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お遣いを頼まれる時

 ────唐突で悪いが、少し想像して欲しい光景がある。

 しばしばフィクション内で出てくるワンシーンだ。

 具体的には、推理小説やサスペンスにおける犯人の自白シーンである。


 何らかの犯罪を起こし、主人公にずっと追われていた犯人。

 彼ら主人公を前にして、その動機を長々と説明する。


 ロケ地としては夕暮れ迫る崖の上あたりが最適だろうか。

 そんな場所を、脳内で想像して欲しい。


 ああいうシーンには、ある種のお約束と言う物がある。

 犯人が最初の方に告げてしまう、よくある言葉。

 聞いた瞬間に「ああ、今回の動機はこのパターンね」となるテンプレートな台詞。


 それが、下に挙げる台詞だ。




「まさか、こんなことになるなんて、思わなかったんだ……」




 どうだろう。

 例え推理物に詳しくなくても、一度くらいは目にしたことがあるシーンなのではないだろうか。 

 ジャンルを問わず、このセリフを口にするキャラクターは多いのだから。


 これを言うキャラの特徴としては、望まずして犯罪をしてしまった人物が半泣きで言う例が一番多いだろう。

 もしくは犯罪を想定していたとしても、思った通りの結果が出なかった場合とか。

 とにかく、自分はこんなことをやりたくてやった訳じゃないんだという風なニュアンスで発せられる。


 そして大抵の場合この言葉は、見苦しい言い繕いや詭弁として処理されることが多い。

 場合によっては、「泣き言言うな」の一言でバッサリ斬り捨てられることだろう。


 所詮は言い訳ということか。

 物語だけでなく現実世界においても、あまり使わない方が良い言い回しなのかもしれない。


 ただ────それでも。

 この言い訳を、使いたくなる時がある。

 例えば、これから語る一件を体験した後の俺がそうだった。


 ああ、そうだ。

 俺は本当に、そんな気は無かった。

 まさか、こんなことになるなんて思わなかったのだ。


 俺は、ただ。

 あの泥について気にしていただけなのに。






「松原君、申し訳ないんですけど……今から時間ありますか?」

「はい……?」


 事務の篠原さんから珍しく声を掛けられたのは、四月末の土曜日のこと。

 休日ということで午前中からボヌールに来て掃除をして、それが終わったので彼女に報告をした時のことである。


 時給の計算を行う都合上、バイト終わりには必ず彼女に仕事の終了を報告するようになっている。

 タブレットの一件で走り回った時ですら、俺は駆け足ながら彼女に仕事終わりを告げていた。


 だからこの日も、俺は彼女に「掃除終わりました。もうレッスン室使って大丈夫です」と声をかけていた。

 普段ならこれに対して、「そうですか」とか「分かりました。お疲れ様です」という感じの返答が来る。

 それで一日のバイトが終わるのだ。


 しかし、今日の返事はそれでは無かった。

 何故かこの日に限って、前述した言葉が返ってきたのである。


「どうかしたんですか、篠原さん。掃除に不備でも?」


 目をパチパチと開閉させながら問い返す。

 今までこのタイミングで呼び止められたことが無かったので、意外の念が強い。

 すると篠原さんは、「いえ、そういう話ではないんですが……」と言いながらこちらに向き直った。


 彼女の動きを見て、俺はどうも長い話になるらしいと察する。

 何というか、そういう感じの姿勢の改まり方だったのだ。

 とりあえず内容が聞きたくて手で話を促すと、篠原さんはこう話を切り出した。


「今日、近くのコンサートホールでウチのアイドル……月野羽衣(つきのうい)がライブをしているんですけど、知ってます?」

「……いえ、すいません」


 嘘を言うことでも無いので、謝りつつも断言する。

 ただの掃除のバイトである俺としては、アイドルライブの予定など知る由も無かった。

 しかし篠原さんの前でアイドルのことを全く知らないと断言するのもアレなので、俺は補足がてら言葉を付け足すことにする。


「あ、ただ、月野羽衣さんのことは知ってます。確か、結構有名なアイドルですよね。テレビとかもよく出てる……」

