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第1章 絶命島へ(5月23日)

五月二十三日


 雲ひとつない快晴が水平線をぼかし、空と海との境界を曖昧にしている。百八十度、ぐるりと海を見渡してみたが、目的の島影はここからでは見えなかった。私は意味もなくスーツケースを数十センチ転がしてから、もとのようにベンチに腰を下ろした。

 山形県の海側南端、ほぼ新潟県との県境に位置する小さな港町。地元民の目に、パンプスにベージュのスーツという私の姿は異様に映っていることだろう。海水浴シーズンにもまだまだ早いこの季節、しかも平日の朝という条件を省いてみてもそれは明らかなはずだ。

 私は右に目をやった。そこにも、小さな港町に似つかわしくない異様な風体の人物がひとり。濃いグレーの背広に身を包み、黙って海原を眺めている推定五十歳前後の男。傍らに置かれたスーツケース――女の私のものよりも大きい――まで背広に合わせたかのようなグレー。数メートルの距離を置いているとはいえ、男は私の視線に気付いているはずだ。が、こちらには全く一瞥もくれない。その佇まい、眼光の鋭さ、間違いない。彼も探偵なのだ。やはり、私ひとりだけではなかった。


「あの、す、すみません」


 背後からの声に私は振り向いた。そこには、デイパックを担いだひとりの少年の姿があった。着ているものは紺のブレザーとグレーのスラックス。高校の制服のように映る。


「も、もしかして……」少年は私の目を見たまま、「絶命島(ぜつめいとう)へ行かれるのですか?」


 キャスターが地面を転がる音がした。少年の言葉を聞くなり、いや、正確には「絶命島」という言葉を聞くなり、背広の男が少しだけこちらに顔を向けたのだ。


「そうよ」


 私は微笑しながら答えた。少年は視線を一度下げてから、


「やっぱり、僕だけじゃなかったんだ」


 安堵したような表情になった。この少年……。私は笑みを浮かべたままで、


「ねえ、君も……探偵なの?」

「えっ? あ、はい」


 やはりそうか。少年は、ことさら姿勢を正して、


乱場秀輔(らんばしゅうすけ)と言います。高校二年です」

「乱場秀輔」私よりも先に、男が完全にこちらを振り向いて、「知っている。去年、仙台で起きた〈妖精館(ようせいかん)殺人事件〉を解決した高校生探偵だな」

「そ、そうです――あっ!」


 男の顔を見た乱場少年の顔つきが変わった。


「もしかして、教授? 湖條忠俊(こじょうただとし)教授ですか?」


 乱場の問いかけに、男はゆっくりと頷いた。教授? 湖條忠俊? そうか。やはり、この男も探偵だった。

 この業界に居ながら、他の探偵情報に疎い私も――そのため、高校生探偵乱場秀輔のことも知らなかったのだ――湖條忠俊の名前を耳にしたことはある。神奈川県のある大学教授でありながら、警察捜査に協力し、いくつもの不可能犯罪を解決に導いてきた素人探偵だ。


「感激です。こんなところで教授に会えるなんて」


 興奮した様子で乱場が口にした。湖條は警察関係者の間で「教授」のニックネームで呼ばれているのだ。

 男の、湖條教授の目が私に向き、それに釣られるように乱場少年も私に視線を戻した。お前も探偵なんだろう。ということらしい。御推察の通りだ。私は二人に向き直り、


朱川美夕(あけかわみゆ)といいます。東京で探偵をしています」


 名乗っても、二人からは何の反応もなかった。乱場がぺこりと頭を下げて「乱場です」と、教授が「湖條です」と改めて自己紹介をし直してくれただけだった。無理もない。


「私は去年まで海外にいて、帰国して探偵稼業を始めてから、まだ半年程度しか経っていないんです」


 こういった理由で、二人が私のことを知らなくても無理はない。同時に私の方でも二人のことに疎くて当然なのだ。湖條と乱場は納得したような表情を浮かべた。乱場はずり落ちかけていたデイパックを担ぎ直すと、


「探偵が、三人も……。あ、教授も絶命島に?」


 湖條はここでも、ゆっくりと頷いて、背広の懐から一枚の封筒を抜き出した。乱場も制服の懐に手を突っ込んで、幾分か皴が寄った封筒を取り出す。私もショルダーバッグに入れていた封筒を手にした。三人が持つものは全く同じものだった。グレーの紙に黒い縁取り印刷がされている。私は腕時計を見て、約束の時間までまだ少々時間があることを確認してから、封筒の中身を抜き出して広げた。



