第25章 探偵として
「妹尾真奈さんの発見と救出。ここがあなたの犯行において最大の分水嶺でしたね」
理真の言葉に、志々村彩佳はゆっくりと頷いた。
彼女の最大の懸念は、果たして妹尾が自分を見て、かつて絶命島で何度も会った幼なじみの志々村彩佳だと気付かれるかどうか、だった。ベッドに寝かされた妹尾が目を覚ました瞬間、自分は恐らく恐れと緊張を孕んだ、明らかにおかしい表情をしていただろうと彩佳は言った。しかし、探偵たちは一様に妹尾を注視しており、自分の表情の変化を誰にも悟られなかったのは幸いだったとも彼女は語った。覚醒した妹尾が自分を取り囲む探偵たちを見回して、目が合ったとき、彩佳は心臓が飛び出るような感覚を味わったという。妹尾の視線がそのまま自分を通り過ぎた瞬間、彩佳は安堵のため息を噛み殺し、全身を震わせていたと述懐した。
妹尾の口から、探偵たちが絶命島に呼び集められた理由である、志々村八重の目的が明らかとなった。正直、彩佳自身はこのときが来ることを覚悟はしており、事態がそう悪い方向に行くとは思っていなかったという。今さら証拠も、写真も残っていない、口伝だけで十九年も昔に起きた事件を解決しろなど、あまりに無茶が過ぎると。探偵たちも、そんな雲をつかむような話には乗ってこないのではないかと楽観視していた。が、ここで妹尾の口から、彩佳が聞かされていなかった言葉が発せられた。それは「報奨金」この言葉と金額を聞いて明らかに目の色を変えた探偵がいた。田之江拓宏だった。
その日の夜、彩佳は極度の緊張から、「先に寝ては」という朱川の申し入れを素直に受け、ベッドに横になるとすぐに眠ってしまった。
翌、五月二十六日。朝食の席で湖條が、「監禁者はこの中にいると思うか?」と妹尾に訊いたとき、彩佳は危うく箸を取り落としてしまうところだったという。だが、シーツと変声機は見事に役割を果たしてくれていた。妹尾の答えは「分からない」今の彩佳は、妹尾にとって幼なじみでも監禁者でもない、初対面の探偵、安堂理真以外の何者でもなかったことを確認した。
朝食を終えると、さっそく田之江が事件の捜査のために裏館に行くと言い出した。彩佳も追随する。もちろん目的は捜査などではない。田之江が何か証拠を見つけてしまわないか、監視することにあった。
彩佳は自分も裏館や中庭の捜査をするように見せかけて、常に田之江の動向を窺っていた。捜査組に加わった馬渡と交互に、中庭に鉄雄の死体役として寝そべり、二階の窓からそれを眺め、倉庫に置いてあった竹竿を手にしていくうちに、田之江の目に推理の光が点っていくのを彩佳は見た。「この男なら真相に気が付くかもしれない」彩佳はそのときすでに、田之江も葬ってしまうことを念頭に置いていたという。
風向きが変わったのは、朱川が独自の推理を披露したときだった。被害者の正面に立ち、背中側に手を回してナイフで刺す。というトリックの解明。それを聞いた彩佳は、その推理を後押しした。朱川説に皆が傾いてくれれば、犯人は裏館にいた人物に限られてくる。表館にいた自分は嫌疑から逃れることが出来るためだ。しかし、田之江は甘くなかった。この日の捜索で彼は、事件のトリックを解明していたようだ。彩佳には田之江の態度からそれが感じられたという。
田之江は夕食の席で、今夜は裏館に泊まると宣言した。トリック解明の最終段階に入ろうということらしいと、彩佳はすぐに察した。そのあとすぐに妹尾も裏館に泊まろうかと申し出た。これを田之江は歓迎したことだろう。自分がトリックを完全に解明したら、即座に彼女に確認を取ってもらえるためだ。妹尾に引き続き、朱川、彩佳、馬渡も同じく裏館に泊まると言い出すが、田之江は問題にしていなかったに違いない。朱川と馬渡は、遅れを取るまいという焦りからの行動だったのかもしれないが、彩佳(彼らにしてみれば安堂理真)だけは違っていた。田之江の推理が的中しており、十九年前の鉄雄殺しの犯人が彩佳だと看破された場合を考えてのことだった。その考えは当たっており、彩佳は行動を起こすこととなった。田之江の口を封じるという行動を。
