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アイドルのマネージャーにはなりたくない  作者: 塚山 凍
Stage5:ロック・グッドバイ

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閉め切る時

 レッスン室を出た瞬間、言われた通りに俺が首を右に向けた。

 当然ながら、そこにはずらりと続く廊下と、寄り添うように立ち並ぶ大量の扉がある。


 ──すぐ右、なんだから……普通に、隣の扉で良いのか?


 やや半信半疑で、俺は目に一先ず隣の扉まで歩いて行った。

 レッスン室の隣にあるその扉は一見、普通の会議室にあるそれにしか見えない。

 入り口にも、特に「シャワー室」という表記は無かった。


 しかし、天沢が嘘を言う理由も無い。

 また、レッスン室の近くにシャワー室が存在するというのは理に叶っているので、信じて開けてみることにする。

 途端、微かに湿気の多い空気が俺の頬を掠めたのが分かった。


「おおー……こんな感じなんだ」


 扉の奥、あまり見たこともない風景に、俺は胸元の汚れも忘れて目を瞬かさせる。

 そのくらい、ちょっと意外な光景だったのだ。

 ボヌールの真ん中に、このような────銭湯のような光景が存在する、というのは。


 そう、銭湯の更衣室というのが、印象としては一番近い。

 存在している物は、部屋の奥に並べられた十室近いシャワーの個室と、そこに至るまでの空間に備え付けられている、新しめの棚。

 ついでに、その棚に乱雑に置いてある籠と、棚に隣接されている洗濯機。


 そういった備品が、板張りの床の上に置かれてある。

 鍵のかかるロッカーの一つもないというのは、ちょっと防犯的に駄目な気はしたが、まあその辺りをとやかく言う場でもないのだろう。


 意味なくそんな観察をしながら、俺はとりあえず汚れたシャツを脱いで洗濯機の方に放り込み、他の汚れていない服は籠の方に突っ込んだ。

 使ったことの無い部屋ではあるが、こうも分かりやすい構造であれば、使い方など何となくで分かる。


 ──大体の汚れは服が吸ってくれたから、別にわざわざシャワーを浴びる必要は無いんだけど……。


 そうはいっても、多少肌が濡れるだけで不快感が強まってしまうのが、夏という季節だ。

 ボヌールに来るために自転車を走らせるだけでも、最近では事務所に着いた瞬間に、どっと汗が噴き出すくらいである。

 普段はタオルで服だけで済ませているが、せっかく理由付けできたのなら、シャワーくらいは浴びたかった。


 そんなことを考えながら、俺は個室にするりと体を滑らせる。

 更衣室風の空間と同様、こちらも構造はシンプルで、シャワーとノズルだけがある個室になっていた。


 故に迷うことなく、俺はパッと目についた摘まみを回して、シャワー全開。

 最初は水が温まっていないのか、かなり冷たい水が出てきたが、次第にそれも温水に変わって────いこうとしたところで、背後からキイ、と音がした。


 ──あ、しまった。個室の鍵、閉めてない。


 ほぼ同時に、シャワールームに似つかわしくない、冷房の効いた空気が個室内に流れ込んできた。

 鍵を掛けないまま、とりあえず扉だけを閉じておいたのだが、閉め方が悪かったのか、自然と開いてしまったらしい。

 基本、家などでは一々鍵などは閉めないのだが、こうなってしまうのであれば鍵を掛けておきたかった。


「というか、あるよな、鍵?」


 そう言えば鍵の有無を確認していなかったな、と考えつつ、俺は扉の様子を確認する。

 勿論というか、期待通りというか、すぐに俺は鍵を掛けるための摘まみを見つけた。


 それを普通に回そうとして。

 俺はふと、また変なことに気が付く。

 あれ、()()()()()()()()()、と思って。


「……え?これ、鍵掛かるのか?」


 文字だけ見ると、妙な発言だったことだろう。

 しかし、本音だった。

 目の前にある扉の鍵が、ちょっと見たことの無い形状をしていたがために、俺はシャワーを忘れてしばしそれを観察してしまう。


