12.妖精、怒る
(なんで……なんでダンがいるの!?)
部屋に入るタイミングを逸したエイミーは、混乱状態のまま、ひとまず覗き見をした。
中にはルーカスに向き合うダンと、若い女性がいる。
その女性は、以前図書館でエイミーに絡んできた貴族学校生、ファーレン侯爵家五女、キャスリンだと気が付いた。
対するルーカスは余所行きの笑顔を貼り付けており、以前からの知り合いというわけではないようだ。
爵位はルーカスの方が高いが、丁寧な口調で、ダンと会話をしている。
「それで、僕になにかご用件でも?」
「いえ、たまたまお見かけしまして、ご挨拶でもしようかと。実は私はエイミー・カイラス嬢とは幼い頃から知り合いでして、一時は縁談の話も……失敬」
ダンの口調はねちっこく、誤解を与えかねないことを、わざと口にしていることは、付き合いの長いエイミーにはよくわかった。
大体、本なんて読まないダンが、図書館にたまたまいる筈がないことは、明らかだ。
何が目的かはわからないが、碌なことではないだろうと、怒りで、エイミーの顔は真っ赤になる。
「それにしても、グレイ子爵も大変ですね」
「大変?なにがですが?」
ダンの言う意味が全く思い当たらないルーカスは、首を傾げる。
その小動物のような仕草に、ダンの隣に立っていたキャスリンは頬を赤らめていた。
ダンは得意気に話し始める。
「エイミーの授業に付き合わされているんでしょう?エイミーは昔から、少し頭が良いからといって、すぐにでしゃばりますからね。男を立てることもしませんし」
ダンが鼻で笑い、キャスリンが、「まあ!それは酷いですわね」と面白がったように声を上げる。
あまりの言いように、エイミーは、足元が揺れるような気がした。怒りなのか、悲しみなのかエイミー自身もわからない。
何よりもエイミーにとって恐ろしいことは、ルーカスの反応がわからない、ということだ。
もしかして、ルーカスも同じように思っていたら……。そう考えるだけで、二度と誰とも話さず、命を終えたいとすら考えてしまうほどの絶望感に襲われた。
「学校でも、ひたすら勉強しているだけの面白味のないご令嬢でしたからね。」
ダンの言葉に、それまで反応のなかったルーカスが、一拍置いて、口を開いた。
「……勉強していることの、何が駄目なんですか?」
「え?」
ルーカスは、怒るわけでも、嫌味でもなく、心底不思議そうにしている。
予想外の返答に、ダンのニヤニヤ笑いが消える。
「僕は貴族学校に通えませんでしたから、よく知りませんが、学校って勉強する場所ですよね?」
嫌味でも冗談でもなく、純粋な目で問いかけるルーカスに、ダンはたじろぐ。
「いや、女が、学を付けて男を見下すなんて……」
ダンが絞り出した言葉に、ルーカスは怪訝な顔をする。
「僕は、母や姉がいなければ領地経営なんてとても出来ませんでした。男女とか関係なく、色々教えてもらえないと、とても領民を幸せにすることなんてできません……」
話しながら、しょんぼりと肩を落とすルーカス。
捨てられた子犬のような、うるうるした瞳。庇護欲をそそるその姿に、キャスリンも、そして様子を伺っていたエイミーも、思わず頬を染め、胸を押さえる。
「だから、すごく物知りなエイミーのことは、心から尊敬しています。ローズホール男爵子息のように、お一人で十分な知識をお持ちの方と僕では、求めるものが違うのでしょうね」
ルーカスがダンのことを詳しく知っていたとは思えず、深い意図はなかったかもしれないが、ルーカスの言葉は、ダンに強烈な皮肉となって突き刺さった。
貴族学校に通っていた、同年代の貴族には知られているが、ダン・ローズホールの成績は、いつも後ろから数えて5番以内であった。
ぐっと顔を真っ赤にして押し黙ったダンに代わり、隣にいたキャスリンが突然口を挟んだ。
「グレイ子爵、カイラス子爵令嬢は、確かに成績は良い方ですが、人間性が少々変わっておられて、社交もまともにできないと有名です。このままでは、グレイ子爵が恥をかいてしまわれますわ」
ダンの援護射撃のつもりだったのだろう。しかし、その言葉を聞いて、ルーカスの顔色が変わった。
エイミーが見たこともないほど怒っている。とはいえ、元の顔立ちが可愛いので、子犬が牙を剥いている程度の迫力だったが。
「……もうわかりました。ローズホール男爵子息。はっきり言います。エイミーは渡しません!」
「は!?」
「さっきから、エイミーを貶めるような嘘を言って、僕からエイミーを引き離そうとしていますね?確かに僕は、先月も詐欺に引っ掛かりそうになったし、存在しない鉱山へ投資しそうになりましたが、もう騙されません!」
「いや、違……」
「僕は、貧乏だし頭も悪いですし、体も弱いし、武芸もできないし、何一つ良いところはありませんが、エイミーのことを好きな気持ちは負けません!」
「はあ!?」
(ええ!?)
不本意ながら、エイミーの心の叫びは、ダンとキャスリンと被った。
「確かに、最初は一目惚れでしたが、今はエイミーの外見だけではなく、内面も全て好きです!エイミーは、頭も見た目も抜群なのに、謙虚で優しくて、僕の馬鹿な質問にも真剣に答えてくれる、聖女のような女性です」
(え、ちょ、ちょっと、誰それ!?)
1人パニック状態のエイミーだが、混乱しているのは、中の2人も同じだったようだ。
いつもおっとりとした話しぶりのルーカスが、口を挟む隙も与えず、まくし立てている。
「僕は、何とかエイミーに振り向いて貰うために、今色々計画中なんです。邪魔しないでください。さあお引き取りください」
ここはルーカスの家でもなんでもないのだが、有無を言わさず、子犬がキャンキャン吠えるように、ダンとキャスリンを部屋の出口まで追い立てる。
「お、お待ちくださいグレイ子爵!わたくしは、ファーレン侯爵家の娘ですよ!グレイ家にとっても良い後ろ楯になれますわ」
「グレイ家の人間に必要なのは、夜幻草の収穫の腕前、種の目利きと、獣の解体技術です!後ろ楯ではありません」
(待って!獣の解体って何!?)
エイミーの心の悲鳴に答える者はない。
ルーカスに追い出された2人が部屋から飛び出て来る前に、エイミーは手近な本棚の影に慌てて隠れた。
足音が遠ざかり、周りが静かになっても、エイミーはしばらくその場でしゃがみこみ、火照った頬を冷ましながら、入り乱れた感情を落ち着かせていた。
◇◇◇◇◇◇
「遅かったね、エイミー。大丈夫?」
エイミーが戻ると、ルーカスはいつも通りの、のほほんとした顔で迎えてくれた。
妖精と言われるほど中性的で、儚い印象を与えるルーカスの顔だが、エイミーには、とても頼りがいのある男性の顔に見えた。




