6.妖精と魔王と聖女
「……どういうことなんでしょうか?」
「私にもさっぱり……」
王宮の廊下で立ち竦んでいるのは、カイラス子爵令嬢エイミーと、グレイ子爵家侍従のジムである。
第二王子が少しルーカスと話したいということで、一旦部屋から追い出された2人は、ただただ呆然として、答えのない問いを繰り返し続けている。
「グレイ家は、実は王家に連なっておられたとか……」
「そんな馬鹿な。私が知る限り、何代遡っても、王家どころか、公爵・侯爵家も出てきません。山奥に引きこもりっぱなしの一族ですので」
仕えている家に対して、大概失礼なことを言うジムだが、それが事実なのだから仕方がない。
不毛な会話を繰り返していると、いきなりドアが開き、第二王子とリオが出てきた。
慌てて姿勢を正すエイミーとジムに、リオはあっけらかんと話しかけてきた。
「アイザック様が疲労回復の魔法をかけましたので、ひと眠りすれば、元気になると思います」
(お、王子殿下が直接魔法を!?)
リオの言葉に、エイミーとジムは寸分違わぬツッコミを心の中でしつつ、これ以上下げられない位深々と頭を下げる。
「まことに、何と御礼を申し上げれば……」
しどろもどろながら、頭を下げたまま必死に御礼を絞り出すジムに、第二王子は目を落とすことなく、無表情のままボソッと呟いた。
「別に。メリッサの弟だから」
「え?」
突然予想外の人名が飛び出し、ジムが思わず声をあげてしまう。
「メリッサの弟なら俺の弟も同然だ。気にするな」
表情を一切変えず、爆弾発言を放り込み、第二王子は去っていった。
「全くアイザック様は、照れ屋なんだから」
からかうような口調のリオが、第二王子を追いかけていった。
取り残されたエイミーとジムは、無言で顔を見合わせ、通りかかった女官に声をかけられるまで、立ち尽くした。
◇◇◇◇◇◇
「エイミー、大変だったな」
「……はい」
ルーカスがそのまま眠ってしまったため、エイミーは長兄ロナルド夫妻と共に、帰宅することになった。
「まさかあの第二王子殿下が、グレイ子爵の姉君と……。父上の妄想が正しかったというわけか」
「いえ、まだそうと決まった訳では……」
父譲りの妄想力を炸裂させるロナルドを、エイミーはとりあえず宥める。
とはいえ、第二王子とルーカスの姉に何らかの関係があり、グレイ家が特別に目をかけられているということは明らかだ。
「となると、なぜ、エイミーに白羽の矢が立ったのかが謎だな。グレイ家に強い後ろ盾をつけたいのであれば、当家よりよっぽど相応しい家はいくらでもある。そもそも、当家に後ろ盾になるような権力も財力もないし……」
言いながら、だんだんロナルドの声が小さくなっていく。自分の言葉に自分でダメージを受けているようだが、あいにく、エイミーは今日の衝撃の数々を整理することに必死で、兄まで構っていられない。
それぞれの世界に入っている兄妹の横で、ロナルドの妻アイリーンはおっとりと話し始めた。
「それにしても、グレイ子爵とエイミーさんは宗教画のように神々しかったわ。夫人方は皆うっとりしていたのよ。『夜幻の妖精と聖女』ってタイトルを付けても良さそうな光景ね、って」
「……夜幻の妖精って何ですか?」
エイミーが聞き覚えのない単語を聞き返すと、アイリーンはほほほほと上品に笑う。
「グレイ子爵のことですよ。誰が言い出したのだったかしら……?ほら、グレイ家は夜幻草の産地ですし、子爵の髪が夜空の色のようで、夜の幻の如き妖精って、ぴったりじゃない」
「……では、まさか、聖女って……」
「それは勿論、エイミーさんよ。とっても綺麗だったわ。退室する時のエイミーさんの真っすぐな瞳と、グレイ子爵の潤んだ瞳が、もう何かの劇の一場面のようで」
(私は重くて気合を入れていただけで、ルーカス様は体調不良で目が潤んでいただけ!)
