第19章 推理の火
「違います! 私じゃありません!」
妹尾は、激しく顔を左右に振って乱場の指摘を否定した。その表情は、恐怖、戸惑い、あらゆる負の感情に支配されているように見えた。
「乱場くん」
と、ここで湖條の冷静な声が入った。乱場は、推理が始まってからずっと保たれたままの鋭い視線を湖條に向ける。
「乱場くん」湖條はもう一度少年探偵の名を呼んで、「十九年前の当時、妹尾さんはまだ六歳の子供だ。そんな彼女に大人を刺殺することが出来ると思うか?」
「子供だからこそ出来たんです。鉄雄を殺すための、僕が言った条件に当時の彼女は全て当てはまります。裏館にいて、そして、鉄雄に体が密着するほどの接近を許す。志々村家の鬼の支配者だった鉄雄も、孫の彩佳さんと、そのいとこの妹尾さんには甘かったと聞きました。駆け寄ってくる六歳の子供、妹尾真奈さんの接近を、鉄雄は何の疑いも持たずに許したでしょう。その背後にナイフを隠し持っていることも知らずに。
当時の状況は、こうではなかったかと推理します。雪の積もる中庭を、表館から裏館に向かって歩いてくる鉄雄。裏館の玄関まであと二メートルと少しというところで、ドアが開き妹尾さんが駆け寄っていきます。鉄雄は、かわいがっている妹尾さんを抱きかかえます。そこに、妹尾さんは鉄雄の背中に腕を回して、持っていたナイフでひと刺し。子供の力では一撃で大人を絶命せしめるには足らなかったのでしょう。突き刺したナイフを、妹尾さんはさらに抉って致命傷とします。妹尾さんを離し、前のめりに崩れ落ちる鉄雄。その間に妹尾さんは玄関に跳び退きますが、その際に寒さでナイフを取り落としてしまいます。当然、回収を試みますが、ナイフは雪に埋まっており、下手に拾うと手の跡がついてしまい、そこから犯人は子供だと知られてしまうかもしれない。やむなく凶器をその場に残したまま、妹尾さんは部屋に帰ります。どうですか」
乱場の目は妹尾に、両手を胸の前で組んで、ガタガタと震えている妹尾に向いた。
「ち……違います……」
かろうじて声を振り絞っている。妹尾の声はそう感じるほど小さなものだった。それに比べると、顔色が優れないとはいえ、湖條は、よく通る声で、
「動機は何だ? 六歳の子供が、一家の当主を殺害した動機は?」
「そこまでは推し量ることは出来ませんし、それを今考慮するのは無意味です。現代の探偵学では、動機の解明にさほど重きを置いていないことは教授も御存じでしょう。心理や情緒なんて、いくらでも後付けできますし、人によって重視する裁量も違ってきます。ですが、時間、空間による物理的な問題というのは万人に平等です。異常心理やサイコといった胡乱な問題で片付けられることも多い動機と違い、こればかりは何人たりとも言い逃れは不可能なのです」
「まあいい。だが、乱場くん、今回の事件については、それこそ物理的な問題があるぞ。彼女は、妹尾さんは裏館の地下室に監禁されていた」
「それはもちろん、彼女の狂言です。彼女にとって最も安全なのは、そもそも十九年前の事件の捜査を僕たちにされないことです。そのため彼女は身を隠した。そのまま発見されなければ、二十八日、つまり明日の朝に迎えの船が来て僕たちはこの島を出ます。集められた目的も知らないままに。妹尾さん自身は、集まった探偵が乗るものとは別の、時間をずらして来てもらう船で帰る手はずだったのでしょう。あとは、妹尾さんが志々村八重さんに、『探偵たちの捜査でも事件の真相は分からなかった』と虚偽の報告をすれば済む話です。あとになって、怪しんだ僕たちの誰かが八重さんに話を訊きに行く可能性もありますが、それにはまた別の対処を考えていたんじゃないですか。例えば、八重さんを殺してしまうとか」
「乱場さん!」
妹尾の大きな声が広間に響いた。
