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第5章 虚ろな島(5月24日)

五月二十四日


 寝覚めの悪い朝だった。夜中に何度か目が覚めてしまい、断続的な睡眠になってしまったせいだ。目が覚める原因となったのは、


「おかしな声、ですか?」

「そう、理真(りま)さんは聞かなかった? 夜中に、何か獣が唸るような声が聞こえた気がして――いえ、気のせいじゃないわ。私は実際にその声のせいで夜中に何度か目が覚めたもの」

「すみません、私のいびきです、それ」


 隣で朝食を食べていた乱場秀輔(らんばしゅうすけ)が吹きだした。布巾を取って、慌てて目の前に飛び散った食べ物の(かす)を拭いにかかる。


「そんなわけないでしょ」わたしも笑いそうになるのを堪えながら、「明らかに窓の外から聞こえてたわよ。同じ一階の部屋だから、もしかしたら理真さんも聞いて眠れなかったんじゃないかなって思って。二階の皆さんはどうでしたか?」


 私は男性陣にも訊いてみた。乱場、湖條(こじょう)田之江(たのえ)の三人は揃って首を横に振り、影浦(かげうら)も一歩遅れて同じ動きを取った。これは意外だった。てっきり無視されるのかと思っていたから。


「ああ、俺も聞いたよ」


 そんな中、馬渡(まわたり)ひとりだけが私の言葉に同意した。してくれなくてもよかったのだが。


「そう」


 私は彼のほうを見ずに答えた。もう、この話は終わり。と思っていたら、


「馬渡くんの部屋は、朱川(あけかわ)くんの真上だったな」湖條教授が話を引き継いでしまった。「安堂(あんどう)くんは朱川くんの隣室。ということは、その怪しい声は、そちら側にいた人だけが耳にしたということではないのかな?」


 私の気のせいだったということにして、もう終わろうと思っていた話だったが、湖條の言葉で思い直した。一階の私室は表館の右翼側にある。そのため、私と理真、私の直上の部屋を取った馬渡も含めた三人の部屋は、表館の右翼側ということになる。それに対して他の男性陣四人は全員、玄関を軸にした反対側、左翼側に部屋を取っている。私の聞いた声が表館右翼側の屋外からしていたのであれば、遠く離れた左翼側に泊まった人の耳には届いていない可能性がある。


「野犬でもいるのでしょうかね」


 田之江が言った。それを受けて湖條は、


「おい、影浦。お前、昨日島を回ったそうだな。何か動物でもいたのか?」

「……いや。この島には我々以外、人っ子ひとりいなかったさ。無論、野犬や猛獣の(たぐ)いもな」


 湖條の問いかけにも普通に答えた。今日の死神探偵は随分と素直だ。


「中庭の地下にある発電機の音なんじゃないですか?」


 乱場が言った。そうなのだろうか。


「皆さん、ちょっと提案があるのですが」口にした馬渡は全員の視線を浴びながら、「今日は、この島を散策して回ることにしませんか?」

「そうだな」と真っ先に賛成したのは湖條だった。「影浦は、何もなかったと言うが、もしかしたら何か見つけていて、それを我々に隠しているという可能性もあるからな」


 明け透けに言って湖條は影浦を見る。言われた影浦は薄い笑みを浮かべただけだった。馬渡も頷いて、


「それじゃあ、何班かに分けますか?」

「私は全員で行動するべきだと思う。まだ時間も早い。ここはそう広い島ではないし、何かアクシデントに見舞われた場合のことを考えると、大勢いたほうがいい」

「そうですか? 俺は手が多い方が細かく調べることが出来て効率がいいと思いますけれど……。多数決を取りますか?」


 湖條の全員案、馬渡の分担案に他のメンバーが投票することになった。全員で回るという湖條の案には、私、理真に加え、影浦も賛同した。この時点で七人中過半数の四人の同意を得たことになる。馬渡の分担案の投票を行うまでもなく、


