4.妖精は自由奔放
パーティーが始まると、上級貴族から爵位順に国王陛下の御前で挨拶をすることになる。
国内ほぼすべての貴族が集っているため、グレイ家の順番が来るのはかなり先ではあるが、同じ子爵家でも、家格によって厳格に順番は決まっており、かなり気を配らなければならない。
差し出がましいとは思いつつ、エイミーは恐る恐るルーカスに尋ねた。
「ルーカス様、挨拶の順番はわかりますか?」
「勿論!オリフィス子爵の後でしょ。ちゃんとジムに聞いてるって」
(ご存知のことをわざわざ聞くなんて、失礼なことをしてしまった……だから出しゃばりな女だと思われるのに)
ルーカスは特に気にした様子もなかったが、エイミーはひどく後悔して俯いた。
自己嫌悪に陥るエイミーをよそに、ルーカスは更に言葉を続けた。
「ところで、オリフィス子爵って誰?」
予想外の言葉に、エイミーは生まれて初めてずっこけそうになる。思わず顔を上げ、ルーカスを見つめてしまった。
顔の分からない人の後ろに、どうやって並ぶつもりだったのだろう。かなり危ないところだったのに、ルーカスに危機感は一切ない。
エイミーがオリフィス子爵を教えると、ルーカスは「ありがとう!」と明るく笑う。
その屈託のない笑顔に、エイミーは少々呆れながらも、鼓動が速くなっていくのを感じる。
しかし、エイミーのときめきも束の間、トードル伯爵が再び登場した。
その表情からは、なんとしてでも、若い貧乏子爵に恥をかかせたいという、執念すら感じる。
たじろぐエイミーとは対照的に、ルーカスは突然弾けるような笑顔になった。
そして、トードル伯爵が口を開く前に、話し始めてしまった。
しかも伯爵夫人に。
「伯爵夫人はメルクルスのようですね!」
格下から、しかも奥方に話しかけるという無礼を、止めようとしたエイミー、咎めようとしたトードル伯爵が、共にポカンとした顔で硬直する。
意味が分からないという顔になるトードル伯爵や周囲とは対照的に、一瞬目を見開いた夫人は、「まあ!」と声のトーンを上げた。
「お上手ですこと!ランカー神話を知っておられるなんて、グレイ子爵は随分博識ね」
いつも含み笑いばかりで、嫌味を言って歩くことに定評のあるトードル伯爵夫人の、珍しすぎる素直な笑顔に、周囲は凍り付いている。
夫でありながら、一番驚いていたトードル伯爵が、何とか硬直を解いた。
「メル……なんだそれは!?それにいきなり話し出すとは、無礼な……」
「あなた、まさかランカー神話を知らないんですの!?」
ルーカスに声を荒らげたトードル伯爵だったが、夫人の金切り声に遮られる。
「それでもトードル家の当主ですか!?情けない」
突然勃発した夫婦喧嘩に、エイミーはなすすべもなく立ち竦む。
ランカー神話とは、トードル伯爵領のある地方を中心にした、マイナーな言い伝えで、メルクルスは、その神話に出てくる女神の1人である。
エイミーは、貴族学校時代に民俗学の本を読んだことがあったため、存在を知っていたが、大半の貴族は、名前すら聞いたことがないだろう。
ただし、その舞台であるトードル伯爵が知らないのは、さすがに問題だと思われる。
(そういえば、トードル伯爵はお婿さんでしたね……)
と、エイミーはぼんやりと思い返していた。
「そろそろ陛下へご挨拶ね。あなた、話の続きはあとで」
「ああ……」
夫人の剣幕に口を挟めなくなったトードル伯爵は、もはやルーカスやエイミーを見ることなかった。
「ではグレイ子爵、ごきげんよう」
トードル伯爵夫人は夫と共に去っていった。
たった一言で、見事にトードル伯爵夫人のハートを鷲掴んだルーカスは、相変わらずのニコニコ顔だ。
「……ルーカス様は、ランカー神話を読んだことがあったのですね」
「え?だってうちにあったから。有名な本じゃないの?」
「相当珍しいと思います」
エイミーでも、概要を読んだだけで、詳細な内容は知らない。
