第4章 探索
全員の自己紹介が終わったところで湖條は安堂理真に、この島、絶命島について何か知っている情報はあるかと訊いた。
「二十年ほど前まで、ある家族が住んでいたそうですね。すみませんが、それ以上は何も」
安堂は答えた。湖條は、自分と田之江が得ている情報を話して聞かせ、
「この島から、その志々村家が出たのは十九年前だ。その直前……」
今度は影浦から訊いた、人死にがあったという話も口にする。それ以来、この島が「絶命島」と呼ばれるようになったことも。湖條の話を安堂は神妙な顔で聞いていた。
影浦が立ち上がった。食べ終えた皿とスプーンを持って広間を出ようとする。
「影浦さん、食後のお茶を煎れますけれど」
「結構だ」
安堂の呼び止めにも構わず、影浦は広間を出て行った。その背中を、湖條は厳しい目で追っていた。
「皆さんは、お茶飲まれますよね」
「安堂さん、手伝います」
安堂に続いて私も立ち上がり、二人で台所に戻った。
台所の流しのタライには水が張ってあり、影浦の食器が漬けられていた。影浦本人の姿はない。部屋に戻ったのだろう。
「助かりますね。カレーを食べたあとの食器って、こうしておかないととても洗いにくいですものね」
安堂の言う通りだ。無愛想だが気の利いたところもある男だ。私は湯を沸かしにかかり、安堂は戸棚からお茶を取り出す。
「朱川さん」と安堂がお茶缶と急須、湯飲みを持って来て、「馬渡さんとお知り合いなんですか?」
訊かれたくないことを訊いてこられた。
「どうして、そう思うの?」
ルール違反だが反問した。
「食事のとき、馬渡さん、何度も朱川さんのほうを見ていましたから」
ほれみろ。本当に無粋な男だ。
「昔、ちょっとね……」言葉を濁そうかと思ったが、「一緒にいたことがあるの」
「あ、朱川さんが助手をしていた探偵って、やっぱり……」
「そうよ。あいつ」
「探偵と助手、ですか……。ここまで来たら不躾ながらお訊きしますけれど――」
「ええ、付き合ってたの」
ちょうど女二人きりということもあって、素直にぶちまけてしまった。男連中はこういうことを、それこそ不躾に訊いてきたりはしないだろう。ここで安堂だけに聞かせておけば、もうこの話題に触れられずに済む。「ほうほう」と安堂は興味深げな顔をして、
「付き合っていた。過去形ですか。朱川さんのほうでは、馬渡さんを見たりはほとんどしていなかったですよね。そこから察するに、朱川さんのほうから彼を振ったんですね」
「当たり」
笑いながら答えた。が、本当のところはどうだったんだろう。もう忘れてしまった。
「いやあ、そうだったんですか。別れた二人。助手は数年間海外で修行を重ねて探偵として日本に戻る。もう交わることはないと思われていた二人でしたが、こうして謎の招待状に導かれて運命的な再開を果たした、ということですか」
「小説に書かないでよ」
「えー、ダメですか?」
「絶対に」
「残念」
口を尖らせた安堂を視界の隅に留めながら、私は急須から湯飲みにお茶を注ぎ始めた。五つ目まで注ぎ終えたところで、
「はい」
私は急須を安堂に手渡す。きょとんとした顔の彼女に、
「最後は、あいつの分。あいつに私の煎れたお茶を飲ませたくないから、お願いね」
安堂は笑いながら最後の湯飲みに茶を注いだ。
「朱川さんって、面白いですね」
「そう? 私くらいつまらない女はいないって、よく言われるわよ」
それを聞くと安堂はまた笑った。
「いえいえ、朱川さん、面白いですって。あ、どうですか、ついでに雑巾の絞り水でもブレンドしておきますか?」
「ううん、さすがにそこまではしない」
安堂が真顔で流しの隅に置いてある雑巾を指さしたので、私は首を横に振った。あんたのほうが面白いよ。
「安堂さん」
「はい?」
「美夕でいいわよ。女は私たち二人だけなんだから、フランクに行きましょう」
「それじゃあ、私のことも理真って呼んで下さい、美夕さん」
「わかったわ。理真さん」
「はい。じゃあ、行きましょうか」
私と理真は台所を出て広間に戻った。
