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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Stage5:ロック・グッドバイ

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天秤を揺らす時

「因みに聞くが……今、その女性用のシャワー室ってどんな様子だ?」

「どんな、ですか?」

「人が居るかどうか、とか」


 恐る恐る聞いてみると、意図が分かっていないのか、長澤は不思議そうに首を傾げる。

 しかし一応、答えてくれた。


「さっき言ったように、私たちが使っていた時は私たちしかいませんでした。今も、居ないと思いますよ。そもそも、レッスンをしているような人が今は殆どいませんでしたから」

「ああ、そういえばそんなこと聞いたな」

「お盆明けくらいには、正常スケジュールに復帰するとはなっているんですけど……私も、昨日の夕方に偶然茜さんに会わなかったら、ここには来なかったかもしれないくらいですから」


 昨日はこちらに用事があって、それで偶々、自主練から帰る途中の茜さんに会ったんですよね、と事情の説明が続く。

 この口ぶりからすると、本当に天沢以外のメンバーは、レッスン室を殆ど使っていない状況らしい。

 凛音さんの引退騒動からそれなりに経過したが、未だにレッスンの予定は組み直されていないのか。


 或いは、他のアイドルはめいめい自分で利用しているジムやレッスン場が別に存在し、わざわざボヌールのレッスン室には頼っていないのかもしれない、

 元々あそこは、天沢のように新人で、自前のレッスン場を見つけられていない人が使うことが多い場所なのか。


 ──だからこそシャワー室にも人がそうそう居ない……けど流石に、俺が現場の様子を見に行くのは無理だよなあ。


 もしかするとバレないかもしれない……が、バレたが最後、俺は姉さんに殺される気がする。

 そうでなくとも、前回の騒動中に行われた囮計画の影響で、俺のボヌール内での印象は微妙な感じになっているのだ。

 多分、ボヌールの一般社員の俺に対する印象は、「前回、犯人でもないのに何故か警察に疑われるくらい怪しい素振りを見せていた、紛らわしいバイト」くらいの物だろう。


 別段、俺のイメージが悪くなったところで特段害がある訳でも無いが、それでもある程度は良いようにしておきたいのがイメージという物である。

 この状況で、「よく分からない理由で女性用のシャワー室に入り込んでいた変態」というレッテルは貼られたくなかった。


 故に、直に自分の目で見るという最善の策は却下。

 ならば、次善の策は────。


「じゃあ……長澤、今はスマートフォン持ってるか?」

「スマホ?持ってますけど」

「申し訳ないが、それでシャワー室内の写真を撮ってきてくれないか?」

「写真、ですか?」


 予想していない流れだったのか、長澤がパチクリと瞬きをする。

 しかし、これが次善の策なのだから仕方が無い。

 苦労をかけてしまうが、頼むしかなかった。


「謎を解くにしても、そもそもどんな感じで財布を置いていたのか、その時の物の配置はどんな感じだったのか……俺は、そういう状況すら知らない。だから、見ておきたいんだ」