と、エイミーはツッコミを入れたかった。だが、きゃ!とはしゃいでいる義姉に、どっと疲れて、最早何も言えない。
(それにしても、本当に何で私が選ばれたんだろう……?)
馬車の中から、月に照らされる王都の街をぼんやり眺めつつ、エイミーはカイラス子爵家の屋敷に帰っていった。
◇◇◇◇◇◇
「昨日はすみませんでした!」
翌日、建国祭の舞踏会前に再びカイラス子爵家に登場したルーカスは、エイミーの顔を見るなり深々と頭を下げた。
隣でジムも頭を下げている。
「あ、頭を上げてください!別に謝罪いただくことは何も」
「いえ、ジムにも怒られました。エイミーに随分失礼なことをしたって。それなのに、僕を助けてもくれて、本当にごめんなさい!」
失礼なことというと、恐らく、パートナーのエイミーをほったらかして、他の令嬢たちと話していたことだろう。
確かにイラっとはしたが、冷静に考えれば、社交界に出たことのない、まだ15歳のルーカスに、察しろというほうが無理だろうと思っている。
「わたくしは気にしておりません。でも、本日はお願いしますね」
気にしていないことを伝えるために、エイミーが冗談っぽく言うと、ルーカスは弾けるような笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます!体調もばっちりですので、今日は絶対エイミーから離れません!」
「いえ、でも他のご令嬢方とダンスは?」
昨日あれだけ女性からダンスに誘われていたルーカスだ。中には高位貴族の令嬢もいた。すべて断ることは無理だろうとエイミーが首をかしげると、ジムが衝撃的な発言をした。
「そのことなのですが、お坊っちゃまは、ダンスが踊れません」
「え、えええええ!?」
ダンスは今回の建国祭に限らず、大概のパーティーで必要となる、貴族としての最低限の嗜みだ。
今日の舞踏会を、今度はどうやって乗り切ればいいのか、エイミーは目眩がしそうになった。
「すみません。姉さまと練習してきたのですが、そもそも、うちの姉さまも舞踏会に出たことがないので、どうにもなりませんでした!」
「どの曲でも駄目ですか?」
「はい!あ、でも我が子爵領に伝わる、収穫祭の奉納ダンスは踊れます!」
ルーカスが急に自信満々となるが、恐らく収穫祭のダンスは舞踏会のダンスとは全く違うだろうということは、エイミーにも想像がついた。
「本日は体調が優れないということで、ダンスは踊らずに乗り切るしかありませんね……」
「……そうしましょう」
「ご迷惑をおかけします!」
舞踏会に出発する前から、エイミーとジムは疲れきっている。
事の重大さを分かっているのか、ルーカスだけは元気一杯だった。
◇◇◇◇◇◇
さて、上手く令嬢達の猛攻を躱せるだろうか……と極度の緊張状態で、王宮の舞踏会場に入場したエイミーだったが、その不安は杞憂に終わった。
確かに、入場した時は、そこかしこから、獲物を狙う猛獣のような視線を感じていた。
だが、パーティーの開始と同時、令嬢達が殺到する前に、先にルーカスに話しかけた人物がいた。
その人を見た瞬間、ルーカスは露骨に不機嫌になり、エイミーはフリーズした。
「昨日、ちらっと話した件、落ち着いて話そうか」
「ちっ、夢じゃなかったのか……これはアイザック第二王子殿下、直々のお出まし恐れ入ります」
(ルーカス様!前半心の声漏れてます!)
不敬罪でこの場で殺される!?と縮み上がるエイミーだが、当の第二王子は特に気にした様子もなく、むしろ面白そうに口の端を上げている。
(え?もしかして笑っていらっしゃる……?)
魔王とも称される第二王子の衝撃シーンに、エイミーは固まりっぱなしで、舞踏会の間中、ひたすら隣で2人のやり取りを聞いていた。
ただ、第二王子がいたお陰で、誰一人近寄って来ず、ルーカスはダンスをせずに済んだのだった。