「そうですね。ウチの所属アイドルの中でも、売れている方でしょう」


 さらりと、自慢でもなんでもない当たり前のこととして篠原さんはそう断言した。

 実際、特に興味の無い俺が名前を知っているくらいなのだから売れているのだろう。

 まあ名前は知っていても、顔はちょっと分からないのだが。


「それで、その月野羽衣さんがどうしたんです?」


 微妙に話が逸れたので、俺はそこを修正する。

 すると篠原さんは、申し訳なさそうな顔をしながら言葉を続けた。


「実を言うと、松原君の時間に余裕があればそのコンサートホールに行ってほしいんです。ちょっと、届け物があって」

「届け物?」

「はい、これなんですけど……」


 そう言うと、篠原さんは隣の机からそこそこ大きいエコバッグを掴み、こちらに差し出してくる。

 外から見るだけで、中に何か入っているなと分かるだけの重量感がある袋だった。

 反射的に中を覗き込み、俺は中身を視認する。


「……お茶ですか、これ?十本くらいありますけど」


 目に映った物を、そのまま口に出す。

 スーパーなどでよく売られているお茶のペットボトルしか目に映らなかったのだから、自然な反応だろう。


「……これは本来、ロケ弁などと一緒に控室に置いておくお茶なんです。アイドルとバックダンサー、それとスタッフに配るために注文した飲み物ですから」

「へえ……」


 篠原さんの話に一度、頷き。

 続いてあれ、と思う。


「え、じゃあ、何でここにあるんですか、これ。コンサート会場に無いと不味いのでは?ライブ、今日やるんでしょう?」

「はい。そこはまあ、何というか……ウチのミスですね」


 ため息と共にそう前置きしてから、篠原さんは事情を語ってくれた。


 曰く、元々はライブの開催に関わったとあるボヌール社員のミスらしい。

 今回のライブは、昼の部と夜の部に分かれ、一日に二回行われるように企画されていた。

 アイドル側の負担が大きい時間割だが、より多くの客を集めるためにそんな企画になっていたらしい。


 当然、ライブを行うアイドルやスタッフはその二つのパートの間に昼食を摂って、休憩するようになっている。

 それに備えるべく、その社員は昼食のお弁当と飲み物を会場の控室に届くように注文していた。


 しかし、どうしてそんなミスが起こったのかは分からないのだが────何故かそれらのお弁当と飲み物は会場の控室ではなく、ボヌールに届いた。

 今朝、ドーンと全部まとめて到着したのである。

 どうも、送る先の住所と発注主の住所の欄を取り違えたらしい。


 無論、これは騒動になった。

 何十人分かのお弁当と飲み物が、突然芸能事務所の受付に来たのである。

 元凶となった人物は叱責されつつ、慌ててそれらを人力で会場に運び直す羽目になった。


 会場となるコンサートホールが都内、しかもボヌールからある程度近い位置にあったのは不幸中の幸いと言えるだろう。

 もし会場が沖縄とかだったなら、輸送は不可能に近かった。

 そう言う意味では、この人物は運がある人らしい。


「……尤も、運がある人であると同時に、ミスしやすい人でもあるんですけどね……再配達をする過程でまたミスをしたようですから」


 そう告げて、篠原さんははあ、とまたため息をつく。

 彼女の様子を見て、俺はこのお茶たちの正体を察した。


「……もしかして慌てて運んだから、飲み物の一部を事務所に置いていっちゃったんですか?」

「その通りです。丁度、段ボール箱に収められなかったのがこの十本でしたから……別に運ぼうと思って他の荷物とは違う位置に置き、そのままにしてしまったのでしょう」


 ああー、と俺は一人頷く。

 荷物をまとめるときにやりそうなことだ。

 箱に入らなかった分を別の場所に置いて、後で別の袋にでも入れようとその時は思っていたのに、そのまま存在を忘れて置き去りにしてしまうパターン。


「じゃあ、コンサート会場に送られた飲み物は十本足りないんですね?」

「そういうことになります。こういう物はある程度余裕を持って注文しているので、十本足りなくても別に困ることは無いと思いますが……。飲み物はいつも余り気味で、残りをスタッフが持ち帰るくらいですし……」


