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アパートの一室。外では雨が降り出している。
部屋にいるのはさっきのスライムと、瀬賀である。
「持って帰ってきちゃったよ……」と後悔し落胆する。
彼自身どうして連れてきてしまったのか、自分でも自分を納得させるだけの理由が見つかっていない様子だった。しかし自覚はなくとも、彼の生い立ちがすくなからず関係していることだろう。
瀬賀は八年前に両親と妹を病によりなくしている。彼だけが生き残った。二十歳になった今も心のスミにさみしさを抱えており、同じ境遇にある生き物をモンスターとはいえ見過ごせなかった。
「雨があがるまでいさせてやるだけだぞ。わかってるな?」
スライムは言葉を理解しているのか不明だが、返事もうなずきもしない。
図鑑をひらく瀬賀。さいしょにスライムに背を向けたのは、店に戻ってこの本を持ち帰るためだった。
スライム族の項目をみつける。
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「ウルオン」
・・・
雑食性
ハンケッタと似ているが別種
絶滅危惧種Ⅰ類
・・・
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載っている写真は目の前のスライムとそっくりで、確信する。
「ウルオンって言うのか。なに食うんだろう、雑食性って言われてもな」
そのへんにあった食パンをつかんで、皿に乗っけてモンスターの前にだしてみる。
ウルオンは興味を示さないうえ、うんともすんとも言わない。
「食べないのか。じゃあ俺のカップラーメンはどうだ?」
お湯のはいったカップめん。にも興味をしめさない。
「これもか。お腹減ってないのかな。ウルオン、それ食べていいんだぞ」
小さい赤ん坊に話しかけるように言ってみても特に変わらない。
数時間、彼はいろいろ試してみた。机の上には皿が、キッチンにはゴミが溜まっていく。
ウルオンが食べないので、けっきょく用意した瀬賀がぜんぶ食べているのである。
「だめだ……肉も野菜も試した。食材はあらかた見せたけど食べない。雑食性ってまちがってんじゃないのかな。それかもしかして人間がこわくて警戒してるとか? うーん、どうしたら……」
ひとりでぶつくさつぶやく。そこで、目線を同じ高さにしてやれば動物は落ち着くという知識をどこかで聞いたのを思い出し四つんばいになる。
「ほらほらだいじょうぶだよ~こわくないよ~ウルオン」
だがウルオンは体を震わせておびえ始めた。
「むしろ怖がってるな」
瀬賀はそう気づくと「あーもうやってらんねえよ」とあきらめて床にねっころがる。しかしほどなくしてなにか思い立ったように体を起こし、
(まさか人肉しか食べないってことはないよな)
とすこし不安になる。隙をみせたときにがぶりといかれたらひとたまりもない。
ウルオンはぼーっとしていて表情から考えは読めない。
「そもそもどうしてあんなところに捨てられたんかね。おまえ、どっからきたの?」
返事はない。目がキョロと動くだけだった。
「ハァ。しゃべれないんだったな」
おやつでも食おうと、冷蔵庫からヨーグルトを取り出す。
するとウルオンが目を輝かせて、せがむように瀬賀の足元にやってきた。
「もしかして欲しいのか?」
ためしにウルオンの前においてみると、元気にむしゃむしゃと食べ始めた。
瀬賀はその様子を見ながら、やっと食べたくれたことに安堵する。
こうしてみると猫みたいでかわいいなと思い、ウルオンの食べっぷりをみて微笑むも、瀬賀は考えはじめる。
「どうっすかね。ほっといても誰も拾わないだろうし。そうなったら保健所にでも連れて行かれるのかな。って俺が元の場所にもどそうとしてるところを誰かにみられたら、俺が捨てたって勘違いされるんじゃ……!? 凶暴化したペットを道路に捨てた罪とかで新聞記事にのっちまうぞ!?」
窓際にいって、雨の様子をみる。止む気配はない。
とりあえずあしたは休みだし、それからどうするか決めよう。瀬賀はそう自分に言いきかせる。
ウルオンのほうをみると、向こうもまっすぐ瀬賀を見つめていた。
(そんな目で見つめられても……俺にはどうすることもできないよ)
イヌやネコならいざしらずこんな街中でモンスターと暮らし始めたら周辺住民になにをされるかわかったものではない。
モンスターはその生態に謎を多く残す未知の存在。そのうえ説明のつかない不可思議な魔法をつかうこともある。人々が怖がるのも無理はない。
早朝、瀬賀はダンボールにウルオンをいれて、そっと蓋をした。
雨が止んだから今日でお別れだ、と内心であやまる。
申し訳ない気持ちや、罪悪感が水のように沸いてきて胸のなかがそれらの液体で満たされていくようだった。だれかに悪口を言われたときのような嫌な気持ちであり、さらに後ろめたさがある。
玄関のドアをおそるおそるあけ、人がいないことを確認する。
人目につかないところに置いてこようと、ウルオンの入ったダンボールを持って外に出る。
しかしそこで、自分のアパートの一室の前になにか置いてあるのが目に入る。
口をあけて驚く瀬賀。なんとそれはひろってくださいと書かれたこのダンボールとまったく同じものだった。
見覚えがあるダンボールからは、黄色の獣の耳がふたつ飛び出していた。ヒョコリとそこからでてきたのは、タヌキのような、猫のような耳をした小さな女の子。その子が瀬賀のほうをみる。
「ん? おまえはなんなのら」
舌足らずに喋る。かなり幼い。人間なら小学校に通っているような風貌、だが獣の耳は飾りではなくしっかりと頭から生えている。
――おいおい冗談だろ。今日までふつうに暮らしてきたのにいきなりどういうことなんだ。
瀬賀の顔は青ざめていき、みるみる困惑の具合を増していく。
ウルオンを置いてくるはずがモンスターが増えるというまさかの事態だった。おもわず発狂気味に叫ぶ。
「ハアあああ!?」