1.エイミーと謎の子爵
「お前、どうなの?最近」
「どうって、何が?」
「ほら、あのカイラス家のエイミー嬢。婚約が近いって聞いたけど」
今まさに、自分の話題が出ていることに気づいたエイミーは、談話室に入ろうとしていた足を止めた。
中では4~5人の声が聞こえる。知らない声もあるが、ここは王立貴族学校なのだから、全員貴族令息なのは間違いない。
声から、その中に幼なじみのダンがいることに、エイミーは気づいた。
(ダンとの婚約って、確か断ったけど……)
エイミーは、レイファ王国、カイラス子爵家の次女として生まれた。兄2人、姉1人の末娘で、現在14歳、来年には学校を卒業し、社交界デビューを控えている。
カイラス家は代々官僚を務める中堅貴族であり、他の貴族令嬢の例に漏れず、エイミーにも少しずつ縁談が来ていた。
ダンの家、ローズホール男爵家から縁談の申し出が来たのは、先月だった。
エイミーの母と、ダンの母が貴族学校の友人だったため、生まれた時から引き合わされているが、おとなしく読書を好むエイミーは、やや粗暴な面のあるダンのことが、実は苦手だった。
娘にめっぽう甘いカイラス子爵は、エイミーの意思を尊重すると言ってくれたので、婚約の話は、父を通じて既に断っている。
ただ、あくまで内々のやりとりで、当事者以外は知らないため、幼なじみのエイミーとダンの噂は今も流れているらしい。
入ることもできず、ドアの前で立ち竦むエイミーに、信じられない言葉が飛び込んできた。
「ああ、断ったよ。あんなガリ勉女、絶対嫌だね」
吐き捨てるように言った声は、間違いなくダンだ。
「え!?そうなの?でも、顔は美人じゃん。スタイルも良いし、もったいない」
「顔はまあまあだけど、可愛げもないし、ちょっと成績が良いからって、見下してくる女、妻にしたいか?」
「まあ、確かに、頭が良すぎるところは、ちょっとなあ……」
「だろ?あいつ、小賢しいんだよ。本ばっか読んでるし」
談話室では、盛り上がる男子の声が響いている。
エイミーはそれ以上耐えられず、ドアの前から離れた。
涙の溢れる顔を、誰かに見咎められないよう、行き先も考えず、早足で歩き続ける。
(別に私だって、ダンのことを好きだった訳じゃないし。ダンはプライドが高いから、言わせておけば良いじゃない)
必死に言い聞かせても、エイミーを貶める言葉の数々は、彼女の胸を深々とえぐった。
(可愛げがない……小賢しい……見下してる……)
本を読むことが好きだった。勉強も嫌いではない。良い成績を取って、両親に褒められることが、純粋に嬉しかった。
ダンに対しては、学校の課題を教えたことは何回かあったが、聞かれたから答えただけで、偉そうに言った記憶はないのに、そんな風に思われていたなんて。
それ以来、エイミーは余分な事を言わないように心がけ、外ではあまり話さない、実におとなしい令嬢となった。
◇◇◇◇◇◇
「エイミー、次の建国祭、出席してもらいたい」
「え?」
深刻な顔をした父に呼び出されたエイミーは、開口一番、思いもよらないことを言われ、戸惑った。
エイミーは16歳になっていた。
あの日からも、家では何事もなかったかのように勉強に打ち込み、優秀な成績で卒業したエイミーは、官吏の就職も出来たのだが、結局、カイラス子爵家の領地経営を手伝っていた。
縁談を断り続け、兄のエスコートでしか社交に出ない末娘を、両親も兄姉も、優しく見守り、これまで、エイミーに無理強いをすることはなかった。
その父が、突然社交を命じた理由を、聡明なエイミーは正確に理解した。
「断れない縁談でしょうか?」
エイミーも貴族令嬢だ。いつまでも我が儘を言えないことは、分かっていた。
「いや、まだ正式な縁談というわけではない。さる方のエスコートを受けてほしいと、ご本家からの依頼だ」
「ご本家……ベネット侯爵家ですか!?」
予想外の名に、冷静だったエイミーも少し驚く。
ベネット侯爵家は、カイラス子爵家の遠縁にあたるが、その家柄、財産、権力には雲泥の差がある。
なにせ、ベネット家は魔法使いの一族で、現当主は、若くして国王陛下直属の王宮魔法使いだ。
遠縁と言えど、魔法使いなんて1人も輩出していない、しがない税務官僚のカイラス子爵家とは、比べ物にならない。
ベネット家からの命令では、エイミーに否を言う余地はない。
だが、父も、横に立つ長兄・ロナルドも、渋い顔をしており、あまり良い話ではないな、と薄々察した。
「お相手は、どなたでしょうか?」
どこかの放蕩貴族か、はたまた高齢貴族の後妻か……と、最悪の選択肢を思い浮かべながら、努めて淡々と聞くエイミーに、父は全く想定外の名を出した。
「グレイ子爵、ルーカス・グレイ殿だ」
「グレイ子爵……?」
あまり聞き覚えのない名前に、エイミーは頭の中の貴族名鑑を素早くめくる。
「ええっと、確か、夜幻草の産地の……」
『山間の領地で、希少な薬草である「夜幻草」の栽培をしている子爵家。他にめぼしい産業なし』
エイミーの知識をもってしても、思い出した情報はこの一節だけだった。
父は重々しく頷く。
「その、グレイ子爵家だ。ルーカス殿は幼くして当主になって、まだ15歳だが、病弱とのことで、今まで一度も王都に来ていないし、貴族学校にも入学されていない。しかも……」
「しかも、グレイ子爵家は、長年借金まみれで有名だ」
口ごもる父に代わり、ロナルドがばっさりと言い放った。
「ま、まあ……」
聞く限り、かなりクセのありそうな話だ。
何とも言いようがなく、エイミーは曖昧な返事をするしかない。ロナルドが、悔しそうに父に問う。
「しかし、なぜ急にこんな話が?ベネット家とグレイ家に付き合いがあるなんて、聞いたことがありませんし」
「全くわからない。ただ、グレイ子爵の姉君が、昨年まで上級女官として王太子殿下に仕えていた。もしかしたら、その繋がりか……」
頭を悩ませる父と兄をみているうちに、エイミーの方が冷静になってきた。
(どのみち、ベネット家からの打診を、当家から断ることなんてできないし、私もいつまでも穀潰しになるわけにはいかないわよね……)
父と兄は憤っているが、子爵家同士で家格もあっているし、年も近い。借金まみれというのは甚だ不安だが、ベネット家がそれほど悪い縁を押しつけてくることもないだろう、とエイミーは前向きに考えることにした。
「建国祭の件は了解いたしました。謹んでお受けしますとお伝えください」
父に告げ、エイミーは静かに部屋に戻った。
(おとなしくして、疎まれないようにしないと……)
頭の中に響く「小賢しい女」という声を、必死に振り払った。