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第7章 疑惑

「死んだ……?」


 湖條(こじょう)に言われた言葉を、私は繰り返した。


「ああ、馬渡(まわたり)くんが発見した。海に面した岸壁の下の岩場に倒れていたそうだ」

「恐らく」と馬渡が言葉を継いで、「足を滑らせるかして転落したんだと思う。みんなも昼間の散策で見ただろう。二十メートル近くも落差があるところだ」

「確かに死んでいたんですか?」


 乱場(らんば)が訊くと、馬渡は、


「下りて直接確認したわけじゃないんだが、ぴくりとも動いていなかったし、頭部には血のようなものも……」

「馬渡さん以外の人も見たんですか? 影浦さんの……し、死体を」

「いえ」と、これには田之江(たのえ)が、「留守番をしていた私のところに、馬渡さんが一番最初に戻ってきて、『影浦さんが死んでいる』と。皆さんに知らせに行こうと思ったのですが、行き違いになってしまってはいけませんので。一時間経ったら戻ると決めていたため、馬渡さんと二人で待っていたのです」

「それから私、安堂(あんどう)さんと戻ってきて、同じように事情を聞いたというわけだ」


 湖條は表情を歪めた。


「どうします? これから死体を見に行きますか?」


 馬渡が言ったが、


「でも、この暗さですよ。携帯のライトも二十メートル先にまでなんて届かないでしょう」


 乱場が空を見上げた。夕方あたりから風が雲を運んできて、完全に日没した今となっては、見上げても月はおろか星のひとつも見えない。次に理真(りま)が、


「ご覧の通り、今夜は曇りで月明かりもありませんし、今から馬渡さんが死体を発見したという岩場に行くのは危険です。夜明けを待って行動を起こしたほうが」


 確かにそうだ。私は馬渡に、


晃平(こうへい)――馬渡さん、あなたが見た死体というのは、本当に影浦さんだったの?」

「ああ、俯せに倒れていたが、背丈や着ている真っ黒な背広から、影浦なのは間違いない」


 名前で呼んでしまった。が、状況が状況のためか、呼ばれた本人も含め、突っ込んでくるものは誰もいなかった。さらに私は、


「死体は俯せで顔は見えなかったのよね。加えて、だいぶ日も落ちていて、かなり薄暗かったと思うのだけれど、それでも断言出来る?」

「あの岩場は西向きだから、太陽が沈む直前まで日はあった。間違いない。それに、あれが影浦でなければ誰だっていうんだ? この島には、俺たち七人以外には誰もいない」

「全ては明日、明るくなってからだ」


 湖條が私と馬渡の会話を止めた。


「とりあえず、中に入りませんか」


 田之江の言葉で、私たちは玄関に向かい、田之江、湖條、乱場、馬渡の順に一列になって歩く。私は理真と並んで最後尾についた。誰もが俯き加減だったが、見ると、理真だけは顔を上げて、前を歩く四人の背中を見ている。その視線が私に向いた。


「どうかした?」

「いえ……」


 私が彼女を見ていることに気付いていなかったのだろう、正面から目を合わせることになった理真は視線を外すと、歩調を早めて玄関に向かった。


 広間には、盛られたビーフシチューがほぼ完食された五枚の皿と、手つかずのままの二枚の皿があった。当然、すっかり冷め切っている。私と理真の二人で皿を片付け、代わりに熱いお茶が入った湯飲みを用意した。数は六つ。


