2.妖精登場
建国祭前夜祭の日、エイミーは、侍女に囲まれ、念入りなヘアメイクを施されていた。
「エイミーお嬢様のドレスアップは、腕が鳴ります」
「本当に。お美しいのでやりがいがありますわ」
張り切る侍女達に微笑み、気付かれないようにそっと溜め息を落とす。
グレイ子爵ルーカスのエスコートを受けると決めてから、カイラス子爵家は家族総出で、グレイ家について調べあげた。
グレイ家は、元々はそれなりの名家だったが、三代前の当主が多額の借金を作り、一代で没落したらしい。
税務官僚であるカイラス子爵が、職権乱用して調べたところ、昨年、ルーカスの姉メリッサが、王宮女官を退職したのと同時に、借金を完済していた。
「もしかしたら、やんごとなき方のお手がついて、多額の慰謝料を得たのかも……これは触れてはならない闇だ!」と、カイラス子爵は、1人妄想を炸裂させていた。
一方、ロナルドが調べたところ、メリッサは貴族学校を優秀な成績で卒業し、王宮女官になった後も、最年少で王太子宮に配属されるほど、仕事の出来る女性だったらしい。
貴族夫人のネットワークを使った母や姉の調査でも、メリッサは浮いた噂1つない、むしろ地味で真面目な女官だったようだ。
それを聞いた時、エイミーの沈んだ心は少し浮上した。
(そんな優秀なお姉様のいる方なら、本を読む女性にも寛容かも)
ただ、当のルーカスに関しては、領地から一度も出てきてないだけあって、何一つ情報が得られなかった。
(できれば、優しい方だといいな……)
ダンの顔が頭をよぎり、何度目かの溜め息をついた時だった。
バタバタと派手な足音がして、若い侍女が部屋に飛び込んできた。
指導が行き届いているカイラス家の侍女にしては、非常に珍しい。
「何事ですか、騒々しい!」
「も、申し訳ありません!」
年配の侍女の叱責に、若い侍女が縮み上がる。
「何かあったの?」
気の毒に思ったエイミーが、努めて優しく聞くと、若い侍女はしょんぼりと切り出した。
「失礼いたしました……。ぐ、グレイ子爵がお見えになりました」
予定の時間よりは少し早いが、そんなに焦るほどではない。
恐らく父が応接間で対応してくれるだろうに、なにを焦っているのか、エイミーは首を傾げた。
怪訝な空気を感じたのだろう、侍女が恐る恐る口を開いた。
「あ、あの、その……とてつもなく美しくて……」
「美しい?なにが?」
「……グレイ子爵です」
◇◇◇◇◇◇
「お初にお目にかかります。ルーカス・グレイと申します」
優雅な仕草で手を取る礼をする麗人を、エイミーは、返答も忘れて呆然と眺めた。
どちらかと言えば女性的な細くすらっとした体格、陶器のようにシミ一つない白い肌、鼻筋は通り、口元は甘い笑みを浮かべている。青みがかった黒髪はサラサラと流れ、パッチリとした薄茶色の瞳は小動物のように可愛らしい。
(この人、本当に人間?天使とか妖精では……)
神秘的な美と、愛らしい幼さが絶妙に同居しているグレイ子爵ルーカスは、そんな荒唐無稽なことを考えてしまうほど、人間離れしていた。
(こんな美しい方にエスコートしていただくなんて……)
容姿についてはそれなりに褒められることが多く、今日も全力で着飾っているエイミーだが、この方の隣では、自分なんて、完全に霞むであろうことを覚悟した。
意識を飛ばしていたエイミーは、父のわざとらしい咳払いで、慌てて意識を取り戻す。
ルーカスは不思議そうに、大きな瞳でエイミーの目を覗き込んでいる。
ジッと見つめられ、顔を赤く染めたまま、エイミーは慌てて挨拶を返した。
「カ、カイラス子爵家次女、エイミーでございます。本日はよろしくお願いいたします」
動揺が出てしまい、俯きそうになるエイミーに、ルーカスはぱっと顔を輝かせた。
「こちらこそよろしくお願いします!エイミー嬢」
ルーカスの満面の笑みに、エイミーは思わず頬を染め、後ろで控える侍女達の間から、「きゃあ!」と小さな歓声が上がった。
エイミーはまるで天使に導かれるように、馬車までエスコートされ、乗り込む。
エイミーとお付きの侍女が並んで座り、向かいにルーカスと、その従者が座る。
前に座る人を直視できず、俯くエイミーの耳に、子供のようにはしゃぐ声が聞こえた。
「どう?ジム。完璧だったでしょ!?僕、やれば出来るんだよね~」
驚いて顔を上げると、ルーカスがにこにこと隣の従者に話しかけている。
先程までの神秘的な雰囲気は霧散し、むしろ15歳という年齢よりも随分幼い印象になっている。
「お坊っちゃま……ここで言っては台無しでございます」
ジムと呼ばれた従者が溜め息をつくが、ルーカスは気にする様子なく続ける。
「だってこれから王宮だよ?頑張るけど、誤魔化しきれないかもしれないし、エイミー嬢に迷惑かけちゃうかもしれないし」
「わ、わたくしに?」
突然出てきた自分の名前に、エイミーは思わず反応してしまう。
「そう!僕は今回初めての王都だから、何も分からないし、貴族の顔も知らないし、母さまや姉さまが言うには、常識もないらしいし。どうしよう?」
「ど、どうしようって……?」
予想外の事態に、エイミーはただ狼狽え、隣の侍女は凍り付く。
困りきっている2人に、見かねたジムが口を挟む。
「お坊っちゃまには、一通りのマナーは詰め込んでありますが、このように少々変わった方なので、何かしでかす可能性は、否定できません」
(従者がとんでもないこと言い出した……)
「そんなことないよ~」と頬を膨らませるルーカスを見ているうちに、エイミーの胸にも、ムクムクと不安が沸き上がってきた。
ルーカスの抗議を無視して、ジムが続ける。
「ベネット侯爵家の執事長から、エイミー様は大変優秀な方だとお聞きしました。私も、お坊っちゃまをフォローするつもりですが、立場上、貴族の方々のお話には入れません。どうか、お坊っちゃまを、グレイ子爵家をお助け下さい!」
「助けて下さい!」
「ええ!?ちょっと、頭をあげてください!」
ジムとルーカスに勢いよく頭を下げられ、エイミーは慌てて顔を上げるように促す。
上目遣いで、ウルウルとこちらを見るルーカスに、エイミーは完全に射貫かれた。
(な、なんてあざといの……)
庇護欲のような、不思議な感情がどんどん沸き上がってくるのを感じたエイミーは、反射的に返事をしてしまった。
「わ、わたくしでよろしければ……」
「わあ!ありがとうございます!」
パッと顔を輝かせたルーカスは、エイミーの両手をつかみ、ブンブン上下に降り始めた。
「お坊っちゃま!ご令嬢にみだりに触れてはいけません!!」
叱るジムの声。全く気にせず、「エイミーって呼んでも良い?僕のことはルーカスって呼んで!」と無邪気に話すルーカス。
これまで経験したことのない、謎の状況についていけず、エイミーはただただ呆然とした。
ちなみに、エイミーは外と内で一人称(私、わたくし)を使い分けています。