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そうして外へと出た。以前と同じようにノマエは帽子をかぶって、ウルオンはリュックの中から顔をのぞかせ、ポッフーは犬のように振舞っている。
信号のある横断歩道まできた。ひと気はなく、見回しても車はきていない。
「あれが信号機だよ。青ならわたってもだいじょうぶ。でもまわりにだれもきてないか確認してからだぞ」
瀬賀が言う。信号の点灯が赤から青に変わる。渡れるサインだった。
「よし、青になったな。行ってもだいじょうぶ。……?」
合図をしたが、ノマエたちはうごかない。ポフも緊張した面持ちで、固まってしまった。
「どうしたんだ? いかないのか」と急かすと、
「あ、あのシマシマ……! す、すごいプレッシャーを感じるのら……う、うごけないのら……!」
大真面目にそんなことを言うノマエに、瀬賀は苦笑する。
「いやいやいや、赤になっちゃったぞ」
ノマエは相変わらずそこから動こうとしない。
瀬賀は「どうしちゃったんだろう?」とツルギのほうを見て聞く。
実はモンスターはシマシマ模様が苦手な種族が多い。原因は解明されていないがとにかくそういう生態なのだ。もちろん、ツルギも瀬賀もそのことを知らない。
「いきなり行けといわれても、緊張するんじゃないかな。子どもだしなんでも最初は怖いものなのかも」
「うーん、そういえばそうかも」
(保育園みたいに、保育園みたいに……)
瀬賀はアミネに言われたとおりやろうと、昔の自分のことを思い出し始めた。
ノマエたちくらい小さかったころ、小さかった自分。親の手に頭を撫でられたり、怒られて頬をつねられたり。そんなことをすこし思い出した瀬賀はふっと笑って、
「じゃあツルギ先生にくっついて、後からわたってみればいいんだ。いちばんうしろはこのハルヤ先生が見ておく」と言った。
「つかまっていいよ」
やさしく笑うツルギ。ノマエは頭にポッフーを乗せて、ツルギのスカートにしがみつく。そしておそるおそるあとについて歩き出す。
ツルギはそろりそろりとあるくノマエに歩幅をあわせてあげる。ツルギがちらと振り返ってその光景を見、かわいいなと思い微笑む。
ついた先は公園だった。人間の親子らが、遊具で遊んだりシャボン玉を飛ばしたりくつろいでいる。
「公園……。正体がバレないといいけど。というか時期尚早じゃないか。顔見せ程度って言っても……」
ツルギは不安そうに身もだえる。
「時期を決めるのは俺たちじゃなくてあの子達だと思います。どうなるかみてみましょう」
ずっと家のなかに閉じ込めておくのはかわいそうだし、じっとさせるのも(特にノマエは)無理だと瀬賀は考えていた。それである程度家から近い世界くらいには慣れさせてもいいかもしれないと思い、ここにきたのである。
「わーいあはは」と無邪気な声をだして遊んでいる子どもたち。そこにノマエがあらわれ、
「こら! そこのガキども! ノマエ様も遊びにまぜるのら!」
(第一声からダメそう!?)
うしろから様子を見守っていた瀬賀だったが、はやくも回収を考え始める。
子どもたちは案の定困惑した様子で「……だれ……?」全員がそんな反応だった。
公園デビューは早まったかと、瀬賀が行こうとしたとき、子どもたちがポッフーを見つけた。
「あれ? これってワンちゃん? それともウサギ?」
「ぽふ?」
「変な鳴き声~かわいい~!」
「こいつはポフランモフランのポッフーくんなのら!」
「え~すご~い」
意外と問題なくコミュケーションがとれていることに、瀬賀もツルギもおどろく。まわりにちらほらいる親御さんらもただの珍しいワンちゃんだと思ってくれているらしく警戒していない。
「うまくやったみたいだな」
子どもたちがポッフーを撫でたりしているのをみて瀬賀はほっと胸をなでおろす。しかし、隣のツルギはなにか不満げに顔をしかめる。
その日を無事に終えアパートにもどり、眠る仕度をする。
歯磨きなどの雑事を済ませ、ノマエとウルオンはそれぞれの布団のうえでウトウトしている。ポッフーだけは部屋の隅に専用の小屋があるためそこで寝ている。
「……ハルヤ……? あしたもいっしょにいてくれるのら?」