「明朝、夜明けとともに行動を起こしましょう」


 お茶をひと口飲んでから、馬渡が言った。


「崖まで行って、死体を確認するんだな」


 湖條が続けると、


「それだけではありません。俺が下まで降りて死体を確認します」

「あの切り立った崖をか? 無理だ」

「いえ、十分に明るければ出来ます」

「降りられたとして、また上がって来られるのか?」

「ええ、大丈夫でしょう」


 馬渡が請け負う。確かに、この男なら可能だろう。いつだったか、ビルの壁を上っていったこともある。どうしてそんなことをする羽目になってしまったかは忘れたが。


「影浦さんが何か手掛かりを身につけているかもしれない。死体を調べるのは必須です。それが出来るのは、この中で俺だけでしょう」


 この言葉には誰も異論はない。


「手掛かり」と田之江が、「それは、影浦さんだけが知っていた、この島の秘密、ということですか」

「そうと決まったわけでは、影浦さんが何か秘密を握っていたと確信されたわけではありませんが」

「そうですね」

「でも」今度は乱場が口を開き、「影浦さんの、あの態度はどう考えてもおかしかったですよ。島の秘密かどうかは分かりませんけれど、何か僕たちの知らない情報を得ていたことは確かです」

「死ぬ前に、それを教えてほしかったな」


 それを言った直後に湖條は、「いや、失礼」と言葉を引っ込めた。それ以降、誰も何も言わない。どうして? みんな思っているはずなのに、どうして言わないのか。それであれば、私が言うしかない。


「影浦さんは、どうしてあんな危険な場所に行ったんでしょうか?」

「あいつが握っていた秘密に関係のある場所だったのかもしれない」


 湖條が答えた。が、私が本当に言いたいことのは、聞きたいことはそれではない。


「影浦さんが死んだのは……事故だったんでしょうか?」


 これには誰も何も返さなかった。数秒の沈黙のあと、


「事故でなければ、何だというんだね」


 またしても湖條が答えた。そうだよ。


「殺された、ということですか?」


 意外にもそれを言ったのは、一番温厚そうな田之江だった。私は彼の顔を見て、


「そうです。その可能性は当然考慮されてしかるべきはずです。私たちは探偵なんですよ。〈それ〉から目を逸らすべきではないと考えます」


 言い終えてから全員の顔を順に見た。誰もが神妙な、難しい表情をしていた。恐らく私もだろう。


「もし、影浦が殺されたのだとしたら……」湖條も私を見返して、「犯人は、この中にいるということになるな」


 私がしたのと同じように全員の顔を見回す。他の四人の探偵もそれぞれ顔を上げ、湖條と視線をぶつけ合った。


「冷静になって下さい、皆さん」


 広間に入ってから、ひと言も発していなかった理真がここで口を開いた。全員の視線を浴びることになった理真は、


「影浦さんのものと見られている死体を調べてみないことには、まだ何も分かりません。第一、影浦さんが他殺だったとしたら、犯人の動機は何なのでしょう?」


 ここでまた全員が黙ってしまう。お茶をひと口飲んでから湖條が、


「それも、影浦の死体を調べればはっきりするかもな」

「どういうことですか?」

「あいつは、背広に盗聴器を仕込んでいるんだ」

「盗聴器? どうしてそんな――」


 理真は何かに気付いたように言葉を止めた。私にも、恐らくこの場にいる全員もその理由が分かっただろう。が、念のためというように湖條は続ける。


「そうだ。あいつの副業である強請(ゆす)りの材料に使うためだ。これはと見た人と会うときにはスイッチを入れて、会話の全てを録音していたらしい。何か強請りのネタになるものはないか、あとからじっくりと聞いていたんだろうな」

「それじゃあ」と乱場が、「犯行の一部始終が、そこには録音されているかもしれない? 殺された原因が分かるだけじゃなく、犯人の声も入っているかもしれませんね。影浦さんの死が他殺によるものだったとして、ですが」

「よし、影浦の背広を回収すればいいんだな」


 馬渡が翌朝の行動を確認した。


「馬渡さんが犯人だった場合、盗聴器をその場で処分してしまう可能性がありますね」


 そう指摘したのは田之江だった。全員が意外そうな顔で古本屋店主を見た。温厚そうな彼にしては思い切った発言だ。その視線も鋭く馬渡を刺している。


「もちろん、俺が影浦さんの死体を調べるところは、崖の上からみんなに監視していてもらいますよ。腹ばいになって顔を突き出せば、安定した体勢で目視出来ます。俺も、自分の体で死体を隠すような真似はしませんから」