 一応、男性用のシャワー室には入っているので、大体同じ構造だろうとは予測出来ていたが、これで全然構造が違ったら、推理の方向自体が怪しくなってしまう。

 出来るなら、写真でもいいから自分の目で見ておきたかった。

 結果、俺は片手を立てて長澤に依頼をすることになる。


「俺は中に入れないから……頼む」

「ええと、とにかく写真を撮ってくれば良いんですね?……それなら、すぐやってきます」


 むん、と何故か軽く拳を握り、彼女はソファから立ち上がる。

 そして、スマートフォンをいくらか弄ってから、文字通り風のように休憩室から出て行った。

 気が付いた時には、俺の耳にタタタ、という駆け足の残響が届くだけになる。


「頼んだぞー」


 聞こえているかどうかは分からないが、俺は一応その背中に声をかけた。

 それと同時に、「これはこれで、中学生を騙して変な写真を撮らせている変態みたいで、何か罪悪感あるな……」とも感じたが。

 これに関しては、勘弁してもらおう。




「さて、長澤が帰ってくるまでに、こっちも推理を進めておくか……どうなれば、そんな光景になるのか。本当に、財布から金を盗んだのか」


 休憩室に残った俺は、一人でブツブツ言いながら、スマートフォンのメモアプリを起動させる。

 以前もこの部屋で似たようなことをしたが、それを再演する形になった。


 長澤にわざわざ頼んでおいてあれだが、実際のところ、現場の写真を見たところで、果たしてどれほどの情報が得られるかなんてことは全く分からない。

 場合によっては、全ての現場の状況を把握しても特に推理に使える情報は無かった、ということも有り得るだろう。


 その場合、俺は謎を推理するに当たって、純粋に理屈で勝負しなくてはならない。

 だからこそ、早い段階で考えをまとめておきたかった。

 ただでさえ、天沢をエントランスの方に待たせているために、怪しまれない内に謎を解くという時間制限があるのだから。


「……まず大元の謎は、本当に天沢は窃盗なんてしたのか、という一点。仮にやっているのなら、その動機を考えなくちゃいけない」


 真っ先に頭に浮かんだことから、ポチポチと打ち込んでいく。

 長澤が散々言っているように、天沢はそんな軽々と窃盗を行うような人物では無いはずだ。


 逆に言えば、それでも窃盗をやっていたのであれば、それは相応の理由があったから、ということになる。

 こちらの前提に従った場合は、俺はその動機を推理しなくてはならないだろう。

 そうしなければ、長澤は勿論、俺自身も納得出来ないのだから。


「逆に、窃盗なんてしていないとすれば、長澤の見た光景は何らかの誤解ということになる。この場合、どういう状況ならそんな紛らわしい光景になるのか、考えなくちゃならない」