「これで決まったな」


 結果を受けて、湖條が勝利宣言をした。「いいでしょう」と馬渡も素直に折れる。「それじゃあ」と理真が、


「食べ終わったばかりなので、少し休んで、三十分後に出発することにしましょうか」


 これには全員が賛成した。


 出発までの間、私は理真が言った通り、部屋で少し休むことにした。部屋の窓からは中庭が。その向こうには裏館が見える。ベッドに横になると、食事のときに話した、真夜中に聞いた唸り声のような音のことを思い出した。発電機の音なのではないか、と乱場が言っていたが、であれば、その音は今現在も聞こえているはずだ。発電機は二十四時間稼働しっぱなしなのだから。今はそんな音は聞こえてこない。ああいったものを設置するからには、騒音や振動には十分注意を払って据え付けられたはずだ。

 理真がどうだったかは聞きそびれてしまったが、馬渡は同じようなものを耳にしたという。私の気を引きたくて嘘をついたわけではないだろう……。ないと思う。そんな小細工をするような男では……。島を散策する際、グループ分けしたほうがいいとあいつは言ったが、あわよくば私と二人きりになろうと目論んだのではないだろうか。昨日の裏館を捜索する際のこともあった。ちょっと会わないうちに、つまらない男になったな。いや、昔からそうだったっけ……。

 ノックの音。私はベッドから起き上がってドアの前に立ち、


「どちら様?」

「……俺だ」


 馬渡の声が返ってきた。か細い声なのは、ドア越しという理由だけではないだろう。


「何か用?」

「ちょっと、話せないか」

「だから、何の用?」

「なあ、入ってもいいかな」

「駄目!」

「こんなところで会ったのも何かの縁じゃないか。少し話させてくれ」

「やめてよ。誰かに見られたらどうするの」

「誰もいない」

「隣は理真さんの部屋でしょ。聞かれる」

「彼女なら台所だよ」

「え?」

「さっき廊下ですれ違ったんだ。台所に行くって言ってた」

「まだ食べる気なのかしら。呆れた」


 今朝の朝食の用意をしたのは私だ。寝付けなかったため早起きしてしまい、その勢いで作ったのだ。当然全員の分を均等に盛り付けたのだが、次から理真の分だけ大盛りにしてやろうか。七人の食事のうち、ひとり分だけがうず高く盛られた大盛りになっている。その前に座るのは、「この人がこんなに食べるの?」と思わせるスレンダーな美人。


「ふふっ」思わず笑い声が出た。


「どうしたんだ?」

「何でもない」


 笑ったら気分が明るくなった。少しくらいなら話をしてもいいかなと思えてもきた。腕時計を見ると、出発までまだ二十分近くある。


「いいわ。広間でお茶でも飲みながら話しましょう」

「あ、ああ」


 ドア越しの声がとたんに明るくなった。


「先に行ってて。一緒に行くと変に思われるから」

「分かった」


 足音が遠くなっていく。そのまま出発することを考えて、私は外出の用意をしてから部屋を出た。

 広間に行く途中、台所を覗いてみると、馬渡が言った通り理真の姿があった。


「あら、美夕さん」


 彼女が手元から顔を上げる。


「理真さん、それは?」

「お昼ご飯にしようと思って」


 理真は大量のおにぎりを握っていた。


「島の散策が長引くと、ここまで帰ってくる前に体力を使い果たしてしまうかもしれないじゃないですか。だから」


 どんな秘境を探検するつもりでいるんだ、彼女は。


「言ってくれれば手伝ったのに」

「いえ、私が好きで始めたことですから。それにもう、全員分握り終えますし」


 手伝う、と言っても、彼女の負担を軽くするためだけではない。理真の握ったおにぎりは大きさも形も全く不統一で、これなら私が握ったほうがどれだけマシか知れない、という意味も込めてだ。「作りすぎたので冷蔵庫にいれておきます」と理真は作り終えた大小のおにぎり数個を冷蔵庫に突っ込んでいた。