「随分と自信がありますね」

「ええ、だって、俺は犯人じゃないんですから」

「すみません。気になったもので言ってみただけです。気分を害したら申し訳ない」


 田之江は、もとの人の良さそうな中年男性に戻った。


「明日の日の出時刻は、何時くらいでしょう?」


 理真が訊いた。それには湖條が、


「今の時期、この辺りなら、午前四時から四時半の間くらいだろう。朝までに雲が晴れなければ、まだ薄暗いだろうがな」

「崖が西向きですから、日の出直後では影になりますしね」


 馬渡が追加する。湖條は頷いて、


「あまり焦って暗い中作業をして、万が一という事態も起こりうる。午前五時にここを出ることにしよう。現場に到着するまで三十分も見れば十分だろう」

「そうすると、作業開始時刻は午前五時半。いくら西に面した崖の下とはいえ、十分明るくなっているでしょう」

「ああ」と湖條は腕時計に視線を落とし、「明日に備えて、もう風呂に入って寝たほうがいいな」


 現在時刻は午後十時に近かった。湖條は顔を上げると、


「風呂は女性陣に先に使ってもらおう。その間、我々はロープなど、何か使えそうなものを屋敷から見繕っておこう」


 その言葉を合図に男性陣が立ち上がった。が、馬渡は、


「すみません。俺、腹に何か入れてもいいですかね。夕飯、食いそびれてしまったもので」


 そうだった。彼と影浦だけは私のビーフシチューを口にしていないのだ。湖條は、「構わんよ」と言い残して、乱場、田之江と三人で広間を出た。ひと足遅れて馬渡も出入り口に向かったが、


「いいわ。私が用意する。理真さん、先にお風呂に入って」


 シチューを温めてやることにした。あいつは何も言わず、黙って椅子に座り直した。ポーカーフェイスを気取っているが、口元が僅かに微笑んでいるのが分かった。単純なやつ。理真は、そんな私たちをやはり笑顔で見ながら広間を出た。

 台所に来て、そういえば冷蔵庫におにぎりがあったことを思い出した。朝、理真が作りすぎて保存しておいたものだ。傷むと悪いので、一緒に馬渡に食べさせてやろうと思い冷蔵庫を開けたが、そこにおにぎりはなかった。いつの間に誰かが食べてしまったのだろうか。もしや、作った本人が? 大小大きさは不揃いだったが、四個か五個はあったはずだが……。いくら何でも食べ過ぎではないのか? うら若い女性としてそれはどうなんだ? いや、あまり突っ込むのもよくはないか。食欲があるのはいいことだし。

 仕方がないのでシチューを温め直して皿に盛り、馬渡に出してやった。「お代わりは鍋にあるから自分で盛って」それだけ伝えて私は広間を出る。あいつの顔は一度も見なかった。

 脱衣所のドアに〈使用中〉の札が掛かっている。まだ理真は入浴中のようだが、私は構わずドアを開けて中に入る。やはり、磨りガラスの向こう、浴場からは水を打つ音が聞こえてくる。


「理真さん」私は声を掛ける。

美夕(みゆ)さんですか」彼女も返してきた。

「一緒に入ってもいい?」

「いいですよ。時間の短縮になりますし。このあと、四人も男性が控えていますからね」


 昨夜この浴場を使ったときから、人数がひとり減った。

 理真は体を洗っていたため、私はかけ湯をして湯船に浸かった。広い浴場なので、二人が同時に入浴することも十分可能だ。


「理真さん、大変なことになったわ」

「そうですね。まさか、こんなことが……」

「理真さん、影浦さんの死は事故だと思う?」

「馬渡さんの証言の通りなら。その可能性は高いですね」

「ええ、でも、彼以外に誰もまだ現場を見ていないわ。言っちゃ悪いけれど、あいつはこういった殺人事件には普段ほとんど縁のない男よ。そんな人間の見立ては容易には信じられないわ」

