3.妖精のデビューと妄想
王宮に到着すると、ルーカスは優雅にエイミーの手を取り、馬車を降りた。
その姿に、出迎えに並んでいた王宮に仕える者達が、息をのみ、一瞬静寂が訪れる。
「妖精……?」という呟きが聞こえる。
この妖精が、つい先程まで、「いいですか、余分なことは話さず、必要な挨拶だけして、あとは微笑んでいればいいんです!絶対に、余計なことはしないように!」と従者にコンコンと説教されていたとは、誰も思わないだろう。
会場への入場を待つ控え室でも、ルーカスは注目を一身に集めていた。
「あの方はどこのご令息か?」「なんて美しい」「一緒にいるのは確かカイラス家の令嬢では?」
ひそひそ話が、やけに響く。
ざわつく貴族達に、ルーカスは気付いていないのか、全く気にしていないが、エスコートされるエイミーは、嫌でも緊張していく。
必死に笑みを浮かべようとするが、顔の筋肉はひきつり、全く口角が上がらない。
(どうしよう……私やっぱり釣り合ってないよね。せめて「可愛げ」だけでも、ないといけないのに……)
意識すればするほど、顔は強ばっていく。
1人焦るエイミーをよそに、ふと、ルーカスが真面目な顔になる。
「ねえ、エイミー。ちょっと聞いてもいい?」
「な、なんでしょうか?」
ルーカスは、顔をエイミーに近づけ、囁いた。
「あのご令嬢達は、あんなに胸や背中を出して大丈夫なの?」
「……はい?」
ルーカスの言っている意味が分からず、エイミーはポカンとした。
ルーカスは深刻な顔で続ける。
「だって、夜は冷えるよ?それに、子爵領であんなに皮膚出してたら、虫に刺され放題で、明日には体中真っ赤になっちゃう」
確かに、今、若い令嬢の間では、背中を大きく開け、胸の谷間まで大胆に切れ込むドレスが流行っている。エイミーはそんな自信はないので、露出の少ないドレスを着ていたが。
ルーカスが、どうやら心から心配している様子を見て、エイミーは何だか、力が抜けていくのを感じた。
「王都にはそれほど虫は多くないので、大丈夫かと思います……寒いのは、頑張れるのかと」
「そうなんだ。なら良かった!」
また笑顔に戻ったルーカスは、にこやかにエイミーを見つめた。
「でも僕は、エイミーみたいなドレスが好きだな。清楚で可愛いし!」
エイミーはポカンと口を開けたまま、みるみる真っ赤になった。
(え、わ、こ、この方、さらっと、何を)
パニックになるエイミーをよそに、ルーカスは何でもないようにニコニコしている。
言葉が出てこないエイミーの心中など考慮されることなく、パーティ会場への呼び込みが始まった。
「ルーカス・グレイ子爵、エイミー・カイラス子爵令嬢ご入場です」
気持ちを立て直す余裕がないまま、エイミーはルーカスの腕に手を添え、入場した。
いつの間にか、表情作りのことはエイミーの頭から吹っ飛んでいたが、頬を染め、初々しく恥じらうような自然な表情は、多くの貴族に好意的に見られていた。
「これはこれはグレイ子爵ですかな。初めまして」
王族の入場を待つ間の僅かな時間で、早速2人に、白髪の男性が話しかけてきた。横には、夫人と思われる、かなり派手なドレスと宝飾品を身にまとった、痩せた女性が立っている。
(トードル伯爵夫妻だ……)
トードル伯爵家といえば、大昔は王妃を輩出したこともある名家だ。ただし、近年は特筆すべきこともなく、むしろ落ち目であり、ただただプライドだけが高いことで有名となっている。
格下の貴族に絡むことが趣味になっているから気を付けるようにと、エイミーは父から言われていた。
見事な猫を被っているルーカスはそつなく挨拶をし、エイミーも続く。
その間も、トードル伯爵夫妻は嫌な笑みを絶やさない。
「グレイ子爵といえば、10年以上前に、先代にお会いして以来、久しぶりに聞く名ですな。いやはや、まだ存続しておられたとは、大したものだ」
あからさまな嫌味に、周囲で僅かにざわめきが起こる。面白がっている者、眉を顰める者、様々だが、遠巻きにしているだけで、関わろうとする者はいない。
社交経験の少ないエイミーはどうしたものかと焦るが、ルーカスは表情を一切変えなかった。
透明感あふれる笑顔のまま、サラッと答えた。
「恐れ入ります。国王陛下のご厚情のおかげです」
一切挑発に乗らず、まだ15歳の少年とは思えない見事なスルーっぷりに、様子を窺っていた周囲から、「ほおっ」と感心したような声が洩れている。
一方、思った反応が得られずペースを崩されたか、トードル伯爵の方が、若干顔が赤くなっている。
しかし、エイミーは思い出していた。馬車の中での、ルーカスの従者の言葉を。
「いいですかお坊っちゃま。返答に困ったときは『恐れ入ります』『ありがとうございます』『光栄です』『ご厚情に感謝します』を繰り返せば、大概なんとかなります」
なんのことはない、ルーカスはマニュアル通りに話していただけなのだった。
なおも、何かを言おうと口を開きかけたトードル伯爵だったが、ちょうどその時、王族の入場を予告する鐘がなり、所定の位置へ戻っていった。
とりあえず解放され、エイミーは胸をなでおろす。周囲の人に聞こえないようそっとルーカスに囁いた。
「ルーカス様、大丈夫ですか?」
「え?別に。ところでエイミー、今のおじいさん誰?」
特に怒りの表情も悲しみの表情も無く、不思議そうに首をかしげているルーカスに小声で囁いた。
「トードル伯爵夫妻です」
「トードル伯爵……?」
まだピンと来ていない様子に、エイミーは目線を前に向けたまま、地理、歴史、特色など、トードル家について知っている情報を話す。
すると、ルーカスがポツリと呟いた。
「ああ、『ランカー神話』の……」
その言葉に、エイミーは驚いた。
しかし、王族の入場が高らかに宣言され、国王夫妻、王太子夫妻、第二王子が入場してきたため、話を一旦中断する。
他国では、玉座を巡る骨肉の争いなど珍しくないというが、レイファの現国王一家は非常に仲が良い。
過去には、第二王子に娘を嫁がせ、王位に担ぎ上げようとした貴族がいたらしいが、当の第二王子によって叩き潰されたという。それ以来、第二王子は貴族を傍に近づけず、貴族令嬢とは、ダンスやエスコートも一切行わないという徹底ぶりで、御年22歳にも関わらず、婚約者すらいない。
表立っては誰も言わないが、「もしかして、女性が嫌いなのでは」と噂されている。
エイミーがそんなことを思い返しながら、何気なく第二王子の整った顔を見つめていると、その第二王子が、こちらを見た気がした。
不躾に見ていたことに気付かれたかと焦るが、どうも第二王子の目はエイミーを見ていない。
(え、もしかして、ルーカス様?)
第二王子の視線の先は、明らかにルーカスだ。
それに気付いたエイミーは、無愛想だが容姿端麗な王子と、妖精のように美しい貴公子の、禁断のなにやらを妄想をしてしまい、慌てて打ち消した。
ジャンルを問わず、色々な本を読んできたエイミーは、貴族令嬢に相応しからぬ知識も豊富になっていたのである。