「忘れたのか、乱場くん」と今度は馬渡が、「彼女がいた地下室は、唯一の出入り口に重い冷蔵庫が載せられていたんだぞ。彼女ひとりで出入り出来ないことは確認済みのはずだ」
「ええ、もちろん忘れてはいません。ですが、共犯者がいれば話は別です」
「共犯者?」
「そうです。冷蔵庫をどかして彼女を出入りさせるための共犯者が。それは、影浦さんです」
「影浦が?」
「そう考えれば、この島に来てからの影浦さんの怪しい行動に説明がつきませんか。上陸して僕たちより先行したのは、島のどこかに潜んでいた妹尾さんを地下室に入れるためです。この島に一番乗りしたのは安堂さんでしたね。安堂さん、あなたはこの島に来てから、どうしていましたか?」
「私は、この表館にずっといました」
「裏館へは?」
「一度行きましたが、電気が通っていなかったため、すぐにこちらに戻ってきました」
「裏館の電気を通さなかったのは、もしも影浦さんよりも早くに探偵の誰かが上陸しても、裏館に近づけさせないための手段だった。妹尾さんと影浦さんは、表館にいた安堂さんの目を盗んで裏館に入り、妹尾さんを地下室に入れた。その後、影浦さんは島を散策してきたような振りを装って、何食わぬ顔で僕たちと合流したというわけです。三日前の二十四日におにぎりを差し入れたのも影浦さんです。彼は島の捜索が終わると、ひとりだけ先に帰り、誰の目もないうちに妹尾さんに食料を差し入れたのです」
「だが、影浦は……」
馬渡が言った。「そう」と乱場は、
「突然のアクシデントが妹尾さんを襲います。共犯者の影浦さんが死んでしまったのです。妹尾さんを地下室から出入りさせる人間がいなくなってしまいました。ですが、地下室に入ったままの妹尾さんにそれを知る術はありません。地下室内にはトランシーバーといった類の通信機器がなかったことから、影浦さんとの間接的なやりとりはなかったのでしょう。そこを、運良くというか、僕たちに発見されます」
「待て」と馬渡から待ったが掛かった。「妹尾さんの監禁が狂言だとしたなら、そこまでする必要があるか? 自分ひとりで出入り可能な状態にしておくべきなんじゃないか?」
「それは保険です。もし、彼女が潜伏に失敗して発見されてしまった場合、ひとりで出入り可能な状況で『監禁されていたんだ』と訴えかけても説得力は皆無でしょう」
「それじゃあ、そもそも、狂言監禁なんてことをする必要があるのか? 十九年前の事件のことを知られたくないのであれば、俺たちを普通に迎えたうえで、自分も何も聞かされていない、と白を切り続ければいいだけの話じゃないか」
「それは危険です。そんなことを言われて、はいそうですか、と僕たちが引き下がるはずがないじゃないですか。この島に集まってくるのは、百戦錬磨の探偵の集団なんですよ。どんなカマを掛けられて口を割ってしまうか、知れたものじゃありません。僕たちに接触しないことが一番なんです」
「だが、救出された直後、彼女は自分から進んで十九年前の事件のことを、八重さんに言われた自分の使命を話してくれたぞ」
「今言った通りですよ。変に口を噤んでしまうより、見つかってしまった以上、素直に話してしまったほうが危険は少ないと判断したんでしょう」
「しかし、田之江さんの殺害というリスクは犯した」
「田之江さんが真相に気付く直前だと知ったのかもしれません。先手を打ったまでです」
「それじゃあ、影浦を殺したのは誰だ? 影浦の死体は一度消えたうえ、海中から石をくくりつけられて沈められた状態で発見されたんだ。他殺以外にあり得ない」
「そうだな」と湖條が、「影浦の殺害犯は、妹尾さんではあり得ない。共犯者を殺してしまったら、もう二度と地下室に蓋は出来ないんだからな。彼女を発見したとき、地下室には確実に蓋がされていた以上は」
「そうだ、教授の言うとおりだ。影浦は誰が殺したっていうんだ?」
