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4話 建介ともじゃもじゃさん

 クリスマスイブだというのに、もじゃもじゃ野郎は今日も席を陣取っていた。スマホを見る様子もなくただひたすらに昨日の本の続きを読みふけっている。あいかわらず本からは早稲田のラベルが顔をのぞかせている。


 私はなるべく横を見ないように気を付けながら、昨日の続きから問題を解き始める。問3の論述問題。昨日は浮かんでこなかった言葉も今日はちゃんと供給される。ベルサイユ条約によって敗戦国であるドイツは連合国側から…


「お疲れ」

 背後から聞き覚えのある低い声。私はまた論述を書く手を止める。


「建介。待ち合わせは5時のはずでしょ」

「そうだけどさ、せっかくのクリスマスなんだしもうちょっと早く会いたいなって」


 そういいながら建介は私の隣、もじゃもじゃ野郎の反対側に腰を下ろす。クリスマスを意識したかのような赤のセーターに黒のチノパン。他の男が来たらダサいんだろうけど、建介が来ていると自然に見えてしまう。バスケ部だったころの体型も依然として変わっていない。


「まあ別にいいけど、私はまだ勉強するからね。昨日の分もちゃんと終わってないし」

 私は過去問に目を向けながら言う。


「えー、まじめすぎかよ。せっかくのクリスマスイブだよ?今日くらい気を抜いたっていいんじゃないの」

「昨日ラインしたでしょ。もう余裕なくなってきてるの。少しでも時間取らなきゃ間に合わないんだって」

「一日くらい大丈夫だって。俺だって同じ受験生だけど今日は勉強してないよ」

 建介はへらへら笑っている。こういう天才がいるから私みたいなのが苦しむんだよ。


「あんたと一緒にしないでよ。あんたにはこの気持ちわからないよ」


 はいはい、なんて言いながら建介はそっと私の頭をなでる。いったいこれまで何人の女の子の頭をなでてきたんだろう。


「じゃあ勉強はやってもいいからさ、うちでしよ」

「その手には乗らない。」


 建介は軽くため息をつきながら首を横に振る。


「最近全然会えてなかったんだし。こういう時くらいハメ外そうよ」

「会えてないのはあんたが家に連れ込もうとするからでしょ。一緒に勉強するとかならまだ会えてると思うんだけど」

「家で勉強しよって言ってたじゃん」

「そういって勉強したためしがある?家まで行ったかと思えばいつもすぐに抱きついてきて、いやって言っても絶対やめようとしてくれないじゃない」


 気が付けば周囲の視線がこちらに集まっていた。カウンターからはおばさんもこちらの様子をうかがっていた。そんな中でも、もじゃもじゃ野郎は本から目を離さない。


「去年が懐かしいな」

 建介が窓の外を見やりながらつぶやく。


「え?」


「去年、この席でクリスマスの予定を立てたよな。あの時は志保も甘えてきてくれていたし」

「あの時は、あんたの本性を知らなかったからね」

「本性?」

 建介の顔が厳しくなる。


「そう、本性。優しいと見せかけてそのうちで考えているのは、女のはだかだけ。せっかくの彼氏なのに、こんなんじゃあんまりだよ」


 二人の間に沈黙が走る。私は胸の奥から何かが零れ落ちそうになるのを必死に抑える。


「もうわかったから、今日は二人でゆっくり楽しもう」

 建介が手を私の肩に回しながらささやく。

「うちでいっぱい優しくしてあげるから」


「だから、それをやめてって言ってるんでしょ!」


 私は建介の手を振り払って叫んだ。地区センター中に声が反響する。散らばりかけていたセンター内の視線がもう一度私のもとに集まって来る。もじゃもじゃ野郎は相変わらず本を読み続けている。


 建介は振り払われた目を見じっと見つめながら怪訝な顔を浮かべる。


「…傷つくんですけど」

「傷つくのはこっちよ。いつもいつも優しくしているようなふりして近づいてきて、自分の欲望ばっかり満たそうとする。私の気持ちなんて少しも考えてくれないじゃない」


 過去問にしずくが滴り落ちていく。書いた論述のインクがにじむ。建介はじっとこちらを見つめている。


「そんなにやりたいなら、心美を誘えばいいじゃない。告白されたんでしょ?あの子ならあんたが誘えばすぐにでも駆けつけてくれる。」


 どこまで声になったのかはわからない。ただ必死に声にしようとのどを動かした。建介は私の顔をにらみながら立ち上がった。


「そうですか。そんなに言うなら心美ちゃんと会ってやりますよ。あいつ変に媚びてくるところがあるけど、今のお前よりは一緒にいて楽しいだろうしな。D判定だか何だか知らないけど、せいぜいお勉強頑張ってくださいよ」


 それだけ言うと建介は行ってしまった。ずっとスマホを見たまま、後ろを振り返ることはなかった。


 建介が完全に行ってしまうと、私の胸の奥にあったものが一気にこぼれ始めた。もうどうでもよかった。論述のインクがどんどん滲んで黒い塊になっていく。地区センターの中は私の嗚咽だけがただただ鳴り響く。


 どうして私ばっかりこんな目に合わなきゃいけないんだろう?いったい何をしたって言うんだろう?建介と付き合ったから?亜美の姉だから?