理真と私は広間で待っていた男性陣にお茶を配った。馬渡には当然、理真から湯飲みが渡される。満更でもない笑顔で受け取りやがって。私の目がなければ、ひと声掛けて口説きにかかっているところだろう。気になんてしなければいいのに。私も全然気にしてないし。
「影浦は部屋に戻ったのかね」
「えっ?」
突然湖條に声を掛けられた。「え、えっと……」と私が返答に窮していると、
「台所にはいませんでしたよ。部屋に戻ったのか、外に出たのかは分かりません」
理真が代わりに答えてくれた。湖條は、「そうか」と呟いて湯飲みに口を付ける。
「教授」と、息を吹きかけてお茶を冷ましていた乱場が、「影浦さんと過去に何かあったんですか?」
「朱川さんと乱場くんには話したな。千葉県で起きた〈骸骨仮面事件〉」
「はい。影浦さんが手掛けたけれど……」
犯人を暴いたが誰にも知らせず、その犯人を恐喝に掛かったというやつか。この島に着いてすぐに聞いた話だ。湖條はその場にいなかった馬渡と田之江、理真にも同じ話を聞かせてから。
「あれは、最初に私のところに来た事件だったんだ」
「そうだったんですか?」
「ああ。だが、そのときは一件事件を抱えていて、大学の仕事も多忙だったため断ったんだ。そうしたら、依頼主の賽原家は他の探偵に話を持っていった。それが寄りにもよって影浦だった」
あの事件の犯人であった賽原家の長男は自殺したと聞いた。しかも、その理由は真相を暴いた影浦の強請にあったという。湖條はお茶をひと口飲むと、
「後悔したよ。何としても私が事件に当たるべきだった。それが無理でも、信頼の置ける探偵を紹介すればよかったとね。田之江さんのような」
湖條は友人であるらしい田之江に視線を向けた。
「お言葉はありがたいですが、私もその時分は他の事件を抱えていましたから、同じことだったでしょう」
田之江が静かに答え、広い居間は重苦しい空気に包まれた。
「さて」湖條教授は空にした湯飲みを置くと、「私は少しこの屋敷の散策でもしてくるかな。招待状の出し主が何か書き置きでも残してるかもしれないしな」
「志々村家の誰かがですか? 探偵なら、それくらい探して見せろという、ここに誰もいないこと自体がメッセージであるという可能性もありますしね」
馬渡が言った。
「招待状が志々村家から出されたと決まったわけじゃない。そんなに家中ひっくり返して探し回るわけじゃないさ。食後の散歩だよ」
「私も行きましょう」
「僕も」
田之江と乱場がほぼ同時に立ち上がった。それに追随して、
「それじゃあ、私もご一緒してよろしいですか?」
理真も名乗りを上げた。これで残されたのは二人。馬渡を見る。目が合ってしまった。私はすぐに視線を湖條に向けると。
「私も行きます」
二人きりになど、なってたまるか。
「俺もお供しますよ」
当然、そう来るだろう。馬渡も同伴することになって、結局この場にいる六人が全員屋敷を見て回ることになった。
かつて志々村家が住んでいたというこの屋敷は、二棟で構成されている。理真の提案で、私たちが入った正面の屋敷を〈表館〉中庭を挟んで奥に建つものを〈裏館〉と呼ぶことにした。
表館の一階は台所や浴室、トイレ、食事をとった広間などの共有空間が多い。ビリヤード台やダーツを備えた娯楽室まである。その隣には本棚は空っぽだったが、図書室だったと思われる広い部屋もあった。他には、リビングと寝室の二部屋を備えた私室が三つと倉庫。二階は狭い倉庫がある以外は、全て一階のものと同じ私室だった。全部で八部屋。ドアは鍵付きで、各部屋のテーブルに鍵が置いてある。その中の一室だけが施錠されていた。影浦が勝手に自分の部屋に割り当てたのだろう(ちゃっかり角部屋を取っていた)。ノックをしてみたが応答はない。やはり外に出て行ったらしかった。
玄関と反対側にある裏口を抜けると中庭だ。二つの屋敷の間にある中庭は、広い花壇、ベンチの据えられた東屋、地面より一段高いブロックで囲まれ、中心に噴水を備えた人口泉もある立派なものだ。水を汲み上げる井戸もここにある。が、今や花壇は雑草が生え放題。ベンチにも砂が溜まり、円形の泉も水がとうに枯れ果てている。噴水からも水は一滴も流れ出てきてはいない。泉に溜まっている水を吸い上げて噴水とする仕組みのようだが、すでに停止しているのだろう。中庭の隅には狭い小屋があり、中には地下へ下りる階段がある。下りてみると大きな発電機が据えられている地下室だった。これで屋敷の電力をまかなっているのだろう。発電機は稼働中であることを誇示するように、小刻みな振動とともに低く唸っていた。