朱川美夕 様


 絶命島へご招待致します。

 日時は五月二十三日の午後十二時丁度。場所は山形県鶴岡市(つるおかし)温海(あつみ)港。上記時間に迎えの船を用意致します。大所帯となる可能性がございますので、助手の方がいらしても、今回はご遠慮いただくようお願い申し上げます。絶命島への滞在は、五月二十八日までの正味五日間弱の予定でございます。二十八日の朝に迎えの船をやる手はずとなっております。

 このことについては、くれぐれも他言なさらないで頂きたいことも重ねてお願い申し上げます。



 私は、便箋にワープロソフトで打たれている文面を改めて黙読した。顔を上げると、他の二人も同じように便箋を広げていた。目があった私たちは、割符を確かめるかの如く、互いに便箋を見せ合う。名前以外は全く同じ文面だった。


「いったい、何なんでしょうか、これ」


 困惑した顔で乱場少年が尋ねてきたが、私に返答できるはずもない。湖條教授は、と見れば、


「絶命島は、山形県沖合に浮かぶ小さな島だ。現在は無人島らしい」


 ある程度下調べをしてきたようだ。


「現在は、ということは?」

「ああ、かつては――」

「おおい」


 海の方角から声を掛けられた。目を向けると、見るからに漁師然とした男性が手を上げている。


「あんたらも島へ行くのかい」


 私は「ええ」と、乱場は「はい」と返事をして、湖條は黙って頷いた。腕時計を見ると、長針と短針がぴたりと重なり合っていた。時間だ。私たちは封筒をしまった。漁師らしい男性についていき、港に停泊している漁船の前に立つ。船の前では、中年の女性が漁に使うのであろう網を直していた。


「タキ、ちょっと行ってくる」


 男性が声を掛けると、女性は網のほつれを直す手を止めて、


「その人たちもかい?」


 と私たち三人に向かって顔を上げた。漁師の男性と同年代、四十代半ばくらいに見える。若い頃の美しさをまだ残しているような、整った顔立ちの女性だった。


「そうか、行くのかい。あの島へ……」


 女性は私たち三人から海原のほうへと目を移した。旦那(だろう)のほうは、その声を敢えて無視するような口調で、「乗ってくれ」と私たちを船内に促した。女性は立ち上がり、私たち三人の背中に視線を戻していた。その視線は、憂い? 悲しみ? あらゆる負の感情を押し込めているかのように見えた。まるで、死地に赴く兵士を見送るかのような。


「あっ」


 最初に船内に入った乱場が、声を出して足を止めた。覗き込むとその理由が分かった。先客がいる。その男は夜のように真っ黒な背広を着込んでいた。狭い船室の一番奥に腕を組んで座り、隣の座席にビジネスバッグを置いている。立ち止まった乱場を押すように、私と湖條も船内に入った。黒ずくめの男は私たちにじろりと一瞥くれただけで、会釈も何もせず虚空に視線を戻した。この男も探偵?


影浦(かげうら)か」


 男の顔を見た湖條が口にすると、その冷たい視線は再び私たちを刺す。


「影浦(がい)。お前も呼ばれていたのか、絶命島に」


 湖條の呼びかけにも、男――影浦涯というらしい――は一切反応を見せない。視線もすぐに何もない虚空に戻ってしまっていた。尚も湖條は何か話し掛けようとしたらしかったが、漁船のエンジンが音を立て始めると黙って椅子に腰を下ろした。想像以上にエンジン音がうるさく、会話もままならないと思ったためだろう。乱場(影浦から一番離れた席に座った)は窓に手を当てて、船が作り出す波模様を興味深げに眺めている。私も窓から後方を見やった。ついさっきまで立っていた港がどんどんと小さくなっていき、その上には真っ青な空が広がっている。港では、先ほどの女性がまだ船を見送っていた。

 湖條が座った席は全員から均等な距離になるような位置で、腕を組んで窓の外の青い海原に視線を送っている。影浦ただひとりだけが、晴れ渡った空にも、青い海原にも全く興味がないかのように、薄暗い船内をどこをともなく見つめているだけだった。



