第6章 死の影
志々村邸表館に戻ってきた。
「どうします、またチーム分けしますか?」
「いえ、もうこうなったら、単独で思い思いの場所を捜索したほうがいいでしょうね。そのほうが短時間で多くの場所を捜索出来ます」
乱場と理真がそう言うと、
「それじゃあ、まず各自が自分の部屋を捜索し、終わったものから、空き部屋や共同スペースに取り掛かることにしよう。女性は力仕事が必要なときは男を、特に馬渡くんを呼んでくれ」
湖條の合図で、六人は自室に散る。台所から出てきた影浦の姿が目に入った。コーヒーが入っているらしいマグカップを手にしながら、何事が起きたのか、という表情で私たちを見ていた。
自室に戻った私は、作り付けの戸棚、テーブルの引き出し、ベッド脇のサイドテーブル、ベッドの下、くまなく捜索した。が、何も出て来ない。引き出しが二重底になっているというようなこともなかった。戸棚の奥や壁に隠し扉の類いもない。椅子に上がって天井をいちいち小突いてみたりもしたが、天井板が持ち上がることもない。床に這いつくばって調べもした。床板にも何も怪しいところはない。
ひと通り部屋の捜索を終えて、私はベッドに横になった。上と横から、どたどたと音が聞こえる。馬渡と理真も同じように自室を調べ回っているのだろう。自室の捜索が終わったら、別の部屋に取り掛かる事になっている。私は起き上がって部屋を出ると、一階に残る未使用の私室に入った。しかし、ここでも何も見つからない。
疲れた私は広間でお茶をいただいていた。自分で煎れたものだ。
「ああ、朱川さん」
田之江が入ってきた。手には水の入ったコップを持っている。もう片手にはハンカチを握り、額に浮かんだ汗を拭っていた。
「休憩ですか?」
言いながら田之江も椅子に腰を下ろす。
「はい、普段から力仕事には縁がないものですから」
「はは。私もです。もう、全部馬渡さんに任せてしまおうかな」
「ぜひ、そうして下さい」
こき使ってやって欲しい。
「あはは」
田之江は笑ってコップを口に付けた。さすがに私との関係を訊き出すような無粋な真似はしない。
「馬渡さん、今、屋根に上っていますよ」
「何ですって?」
「二階の窓から屋根の庇に手を掛けて、ひょいと器用に上ってしまったんです。命綱もなしに。さすがですね。同じ探偵でも私には到底出来ない芸当です」
「昔から、そんなことばかりやっていますから」
思わず、過去に関係があることをばらすに等しいことを口走ってしまった。しかし、ここでも田之江は突っ込まないでいてくれた。
「では、そろそろ捜索に戻ります」
私は空にしたカップを手に立ち上がった。
「私はもう少し休ませてもらいます」
「ええ、ごゆるりと」
田之江を残して私は、次なる捜索場所を求めて廊下に出た。
「何も出なかったか」
「屋根の上も全く異常なし。廊下の天井から屋根裏に上がることも出来ましたから入ってみたのですが、埃の堆積具合からして、誰も入った形跡はありませんね」
湖條も馬渡も、背広の上着を脱いでシャツ姿になっていた。田之江はお茶の入った湯飲みを手にしている。体力で人並み以上に劣る彼は、力仕事の捜索を湖條から免除される結果となっていた。代わりに台所に持ち込まれている食材のチェックを任され、
「この館にある食材は、どれも新鮮なものですね。既製品に記載された賞味期限を見ても、ここ一週間以内くらいに買い求められたものでしょう」
調べた結果を報告した。私は休憩後、浴室と脱衣所の調査に掛かった。が、やはり何の成果もなかったことを報告することになる。
「浴室に用意されていたシャンプーや石けん、洗濯機に使う洗剤も新しいものでした。食料と同じく、つい最近購入されたと見て間違いないでしょう」
二階の空き部屋を担当した湖條からも、異常なしとの言葉が聞かれた。あと、この場にいないのは、理真と乱場、そして影浦の三人。理真は中庭の井戸と地下の発電室。乱場は娯楽室と図書室の調査に当たっているはずだが。
先に戻ってきたのは乱場だった。力なく首を左右に振るその行動が、成果の程を物語っていた。それからすぐに理真も帰ってくる。井戸はきれいに掃除がされており、最近人の手が入っている。発電機も同じで、明らかに真新しい部品に交換された箇所があったという。
「ごく近い間に屋敷に人の手が入ったことは確実。だが、他に手掛かりはなし、か」