建物は表館、裏館ともに二階建て。どちらもかなりの築年数を誇るように見えるが、裏館のほうが若干痛みの度合いが強い。先にこちらが建ち、表館のほうは後から建てられたと見られる。中庭をひと通り見てから、私たちは裏館の玄関の前に立った。
「施錠されてはいないな」
湖條が握ったドアノブは何の抵抗もなく回り、ドアが開けられた。ドアは屋内側に向かって開く構造だった。これは恐らく屋敷の構造によるものと思われる。表館と違い、この裏館には玄関の上にひさしがない。この地域では冬に積雪するのは宿命で、外側に開くタイプのドアでは、雪が積もったときには開けることが出来なくなってしまう。それを避けるために内開き構造にしてあるのだろう。
「二十年近く誰も住んでいないにしては、奇麗なものだな」
ロビーを見回した湖條が言った。裏館のロビーも表館同様、掃除の手が入っているらしく、湖條の言った通り想像していたよりはずっと奇麗なものだった。が、表館に比べるとみすぼらしく感じてしまうのは、その規模にあるだろうか。私たちがいる裏館は表館に比較して豪奢さに数段劣る。玄関扉も両開きの表館と違い片開きだし、ロビーも玄関の延長といった程度しかない。馬渡が壁にあるスイッチを倒したが、天井にある蛍光灯は点灯しなかった。
「切れているのか、こっちには発電された電力が回ってきていないのかな」
何度か馬渡がスイッチを入れ直したが、蛍光灯が点る気配は一向に見えない。
「電気がないのであれば、明るいうちに一階、二階と手分けして捜索しますか」
田之江が提案した。
「そうですね」と理真が、「美夕さん、女性陣で一階を見て回りましょうか」
私の隣に立つ。私は特に異論はないため頷いた。メンバーは六人のため、バランス良く分けるなら三人ずつが理想だ。一階チームにはまだ一名の空席がある。馬渡が何か意思表示をしたそうに一歩踏み出した。これはまずい。それを見て取った私は、
「乱場くん、一緒に行こう」
乱場の腕を取って一階チームに引き入れた。そうはさせるか。
「では、またここで落ち合おう」
湖條と田之江は階段方向に歩き出す。馬渡も最後まで視線をこちらに向けたまま、二人の背中を追った。
一階の構成は表館と似たようなものだった。娯楽室や図書室といった設備はなかったが。私室もリビングと寝室に分かれていない、ひと部屋だけの構成のものが二部屋だけ。どの部屋も玄関同様電灯は点らなかった。やはりこの裏館には電気が来ていないのだ。私たちは何か手掛かりのようなものがないか、テーブルの上はもちろん、戸棚や引き出しなども開けて調べたが、どこもかしこも空っぽで、手掛かりどころか物自体がほとんどなかった。
私たちは玄関に戻った。二階チームはまだ捜索を続けているのか、玄関には誰の姿もない。私たち三人は黙ったまま待つ。二階からは人の動き回る音が微かに聞こえてくる。向こうは男性三人チームのためか、家具を動かしたりと大掛かりな捜索をしているのだろうか。
「あの」乱場が声を掛けてきた。視線は私に向いている。「朱川さんが昔助手をしていた探偵って、もしかして馬渡さんですか?」
少年、それを訊いてくるか。湖條や田之江なら、広間での空気を読んでこんな質問はしてこなかっただろう。引き込むなら、あの二人のどちらかにすればよかった。はあ、とため息をつこうかと思ったが、
「秘密」
そう言って片目をつむるだけに留めておいた。高校生男子相手ならこれで十分。大人の女の特権だ。理真が口に手を当てて笑っている。「えっ? えっ?」と乱場は二人の大人の女を交互に見るばかりだ。いや、乱場に私とあいつの仲を詮索する気持ちなどなかったのだろう。ただ、この年頃の少年の憧れ、「(自称)ハードボイルド探偵」馬渡晃平について色々と訊きたかっただけに違いない。でも、ごめんね。私の口からあいつについて何か話すのは、控えさせてもらいたい。
