おっぱい防衛軍総司令部
この町は田舎とも田舎じゃないともとれない微妙な地方の小さな市街。
町の最寄り駅として、ここでは一番の賑わいを見せているだろう駅前広場にやってきた。
なんか最近話題のスイーツ店がオープンしたとかで、これでウチの町は都会だなとか通行人が話しているのを横耳に聞きながら、渡された地図のメモを広げる。
そこから続く商店街通りに足を向けるが、そこはすでにシャッター街となっており、駅前に近い立地の店がポツポツと残っているのみだ。
隣の市に大型商業施設が出来たのが四年前、すでに閑散としていた商店街にトドメを指した。僕だって大学生になってからはそっちで買い物する事がほとんどだったし、仕方ないのかもしれない。
アーケード小道と化した商店街の脇道、国道へと続く裏道の路地にそれはあった。
森嶋ビルと書かれた雑居ビルの一階部分、通りすがりにはよく分からないが、よくよく見るとピンクの装飾があったり、丸い字体の小さな看板があったり、美人なおねえさんのポスターが貼ってあったり。
見る人が見ればわかる。
それは正しく「アダルトショップ」であった。
だが、見る限り不健全な印象もなく、ひっそりと佇むという印象を受ける店構えであった。
そんな店の前に立つ僕も、ひっそりと佇んでいた。
「ケンおじさん、僕はあなたを恨みます」
ケンおじさんの友達が経営するというのだから、このまま挨拶もなしに帰ってしまうのは、ケンおじさんの顔を潰してしまうし、引き受けてしまった手前どうしようもなかった。
そもそもニートの状態がこのままさらに三ヶ月ほど経てば、もう僕はダメ人間にしかなれないだろう。
ならば、どこであっても働かなければならない。来月は欲しいゲームの発売日だしな。
「よし、いくか」
気合を入れ、決意を持って望む。
そのはずだったのだが。
雑居ビルの入り口、そこから奥に進むと右手側にアダルトショップの入り口が見える。左手にはいくつかのポストがあり、入っているテナント名が書かれていた。
三階建てのこのビルの一階はアダルトショップの名前が、二階は森嶋雀荘、三階はオーナーの自宅のようで森嶋としか書かれていなかった。
肝心のアダルトショップの店名。それが問題だった。
《おっぱい防衛軍総司令部》
(うん、ますます帰りたくなってきたけど、本当にどうしよう)
僕だって男だ、興味がないわけではないのだ。だけど、何故か身体が拒絶反応を示している。
これ以上は踏み込んではいけない、戻れなくなるぞ。そう身体が言っているようだ。
胸の高鳴り、緊張から来る汗、震える手。期待とかそういうのではない。きっとこれは恐怖だ。
生命としての危険を感じている。これ以上はダメだ。
僕はパンドラの箱を開けようとしているのかもしれない。
ただのアダルトショップならまだしも、防衛軍の一員になるつもりはないのだ。
自動ドアのボタンを押そうとしている僕の左手。ダメだ、本当に帰れなくなってしまう。
違う、僕はここにいるべき人間ではない。ああ押さないでくれ。
僕の右手が左手を掴み、ギリギリ間に合ったと安心してしまった。
「よし、助かった。とりあえずだ。深呼吸だ。息を吸ってーはいてー息を吸ってーはいてー」
落ち着け僕、口に出したら息が吸えない。あれそういえば、呼吸の仕方ってどうするんだっけ。わからなくなったぞ。おなかに力入れるんだっけ、鼻か、胸か、どこだっけ力入れるの。
「先、入ってもいいですか?」
隣から聞こえた声にびっくりして、あわわってマンガみたいなリアクションをしてしまった。
「あ、どうぞ」
いきなりすぎてそれしかいえなかった。
僕の前を素通りして、アダルトショップ《おっぱい防衛軍総司令部》に入っていったのは、美人のスーツ姿の女性だった。女の人がなんの用なんだろうか、そう思うがそういう人もいるだろうと想像する。
通り過ぎていった空間に甘い匂いが漂う。いいシャンプー使ってるんだな。
匂いに誘われ、気が付いたら僕は店内に入っていた。なんとも素直な性格だと自分でも反省してしまった。
ついに、僕はおっぱい防衛軍へと足を踏み入れたのだった。