彩佳が田之江を葬った手段は、概ね朱川の推理通りだった。邪魔が入らないように、自分と田之江以外に睡眠薬入りのミルクを飲ませたことも同じ。違っているのは、彩佳側から田之江に掛けた言葉。彩佳は田之江にカマを掛けた。「自分もトリックを見破ったのだが」これだけであれば、ただのはったりと思い込み田之江も相手をしなかった可能性が高い。しかし、彩佳はそこに信憑性のある言葉を挟んでいた。「犯人は表館にいた人物なのではないか。正確に言えば、最初から表館にいたのではなく……」それに田之江は食いついてきた。
田之江の推理は的中していた。彼は十九年前の鉄雄殺しの謎を解明していた。トリックも、その犯人も。田之江のほうでも、彩佳が自分と同じ推理結果に辿り着いたことに驚いていたようだった(もっとも、彩佳の場合は推理したわけではなく、犯人そのもののため最初から答えを知っていたのだが)。ここで彩佳は田之江に甘言を弄した。「自分は報奨金に興味はない。最後にこのトリックが実現可能かどうか実験だけできたら、自分はそれで満足して、トリックを解明したと名乗りではしない、報奨金は田之江に譲る」と。田之江がそれに乗ってこないわけがなかった。
かくして、トリックの実験にかこつけて、彩佳は田之江の口を封じることに成功した。死体の状況を鉄雄殺しと同じ状態のままにしておいたのは、雨でぬかるんだ中庭に下りて死体に何か施すのは、かえって危険だと判断したためだ。それならば、凶器に使ったナイフも現場に残し、十九年前の事件とそっくり同じ様相にしておいたほうがいい。現場を再現したとて、現在の状況ではそこからトリックを導くことはかえって難しい。十九年前の状況を頭の中で再現して推理されるよりも、今のこの田之江殺しの状況に目を向けてもらったほうが、真相には辿り着きづらくなる。どこかに証拠を残しているかもしれないが、彩佳にとってそれはさして問題ではなかった。なぜなら、今の彼女は志々村彩佳でなく、恋愛作家にして素人探偵の安堂理真なのだ。明後日(事件発生時は日付を跨いでいたため、正確には明日)、この島を出て本土に上陸さえしてしまえば、隙を見つけて逃げることは容易だ。そうなった際、手配されるのは志々村彩佳ではなく安堂理真である。本物の安堂理真にアリバイがあり、自分たちが絶命島で会った女性が安堂理真の偽者だと朱川たちが気付いても、それじゃあ、あれは一体誰だったんだ? となり、自分に嫌疑が及ぶことはない。この数日観察したところ、湖條と乱場は鉄雄殺し事件にはあまり興味はなく、朱川と馬渡が真相に辿り着けるとは思えない。あとは残る一日半を乗り切り、島を出るだけだ。彩佳は絶命島に来てから、初めて心安らかに眠りについた。
翌、五月二十七日の朝。中庭に転がったままの田之江の死体を最初に発見したのは朱川美夕だった。眠りの浅かった彩佳が先に起きて一階に下りていく。次いで馬渡も朱川のもとへ飛んできた。まだ起きてきていない妹尾は彩佳が起こしに行く。表館からも湖條と乱場が顔を出し、全員が田之江の死体を確認することとなった。
田之江殺しも探偵Xの仕業と思い込んだ馬渡が屋敷を出て、浮かび上がってきてしまっていた靴を目にしたことで、影浦の死体が発見されてしまう。引き上げられた影浦の死体を調べる振りをして、彩佳は別のもの、自分が殺した痕跡が残っているかを調べていた。彩佳が影浦の背広から盗聴器を奪って死体を沈めたのは真夜中のこと。こうして明るい太陽の下で見るのは初めてだった。が、長時間海底に沈んでいたことが幸いしたのか、それらしい痕跡はどこにも見当たらない。これならわざわざ影浦の死体を沈める必要もなかったかと思ったが、捜査を混乱させて時間を稼げたと考えれば、悪い判断ではなかったと彩佳は結論づけた。
