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家を出て、水道橋がみえる川沿いの道へと散歩に出かける。実際は瀬賀にとってそれほどのんびりしたものではないが、見かけ上はそれに近い。
気分が舞い上がって、ノマエは人間文化のつくりだした建造物や景色に目を輝かせている。彼女の背負っているリュックにはウルオンが入っていて、ひょっこりと頭をだして彼もまわりをみていた。
ノマエはたのしそうに歌を歌いながら歩き、瀬賀は一歩うしろからそれを見守る。人とすれ違っても意外と帽子をかぶっていればノマエの正体はバレないようだった。
しかし騒ぎになるとまずいので、そろそろ引き返そうかという時に見知った顔と出くわす。全くの偶然だったが、きのうの女性客、剣木と再会した。その容姿に、離れていてもすぐに瀬賀は気がついた。通りの向こうからあるいてくる。
「あ……」
しかし、声をかけていいものか瀬賀は迷った。ましてやいまはモンスター連れだ。
剣木は足を止めるなり、無表情でノマエを見つめて、さらりと言いはなつ。
「人間じゃないわね」
「な、なんのことですか?」
しらばっくれて間を置かずにごまかすが、表情には焦りが出る。
「みればわかるよ。モンスターにはすこし詳しいから」
ふっと笑う剣木。
タイミング悪く、ガサゴソとノマエのリュックが動く。
「ちょっと失礼」と、剣木はノマエの背後にまわって、リュックに手をかける。
「なにするのら!? ドロボーなのか!?」
瀬賀はハッと気づいて止めようとしたが、その前に説き伏せられてしまう。
「安心して。なにもしないから」
中をあければ当然、ウルオンがいる。
彼女の反応は、瀬賀が恐れていたようなものではなかった。
「ふうん。興味深いね」
もっと慌てふためいて警察に通報されかねないとさえ想像していたが、彼女はむしろうれしそうだった。そのことに瀬賀はいくぶん困惑した。
「あなたたち、このあたりに住んでいるの?」
「あ、はいすぐそこの……!」
聞かれて、ちょっと照れつつ瀬賀は家を指差す。
「なんなのら? オマエ、ノマエ様と遊びたいのか?」
「フフ、そうね。でもきょうは忙しいから……また今度会ってもいいかしら?」
「かまわないのら! 友だちにしてやってもいいのら!」
「ありがとう。じゃあね、店員さん」
そう言って剣木は去っていった。
挨拶はしてくれたが瀬賀のほうをみるときは顔が笑っていない。むしろモンスターの方にこそ気を許しているかのように見えた。
そんなミステリアスなところも含めて惹かれており、瀬賀は憧れの目で彼女の背中を見つめる。
横で見ているノマエは首をかしげる。
瀬賀はその視線に気づいて、
「なあ、ひとつ聞いてもいいかな。ノマエはジャングルからきたって言ってたよな。どうして故郷をでて俺の家なんかにこなきゃいけなかったんだ」
家へと帰る途中、瀬賀が聞く。天気がよいため、青空のもと河川敷が遠くまでよく見渡せた。
「ん、っと。でっかい竜巻で故郷はめちゃくちゃになって住めなくなってしまったのら。それでここにきたのら」
「住むところがなくなっちゃったってことか? ……家族は?」
「……」
ノマエの返事はなかった。
顔をそむけ、応えたくないようだった。瀬賀もまずいことを聞いたかなという感じでだまる。居心地の悪さを感じながら、彼は自分の目の下の古い切り傷をさわる。これは瀬賀のクセで考え事をするときによく出るのだった。
気まずい沈黙のあと「俺も、家族はいないよ」と、瀬賀は自分のことを教えた。
「そうなのら? じゃあノマエ様がハルヤのおねーちゃんになってやってもいいのら!」ノマエは明るく笑う。
「ははは……とんでもない姉貴だな」
それにつられて瀬賀もくっと笑った。
家のちかくにもどると、アミネが待っていた。急いでくれたようで額に汗がみえる。