「あなたしかいないじゃないですか、馬渡さん」
「――な……に?」
乱場と馬渡の応酬は、そこで一度止まった。私は乱場の発言に驚いて馬渡の顔を見る。
「僕の推理はこうです」絶句したままの馬渡を前に、乱場は再び口を開く。「三日前の二十四日、この表館を徹底捜索しているときに、あなたはこっそりと影浦さんと二人で屋敷を抜け出し、あの崖まで行きます。その目的は、影浦さんを殺すことです」
「な、何を……」
馬渡は何か反論しようとしているようだが、うまい言葉を絞り出せずにいるのだろう。こういう口論には慣れていない男だ。乱場は、それをいいことに、というふうに畳みかける。
「馬渡さん、あなたは影浦さんを崖から突き落として殺してしまいます。あのときの捜索は、チームを組むことなく、各人が勝手に思い思いのところを調べていましたからね。あなたと影浦さんが屋敷を抜け出るところを誰にも目撃されることはなかったし、あなたが多少の時間不在でも気が付くものはいなかった。影浦さんを突き落として、またこっそりと屋敷に戻ったあなたは、『影浦さんがひとりで屋敷を出て行ったのを見た』という虚偽の証言をします。夕食時になっても影浦さんは戻ってこない。当たり前ですね。もう死んでいるんだから。そのため夕方から夜に掛けて、僕たちは影浦さんを探しに出たわけですが、この状況をあなたは利用した。安堂さんによってあなたに割り当てられた捜索範囲は、まさに影浦さんを突き落とした崖でした。あなたは、さもそこで影浦さんの死体を発見したかのような芝居を打ったのです。それを聞いた僕たちでしたが、そのときにはもう夜も更けていたため、みんなで見に行くのは翌朝に回されることになりました。これはあなたにとって僥倖でしたね」
「な、何がだ?」
「その夜、この広間にみんなで集まったとき、あなたも教授の口から聞いたはずですよ。影浦さんが背広に盗聴器を仕込んでいたということを。それを聞いたあなたは内心、しまった、と思っていたはずです。二人でいるときに影浦さんが盗聴器を回していたのなら、自分とのやりとりが全て記録されているかもしれない。翌朝、死体を確認しに行った際に盗聴器を回収することは困難、というか無理です。死体の確認、回収を実際に行うのは馬渡さんだとしても、その一部始終を崖の上から見られてしまうからです。少しでもおかしな動きをしたら、たちまち怪しまれてしまう。盗聴器を回収するのは夜のうちに行うしかありません。あなたは深夜にこっそりと屋敷を抜け出し、崖下に下りて影浦さんの背広から盗聴器を回収したんです。ですが、その盗聴器を回収する際に背広に大きく切れ込みを入れる結果になってしまった。このまま影浦さんの死体が回収されたら、どうなるでしょうか」
「どう、なるっていうんだ……?」
「翌朝は、全員が揃って影浦さんの死体を確認しに行くんですよ。そこで回収された影浦さんの背広に、不自然な切り込みが入っていたら、何者かがここから盗聴器を回収したな、と看破されてしまうこと間違いありません。そして、それが可能なのは、馬渡さん、あなたひとりだけだと」
「ど、どうしてそうなる?」
「影浦さんの死体は、落差二十メートル近くもある垂直な崖の下で発見されるんですよ。そんなところにある死体に対してどうこうしようとしたら、崖を上り下りするしかありません。そんなアクロバティックな真似が出来るのは、この中では、馬渡晃平ひとりだけに決まっていますから」
「待って」
私が乱場に待ったを掛けた。乱場は、「どうぞ」と、相変わらずの鋭い視線のまま、私に手を向けた。
「背広から盗聴器を回収するなら、何も影浦さんが死体である必要はないわ。崖の上で生きている間に盗聴器を手に入れて、しかる後に突き落とす、という手順を取れば何の問題もないわ」