影浦の死体が発見されても、探偵たちの捜査はいっかな進展しなかった。田之江が殺されてしまったことで湖條はグロッキーとなり、まともに推理の出来る人間がまたひとり減った。あと一日乗り切るだけ。彩佳は勝利を確信していたという。だが、ここで、思わぬ推理を披露した探偵がいた。少年探偵乱場秀輔だった。乱場は、田之江殺害に加えて、十九年前の鉄雄殺しの犯人も妹尾だと指摘した。さらには影浦が妹尾の共犯であり、その影浦を殺したのは馬渡だと。乱場の推理を聞いた湖條は、彩佳に意見を求めた。
ここで彩佳は激しい葛藤に嘖まれた。乱場が的外れな推理を披露してくれたのはありがたい。だが、その矛先が向いたのは、幼なじみの妹尾真奈だった。妹尾は目に涙を溜めて、懇願するような顔で乱場以外の探偵たちの顔を見る。朱川、馬渡、湖條、そして、彩佳にもその視線が向けられていた。彩佳は咄嗟に口を開いた。「私は……とりあえず、妹尾さんが田之江さんの殺害犯ではないとだけ断言出来ます」その言葉から始まり、彩佳はドアノブと壁を糸で繋いでおいたという嘘をでっち上げて、それを根拠に妹尾を救う。よく咄嗟にこんな嘘を考えついた。彩佳は自分でも感心して、その瞬間だけは、自分が本当に探偵になったような気分を味わったという。全くの素人である彩佳が、少年探偵乱場秀輔を退けることに成功した。
とはいえ、このときの虚偽の推理が発端となり、彩佳は馬渡が裏館で寝泊まりした部屋について自身の言葉の矛盾を朱川に気づかれ、ニセ安堂理真だとまでは看破されないものの、影浦と田之江殺しを暴かれることとなってしまった。「妹尾を救ったことを後悔しているか」との理真からの質問には、肯定とも否定ともつかない一瞬の笑みだけを返された。ただ、妹尾の嫌疑を晴らしてから迎えの船に乗るまで、朱川、妹尾と三人で過ごした時間は、言いようのない楽しいものだったと彼女は言った。彩佳は学生時代、そう多くの友人には恵まれず、大学卒業後も付き合いの続いていた友人はひとりもいなかったという。留学を決めたのも、どうせ自分の居場所などどこにもないのだから国内にいる必要はない。外国にいたほうが孤独を感じなくて済む。といった考えからだった。三人で風呂に入り、食事をし、就寝前に他愛のないおしゃべりに興じた、あの時間の全てが夢のよう、いや、妹尾を監禁して、影浦を殺し、死体を沈め、田之江を刺し殺した、残忍で血生臭い一連の犯行のほうこそが夢だったのではなかったかと、彩佳は錯覚したという。
本土に到着し、あとはトイレに行く振りをして逃げ去るだけ。彩佳は努めて頭と心を冷静に保っていた。「安堂理真」として、ここまで顔を見られてしまった以上、もうここで別れたら二人に会うことはない。そんなことが出来るはずもない。自分は留学先に戻り、デザイナーとして一旗揚げるのだ。そのために、十九年前、絶命島に置き忘れてきた過去の醜聞が掘り起こされるという危険は回避した。足早にトイレに向かって歩く彩佳。だが、その背中に朱川の声が掛けられた。無視して振り切ることも可能だったのかもしれない。しかし、彩佳は立ち止まった。
「美夕さんの声の調子から、ただ事ではないことは察していました。もしかしたら、とも当然思いました。でも……声を掛けられて嬉しくなかったか、と訊かれたら……」
そこまで言うと彩佳は顔を伏せた。
理真は椅子から立ち上がった。もうこれ以上話すことはない、もしくは、そっとしておいてやろう、ということだろう。私も腰を上げて、理真と並んで留置場をあとにした。




