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隣に座った男

 冬休みの地区センターはいろんな人がいる。


 冬休みの宿題に追われる学生たち、暇つぶしの読書や囲碁将棋にいそしむ老人たち。みんな冬休みの緩やかな時間を楽しんでいる。そんな中で少し異質な空気を醸し出すのが、私たち受験生組だ。


 1月に控えるセンター試験までもう1か月を切っている。穏やかな空気とは、はるかに縁の遠い日々だ。


 なんで一日は24時間しかないんだ。なぜだ。なぜなんだ。ああサンタさん、今年のクリスマスプレゼントは高いものはねだりません。ですので、時間を、思う存分勉強できる時間を何とかプレゼントしてくれませんか?

 なんてお願いを本気で考えてみたりもした。

 あと二日でクリスマス。サンタさんから返事が来る気配はまだない。


「宿題かったり~。やってられねえよ。」

「またそんなこと言って。宿題やらないと恵子先生怒るよ。ほら、早く宿題終わらせてクリスマスの予定立てちゃおうよ」

 背後で聞こえる青春のやり取り。

 窓に沿って設置されたカウンター席に座っている私からその姿は見えないけど、きっとイキイキした顔をしているんだろうな。


 私だって去年の今頃は、ここで建介と同じような会話をしていた。

 気が付けばもう一年。私はずっとこの地区センターで受験と戦っている。


 問2「第一次世界大戦が終戦したのちに講和条約が結ばれた」とあるが、この講和条約の名前と結ばれた年を西暦で記せ。

 ――ベルサイユ条約・1919年。


 もう何周も解き続けた早稲田の過去問。全部これくらいの一問一答だったら余裕で合格なのに。変な選択肢問題とか、記述問題なんてなくていい。


 でも、そんなことしたら私みたいな暗記しか能のない馬鹿がたくさん受かっちゃうから大学も困るんだろうな。私だって天才になれたらいいのに。

 ふっと連想されてくる建介のイメージを振り払って、もう一度問題に目を向ける。


「志保ちゃん、今日も頑張って偉いわね」

 そう言って、机に置かれる缶コーヒー。すっかり顔なじみになったセンターのおばちゃんだ。おばちゃんは一年中、白いワイシャツに緑のエプロンといった、地区センターの制服姿のまま。

ちょっと寄れっているワイシャツもおばちゃんが着ると不思議と似合っている。


「ありがとう」

 そう言って私は、ブラックコーヒーをぐっと飲みこむ。昼前の眠くなる時間にはこれが効く。


「クリスマス前だっていうのに勉強なんて大変でしょう」

「受験に勝つためにはこうでもしないとね」

「受験生ってやっぱり大変なのね。私の息子も再来年には忙しくなっちゃうのかしらね。なんか推薦狙うから受験は大丈夫とか言ってるんだけど。推薦って実際取れるものなの?」


「え?」私は眼を窓の外に向ける。

「ま、まあ、ちゃんと日々の授業と定期テストを頑張っていれば狙えるとは思いますよ。もちろん推薦先によっては倍率も高くはなりますけど…」


 ちなみに私は無理でしたけどね。言いかけて言葉をそっと飲み込む。そんなこと言ったって誰も得しない。

「やっぱりそうなのね。息子がそのつもりならもっとねちねち言ってやろうかしらね」

 おばさんはよくうなずいている。


 そして、ふと思いついたように切り出す。

「でも志保ちゃんくらい頑張っていると、もう推薦なんてなくても早稲田なんて余裕でしょ」

「ま、まあそうだといいんですけどねえ…。やっぱりそう簡単にはいかないですよ」

「模擬試験とか受けているんでしょう?やっぱりもう合格ラインには余裕?」

「えーと…まあまあ、ですかね」


 引きつりそうになる笑いを、頑張って自然に取り繕いながら嘘をつく。今朝届いた模試の結果をそのまま伝えられない。まあまあなんてよくいえたものだ。

 謙遜しちゃって、なんて言いながらおばさんは笑っている。それから、センターの館長に呼ばれてカウンターまで戻っていった。

「それじゃあ頑張ってね」

 おばちゃんの言葉に私は返事できなかった。

 正面に向き直ると、ため息をついた。深い深いため息。


 もう一度問題に目を向ける。

 問3.問2の条約がドイツに及ぼした影響を400字で論じよ。

 今度は記述問題。何度も解いたはずなのに、言葉が出てこない。答えを出そうとすると別のモヤモヤしたものが邪魔をする。


 ダメだダメだ。

 首を激しく横に振ってモヤモヤを振り払おうと試みるが、頭の中の謎の煙は一向に消えてくれない。仕方がないので窓の外から見える風景を眺めてみる。窓の外では小学生たちが自転車に乗りながらどこかへ向かって駆けぬけていく。


 少年たちよ、無邪気でいられるのも今のうちだぞ。

 誰にも聞かれない忠告を誰にも聞こえない声でつぶやく。


 物思いに更けていると、隣の席に誰かが座って来た。この付近は私の特等席のはずなのに。

よく見てみると他の席も人が埋まりつつあった。クリスマス前だっていうのに、なんでみんなここに集まるんだ。

 隣に来た人はくるくるの天然パーマの青年だった。黒縁の眼鏡をかけて赤いチャックのシャツを着ている。多分、大学生。背は高そうだけど猫背のせいでどこか不格好。クリスマス前にこんな地区センターに来ているってことはかなり暇なんだろう。かわいそうな人。


 青年は席に着くと手提げのかばんから文庫本を取り出した。ダーウィン「種の起源」。理科の授業でなんとなくタイトルは聞いたことあった。

 ダーウィン、たしか進化論の人。まだ推薦目指してテスト勉強していた時にやったことがあった。

「やっぱり大学生になると難しそうな本読むんだ…」

 ちょっとだけ感心してしまった。頭のよさそうな人だし、今日だけは許してやろう。


 そんなこと考えてもう一度過去問に目を戻そうとしたときに、私は見てしまった。文庫の裏表紙、そこに貼られているラベルには「早稲田大学図書館」の文字がはっきりと刻まれていた。

 この人、早稲田なのか。


 もしかして、私が早稲田に受験したいことを聞いてわざと私の隣に座ったんじゃないか?

 隣で必死こいて勉強している私を、陰であざ笑うために堂々と本を読み始めたんじゃないのか!根拠のない憶測が次から次へと頭の中を飛び交う。


 もう論述を解くどころの話ではなくなってしまった。

 隣で早稲田の学生が本を読んでいる。そいつは陰で私を見下して楽しんでいるのかもしれない。


 結局コンビニまで昼食を買いに行くことにした。

 まだ11時30分。いつも買いに行く時間よりも30分早い。でも、いつまでもここにいたって仕方なかった。席を立ちあがって出口へと向かう。出かけぎわ、もじゃもじゃ猫背の背中に向かって思いっきりにらみつけてやった。




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