 私なの、私のせいなの?


 一つの事を考えると、いろんな人達の顔が現れて私の胸の奥に矢を刺していく。その度に一つずつ胸の奥の塊が形にならない声でセンター内に吐き出される。


 どれくらいそうしていたのかわからない。気が付けばお昼のチャイムが聞こえてきた。私の周りに座っていた人たちが少しずつ席を離れていく。


 それでもやっぱり、もじゃもじゃ頭はずっと本を読み続けていた。私たちの会話を聞いていたのか、どうなのかわからない。ただ彼はひたすらダーウィンの書き記した文字列をひたすら見つめ続けていた。


 私の声が収まってくると青年は荷物を持って席を立った。私の特等席はもう一度陣地を確保された。私は背もたれに深く腰を移す。胸の奥の何かがあふれ出て、一種の静寂が私を内側から支配していた。問3の論述は何を書こうとしていたのかもう見ることはできない。なんて書けばいいのかもわからない。


 顔を洗おう。

 ひどく目が痛かったしまずはこの席から一度離れたかった。席を立とうとして机に手を置いた時、ふと、隣に何かあるのに気付いた。


 えんじ色のハンカチ。ハンカチに描かれたクマがじっとこちらを見つめていた。青年の置手紙。


私はハンカチを持ち上げて涙を拭いた。ハンカチは意外とふんわりしていて、洗剤の香りが残っていた。 私はハンカチを握りしめて洗面所へと向かった。その日は青年は戻ってこなかった。



 その夜、家で私は亜美と「建介コノヤロー会」を開いた。コーラ片手に乾杯をしてひたすら建介の悪口を言い合った。


「やっぱり建介さんはくずだよ。あんなくず野郎にはお姉ちゃんはもったいない!」


 昨日の発言をどう撤回するのか、気になることばかり連発する妹だったが、今日だけは許すことにしよう。心美から「ありがとう」なんてラインが来ていたが、既読だけつけておくことにした。おとといの言い争いが遠い出来事のように感じてしまう。


 妹と建介の画像を削除していると、パパも帰って来た。


「ふたりこんなに仲良くしているなんて珍しいな」なんて笑いながら缶ビールを開ける。二日目のクリスマスパーティが始まろうとしていた。

「志保、昨日は言いすぎてごめんな。おれはただ、諦めずに頑張れよって言いたかっただけなんだ」

 パパが突然切り出して来た。私は画像を消去する手を一度止める。


「いいよ。パパの言っていることはごもっともだし。」

 私は一瞬間をおいて続ける。

「パパ、私ね、やっぱり早稲田に行く。負け惜しみとか、そういうのじゃなくて、絶対に行く。だから、だから」


 そのあとの言葉が思いつかない。言いたいことはあるんだけどうまくまとまらない。答えのない論述問題を解こうとしている。


 パパは私の手を握りしめた。そして一回、強くうなずいた。それだけで十分だった。

 ママがスパゲッティを持ってきた。計画外のクリスマスパーティが始まった。今日は部屋に戻る心配はなさそうだ。



 翌日。地区センターはクリスマスの装飾で彩られていた。机一つずつにサンタの人形が置かれている。もしかしたら昨日の私の声をクリスマスの力で書き消そうとしているのかもしれない。


 カウンターまで行くと、おばちゃんが受付をしていた。おばちゃんは真っ赤なサンタのコスプレをして受付書類の整理をしていた。事務に追われるサンタさんとは世の中も生きにくいものだ。おばちゃんは私の顔を見つけるとさっと目をそらしてしまった。必死に書類に目を通している。


「おはよう、おばちゃん。サンタ似合ってるね」いつも通り笑いかける。

「あ、あら、おはよう。今日も勉強がんばってね」

 おあばちゃんに軽く一礼したら、いつもの席へ向かう。特等席は今日も空いている。


 そして、やっぱり今日もいた。もじゃもじゃ頭の赤いシャツ。クリスマスだというのに本を読み更けって、かわいそうな人。


 私はかばんからハンカチを取り出す。洗濯したハンカチには、すでに家の洗剤のにおいに包まれていた。もじゃもじゃさんはどこの学部なんだろう。文系だったらいいな。社会が得意だったらいいな。


特等席にすわり、横をみる。今日もやっぱり『種の起源』。あいかわらず早稲田大学図書館の名を光らせている。


「こんにちは」


 振り返ったもじゃもじゃさんは、昨日のハンカチのにおいがした。

完結しました!

最後まで読んでくださりありがとうございました!

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