第21章 朝と波(5月28日)
五月二十八日
理真と妹尾に揺り起こされた。一旦絶命島を離れる朝が来た。
身支度を調えた私たちは、申し合わせていた時間に広間で男性陣と合流した。互いに、夜には何もおかしなことはなかったと確認しあう。
六人全員で協力して朝食を作り、いただく。予定していた通り、あっさりした献立となった。食器を洗い終えた私たちは、裏館に行き、影浦、田之江、二人の死体を最後に確認した。何も変わったところはない。湖條がそうしたのをきっかけに、私たちは全員、遺体の前で黙祷した。
私は港に立ち、港から海を見つめている。理真、妹尾も海原に視線を送っており、湖條も同じだった。乱場は馬渡と二人で、港のコンクリートの上から海面を見下ろして指をさしたりしている。魚でも見つけたのだろうか。まるで兄弟のようだ。憔悴から快復しきってはいないようだが、湖條の顔色も昨日と比べると随分とよくなった。馬渡と乱場を見つめるその目は、父性を感じさせる。私が顔を向けると、妹尾と理真はそろって微笑んだ。こちらも傍から見れば、仲の良い女友達同士に見えるだろう。はたまた、あまり似ていない三姉妹か。実際に知り合ったのは、ほんのここ数日のことだというのに。
乱場は林の中から長い木の枝を持ちだしてきて、海面に入れ始めた。あんなもので魚が捕れるわけはない。少しの間、棒で海中をまさぐっていた乱場に、貸してみろ、とばかりに馬渡が手を差し出す。乱場から受け取った棒で、同じように海中を探っていた馬渡は、程なくして棒を引き上げた。その先端にはカニが引っかかっている。乱場の歓声が上がった。
「妹尾さん、志々村八重さんには、何と報告するのですか?」
私の言葉に妹尾は、ゆっくりと振り向くと、
「正直に全てを話します。警察の捜査が入る以上、十九年前のことも明るみに出るでしょう。加えて、自分の出した招待状がもとで、人が二人も亡くなってしまったことについてショックを受けてしまうかもしれません。しばらくは、そばについていようと思っています」
彼女の話では、八重の二人の息子のうち、長男の一雄は東京に暮らしており、次男の次雄は音信不通。使用人たちも皆、志々村家を去っていったということだった。そんなことを考えていた私の胸の内を察したのか、妹尾は続けて、
「長男の一雄さんは、お仕事が忙しいと、ほとんど八重さんのところに顔を出さないそうです。次男の次雄さんとは未だに連絡が取れないそうですし」
「一雄さんの娘の彩佳さんは、外国に留学中なのですよね」
「ええ。彩佳がそばについていてあげられたら、一番いいのでしょうけれど」
「彩佳さんの留学は長いものなのですか?」
「そうらしいです。服飾デザイナーになりたくて、その勉強と修行のためだと聞きました。年に一度くらいは日本に帰ってきて、八重さんのところに顔を出すそうですが」
「彩佳さんとは、この島を離れてから一度も会っていないそうですが」
「そうなんです。当時はまだ子供で、当然携帯電話など持っていませんでしたから、個人的な連絡先は分からないままです」
「八重さんに聞いたりは?」
「もう、二十年近く経ってしまいましたからね。今さら連絡を取り合っても、という気持ちはあります。彩佳のほうでも、そうなんじゃないでしょうか」
海原を見つめていた妹尾の目は、いつの間にか上を向き、瞳に青空を映していた。遠い空の下にいる幼なじみのいとこを想っているのだろう。ふと、私が視線を動かすと、少し離れて理真が立っていた。私と妹尾の話に耳を傾けていたのだろうか。理真は何とも言い表しがたい表情をしており、何を考えているのかを推し量ることは困難だった。まだ、事件のことを……?