眠たそうに言うノマエの横で、瀬賀は床に座って聞いている。
「ん? そりゃいるよ」
「ハルヤ、その傷はなんなのら?」ノマエは瀬賀の目の下の傷を見てきく。
「これ? これはちっちゃいころの傷だよ」
「よくさわってるのら……ハルヤ……」
「ああ、クセだね。家族といっしょに川にあそびにいったんだけど、調子にのってふざけてたら崖から足滑らせて落ちちゃってさ。そん時の……」
瀬賀は昔を思い出しながら、例の傷をなでる。
「かー……」
ノマエは瀬賀の話を最後まで聞くことなくとうとう寝息を立てて眠っていた。
「寝てるし……ふぁああ」
あくびをしながら、笑う瀬賀。ポッフーとウルオンも寝たことを確認する。
「こどもってすごい体力あるなと思ったら、電池が切れたみたいに寝るんだな。きょうはおそくまでありがとう。ユウリさん」
瀬賀が玄関で帰り支度をととのえたツルギに言う。
「別にお礼はいい。私が興味本位でやってることだから。でも、とりあえずポッフーは私が持ち帰る。布団に入れたらあったかそうだ」
「え?」
「冗談だ。また来る」
微笑むツルギ。ドアをあけ出て行く。
「おやすみなさい……です」
本屋で会ったときは冷たかったのに、ああいったジョークを時折いうツルギにたいしてよくわからない人だなと瀬賀は思う。
ある晴れた日の朝、瀬賀の携帯電話が鳴った。でると、アミネからだった。
なんでも用があるらしくルーハの本部にきてほしいとのことだった。さっそくモンスターの子どもたちを連れて、ツルギで教えられた場所に地図を頼りに向かう。
着いたのはのどかな田舎の森だった。ひと気のない林道をひたすら歩く。
「ユウリさん、ついてきてくださってありがとうございます。助かります」
付き添いのおかげで楽ができており、心から瀬賀はお礼を言う。
「いやそれはいいんだけどさっき見かけた注意の看板が気になるな。鉄網のフェンスもあったし、これだけ人里から離れたところにあるのもなにかありそうだね」
たしかに瀬賀も気になっていた。もしかしたらもう敷地に入っているのかもしれない、とも考える。ルーハの本部があるということは保護したモンスターがいるのかも、ということまで想像し、ひそかに緊張している。
そこで道の先に、瀬賀がなにかを見つけ立ち止まる。
奥の林道に幼い少女と植物のようなモンスターが並んで立っており、こちらを見ている。少女のほうはぬいぐるみを抱えて、ゴシック調の洋服に身を包んでいた。
じーっと少女は瀬賀たちを見つめる。
(な……モンスター? と子ども?)
瀬賀がいぶかしんでいると、にぱっと少女が笑ってたずねてくる。
「あたらしい……せんせ?」
瀬賀は驚いたが、すぐに冷静になって返事をした。
「僕のことかい? 先生……まあ一応職員らしいな」
アミネの話によればもう臨時職員ということになっているらしかった。先生かとたずねてきたということはこのコは生徒なのだろうか、と瀬賀は考える。
少女は自身のスカートの端を持ち上げて、礼儀正しく挨拶し、
「……こっち」と道の先へと歩いていく。
「案内してくれるのか」
「あぶないかもだから、そばにいてね」
異様な雰囲気をまとっていた少女だが、笑うとふつうに子どものようでかわいらしい。
瀬賀もそれをうけて表情をゆるめる。
「ん。大丈夫だよ」
「デレデレしてるのら……」と、瀬賀をみてノマエがつぶやく。
そのとき、とつぜん氷の結晶が大きな孤をえがいて飛んできてちかくに落ちて地面に衝突した。爆発と共に煙が舞い上がる。
「な、なんだ!?」
「キラキラが飛び交ってるのら!」
あわてる瀬賀とは対照的に、ノマエはバンザイして目を輝かせる。
続けざまに今度は草の茂みから雷のようなものが一行の前を横切った。
キュランが、「さがっててください」と前に出て、余裕の表情のまま両手でなにかをつくるように宙にかざす。光がカッとまたたいてバリアをつくり、飛び交っている魔法をはじき消す。
「い、いまのはいったい……ていうか君なにものだよ!?」混乱しながらも瀬賀は質問をぶつける。
「魔法少女なのか!? 魔法少女なのか!?」とノマエは興奮気味にはしゃぐ。
「私……吸血鬼。キュラン」