 何を観察しているかというと、ドアロックの仕組みである。

 それがどうにも、俺の知っているそれとは異なっているように見えたのだ。


 普通、この手の扉という物は、扉の内側にある摘まみを回すことで鍵を掛ける。

 そして鍵を掛けると、扉の中に収められていた端子のような物──デッドボルトと言うらしい──が扉から飛び出ることで、ロックが掛かるようになっているはずだ。

 飛び出たパーツが壁の方に用意された空間に引っ掛かるため、開閉不可能になるのである。


 なので当然ながら、扉と言う物は、鍵を掛けていない状態でその断面を観察すると、まだ収められたままのデッドボルトが見えるようになっている。

 何なら、その状態で摘まみを回せば、ジャカンジャカンとデッドボルトが動くことだろう。


 だが、俺が今見つめているこのシャワー室の扉は、そのデッドボルトが無かった。

 認められるのは、ハンドレバーを上下させることで出てきたり引っ込んだりする、三角柱状のパーツ──ラッチボルトと言うらしい──だけである。


 これでは、摘まみをいくら回そうが壁の方に引っ掛かる物が無い。

 ラッチボルトが添えられるだけである。

 だからこそ、鍵が掛かるのか、という疑問が浮かんだのだ。


「実は鍵が備え付けられて無いとか?……いやでも、だったらこの摘まみは何だってことになるしな」


 割と疑問に思いつつ、俺は一応扉をまた閉じてみる。

 その上で、半信半疑ながら、摘まみを九十度回してみた。

 普通なら、これでガッキンとデッドボルトが飛び出た状態になるところである。


 無論、デッドボルトが無い以上、この扉はそんなことにはなっていない。

 故に、もしこの摘まみがただの飾りだというのなら、この状態でも普通にレバーを下げれば扉は空くはずだった。

 そう思って、俺は好奇心から鍵を掛けたまま扉を開けようとして────。


「あれ、普通に掛かってる」


 俺の手首に、ガツン、とした衝撃が走った。

 正確には、扉の方に抵抗された。

 鍵が掛かっていて、開閉出来ないことの証明として。


「……えー?」


 いよいよ不思議になって、俺はまた摘まみを回して鍵を開け、扉をまじまじと確認してしまう。

 シャワーもせずに何をしているんだ、という気もしたが、好奇心の方が勝った。

 一体どうして、この構造で鍵が掛かるのか。


 実は扉の外側の方に仕掛けでもあるのか、と俺は人が居ないのを良いことに外にまで身を乗り出す。

 しかし当然ながら、そこには特に変わった物は無かった。


 あるのは、この手の鍵によくある、使用中かどうかを赤と青でスライド式に示す奴──表示錠と言うようだ。こんな小さな物にも正式名称があることに少し驚く──だけだった。

 中の摘まみの動きと連動して、九十度回転するその一文字の構造を見つめたが、特に変な様子では無い。


 そうなると、考えられるのは────。


「ああ、そっか……磁石だ」


 割と常識的な知識の元、俺はすぐに正解を見出した。

 傍から見れば、シャワー室から半身を乗り出した半裸のバイトが深く頷いているという気色の悪い絵面だったと思うが、発見と言うのは本人の意思で止められる物ではない。


「摘まみを回すと、連動して扉の内側で電磁石みたいな物が起動するんだな。で、扉と接する壁の方には金属が埋め込まれていて、そっちとくっつく、と」


 分かってしまえば、簡単な仕組みである。

 デッドボルトの仕組みに慣れていたのでは、何となく「扉の鍵=開閉の際に引っかかる物」という印象になっていたが、鍵と言うのはその用途からして、扉が移動さえしなければそれでいい。

 磁力が続く限りは、磁石でも問題無いのである。


 いや何なら、摘まみを回す度にデッドボルトが摩耗してしまう普通の鍵よりも、移動せずにオンオフを切り替えるだけのこちらの方が、摩耗が少ないのかもしれない。

 流石ボヌール、変に凝った鍵を使っている。


 俺個人としては、今まで見たことが無いようなタイプの鍵だったので──少なくとも、俺の家や親戚の家でこのタイプの鍵に出会ったことが無い──滅茶苦茶に不思議がってしまった。

