はそんなことを思った。

 しかし、わざわざ詮索することでも無い。

 深く考えることも無く、俺は顔を前に向けるのだった。




 彼女の言葉通りに歩くこと、約五分。

 助言通りの位置に存在した関係者用入口に、俺はすんなり辿り着いた。

 分かってしまえば、普通に辿りつける場所だったのである。


「丁度、さっき間違って入った入口と真反対の位置だな……この会場、対角線上に二つの関係者用入口を用意しているのか」


 ははあ、と警備やらスタッフやらが忙しく走り回っている入り口を見つめながら納得する。

 恐らくこの会場は上から見ると、ほぼ左右対称な構造をしているのだろう。

 入り口の位置や内部の部屋の配置に至るまで、鏡に映したように反対になっているのだ。


 そのせいで俺はしばらく間違いに気が付かないまま、反対の区域に入って行ってしまったらしい。

 道理で、中に入ってから地図が役に立たない訳だ。


 ──やっと来れたんだから、さっさと用事を終えないとな。お茶が温くなるし。


 そう思いながら、俺は真の関係者用入口に向かって足を進める。

 いい加減、手に持ったままのビニール袋が指の関節に食い込んで痛いくらいだ。

 早いところ、お遣いを終わらせてしまおう。


「……お疲れ様です。スタッフです」


 俺は警備の人に近寄り、スタッフ証を提示。

 年齢的な面で疑われるかもしれないとは思っていたのが、意外にも対応は「無言でスルー」だった。

 一度関係者であると認められれば、こういう場所ではそれ以上チェックされるようなことは無いらしい。


 ──そう言えば、前に姉さんが言ってたな。不法侵入者とかは、なまじ隠れようとするから捕まってしまう。だから堂々としていると、案外バレないとか……。


 そんなことを、テクテクと歩きながら思い出す。

 どんな流れでそんな会話をしたかは忘れたが、確かにそう言っていた。


 例えそこに居るはずが無い人物であろうと、堂々と歩いていれば案外周囲の人は疑ってこない。

 こんなに普通に居るんだから、当然関係者なんだろうと無意識に考えてしまう。

 なまじビクビクするからこそ、怪しい奴だと言われてしまうのだ。


 不法侵入とは話が全く違うが、今の俺も似たような状態だった。

 どうみても高校生である俺が、スタッフ証とお茶のペットボトルだけ持って関係者用のスペースを歩いているというのは不審な光景だと思うのだが、案外ジロジロと見られない。

 普通に地図通りに歩き、すいすいと控室にまで到達出来た。


「失礼しまーす……」


 必要かどうかは分からなかったが、とりあえず声掛けをして控室の中に入っていく。

 瞬間、数多のスタッフやアイドルの視線が俺に集中する────ことは無く、ガランとした様子が目に飛び込んだ。


 昼のライブと夜のライブの合間の時間ということも相まって、人が出払っているらしい。

 俺が認めることが出来た物と言えば、ただそこに置かれてある備品だけだった。


 中央に置かれてあるのが、お弁当やお茶、さらにお菓子の類が置いてある大きな机。

 その周囲には、パイプ椅子が雑然と置かれてある。


 机と椅子を囲むようにして、鞄の類が床に直置きされてもいた。

 壁にはタイムスケジュールを書いた紙が貼ってあったし、他にゴミ箱などもあったが、室内にはそれ以外の物は無い。

 それでも今までこの手の部屋の様子を見たことが無かったので、何となく俺は好奇心交じりに観察してしまう。


 ──アイドルの控室って、こんな感じなんだ……。


 体育会系の部室のようだ、という感想が率直に脳内に浮かんできた。

 庶民的な感想だが、あながち間違っても居ないだろう。

 踊ったり歌ったりと、ハードな動きをこなしてきた人が戻ってくる場所なのだし。


 ──……まあ、俺はこのお茶を置けばいいだけなんだから、控室の様子なんか見ても仕方ないんだけど。


 そこで、ふと我に返る。

 何となく好奇心と野次馬感情からジロジロと観察してしまったが、あまり趣味の良くない行為をしているということに気が付いたのだ。

 慌てて俺は手に持ったビニール袋からお茶を取り出し、机の上に並べた。


 ──しかし、やっぱりお茶は元々運ばれた分だけでも余っているな……本当に、俺がわざわざここに来る意味って無かったような……。


 机の上に散乱する余り物のお茶を見ながら、俺は苦笑いを浮かべる。

 篠原さんも「万一」とか「念のため」とか言っていたが、お茶が十本減らされていたところで特に困りはしていないようだった。

 ライブに参加したアイドルやバックダンサーの全員がお茶を飲む訳でも無いので、当然の話だが。


 でも迷子になってまで届けに来たお茶が余り物に追加されるだけだと思うと、妙に空しくなるな、などと。

 そんなことを考えて、俺はまた徒労感に包まれる。


 そして、丁度その瞬間。




「……松原君?」




 聞き覚えのある声が、突如として入り口の方向から響く。

 そのせいで、俺は反射的に控室の入口の方を見た。

 そして────絶句してしまう。


「……天沢茜、さん?」


 声を失いながらも、何とか名前を絞り出した。

 思わずフルネームで呼ぼうとした後、咄嗟に敬称を付け加える。

 意外な事象に出くわしても脳と言うのは妙に冷静らしく、俺はそんな判断を無意識に下していた。


「んー?どうしたの?あかねー?」

「茜さん、どうして止まって……」


 そうこうしているうちに、廊下の方から追加して二人分の声が聞こえてくる。

 聞き覚えがある声だと思った瞬間には、ぴょこん、と小さな顔が控室内に飛びこんできた。


 丁度二人分、室内を覗いてくる人影があったのである。

 勿論というか何というか、この顔も知っていた。


 ──この前会った長澤菜月と……前回名前を聞かなかった、Xさんか。


 今度は、声を上げずに確認することが出来た。

 同時に俺は、少し前のタブレットに関する一件を思い出す。


 あの時、諸々の事情で俺とジムの前で話をした天沢茜。

 その前に、偶然ロッカー前で自己紹介をした長澤菜月。


 最後に、名前も知らないままXさんと呼んでいた少女。

 あの後にネットで調べた情報によれば確か、彼女は鏡奏(かがみかなで)という名前だったはずだ。


「あれ、あの人って……」

「松原プロデューサー補の弟の、掃除のバイトの人だよね?前見たけど……」

「そう。だから私、ちょっと驚いちゃって……」


 控室の入口の方で、三人が何やら会話をする。

 何やら興味津々という感じで、こちらを見ながら。

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