少女は目を細めて名乗る。しかし名前よりも彼女が言った種族に瀬賀は激しく動揺した。
「きゅ、吸血鬼……!?」
あきらかに怖がる瀬賀の反応を、キュランはじっと見ている。
「なぬ!? ハルヤたちを襲わせはしないのら!」
「だいじょうぶ。おそわないよ」
キュランは微笑み、ぬいぐるみを抱きしめる。
「そ、そうなのか。よかった。さっきは助けてくれてありがとう」瀬賀はホッとしながら「ていうかあのとんできた魔法はなんなんだ?」とたずねる。
礼をいわれて、照れたように頬をあからめてニコッと口元をゆるませるキュラン。「チャンバラ」と短くこたえた。
「ちゃんばら?」
「あたらしい先生。おなまえなんていうの?」
「瀬賀春谷だよ」
「ハルヤせんせい……これから、なかよくしてね?」
まだすこし怖がりつつも、キュランの笑顔につられて瀬賀もほほえむ。
「え? あ、ああそうだね」
「やっぱりデレデレしてるのら……」
そこに「コラァ!!!」と怒号が飛び込み、ドタドタとだれかが走ってくる。
「魔法でチャンバラすんなっていつもいってんでしょうがぁ!」
アミネが険しい顔で怒鳴り声をあげていた。草の茂みから数人のモンスターの子どもらが蜘蛛の子を散らすごとくダダッと逃げ去っていく。
遊び盛りのためか、ときにはムチャもするらしい。そのあたりは人間の子どもと大差はないようだ。
「あ、ハルヤさん」
瀬賀をみつけて微笑むアミネ。しかしまだ内心怒りがあるのと、モンスターのまずい一面をいきなり見せてしまったなという困惑が色濃く出ていて、笑いながら眉間にしわが寄っているというおかしな表情になっていた。
「こ、こんにちは」
(魔法でチャンバラってなに!? 平然としてるこの人もすごいな……)
愛想よく挨拶はかえしたが、瀬賀は内心ドン引きしていた。
「あれ、隣の方は……」アミネがユウリに気がつき、瀬賀が紹介する。
「このひとがボランティアのユウリさん」
「ボランティアぁ!? たすかるわぁ!」
うれしそうにアミネはツルギの手をにぎり、握手をかわした。しかしさすがのツルギも、この人こんな職場でよく働けているなと畏敬の念をおぼえ顔をひきつらせる。
それからまず瀬賀とアミネだけで、まずは施設内を見て回った。
イナカハイム、と彼女は言った。この場所の名前であるらしい。特殊生物保育学校。建物自体は一見学校か幼稚園のような外観で、外には広い芝生の庭やグラウンドなどがある。
瀬賀はアミネから説明をうけながら、あとをついていく。
「どこまで話したっけ? そうそう、職員のおばさんがいたんだけど、ギックリ腰やっちゃってねえ」
本当にギックリ腰程度で済んだのだろうか、と思いつつとりあえずうなずく瀬賀。
いっぽうで、ツルギたちは校庭で子どもたちに囲まれていた。
子どもたち、と言っても様々な種族のモンスターの、である。それぞれ特徴が全く違い、統一感はない。
「わー人間だー」と、子どもたちは最初にツルギに注目して目を丸くしていた。
ツルギもこの施設、そしてルーハのことは瀬賀から聞いている。
(モンスターのこどもがいっぱいだ……このコたち、みんな……いや、みんなじゃなくても、なにかわけがあってここにいるんだろうな――――)
絶滅危惧種や、保護が必要な子どもがここにはいる。そう思うと、彼女はちくりと胸が痛んだ。彼女は自分の両親に対しいい思い出がない。そのことも関係して、子どもたちを前に彼女の心は大きく揺れ動いた。自分がなにかしてやりたいと、瀬賀よりも確かな気持ちでここにいる。
「おんなじ歳くらいのコが……いっぱいいるのら……」
らしくなく、ノマエはちょっと緊張している様子だった。
子どもたちも初対面のポッフーたちには距離をとって様子をうかがっている。
そんなとき、ウルオンがぴょんとリュックから飛び出て、地面に着地する。
子どもたちがそれをみて興味を持ったらしい。
「お。なんだこいつ!」
「おもしろーい!」
「ブニブニしてる!」
透明なゼリーのようなウルオンの不思議な見た目がウケたのか、やたらと注目を集めた。ウルオンもわかりやすくとまどっていたが悪い気はしていないようだ。
キュランがえへへ、と笑ってフレンドリーにノマエに声をかける。
「はじめまして。なまえ、なんていうの?」