「明らかな殺人を事故死と見誤ってしまう、もしくはその逆も十分にあり得ると」


 私は頷く。理真は湯船から手桶でお湯を掬い、体に付いた泡を流して、


「広間でも言いましたけれど、これが殺人だとしたら、動機は何なのでしょう?」

「動機……。影浦さんは、死神探偵とまで呼ばれていた男。探偵活動の陰で、立場上得られた情報をネタに強請りをやっていた」

「とんでもない話ですね」

「ええ、本当に。湖條教授は、それに対して随分と憤慨していたわね」

「それが犯行動機になり得ると?」

「義憤と言うんだっけ、こういうの。湖條教授、強面(こわもて)だけれど、意外と優しいし正義感も強いじゃない」

「かといって殺しますか? しかも、こんな状況で」


 それはその通りだ。こんな私たち以外に誰もいない孤島で殺人が起きれば、容疑者は限られてくる。


「そういったことはよく言われるけれど、反面、孤島や吹雪で閉ざされた山荘なんかで起きる殺人事件は未だにたまに起きているわ。人間、そんなに理屈だけで割り切れるものじゃないのかもしれない」

「普通の人であれば、そうでしょうね。自分が閉ざされた環境にいると分かっていても、犯行の瞬間だけはそのことを忘れて、感情のまま人を殺めてしまう。でも、湖條教授は探偵ですよ。教授だけではありません、この島にいる人間は全員探偵です。我を忘れて犯行を犯すような真似をするとは思えませんけれど」


 それも一理ある。中でも湖條はこのメンバーの中では、「我を忘れる」という言葉から最も縁遠い人間だろう。


「もし、この中に感情をコントロール出来ない人間がいるとしたら、それはあいつだけね」


 私が言うと理真は吹きだした。


「馬渡さんですか。容赦ないですね、美夕さん」


 自分で言っておかしくなり、私も笑みを浮かべた。


「私も入っていいですか」


 体を洗い終えた理真が立ち上がった。私が横にずれて作った湯船のスペースに、理真は白い裸身を滑り込ませる。


「隠された動機があったとしたら、どう?」


 私の言葉に理真は顔を向けると、


「強請り、ですか?」

「そう。私たちの中の誰かが、実は影浦に恐喝されていた。影浦と犯人は密かに会っていた。影浦か犯人、どちらかが呼び出してね。恐喝についての話で口論になり……」

「殺してしまった……と。影浦さんと犯人が両名とも、この島、絶命島への招待状を受け取ったのは?」

「それは偶然でしょうね。恐らく、招待状を出した人物は何人か探偵を見繕って、その中に二人ともがピックアップされていた。私たち七人のメンバーを見ても、バラエティに富んでいるじゃない。なるべくキャラクターや立場の被らない探偵を選んだんだと思う。大学教授、高校生、古本屋店主、作家、帰国したばかりの女探偵、死神と呼ばれる探偵……」

「それに、ハードボイルド探偵、ですか。確かに、職業も性別も年齢もバラバラですね。美夕さん、意識して馬渡さんを一番後回しにしましたね」

「ふふ、あいつが一番場違いよ、ここには」

「でも、あの崖を上り下り出来るような人材は馬渡さんだけです」

「体を張る仕事もあると思って、招待状を出した人間は、あいつもメンバーに選んだのかもね。だったら、あいつ以上に相応しい人間はいないでしょうね。上り下りどころじゃないわ。あいつなら、そのまま飛び降りても平気よ。理真さん、何なら明日、あいつを崖の上から突き落としてみて」


 ひと笑いしてから、理真は湯船から立ち上がると、


「美夕さん、明日はよろしくお願いします」


 言い残して浴室を出た。

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