「美夕さんは、広間へ行かれるんですね」

「え? どうして」


 理真は表情を明るくして、


「さっき馬渡さんが広間に行きましたから」

「ああ……」

「彼、スキップしてましたよ」

「バカ」


 想像して吹きだした。どこにそんなハードボイルド探偵がいるのか。もちろん理真の冗談だろうけれど。


「頑張って下さい」

「何を頑張るのよ」


 もう一度吹きだした私は、台所を出て広間に向かった。

 広間には、あいつしかいなかった。私に気付いたあいつに隣を勧められたが、私は彼と対面する席に腰を据えた。


「何か飲むものでも持ってこようか」

「いい。もうすぐ出発だし」

「そうだな……」


 いきなり出鼻をくじかれた、とばかりに馬渡は一度俯いたが、すぐに顔を上げて、


「どうして教えてくれなかったんだ」

「何が?」

「日本に帰ってきたこと」

「どうしてあなたに教えなくちゃいけないの?」


 また俯き、そしてすぐに顔を上げる。


「美夕、悪かった」

「何が」

「俺、本当に大切なものが何か、美夕がいなくなってようやく気付いた」


 陳腐な台詞。全然ハードボイルドじゃない。


「それって、何?」

「え?」

「本当に大切なものって、何なの?」

「美夕だよ」


 今度は私が俯いてしまった。てっきり言葉に詰まるとばかり思ってたのに。何を即答してんだ、臆面もなく。そうだ、そういうやつだったんだ。歯の浮くようなキザなことを、平気で口にすることがハードボイルドだと誤解しているようなやつ。だが、私はすぐに冷静な頭に戻った。その変な癖のおかげで、私が今までどれだけ……。


「今も、合う人、いえ、合う女、合う女全員にそんなこと言ってるんでしょ」

「違う。俺はもう――」

「理真さんにも、もう言ったの?」

「言うわけないじゃないか……。理真さん、か」

「何が?」

「安堂さんのこと、名前で呼ぶようになったんだな。彼女も、美夕のこと名前で呼んでたな、そういえば」

「もう親友になったのよ」

「そうか……。なあ、美夕、俺、こんなところでお前に再会出来たのは、何かの運命だと思ってる」

「私は思ってないけど」

「もう一度、俺のことを好きになってくれないか」


 また……。そういうことを平気な顔で……。私はポーカーフェイスを保ったまま、


「もう一度、って言うことは、私はもう晃平(こうへい)のことを嫌いになったって思ってるということね。あなたの中では」


 思わず名前で呼んでしまった。かつてのように。彼がまた何か言おうとしている。唇が動く。私は彼よりも先に、


「正解よ。もう嫌いになったことに間違いはないから」


 すぐに腕時計を見る。出発時刻まで五分もない。私は立ち上がると、


「時間よ。行きましょう」


 彼の顔を見ないようにして広間を出て、玄関に向かった。

 時間ちょうどに全員が揃い、絶望島捜索ツアーが始まった。理真は大量のおにぎりを詰め込んだリュックを担いでおり、さすがに見かねた男性陣が中身を分担して受け持った。


 絶望島捜索の内容については、何も書くことがない。本当に何もない小さな島だったからだ。島を一周したが、夏には海水浴が出来そうな狭い砂浜と、そのそばに建つ小さな小屋(中は空っぽだった)があり、植物は島の所々にぽつり、ぽつりと生えているだけで、一箇所、杉や竹が群生した林があるだけ。それ以外には特に見るべきものはなかった。島の外周で遠浅の浜になっているのはそこだけで、あとは岩場に囲まれていた。中には落差が二十メートル近くにもなる切り立った岩場もあった。その直下の海面からは、まるで獣の牙のごとく、円錐状の鋭い岩が何本も突き出て波に洗われている。この島に、私たちが到着した港以外には船で乗り付けられそうな場所はない。小型のボートなどであれば、砂浜から上陸出来るだろうが。

 島を回り終えての帰路、あと十分程度も歩けば屋敷に帰り着けるところでお昼となった。ちょうどいいので、と理真の音頭で昼食をとることにした。私たちは木陰に入り、手頃な岩に腰掛け、あるいは草地に直接腰を下ろす。