全員の報告を受けて、湖條がため息を漏らした。六人全員の顔に徒労の色が浮かぶ。六人? そうだ。
「影浦さんは? どこに?」
私はひとりだけ不在の探偵の姿を探した。が、広間には私たち六人の姿しか見えない。
「あいつなら」と馬渡が、「どこかへ出掛けたみたいだ。屋根に上っているとき、玄関を出ていくのを見た」
「捜索にも加わらないで、ですか。まあ、あの人に期待はしていませんでしたが」
田之江が言った。それを受けて乱場が、
「捜索をする必要はない、と分かっていたせいかもしれませんね。あの人、影浦さんだけは、この島、この屋敷の秘密を知っているから」
「ただ単にサボりたかっただけなんじゃないのか」
馬渡が呆れたような声を出す。
「とにかく」と湖條が椅子から立ち上がって、「動き回って小腹が空いた。夕飯にはまだ少し早いから、軽く何か口にしないか」
「それでしたら、もう食事の準備を始めますか」
続いて理真も立ち上がる。「いいですね」「賛成です」「異議なし」と乱場、田之江、馬渡も同意した。
「お昼がおにぎりだけでしたので、夕食は何か手の掛かったものにしましょうか。例えば……ビーフシチューなんてどうですか?」
「えっ?」
理真が私の顔を見ながら言った。私に作れということなのか? それに。
「いいですね。ビーフシチュー」
馬渡が嬉しそうな声を出した。こいつ、まさか。理真は、そんな馬渡と私の顔を交互に見ながら、にこにこと笑みを浮かべている。
私と理真に、例によって料理好きな田之江の三人で夕食の準備に取り掛かることになった。献立は、もちろんビーフシチュー。田之江には井戸まで水を汲みに行ってもらった。二人きりで話したいことがある。
「理真さん、あいつから聞いたのね」
「はい、馬渡さん、美夕さんの作るビーフシチューが大好きだって言っていたものですから」
「今朝、私の部屋にあいつが来たのも、あなたの差し金だったのね」
「ばれましたか」理真は小さく肩をすくめて、「朝食後に馬渡さんが広間で思い悩んだ顔をしていたのを見かけたので、思い切って広間に誘って、じっくりと話をしてみたらどうですかって提案したんです」
「そのとき、あいつが言ったのね、私のビーフシチューのこと」
「はい」
「余計なことを」
言いやがって、と、してくれた。馬渡と理真の両方に対しての言葉だった。普通言うか? 別れた恋人の作るビーフシチューが好きだった、とか初対面の人間に対して。神経を疑う。
「すみません。馬渡さんの名誉のために付け加えると、私が無理矢理訊き出したんです。今日の夕食に、さりげなく美夕さんにその料理を作ってもらおうと思って」
「あいつのために?」
「私が食べたかったからです」
何だこの探偵。台所の勝手口の向こうから足音が近づいてきた。田之江が戻ってきたのだろう。この話はここまで。野菜を切る作業に集中することにした。
広間では、シチューが煮込み上がるまで耐えられなかったのか、湖條がチーズを囓りながら馬渡と何か話をしていた。理真のおにぎりが残っていたはずだが、夕食も近いため、小腹を満たす程度に留めるつもりなのだろう。その横で乱場が興味深げに二人の話を聞いている。探偵談義でもしているのだろうか。頭脳派の湖條教授と肉体派の馬渡では、共通の話題があるとも思えないが。私と理真がお盆を持ちながら入っていくと、会話は中断され、三人の視線が一斉にこちらを向いた。
「うわ、いい匂い!」
乱場が歓声を上げ、湖條も鼻を動かした。馬渡も湖條と話していたときとは一転、だらしのない笑顔になる。
「ちょっと早いですけれど、いただいちゃいましょう」
私と理真は各人の前にシチューを盛った皿を配り、流しの簡単な片付けをしてくれていた田之江も広間に入ってきた。配られた皿は七枚、対して席に着いている人間は六人。
「影浦さんは?」空席を見ながら乱場が訊いた。
「さすがにもう戻ってきているだろう」と馬渡は立ち上がり、「ちょっと呼んできます」
広間を駆け出ていった。ちょうどいい、この隙に。
「先にいただきましょう」
私はスプーンを取った。「いいのかね」と湖條の声を無視して、私はシチューを掬って口に運ぶ。この行動がきっかけとなり、他の四人も食事を始めた。「美味い」「おいしい!」など、味に対して皆から絶賛の声が上がる。当然。私は笑みを浮かべる。自慢のビーフシチューを賞賛されたことと、私のシチューを一番に食べるのがあいつにならなかったことに対して。