「危ないぞ、乱場くん――ほら!」
馬渡の声がした。乱場は自分が立つコンクリートから、一メートル程度の距離の海面に棒を突き立てており、棒の傾きに体重を持っていかれ、危うく海に転落するところだった。それを止めたのは、後ろから乱場のベルトを掴んだ馬渡の手だった。
「すみません、馬渡さん。棒を立てた底が斜面になっていたみたいで、滑ってそのまま持っていかれそうになりました」
乱場は冷や汗を拭って馬渡に礼を述べる。
「気をつけてくれよ。そのまま棒高跳びみたいに、海面にダイブするところだったぞ」
馬渡は乱場の頭を、ぽんぽんと軽く叩く。
……何だろう。その光景が異様に目に焼き付いて――
「来たぞ」
湖條の声に思考を止められた。彼の視線を追うと、水平線上に一艘の船影が浮かんでいた。来た。迎えの船が。
「三人とも」と湖條は私たちを向いて、「手はず通りに頼む」
まず、到着した船に無線で警察に通報してもらい、私たちは本土に到着後、すみやかに警察と一緒に再び島に戻ってくる。
「湖條さんたちも、気をつけて下さい」
理真が言った。湖條は頷く。そこへ、馬渡と乱場も合流して、
「任せておいて下さい。教授と乱場くんは、俺が必ず守りますから」
馬渡が胸を叩く。その隣では、乱場も細い腕を胸の前に上げて拳を握っていた。
港に船がつくと、漁師と思しき中年男性が下りてきた。私たちを送ってくれた人だった。漁師は、行きとは人数と顔ぶれが違っていることを疑問に思ったのか、訝しげな顔をして、「あんたらで全員かい?」と訊いてきた。私は、「そうです」と答えてからすぐに、島で殺人事件が起きたことを簡単に告げ、無線で警察への通報を願い出た。それまでぶっきらぼうな対応をしていた男だったが、私の口から「殺人」という言葉が出ると態度を一変させた。
「殺人事件……? この島で、また……」
顔を青くしたまま、震える手で無線機を握った。
船室は、部屋の左右にシートが設けられており、私は右側の真ん中辺りに座った。私の左隣には妹尾が、さらにその隣に理真が腰を落ち着けた。対面の席も空いているのにと思ったが別に不服はない。というよりも、これがベストな配置だろう。妹尾を私と理真が守る形になる。海上を進む船の上で何が起きるとも考えられないが。
エンジン音が大きくなり、船が揺れる。船窓から港を見ると、湖條は軽く片手を上げ、乱場は大きく両手を振っている。馬渡は片手だけをゆっくりとだが大きく振る。三人の姿は見る見る小さくなっていく。やがて判別出来ないほどの距離となり、絶命島の全景が船窓に広がった。
「裏館に泊まったときと同じですね」
「えっ?」
出港して数分ほど経ってから、隣の妹尾に声を掛けられた。「何が?」と訊くと、
「この並びですよ。安堂さん、私、朱川さん」
彼女は、左隣の理真、自分の膝、私、と順に視線を移しながら言った。そうか、一昨日、裏館に泊まったときの部屋の並びと同じか。そうなのだ、あのときも私と理真が密かに話して、
「私を守るための部屋割りだったんですよね」
妹尾が看破した。私は理真と顔を見合わせて微笑み合う。妹尾は小さく頭を下げてから、
「馬渡さんが乗っていたら」と私たちのシートの奥に目をやり、「あそこに座っていたんでしょうかね」
裏館二階で言うところの、奥の角部屋か。だが、実際は馬渡は雨漏りを気にして部屋を移っていたのだ。私の隣に。そう思いながら、私は自分の右隣に視線を落とす。当たり前だが、誰も座っていない空席がそこにある。
馬渡晃平。昨夜、翌日の行動を話し合っていたときの彼の顔を思い出す。女性三人で一旦本土に戻るということが決まると、彼は、「現場検証などがあるから、またすぐにここに戻ってくることになるな」などという意味のことをしきりに口にしていた。私がそのまま戻って来なくなることを心配していたのだろうか。そんなことするわけないだろ。もし、このままトンズラしたなら、真っ先に疑いの目で見られてしまう。私が、そんなリスクを負ってまで、もう彼と会いたくないと考えているなどと本気で思っているのだろうか。
私と妹尾の会話を聞いた理真も、「そうね」と、微笑んだまま奥のシートに目をやる。