「そっか~。亡くなった父の書斎にあったから、普通にそこらへんにある本だと思ってたよ」
どうやら、学校に行っていないルーカスは、持っている知識が、普通と少々ズレているらしく、そのズレが自分では分からないのだと、エイミーは気付いた。
国王陛下への拝謁は、伯爵家が終わり、子爵家に入っている。
「ところで、なぜトードル伯爵夫人がメルクルスに?メルクルスは確か女神ですよね?」
エイミーは、気になっていたことを聞いてみた。
「そう、栄達をもたらす女神。ド派手な衣装と、目の眩む光に包まれた女神って書かれているけど、そのイメージが、あの人の服や宝石にピッタリだったんだ」
伯爵夫人の衣装は確かに派手で、これでもかと宝石を散りばめてあるが、あまり品はない。
「特にネックレスが凄く乱反射していて、目の眩む光ってこういうことかーって」
「いえ、それは違うような……」
どうやら、話せば話すほど、ルーカスの喩えは褒め言葉から遠ざかっていく。
伯爵夫人がポジティブにとらえてくれたことが救いだった。
「さて、そろそろ行きますか!」
覚えたてのオリフィス子爵が国王陛下前の列に並んだのを見て、ルーカスが張り切ってエイミーを促す。
(本当に自由な方ですね)
エイミーは心の中で苦笑いしながら、すました表情でルーカスと共に国王の御前へ向かった。
レイファ王国国王は御年50歳となる。人格者として名高く、見た目も大変穏やかな紳士だ。
国王陛下の隣にいる、昨年結婚したばかりの王太子夫妻は、どちらも人の好さそうな人物で、王太子は実に国王によく似ている。
この方々は、穏やかな笑みをたたえており、極限の緊張状態にあるエイミーでも、少しは顔を見ることができるし、この方々だけなら、何とか挨拶できるだろう。
だが、問題は王妃と、第二王子だ。
『レイファの至宝』と評される王妃は、国王とそれほど年齢は変わらない筈なのだが、今も圧倒的な美貌を誇り、大輪の華のような笑顔を浮かべている。
だが、年齢不詳なその姿は、人間離れした存在と化し、主に貴族女性からは、憧れを通り過ぎて、恐怖すら抱かれている。
そして、その隣にいる第二王子は、最早笑みすらない。
整った顔立ちなのだが、仏頂面が標準装備であり、笑っている顔が想像できない。
王家唯一の魔法使いで、主に軍事面の仕事を担っているのだが、物騒な噂が多く、野心溢れる命知らずな貴族令嬢以外は、絶対に近寄らない。
温かな空気と、突き刺すような視線が入り混じる国王の御前で、社交界デビューのルーカスは、実に堂々と教本通りの挨拶を行った。
エイミーもルーカスの横で、共に礼をする。
すると、妙な間の後、国王から言葉がかかった。
「グレイ子爵、姉君はご健勝か?」
上級貴族ならまだしも、下級貴族の挨拶では、国王が定型文の言葉を一言かけるだけで普通は終わる。
国王が問いかけるという異例の状況に、近くにいた貴族がざわめき、既に緊張状態だったエイミーも、心臓が止まりそうになる。
しかし、ルーカスは全く普通に話し始めた。
「はい、大変元気にしております。先日も夜幻草の収穫で走り回っておりました」
(ル、ルーカス様!?)
当然、国王に質問されれば答えなければならないが、聞かれたこと以上のことを話すのは無礼に当たる。
余分な情報まで付け加えたルーカスに、エイミーは頭を下げたまま真っ青になる。
しかし、国王は気にした様子も無く、「そうかそうか」と穏やかに笑っていた。
更に、王妃も「それはようございました。メリッサによろしく伝えておいてくださいね」と、異例の声掛けを行う。
異様な空気の中、「ありがとうございます」とにこやかに返答をして下がるルーカスは、一連の会話の異常性に全く気付いていない。
エイミーは生きた心地がしないまま、放心状態で両陛下の御前を下がった。
周りを見る余裕のないエイミーは、両陛下や王太子が、第二王子に意味深長な目配りをし、第二王子に睨み返されるという、無言のやり取りには気づいていなかった。