「いない」
戻って来るなり馬渡が言った。その言葉に皆はスプーンの動きを止める。
「いない、とは? 影浦がか?」
湖條の言葉に馬渡は首肯して、
「部屋の前で、呼べどもドアを叩けども返事がなかったので入ったのですが、いませんでした」
「入ったって、影浦は自室に施錠していなかったのか?」
「いや、鍵は掛かっていました。俺が開けたんです」
そう言って馬渡は懐から奇妙な形に曲がった針金を出した。そういうことか。彼のあまり褒められない特技だ。この屋敷の部屋程度の鍵なら馬渡にとって、ないに等しいだろう。
「外に出たきり、まだ戻っていないのか」
彼が鍵を開けた手段には言及せず、湖條は窓外を見た。早めの夕食なので、まだ日は落ちていない時刻だ。とはいえ、空はもう夕暮れといっていい。
「またぞろ、どこかへ出掛けて……」
「出掛けてって、どこへです?」
湖條の言葉に田之江のそれが被った。
「馬渡くん」と湖條は、「君が屋根の上からあいつが外へ出るのを見かけてから、どれくらい経った?」
「……四時間近くになります」
馬渡は腕時計に目を落とした。
「長すぎませんか?」
乱場が不安そうな声を出す。
「捜しますか?」
私の問いかけに、湖條が沈黙したのは一瞬だけだった。
「そうしよう」
湖條と、彼に続いて全員が立ち上がって広間を出た。馬渡は、手を付けられていないシチューを恨めしそうな表情で見てから皆に続いた。
「どうします? 全員で固まって行きますか?」
玄関を出て、馬渡が湖條に訊いた。「そうだな……」と湖條が考えている間に、
「手分けをしたほうがいいでしょう」
と理真が音頭を取って、手早く捜索範囲を分担した。馬渡が岩場、湖條が砂浜、理真が林、私は乱場と二人で港、田之江はここに残って、もし影浦が帰ってきたら、大きな音を出すように言われた。捜索中のメンバーの耳に入れば、余計な捜索をそれ以上しないで済む。それらの指示を理真はてきぱきと淀みなく口にした。この安堂理真という探偵、見た目や普段の行動からは思いもしない判断と冷静さを見せた。無名だが、かなり犯罪捜査の場数を踏んでいるのだろうか。
「何もなくとも、一時間後には戻ってきましょう。その頃には日も暮れているでしょうし。決して無理はしないように」
西の空が赤く、それに対して東は暗くなり始めている。私たちは頷いて、割り当てられた方面に向かってそれぞれ散開した。
私は乱場とふたりで港へ向かう道を下る。舗装などされておらず、しかも下りのため、足早になるのは危険だ。はやったのか、乱場は一度木の根に足を取られて転倒しかけた。港は東に位置し、暗くなるのも早いため、私たちは途中から携帯電話のライトで道を照らしながら歩いた。電波圏外のこの島では、これくらいしか携帯電話の使い道はない。
道を下りきって港に出た。西に大きく傾いた日は地形に遮られて届かないため、辺りはほとんど夜に近い。港とはいえ照明などない。角が欠け、亀裂も入った船着き場のコンクリートに波がぶつかり音を立てている。昼間とは全く違う光景だ。昼の港も寂しかったが、陽光がなく真っ黒な海が広がっているせいで、今はそこに不安が加わっている。不安を感じるのは視覚的な要素のせいだけか?
「いませんね」
周囲を見回した乱場が言った。私は頷く。もう互いの表情も窺えないほど暗いため、乱場にそれが確認出来たかは分からないが。携帯電話の時計を見る。屋敷を出てから三十分、港に着いてからなら十分程度が経過している。帰りが上り坂ということを考慮して、戻るにはぎりぎりの時間だろう。
「乱場くん、戻りましょう」
声を掛けたが、今度は私が彼が頷いたのかどうかを視認出来なかった。
私たちが戻ると、玄関の前には四人の人間が立っていた。留守番の田之江に加え、湖條、理真、そして馬渡。捜索に出た全員が戻っていることになる。そこに死神探偵の姿はない。玄関の明かりが四人の顔に複雑な影を作っていた。
「朱川くん、乱場くん……」
湖條が声を掛けてきた。日本人離れした彫りの深い顔のため、目が完全に影になり表情が窺えない。が、声の質で私は察知した。その口から良くない知らせが語られるということが。
「影浦が……死んだ」
湖條の言葉に、隣で乱場が、びくりと体を震わせたのが分かった。