「あ……ノマエ様はノマエ様なのら! あの子はウルオン! こっちはポッフー! あっちはユウリ先生なのら!」
キュランがポッフーを抱っこして、ほかの子どもたちも近づいて撫でたりする。すぐに溶け込んだようだった。
そして瀬賀とアミネは職員室をみたあと、広間で仕事の中身などについて話し合っていた。瀬賀は気になったことを口にしてみる。
「もしかしてここって職員ふたりしかいないんですか」
しかももうひとりはさっきギックリ腰をやったとアミネが説明してくれた。つまり、いまはひとりだ。
「う、うーん、まあ私が四人分くらい働いてるからだいじょうぶだよ!」とアミネは強気に言う。
「なにがだいじょうぶなんですか!?」
マジかよ、と心の中で瀬賀はボヤいた。アミネがひとりでこの施設をまわして、子どもたちを見て、そして自分もそういう忙しそうな場所で働くことになりそうだったからである。
アミネの話というのは、ノマエたちと一緒にここに移り住んでほしいということだった。今までのように分担するよりも、まとまって働いたほうがノマエたちにとっても、施設にとってもいいだろうと。たしかにノマエたちをせまい家に閉じ込めておくのは彼女たちにとっていいとは思えない。そのことについては同意できたが、
「やばく……やばくないですか。激務ってレベルじゃなさそうなんですが」
「で、でも給料はいいし、人間関係も気にしなくていいのよ!? あらなんて働きやすいんでしょう!」
かわいらしい仕草でアミネは話をごまかそうとする。最初からこのつもりだったんじゃないかと瀬賀は邪推した。
「そりゃたしかに人間はすくないですよね……きわめて」
瀬賀が引いているのをみて、アミネは真剣な顔で頼みこむ。
「しばらくの間ここで働いてほしいのよ。ね? お願い」
即答はできなかった。自分に子ども相手の仕事ができるんだろうかという不安も強い。ましてや人間の子供ですらないのだ。
「ハルヤー!」
玄関から、ノマエが手を振って走ってくる。妙に上機嫌なようだった。
「お、友だちになれたか?」
「ノマエ様の手にかかればそんなのヨユーなのら!」
瀬賀はしゃがんでノマエと目線を合わせる。するとウルオンが彼の肩に乗っかってきて、ポッフーものろのろと近づいてきたので抱きかかえてやる。
彼らの様子をみて、とりあえず友達関係はだいじょうぶそうだなと瀬賀は安心した。そしてそんな自分に瀬賀自身おどろいてもいた。ノマエたちが楽しそうに笑っていると、どうしてか自分もうれしかったのだ。
「よかったな」と瀬賀は笑って、ツルギのほうを向く。「そういうことになりそうです。ユウリさんはどうしますか?」
「いまさらこの子たちを見捨てようなんて思わないよ」
ツルギは微笑んではいるが、その声は力強かった。
瀬賀もうなずく。彼女ならそう言うだろうとわかっていた。
アミネが手をあげて、
「よーっし! みんなー! あたらしい先生をふたり紹介するよー! ハルヤ先生と、ユウリ先生! それと新しいともだち、ノマエ様にポッフーにウルオンくん! みんな仲良くしてあげてね」
子どもたちがアミネの振る手を目印に瀬賀とツルギのまわりにぞろぞろと集まってきて、その合図を皮ぎりに叫び始めた。
「あそぼー! あそぼあそぼあそぼあそぼー!!! あそぼあそぼあそぼ!!」
それしか言葉を知らないのかというくらい、うれしそうに子どもたちはずっと連呼する。
アミネは「はいはい、あとでね」といったん彼らを落ち着かせ、「じゃハルヤ先生、ユウリ先生」とうながした。
子どもたちの数は、人間の学校で言えば一クラス分ほどだった。
これだけいるのを見て、瀬賀はアミネの苦労を思う。たった数日ノマエたちと過ごしただけでもとても大変だったのに、と彼女に尊敬の念を抱く。
瀬賀はノマエたちの笑顔をみたあと、まだ会ったばかりの子どもたちのほうを見て言った。
「よろしくな」
瀬賀は考えていた。これだけの数のモンスターの子達をみてきたアミネが、いままでどれほどがんばってきたのだろうと。どれだけ考えてみても、瀬賀には想像もつかなかった。
でもどうして「がんばろう」とおもえるのか、それはなんとなくノマエたちと笑い合っている今のおかげで、自分にもわかる気がした。