「それが可能でしょうか」
「どういう意味?」
「仮にも〈死神探偵〉と呼ばれていた影浦涯ですよ。彼にとって盗聴器とは、自身の生業に直結する大事なものであるはず。そんな大切な盗聴器を、彼からそう簡単に拝借出来るとは思えません。しかも、教授の話では、影浦さんは武術使いでもあるそうじゃないですか。そんな男を相手に、まともに掛かって勝てる人間など……」
「この中で俺ひとりだけ、ってわけか」
乱場を睨みながら馬渡が声を絞り出した。
「そういうことです。話を戻します。今言った理由から、生きているうちにせよ、死体からにせよ、影浦さんから盗聴器を奪う芸当が可能なのは、馬渡さんだけです。かといって盗聴器をそのままにしておくことは最悪です。絶対に奪わなければならない。影浦さんの背広に切れ込みを入れ、盗聴器を奪った痕跡が残った以上、執るべき手段はただひとつです。影浦さんの死体を消してしまうしかない。背広だけを脱がせて処分するというのも同じ事です。影浦さんがそう簡単に背広を奪われるわけがありませんし、死体から影浦さんのトレードマークとも言える真っ黒な背広が消えていたら、確実に、盗聴器ごと背広を奪ったんだな、と看破されてしまいます。夜のうちに崖下に下りて盗聴器を奪った馬渡さんは、ロープに石を結わえて影浦さんの死体にくくりつけ、そのまま海に沈めてしまったのです。あとは、皆さんご記憶の通りです。馬渡さんは『死体が消えた』と一芝居打って、一連の出来事を煙に巻いたのです」
「それじゃあ、あのボートはどうなる? 俺が見つけた、あのボートは?」
「あれは、近くの港かどこかから流れ着いたものでしょう。あのボートが発見されたのはただの偶然に過ぎません。ですが、馬渡さん、あなたはその偶然さえも味方に付けましたね」
「どういう意味だ?」
「あの漂着していたボートを発見したあなたは、それがこの島に密かに上陸した何者かのものであるという推理を打ち立てた。探偵Xです。そうです、Xなんていません。馬渡さんが影浦さんの死体消失の謎を誤魔化すためにでっち上げた架空の存在なんです。付け加えると、今朝、馬渡さんが影浦さんの死体を発見したのも当然お芝居です。馬渡さんはXを捜しに行く、などと言って崖まで行き、死体が浮かび上がってきてなどいないか確認した。そこへ朱川さんが合流します。そのとき、沈めていた影浦さんの死体から、靴が片方脱げて海面に浮かび上がってきているのを見つけた。それを朱川さんにも目撃されてしまうことは不可避のため、馬渡さんは自分が靴の第一発見者となり、影浦さんの死体を引き上げることにしただけです」
「……乱場くん、俺は、君はもっと頭のいい少年だと思っていたよ」
馬渡の言葉にも、乱場は全く動じることなく、涼しい顔を浮かべているだけだった。
「違うわ!」私は思わず叫んだ。「晃平は、そんなことをする男じゃないわ」
「元彼女の擁護ですか。いいですね、そういうの」
「何とでも言って。でも、本当よ。晃平は、そんな大それたことが出来る男じゃないわ。性格的なこともそうだけど、今、乱場くんが言ったような計画を立てられる頭も持ち合わせていないのよ!」
乱場は吹きだした。
「美夕……助けてくれるのはありがたいけどな……」
馬渡も少し頬を引きつらせている。
「体力だけが自慢のハードボイルド探偵、というのは仮面かもしれないじゃないですか。本当の馬渡さんは、狡猾で頭の切れる男なんです」
「それだけは絶対にないと断言してもいいわ!」
私の力強い擁護の言葉を、馬渡は神妙な表情で聞いていた。
「どうですか、教授」
乱場はここで湖條に向いた。大学教授探偵は、乱場の推理を肯定も否定もするでないまま、
「安堂さん、あなたはどう思いますか」
理真に意見を求めた。乱場が推理を披露する間、情勢を窺うように黙って見ているだけだった理真は、