 もしかすると、家によってはこっちが普通で、デッドボルトの方が見たことが無いという家だってあるのだろうか。


「何にせよ、分かって良かった。いやまあ、元からそんなに気にすることでも無かったんだけど……」


 自分で自分の思考回路に苦笑しながら、俺は今度こそちゃんと鍵をかけ、さらにシャワーに戻ることにする。

 そして、今度は最初から温水を出したシャワーを頭から浴びた。


「ああああー……しかし、何でこんなに鍵のことが気になったんだか……」


 汗や汚れが洗い流される心地よさに浸りながら、不意に、そんな疑問が口から出た。

 尤もこちらは、先程の好奇心よりも遥かに小さい、ただのぼやきだが。

 元よりぼやきだったせいか、答えの方もすぐに頭に浮かんでくる。


「あー、アレか。昔、家のトイレの鍵が壊れて……」




 そこで俺の脳裏に蘇ったのは、俺がまだ小学生の時だった頃の話。

 我が家では定期的に繰り返される、思い出話というか、笑い話の類だ。


 話の筋自体は、なんてことない、よくあるトラブルである。

 まず、当時の俺がトイレに行きたくなって、自宅のトイレでことを済ませた。

 当たり前だが、鍵も掛けて。


 そしてここからが問題なのだが。

 どういう訳かウチのトイレの鍵──先述したように、これは普通にデッドボルト方式だ──が、そうやって俺が用を足していた瞬間に、突発的に寿命を迎えた。


 簡単に言えば、壊れたのである。

 俺をトイレの中に閉じ込めた、鍵の掛かった状態のまま。


 トイレから出ようとした瞬間、俺はそれに気が付くことになった。

 出ようと思ったら内鍵が一切動かないのだから、誰だって気が付く。

 不味い、出られない、ということはすぐに分かった。


 当時、俺はスマートフォンを持っておらず、外に助けを求めることは出来ない。

 加えて不味いことに、その時家に両親はおらず、姉さんはまだ高校から帰っていなかった。

 要するに、助けを呼べる相手が居なかったのだ。


 小学生の力では、扉を強引にこじ開けることも出来ない。

 結果、俺はトイレの鍵のせいで「詰み」を迎えた。

 何せ、トイレという名の密室から出られなかったのだから。


 ……結論から言えば、俺がトイレから出られたのは一時間後。

 姉さんが帰宅して、救出してくれたことで、ようやく外に出られたのである。


 救助された時、心細さから半泣きだったことは、未だに姉さんによくからかわれるネタだ。

 状況的に不安になるのも仕方ないだろう、とも思うが、半泣きだったのも事実なので、俺はこのネタを持ち出されるとタジタジになってしまう。


 加えて、姉さんが──どういう方法かは忘れたが──助けてくれたのも間違いないのだし。

 振り返ってみるに、こういうネタの積み重ねによって、俺は姉さんに首根っこを掴まれてしまった感じがする。




「……あのネタ、心の奥底で意識していたんだな。だから、この手の鍵が気になった、と」


 意識していなかった自分の無意識の思考の流れを掴み、なるほどなるほど、とシャワーに打たれながら頷く。

 どうもあのネタは、俺の行動に妙に影響を与えていたらしい。


 この、構造が分からない鍵という物に対して、俺は多分、軽い恐怖を覚えていたのだ。

 もし、閉じ込められたらどうしよう、閉め方が分からない以上開け方も分からないぞ、という風に。

 閉所恐怖症という程でも無いだろうが、無意識に気になっていた、ということか。


 どうでもいいことに対して考え過ぎな感じもあるが、仮に俺がここに閉じ込められたら助けを呼べないので、有り得ない不安という程でも無いだろう。

 前回の「青空密室」よりも遥かにコンパクトになったが、こういうのもやはり、「密室」なのだ。


 ──どうも最近、色んなことを密室に当て嵌めて考えちゃうな……。


 そんな結論に至りながら、俺はようやく普通にシャワーを始めるのだった。




「あれ……二人とも居ない?」


 そんな、謎解きとも言えない好奇心の解消を含んだシャワーを終えてから。

 棚の近くに積まれてあったジャージを着た俺がレッスン場に戻ると、そこはも抜けの空だった。

 誰も居ない。


「……もう帰った、とか?」


 キョロキョロと周囲を見ながら、そんな憶測を口にする。

 しかし、さっきの様子からすると、そんな急いで帰る必要があるようにも見えなかったな、とも思う。


 長澤など、もう一時間は休まないと動けないのではないだろうか。

 だというのに、彼女たちが居ないのなら、考えられる可能性は絞られる。


「二人でお昼ご飯に行ったか……或いは、入れ違いでシャワーでも浴びに行ったかな」


 天沢の発言的に、シャワー室は入り口からして男性と女性で分かれている。

 ならば、同じくシャワーに向かっていたとしても、彼女たちに出くわさないまま行動がすれ違うことも有り得るだろう。

 とりあえず、彼女たちはしばらくレッスン、という感じでも無いようだった。


 ──と、なると……彼女たちがレッスンを再開するまで、俺はやること無いな。


 推測を終え、俺はなんとも言えない顔になる。

 元々、バイトも無いのに「アイドルのことをもっと知りたい」なと言ってレッスン室に来たのが、今の俺の状況である。

 彼女たちが立ち去ってしまうと、ここの居る意味も無くなってしまうのだ。


「じゃあ、売店で昼ご飯でも買って……まずは、休憩室で休むか」


 必然的に、俺はそんな思考に至るのだった。

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