「おまたせしました! 散歩されてたんですか?」とアミネがきく。
「あ! たんとーの人!」ノマエが声をあげた。
「あ……ごめんね。新しいおうち、探さないといけなくなったの」
眉を下げて、アミネは目をわずかにうるませて言った。「え……」と、ノマエはすぐには理解できないといったふうに、顔は微笑んだまま固まる。
「ハルヤ、そうなのら?」
泣いたり悲しんだり責めるでもなく、ただ現実を受け入れて無気力ぎみにノマエは言う。
だがどこかまだはっきり言われないと信じられないといった様子で、瀬賀に聞く。
瀬賀は彼女と目こそあわせるが、言葉につまってなにもいえない。
「ノマエ様たちが『わるいこ』だからここにいられないのら?」
「わたしが悪いのよ。無理なことをしたから……」
わずかな間だまっていたが、瀬賀の口がうごく。そして口ごもる。
「……ちょ、ちょっとなら」
目の下の傷をさわり、
「受け入れ先が……見つかるまでもうすこしいさせてやってもいいかなって……」
「ほ……ほんとですか!?」
思わぬ僥倖に、顔を赤らめておどろくアミネ。
「は、ハルヤ……ハルヤー!」
ノマエがちょっと泣きそうになりながら、笑顔で瀬賀の足に抱きついて叫ぶ。
「ノマエ様たちをダシにしてさっきの女と仲良くなろうとしてるのら?」
照れくささも吹き飛んで、その言葉に瀬賀はずっこける。
「でも本当に、ちょっとお手伝いするくらいしかできませんよ。仕事もあるし……恩があるから簡単にやめられない」
「あ、ワイエスブックさんですよね。それなら大丈夫です」
両手を合わせてなにか自信ありげにアミネは微笑む。
なんのことかわからず、瀬賀は後ろ頭をかく。
ほどなくしてどういう意味なのかわかった。
書店ワイエスブック前の通り、トラックが大量の本を積んで出発する。その光景をみて呆気に取られ、瀬賀は口があいたまま何も言えなくなる。
「お、ハルヤくん」
いつもどおりのんびりとした感じで店長が声をかけてきた。瀬賀はあわてて、
「店長、移転するなんて聞いてないですよ」
「移転じゃないよ。なんちゃらいう機関が本を買い占めたいってことでね、本がほとんどなくなったから休業することにしたんだ」
笑って言う店長に、瀬賀はマジかよ、といった具合で顔をひきつらせる。
「本屋に本がなきゃ売るもんがないだろ? ま、家内とハワイ旅行にでもいってくるわ。お前もがんばれヨ」
店長はおちゃめにウィンクする。今までにないほど儲けて上機嫌なのだろう。
アミネのほうをみると、舌をぺろっと出したして(・・)やったり(・・・・)顔で、
「いやー実は前から教材が欲しかったんですよね。保護生徒に読み書きできるようになってほしくて。これで教本と職員がいっしょに手に入って一石二鳥ってやつですね♪」
楽しそうに言うアミネに、「しょ……ショクイン?」と瀬賀が問いかける。
「もちろん。だってあしたからの仕事どうするんですか?」
そう言ってアミネは自分の頬に指を立てるようにして当てながらウィンクした。
「ハルヤー! お仕事みつかってよかったのら!」
ノマエが明るい笑みで瀬賀の腰をぽんぽんとやさしく叩いた。
「これで一緒にいられるのら! ノマエ様がめんどーみてやるのら!」
「は、はは……」
瀬賀の口からしぼりだしたような引き笑いがでる。
ウルオンがノマエのリュックから飛び出して、瀬賀の肩の上に飛び乗った。
「うわっ。ははっ。そんなにヨーグルトが気に入ったか?」
妙になつかれてしまったのがつい嬉しくて、瀬賀は笑う。
「ちょっ、ハルヤさん! ここ道路道路!」
「いまなにか変な生き物がみえたような」と店長が言う。
「あわわ……。き、気のせいです。あはは……」
アミネは体を広げて店長の視線をさえぎり、笑ってごまかす。
そしてノマエとウルオン、それとハルヤのいっしょ暮らしがはじまったのだった。
これは人間とモンスターのそれはそれは愉快で、少しだけ悲しい物語、そのほんの序章である。