……何だろう。何かおかしい。そう思い始めた私の頭の中に、先ほどの乱場と馬渡の光景が被さる。乱場が長い枝を海面に突き立てて……。どうしてあれが気になる? あれがどうかしたか? トリックを解明するヒントになるとでも? トリック? 何の? 影浦……いや、田之江? ひいては、十九年前の……? あれは私が考案したトリックで決着がついたのではなかったか? いや、違う。あのトリックでは、被害者である志々村鉄雄が、体が触れあうほどの目の前に相手の接近を許さなければ駄目だ。当時、裏館にいた人物でそこまで出来るのは、乱場の考察の通り、当時六歳の妹尾以外にあり得ない。だが、妹尾の容疑は……。
違う。確かに、理真がドアに仕掛けた糸のことで妹尾の容疑は晴れたが、理真が晴らしたのは、あくまで現在の田之江殺害についての容疑だけだ。十九年前の鉄雄殺しの犯人は、やはり妹尾だったということは? が、ここでまた乱場の推理に立ち戻る。乱場が妹尾を疑ったのは、田之江の殺害方法が十九年前と酷似、いや、まったく一緒だったからだ。それゆえ、田之江殺害犯イコール鉄雄殺害犯、という方程式を想定して、現在、島にいるメンバーの中から唯一、時を越えて二つの事件現場にいた妹尾を容疑者として白羽の矢を立てたのだ。しかし、二つの事件が同一犯の仕業とする根拠は、ない。トリックが同じであるというだけだ。
私の頭の中で、急に疑念が渦を巻いた。何かがおかしい。何か違和感がある。これは何だろう? いつからだ? ついさっき? さっきって、港で迎えの船を待っていた間? いや、違う。もっと後だ。後といっても、それから後は、船が来て、船員に通報してもらって、船に乗り込んで、ここに座って……。
私は横を見た。妹尾はまぶたを閉じてじっとしていた。波の音の合間に寝息も聞こえる。連日の疲れから眠ってしまったのか。その隣では、理真が真剣な表情で反対側の窓に視線を刺している。
「あっ」
思わず声が出た。
「どうかした?」
理真が訊いてくる。私は、「何でもない」と誤魔化して、妹尾と同じようにまぶたを閉じた。眠るためではない。違和感の正体に気付いたからだ。そこから遡って、事件についてじっくりと考え直す。一昨日の夜、乱場が推理中に言っていた。「動機について考えるのは無意味」そうだ。事実だけを追って、誰に何が可能だったか。それだけに焦点を絞って考える。推理する。
島に来てからのことを思い返してみる。島への到着。影浦の不可解な行動と、「死神探偵」と呼ばれていた理由。その影浦は崖の下で死体で発見され、そして消えた。ボートの発見。地下室での妹尾の発見。この島に私たち探偵が呼ばれた理由。十九年前の事件。解決したものに報奨金。田之江の死。雪密室。田之江は影浦に恐喝されていたらしい。海に沈められていた影浦の死体の発見。乱場の推理。私の思考は長く続いた。船が本土の港に到着するまでの間、誰も口を開くものはなかった。
船が港に接岸して、大きな揺れが収まると、私たちは同時に立ち上がった。漁師に促されて船を下りる。港の駐車場には、すでにパトカーが待機していた。中から制服警官が二人降りて、こちらに向かって歩いてくる。二人の警察官は私たちに、「もうすぐ本部からも応援が来て、鑑識部隊も乗せて島へ向かう手はずだ」と教えてくれた。その間に私たちは、簡単に島で起きた事件を警察官に説明する。その役目は、ほとんど理真が負っていた。私はと言えば、警官に何を訊かれても、しどろもどろで一向に要領を得た言葉が出て来ない。傍目には私は殺人事件に遭遇して、激しく動揺した女性、と見えていただろう。だが、違う。そのとき私の頭の中は、船の中での思考。その結果辿り着いた結論でいっぱいで、説明どころではなかったためだ。妹尾と理真には、大いにおかしく見えていただろう。
ひと通り聴取が終わると、応援が到着するまで船の中で座って待っているか。と船員に言われる。私たち三人が揃って辞退すると、それならあそこで待っていろと、港のそばに立つ小さな小屋を指さした。小屋に向かおうとした私たちであったが、その前に理真が、トイレはどこかと船員に訊いていた。船員は今度は、小屋と反対側にある小さなコンクリート造りの建物に指を向けた。妹尾は、と見ると、彼女は小屋に足を向けていた。トイレ方向に歩き出したのは理真ひとり。ここだ。ここしかない。私もトイレに向かい、理真の背中を追う。
「理真さん」
「どうしたんですか?」
彼女は脚を止めて振り向いた。