「影浦、何もない島だな、ここは」


 おにぎりを食べる合間に湖條が声を掛けた。


「そうだろう」


 影浦も黙々と小さめのおにぎりを口にしながら答える。


「それなのに昨日、お前は随分と長いこと外出していたな」


 おにぎりを口に運んでいた影浦の手が止まる。湖條は、さらに、


「お前、やはり何か知っているな、この絶命島について。もしくは、何かを発見したのか?」


 影浦が答えないため、湖條の追求が続く。


「この捜索の間、お前の動きを見ていた。お前は常に他の六人の後ろを、殿(しんがり)を務めるように動いていたな。まるで、我々全員を監視でもするように。我々が何かを発見してしまわないか、見張っているようだったぞ。今朝の島の捜索方法でも、お前はグループ分けよりも全員一緒に回るほうに票を入れたな。お前が団体行動をしたがるなんて、おかしいと思ったんだ。あれは全員が一緒に行動するほうが監視しやすい、という理由からだな」


 湖條が喋っている途中から、影浦はおにぎりを食べるのを再開していた。食べ終わると、理真がすかさずお代わりを差し出す。が、影浦は手の平を向けて、それを受け取ることなく立ち上がった。


「俺は先に戻る」


 それだけ言い残すと、影浦は黒い背広をはためかせて屋敷へと戻っていった。湖條の舌打ちが聞こえた。


「失礼」皆の顔が一斉に向いたためか、湖條はひと言詫びて、「いただこう」理真に差し出されたおにぎりを受け取った。

 動き回って全員お腹が空いていたのか、何だかんだ言って、理真が持って来たおにぎりは完売していた。


「理真さんの作ったおにぎり、まだ冷蔵庫にありますから、屋敷に戻ったらどうぞ」


 私が言うと、「それは楽しみだな」と湖條を始め男性陣は笑みを浮かべ、作り手である理真も笑顔を見せていた。


「さて、皆さん」と、ここで田之江が、「こうして島を回ってみて、何か怪しいものやおかしなものに気付きましたか?」


 私も含めて全員が首を横に振る。「私もです」と田之江は、


「教授の指摘は鋭いと思ったのですが」

「俺も」と馬渡が、「影浦が俺たちを監視していた、という教授の説には頷けます。あいつの挙動を見ていましたが、確かに俺たち全員が常に視界に入るように動いていましたよ」


 乱場は、これまで見てきた島の様子から、何かおかしなものがあったかを思い出そうとしているのか、視線を上に向けたまま難しい顔をしていた。私も思い返してみるが、何も怪しかった、おかしかったものというのは記憶にない。狭い砂浜と切り立った崖、あとは林。本当に何もない殺風景な島だった。


「もし、湖條さんの推理が正しいとすれば」と、ここで理真が、「影浦さんの目論見は成功したということですよね。しかも、影浦さんがひとりで帰ってしまったということは、ここまで来たらその〈何か〉を私たちに発見される心配は、もうない。ということにもなりますね」


 そういうことになる。私たちを置いて、悠々と立ち去っていったあの後ろ姿。何か余裕、優越感のようなものすら感じた。


「これからどうします?」


 乱場が訊いた。皆が考え込むような表情になった。沈黙を破ったのは理真だった。


「どうでしょう。帰ったら表館を徹底的に捜索してみませんか? 昨日の様子から、裏館は電気も通っていませんから、招待状を出し、食事やインフラの用意をした人物は、確実に表館にいたことになります。何か手掛かりが残っているとしたら、表館のほうなのではないかと」

「そうだな」と湖條が、「島を回っても何も発見出来なかった今、あの屋敷だけが手掛かりだからな」

「よし、決まりだ」


 馬渡が立ち上がった。それに釣られるように全員も腰を上げる。影浦に遅れること十数分、私たち六人も志々村(ししむら)邸への帰路に就いた。

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