「私は……とりあえず、妹尾さんが田之江さんの殺害犯ではないとだけ断言出来ます」
「何ですって?」
乱場の顔が変わった。
「確固たる根拠があるのですね」
確認を求める湖條に、理真は頷いてから、
「実は私は、昨日の夜、全員が寝静まったあとの深夜、皆さんが泊まった裏館の部屋のドアに、ある仕掛けをしておいたのです」
「仕掛け……?」
乱場がオウム返しに訊く。「はい」と理真は、
「ドアのノブと廊下の壁を、細い糸で繋いでおいたのです。皆さんであれば、これがどういった効果を持つか、お分かりでしょう」
「ドアを開ければ、糸が切れるか解けるかして、その部屋に出入りがあったかどうかを確かめられる。ということですね」
湖條が言った。確かにその通りだ。ということは……。
「昨夜から裏館に泊まった方にはお分かりでしょうが、今朝、田之江さんの死体を発見したのは朱川さんでした。そのときの悲鳴に気が付き、私と馬渡さんが玄関前のロビーに駆けつけます。まだ起きてきていないのは妹尾さんだけ。彼女を呼びに行くことになった私が妹尾さんの部屋の前でドアを確認すると、私が仕掛けた糸はそのままになっていたのです」
「妹尾さんは、昨夜就寝してから、部屋から一歩も出てはいない。すなわち、田之江さんを殺害出来たわけはない、ということか」
「そんな馬鹿な!」
湖條が結論を出すと、乱場は意外なほど大きな声で叫んだ。
「安堂さん!」と乱場の矛先は理真に向き、「あなた、どうしてそんな仕掛けを?」
「申し訳ないとは思っていたのですが、私も犯人はこの中にいるという疑いを拭い切れていませんでした。ですので、試しに仕掛けを施してみたのです。何も起きなければそれでよし、です。実は、これは影浦さんがいなくなった夜、表館にいたときから、ずっと行ってきていたのです。今までは、何事もありませんでした。全員の部屋のドアは、朝になっても私が仕掛けた状態のまま、ノブと壁が糸で繋がれたままでした」
言われてみれば、影浦がいなくなった翌日から、理真は毎朝一番に起床していた気がする。あれは、誰よりも早く起きて糸の仕掛けを確かめるためだったのか。
「不覚にも、今朝だけは朝一を美夕さんに越されてしまいました。恐らく、昼間からの裏館の捜索で疲れが溜まっていたのでしょう。ちなみに、糸はドアを開けると何の抵抗もなく切れるか解けるはずですので、美夕さんをはじめ、田之江さん、馬渡さんにも、ドアに仕掛けがあったという感覚はなかったはずです」
私は頷いた。確かに、今朝起床してドアを開けたが、何も感じはしなかった。馬渡も同意するように黙って頷いていた。
「妹尾さんを起こす前に確認しましたが、当然、田之江さん、美夕さん、馬渡さんの部屋のドアは糸が切られていました。糸が掛かったままだったのは、妹尾さんの部屋だけだったのです。さらに付け加えれば、あの仕掛けは室内側から行うことは絶対に無理です。もし誰かが糸が仕掛けられていたことに気づき、切った糸を元に戻そうとしても、元通りにしたうえで室内に入ることは不可能です」
「窓は?」と乱場は、「窓から出入りしたのかもしれない」
「私はそれも考えて、部屋の窓に面した館の裏を見てみましたが、足跡などの痕跡は一切ありませんでした。田之江さんの死体が見つかった中庭同様、裏も雨上がりで地面は少々ぬかるんだ状態でしたので、何者かが歩いたりすれば必ず跡がついたはずです。これはもちろん、妹尾さんの部屋だけでなく、全員の部屋の窓の下がそうでした」
「それに、妹尾さんは、安堂さんによってドアに仕掛けをされていたことに気が付いたはずもない。わざわざ窓から出入りするとは考えられないな」
湖條のその言葉がとどめになったらしい。乱場は力が抜けたように膝を折って、がくりと椅子に座り込んだ。