 ボソボソ言いながら、そのこともメモ帳に打ち込んでいく。

 長澤の見た光景が幻覚でない限り、天沢がシャワー中に長澤の財布に手を突っ込んでいたということ自体は、事実とせざるを得ない。

 それでも窃盗はしていないと信じるのであれば、当然、「窃盗はしないけど財布の中身を漁らなければならない理由」を考える必要が出てくるのだ。


 これらの考えるべきことを踏まえた上で、俺は先程聞いた話も忘れないように打ち込んでいく。

 何時、どこで、誰が何をしていたのか。

 時系列に沿って、それっぽい行動リストを作った。


 ただ、行動リストと言っても、元々が小さな規模の話なので、そう長い物にはならない。

 すぐに書き込みは終わって、俺はそれを眺めることになる。

 そして、思わずちょっと呆れた声を漏らした。


「しかしこれ、両方に矛盾というか、パッと目につくおかしな点がいくつもあるな……」


 ううん、と無意識に首が捻られる。

 そのくらい、違和感のある文章だったのだ。

 特に、実際に窃盗をしていたのかもしれない、という仮説の方は、流れが滅茶苦茶だ。


 長澤は実際にその光景を見たために、そちらにばかり意識が向かったのかもしれない。

 だが、こうして文章を振り返ると、窃盗説はかなりの無理があるのが分かった。

 いや何なら、これらの状況証拠だけでも、天沢は本当に盗みなどやっていない、と断言してもいいかもしれない。


 そう言い切れる理由は色々ある。

 分かりやすいところを挙げれば、タイミングがそうだろうか。


 長澤が言っていた通り、天沢が財布を漁っていた時の状況というのは、シャワーの途中だった。

 彼女は、突然の電話に対応してから、何故か財布に手を伸ばしていたのである。


 この盗むタイミングというのが、どうにも変だ。

 元々泥棒をする気だったとすると、説明が付かない。


 仮に天沢にお金を盗む動機があったとしても、何故シャワーを一時中断している最中、という妙なタイミングでそれを決行しなくてはならないのか。

 ただでさえ電話の音のせいで、財布の持ち主である長澤の注目を集めかねない──実際、目撃されてしまっている──状況下で、やる必要がどこにあるのか。


 普通、盗むにしても、もっとバレなさそうなタイミングでやる物ではないのだろうか。

 例えば、早めにシャワーを終えて、まだシャワー中の長澤が個室に籠っている時に盗むとか。

 わざわざシャワーを中断してから盗むよりも、よっぽどバレないだろう。


 タイミング以外の点を挙げれば、服装に関しても疑問が残る。

 普通窃盗犯というのは、盗んだ物の隠し場所に一番神経を使うと、姉さんから何かの折に聞いたことがある。

 特に、財布の中身を抜くような輩は、盗んだ金銭を抜き身で持ち歩いていると犯行がバレかねないので、すぐに盗んだそれを自分の財布に移すとか何とか。


 つまり、衣服のポケットなど、盗品を隠す場所が豊富にあった方が窃盗というのはやりやすいのだ。

 しかし、事件中の天沢の格好はバスタオル一枚。

 これで、どこに盗んだ金銭を隠せというのか。


 そもそも、天沢がシャワー室に持ち込んだ物はスマートフォンだけで、自分の財布は持ってきていないとのことだった。

 俺が窃盗犯なら、自分の財布も持ってきて、隠す場所を増やすところだ。

 それをしていないという時点で、彼女の窃盗疑惑は大分減る。


 もっと言うと、天沢がその後、普通にシャワーに戻ったというのも、彼女が本当に盗みをしていたとすれば解せない点だ。

 これでは、脱いだ服に隠すなどして盗んだお金を隠せたとしても、それらを一時的に更衣スペースに放置する形になってしまう。


 犯人の心理として、これは有り得ることなのだろうか。

 盗んだお金を鍵も無い籠の中に放り込んで、自分は悠々とシャワーに戻る、というのは。

 普通、万が一にもバレないように肌身離さず持っておく──つまり、そこでシャワーを切り上げて服を着る──と思うのだが。


「でも、じゃあ盗む以外に財布を漁ってお金を手にする理由って何だ、となると難しいんだよな……あるか、そんなの?」


 ある程度窃盗説の無理を自問自答したところで、今度は思考を反転させ、俺は軽く唸る。

 そのくらい難問だった。


 これは要するに、「金銭に金銭以外の用途を見つけろ」と言われているような物である。

 だが紙幣にせよ、硬貨にせよ、金銭として以外の使用価値というのは、見つけるのが難しい。

 元が貨幣として作られている物なのだから、当然だが。


 それでも、パッと思いつくものを挙げれば────瓶の蓋を開けるために十円玉を使う、とかだろうか。

 栓抜きなどが無い時に、代用品として使う、あの使用法だ。


 そういう用途なら──無断でやることか、という気もするが──小銭を借りる目的で財布を漁るのもまだ分かる。

 しかし当然ながら、現場に瓶があったなどという証言は無い。


 また、仮に何か理由があったとしても、シャワーの跡に、天沢がそのことを長澤に説明していないのも気にかかる。

 後ろめたいことが無いのなら、ある種のマナーとして、その財布を漁った理由とやらを長澤に説明するのが普通だろう。

 例え、長澤に見られていたことに気が付いていなくても、だ。


 だと言うのに、その後の天沢は監視染みたことまでしていて、長澤から離れようとしていない。

 これまた、何もしていないのなら変な対応だ。

 一体、どういうことなのか。


 ……話が混沌としてきた。

 つまり、今までの推理をまとめると、現場の状況的には窃盗は考えにくい。

 しかし、事後の対応の怪しさを考えると、何も後ろめたいことをしていないとも思えない。


 妙な話だが、天沢にとって不利な証拠と有利な証拠が均等に並べられている感じがあった。

 片方に傾こうとすると、もう片方が邪魔をする。

 今回の「日常の謎」は、この二律背反と戦わなくてはならないらしい。


「あと、重要そうな話は……電話の内容か?でも、誰と電話をしていたのかが分かっていないしなあ」


 ポチポチとメモを続けながら、俺はそうぼやく。

 長澤がその光景を目撃する直前、天沢にかかっていたという電話。

 これがこの謎に関係しているかどうかも、現状では判別がつかない。


 電話に出た直後に財布を漁っていることを考えると、何かしら関係していそうな気もするし、電話に慌てて出ていたらしい様子からすると、あくまで偶然の電話のようにも感じる。

 少なくとも、シャワー中に突然来たあたり、予定されていた電話では無かったようだが。


 他に、気になる箇所は────。


「長澤の話では、天沢は最後の方で、『嘘でしょ』や『何でこんな』と言っている。これは一体、何を意味しているのかも気になるな……そもそもこれは、電話中の発言だったのか、電話を切った後だったのか」


 こうして文字に起こすと分かるが、こんな言葉、普通シャワーの途中に出てこない。

 何らかの緊急事態に遭遇しない限りは、口にしようとは思わない単語だろう。


 逆に言えば、こんなことを言うということは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということになる。

 仮に電話中の発言だったなら通話相手との間に、逆に既に電話を切っているのなら、シャワー室内に。

 何か、焦るようなことが発生したことになるのだ。


「しかし、緊急事態ねえ……それで財布を漁る、となると」


 ちょっと、考えが及ばない。

 まさか、さっき浮かんだ仮説のように、突発的に何かの瓶の蓋を開けたくなった訳でも無いだろうし。

 それも、シャワーの途中にわざわざ────。


「……ん?いやまて……」


 だがそこで、ふと。

 ある思い付きが、俺の脳裏をよぎる。


 仮説になりかけの、アイデアの卵。

 そんな物が、それこそ泡のように浮かんできた。


「そっか、それなら……ギリギリ有り得るか?そんな、使い辛いタイプの物が市販されているのかって気もするけど」


 頭の中で、いくらかその仮説を検証する。

 また、メモ帳の方もスクロールして、話を振り返った。


 そうやって、とりあえずざっと振り返る限りは矛盾はなさそうだな、と判断する。

 リアリティが足りないのと、事後対応を説明出来ないのが難点だが。


「でも一応、長澤に聞いておいた方が……」


 次に、そう軽く呟いた瞬間。

 一応の礼義という風に、休憩室の扉にノックが響いた。

 その音に反応した俺が顔を上げるのと、汗だくの長澤が「撮ってきました!」と飛び込んできたのは、ほぼ同時だった。

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