 そう言いながらも、篠原さんの顔が「万一足りなくて問題になったら困る」という風なものになっていく。

 会社の人間として、このことでボヌールの評判が下がるだとか、そう言うことが無いか気にしているらしい。


 ──気にしすぎな気もするけど……重要なのかな、こういうのも。芸能界では。


 以前何かの本で、「ロケ弁の質や量は、意外とスタッフや演者の間で禍根を生む」という節の話を読んだことがある。

 ロケ弁の内容をケチったりスタッフ間で量が違ったりすると、いい大人でもかなり恨まれるとか何とか。

 食べ物の恨みは恐ろしいという格言は、現代でも通用するらしい。


「それで俺が運びに行った方が良い、と……」

「はい。他の人はもう会場に向かっていますから、十本程度の忘れ物のために一々呼び戻すのもどうか、という話でして」


 なるほど、と納得して頷く。

 究極的には放っておいても何とかなる程度の忘れ物なので、わざわざマネージャーやらスタッフやらを呼びつける用事ではない。


 だからこそ丁度時間の空いているバイトにでも運ばせるか、という話になったようだ。

 要するに、お遣いである。


「松原君には本当に申し訳ないと思っています。ただ、その……」

「その?」

「松原プロデューサー補が、松原君に行かせろと仰っていましたので……」


 そこで、篠原さんは物凄く申し訳なさそうな顔をした。

 彼女としても、掃除のバイトに忘れ物の運搬まで運ぶのは申し訳ないと思っているようだ。


 しかし俺の方は姉さんの無茶振りには慣れてしまっているので、どちらかというと「結局そこかい」という突っ込みの方が先に思い浮かんだ。

 どうにも姉さんは、俺を上手いように使い倒す気らしい。

 何の因果か、押し付けられた仕事は前回と同様に置き忘れの尻拭いである。


 ──まあ確かに、この後予定はないけどさ……。


 普段の暇さ加減を見透かされているような気分になりながら、俺は密かに肯定する。

 部活にも入っておらず、高校の授業もまだ始まって少ししか経っていないので、午後の俺に部活や勉強の予定はない。

 総合的に考えて、この頼みを断る道理は無いのだ。


「……分かりました、良いですよ。会場に行って、控室に置いてくるだけですよね?」


 そう答えると、篠原さんが安堵したように表情を緩ませた。


「ありがとうございます。この運搬も時給に含めますので……」

「あ、それはどうも」

「では、これがお茶で……こっちは、スタッフ証。それと会場の地図です。持っていてください」


 彼女は先程提示した袋と一緒に、首から掛けるタイプの名札や地図らしき紙をこれまた隣の机から取り出す。

 何ですかこれ、という視線で見返すと説明が入った。


「それがあると、関係者用入口から会場に入ることが出来るんです。控室はそちらにありますから、入るために必要でしょう?」

「ああ、確かに……」

「ただ、失くさないで下さいね。スタッフの数に応じて配られていますけど、ウチの事務所にあるのはそれが最後ですから。念のための予備品です」


 そんなことを言われると、途端に名札が重くなったような気がしてくるから不思議である。

 この手のスタッフ証をあまり量産しても、無関係の人間が中に立ち入ってくるリスクが増えるだけなので、数が限られているのは当然の話なのだが。


「……では、行ってらっしゃい」


 そう言って、篠原さんはニコリと微笑む。

 俺の方も、苦笑いで返した。

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