「私の話……推理を聞いてもらえませんか?」
「推理?」
「そうです。私の感じた違和感。その原因が分かったんです」
「違和感って、何のことです?」
「船の中での会話についてです」
「……何かあったかしら?」
「ええ、あったんです。ついさっきのことですから、理真さんも憶えていますよね。妹尾さんが話したことを」
「……船室での座席の話のことですか? 彼女が話したことといえば、それくらいですが」
「そう。そうなんです。妹尾さんは、船室での私たちの並びを、『裏館に泊まった部屋と同じ』だと言いました」
「そうですね」
「そして、彼女はこうも言いました。『馬渡さんも乗っていたら、一番奥の席に座ったのではないか』と。それは、彼が裏館で使うと決めた奥の角部屋と同じ位置になります。これには理真さん、あなたも同意していました」
「ええ。それが何か?」
「おかしいですよね」
「……何がですか?」
「理真さん、あなた、裏館に泊まった夜に、全員の部屋のドアに糸で仕掛けをしたと言っていましたよね」
「ええ」
「実は、あの夜、馬渡晃平は角部屋に寝泊まりしなかったんです」
「……えっ?」
「彼は、角部屋を選んだはいいが、雨漏りがしていることに気付き、こっそりと泊まる部屋を変えていたんです。私の部屋と田之江さんの部屋に挟まれた空き部屋に」
「それが、どうしたと……」
理真は言葉を止めた。そうだ、気付いたのだ。自分が犯した過ちに。
「理真さん、あなたは、私が田之江さんの死体を発見して悲鳴を上げたとき、馬渡とほぼ同時に一階に降りてきました。そして、まだ起床してきていなかった妹尾さんを起こしに行ったとき。部屋に仕掛けた糸が切れていなかったと証言しました。さらに、その他のメンバー、田之江さん、私、馬渡の部屋に仕掛けた糸は切られていたとも証言しています。一見、当たり前の話のようですが、おかしいですよね。あなたが糸の仕掛けをしたのは、全員が寝静まった深夜になってからだと言いました。馬渡は、それよりもずっと前、私と理真さん、妹尾さんが一緒にお風呂に入っているときに部屋を代えていたんです。あなたがそれを知っていたはずはない。あいつ、馬渡は誰にも喋らなかったんですから。事実、妹尾さんは船の中での会話で、彼が部屋を移ったことも知らず、裏館で馬渡が奥の角部屋に泊まっていたとばかり思い、先の発言をしたのです。理真さんも同じです。あなたも馬渡の部屋の移動を知らなかったからこそ、妹尾さんの言葉に同意したんです。であれば、一昨日の夜、あなたが馬渡に対して糸の仕掛けを施したのは、奥の角部屋であるはずなんです。ですが、あの夜角部屋には誰もいなかった。糸が切られるはずはないんです。にも関わらず、あなたは『馬渡の部屋の糸も切れていた』と証言している。これはどういうことなんですか?」
理真は答えを返さない。が、構わない。私は私の推理を続ける。
「どういうことか? 答えはひとつしかありません。理真さん、あなたは一昨日の夜、ドアに糸の仕掛けなどしていなかった。あの発言は、全くの偽りということになります。どうしてそんな嘘を言ったのか? あの発言で結果妹尾さんは救われましたが、それが目的だったのでしょうか? ともかく、船の中でそれに気が付いた私は、一気にあなたに疑いの目を向けざるを得なくなりました。そして、考えているうちに、もうひとつのことに気が付きました」
「……それは、何?」
訊いてくる理真の声は、あまりにか細く、波の音に掻き消されてしまいそうなくらいだった。対して私は、自然と声のトーンが上がる。
「島で起きた三つの犯行を実行可能であった条件、あなたがそれを全て満たしていたことです。田之江さん殺害時には裏館にいた。女という立場を生かして、影浦さんの隙を見て殺害も可能だった。妹尾さんの監禁も可能です。私たちの中で、一番早く島に到着していましたから。……どうですか、理真さん」
理真は反論してこなかった。もしかしたら、その口から何か言葉がこぼれていたのかもしれなかったが。波の音を押しのけてまで私の耳には届かなかった。私の耳に入ってきたのは、背後から近づく足音だった。
「県警の皆さんが到着しました。思っていたよりも早かったです。皆さんもご同行願います」
港で待機していた制服警官だった。