そうこうしているうちに、階段を下りてくる足音とともに、
「いやー、何もありませんでしたね」
「もう埃だらけですよ」
田之江と馬渡が玄関に近づいてきた。湖條の姿も当然ある。三人とも背広を脱いでおり、湖條と田之江は手に掛け、馬渡は手を上げて肩越しに背中側に提げている。格好つけているのか。
私たちは、「何も見つからなかった」と全く同じ情報を交換し合うだけとなった。顔に徒労の色が浮かぶ皆に、理真が「おやつにしませんか」と声を掛けた。異論を挟むものは誰もいない。私たちは裏館を出て中庭を抜け、表館の広間に戻った。
おやつを食べながら各自の部屋決めをした。あいつが私の隣の部屋を狙ってくるだろうことは分かっていたため、私は理真を誘って一階の部屋をいち早く取った。これで一階に残る空き部屋はたったひとつ。二階にはまだ潤沢に空き部屋が残っているこの状況で、一階の残り一室を所望出来る不躾な男はいないだろう。案の定、男性陣は全員二階の部屋へ入ることになった。あいつは未練がましくも私の直上の部屋を選んだが、それくらいは許してやろう。
おやつとお茶の合間に、馬渡がしたのを皮切りに、全員が自分の携帯電話をチェックする。私もそうしたが、やはり圏外であることに変わりはなかった。
おやつが終わる頃に影浦が帰ってきた。
「影浦」広間に顔を出した影浦に湖條が声を掛け、「どこに行っていたんだ」
「私にもお茶をもらえるだろうか」
影浦は湖條の声を無視して、私と理真の顔を見る。湖條の視線が鋭くなる。
「影浦さん」立ち上がりながら理真が、「どちらに行かれていたんですか?」
「……島を散策していた」
意外なほど素直に答えた。
「何か見つかりましたか?」
「……いや」
そう答えた影浦の口元が僅かに歪んだ。一瞬だけだったが、気味の悪い笑みを浮かべたように見えた。
「そうですか……。お茶とおやつをご用意しますね。掛けてお待ち下さい」
理真が広間を出て行くと、影浦は湖條から最も遠い席に腰を下ろす。
「影浦さん」と影浦に一番近い席となった馬渡が、「屋敷からは何も見つかりませんでした。あなた、この島について、我々を呼び寄せた招待状について、何か知ってはいませんか?」
死神探偵と呼ばれる男は馬渡に視線をくれる。突き刺さるような視線。剣で派手に突き刺すというよりは、毒針でちくりとやられるようなそれだ。端から見ているだけの私でもびくりとしてしまう。が、馬渡に全く動じた様子は見られない。不敵な笑みを浮かべてさえいる。こういうところはさすが(自称)ハードボイルド探偵の面目躍如か。それこそ、ドスではらわたを抉ってくるような視線を持つ(視線だけでなく実際にやってくるような)人間と何度もやりあってきたのだ。これくらい、馬渡にとっては蚊が刺したほども感じないだろう。
「……教授から聞いたんだろう。俺が知っていることは、あれで全てだ」
視線を外しながら影浦が答えると、馬渡もそれ以上の追求はしなかった。湖條は相変わらず影浦を睨み続けており、乱場は心配そうにおろおろと首を左右に振る。田之江は我関せずとばかりに窓の外を眺めていた。
「皆さんのお茶のお代わりも持って来ました」
理真がお盆に載せたポットと影浦の分のおやつを持って来たことで、部屋の空気は弛緩された。
日もだいぶ傾いてきて、風呂の支度と夕食の準備に取り掛かることになった。私と理真に加え、「料理には一家言ある」と豪語する田之江が食事。それ以外のメンバーは井戸から水を汲んできて風呂の用意を始める。
夕食、入浴と済ませて私は自室のベッドに横になった。一気に疲れが出てきた。
何者かからの招待状に誘い出されて、この絶命島に集った七人の探偵。しかし、島には何も待ち受けてはいなかった。いったい何だったというのだろうか。誰かのいたずら? しかし、十九年間も無人だったこの屋敷に食料が運び込まれており、ガス、電気の設備も使えるようになっていた。掃除までされている。今日、ここを私たちが訪れるということは招待者にとって予定のことだったはずだ。この屋敷の準備をした人間はどこに消えたというのか。書き置きひとつ残さずに。
……考えるのは明日にしよう。