「……いですか?」

「えっ?」


 乱場が私に何か声を掛けてきたが、エンジン音で前半部分が掻き消されてしまっていた。私はよく聞き取ろうと、ひとり分空けていた席を詰めて乱場の顔に耳を近づける。


「あれじゃないですか?」


 今度はよく聞こえた。乱場は船の進行方向を指さしている。私にも見えた。水平線に島が浮かんでいる。周囲に他に島は見られない。間違いないだろう、あれが絶命島だ。


「絶命島……」


 私は呟いて横を向いた。すぐそばに乱場の顔がある。


「す、すみません!」


 乱場は真っ赤になってひとつ奥の席に移動した。


「何が?」


 私も席を詰めたため、結局、乱場と隣同士になる。「いえ……」と乱場は、まだ赤い顔のまま窓の外に目をやる。


「乱場くんって、高校二年生って言ってたよね」

「は、はい」

「見えないよね」

「えっ?」

「高校二年、ううん、高校生にも見えない。いいとこ中学二年生くらいかな」

「そ、そんなことないでしょ」


 乱場が小さく首を横に振ると、さらさらの前髪も一緒に揺れる。


「男の子にも見えないわよ」

「やっ、やめて下さいよ!」

「ふふ、ごめんね」


 かわいいから、ちょっとからかってしまった。乱場は口を尖らせて外を見続けている。女の子みたいな見た目を本気で気にしているのだろうか。

 もう少しの間、若い男の子との他愛のない会話を楽しもうと思っていたら、船が減速した。到着のようだ。窓の向こうには、すぐそこまで島が迫っている。進行方向には、漁船一隻だけが停泊出来るほどの申し訳程度の港が設えられていた。


 乱場、私、湖條、そして影浦の順に下船する。


「そんじゃ、五日後、二十八日の朝に迎えに来るんで」

「待って下さい」


 用事を終えたとばかりに船に戻ろうとする漁師を乱場が引き留めて、


「この島、絶命島には、全部で何人の人が来ることになっているんですか?」

「そこまで聞いちゃいねえ。俺はただ、今日、島に渡る人間が何人かいるから乗せてやってくれと頼まれただけだ。迎えのこともな」

「誰にですか?」

「そりゃ、志々村(ししむら)さんとこの――いや、誰でもいいだろ」


 もう話は終わり、とばかりに漁師は歩を再開しかけたが、


月明島(げつめいとう)だ」

「えっ?」

「この島の名前だよ。月の明りと書いて、月明島」

「月明島……それが、この島の正式な名前なんですか?」

「ああ、それだけ注意しとこうと思ってな」

「それじゃあ、絶命島、というのは?」


 乱場の言葉に、漁師は私たち全員の顔を見回して、


「その名前で呼ぶのはやめてくれ」


 ぼそりと言うと、今度こそ漁師は船に向かって歩いて行った。

 漁船が小さな港を離れると、湖條教授が木陰に入り、引いていたスーツケースに腰を預けた。


「すまないが、少し休ませてもらってもいいかね」

「教授、お体が?」


 乱場が訊いたが、湖條は小さく手を振って、


「船に揺られたものでね。もっと大きな船なら平気なんだが」

「ええ、僕は構いませんけれど」


 と乱場は他の二人、つまり私と影浦を見る。私は「いいですよ」と答えて、湖條に倣って木陰に入る。影浦は黙ったままその場を動こうとしない。了承の意思表示なのだろうか。


「圏外ですね」


 その間に乱場が自分の携帯電話をチェックしていた。私たちも同じように携帯電話を見る。乱場の言葉通り、電波は届いていなかった。


「こんなことだろうと思っていたがね」と湖條は携帯電話をしまうと、「休憩ついでに、ここに来る前にしていた話の続きでもするか」

「そういえば教授、何か言いかけてましたよね」

「君たち、この島、絶命島について何か調べてきたか?」


 生憎と私は他の仕事が忙しく、そこまで手が回らなかった。乱場は直前まで試験だったと言い、


「普通なら、いきなり送りつけられた怪しい手紙に誘われて、こんな島に来るだなんて考えられませんけれど、まあ、僕は探偵ですから」

「そうだな。私も過去に経験があるよ。差出人不明の手紙一通で、中国地方にまで行ったことがある」

「〈脚斬鬼(あしきりおに)殺人事件〉ですね」

「よく知っているね」

「はい、教授の手掛けられた事件は、ほとんど頭に入っていますから」


 どうやら、乱場にとって湖條忠俊は憧れのヒーローのようだ。私も湖條の言葉を思い出して、


「そういえば、湖條さん、この島は現在は無人島だと」


 彼がそう言いかけたところで、送ってくれた漁師に声を掛けられたのだ。


「ああ、この島は今でこそ無人島だが、かつては人が住んでいた。戦後の混乱期にうまく立ち回り財を成した、志々村鉄雄(てつお)という男が屋敷を建て、家族で居住していたそうだ」

「シシムラ? それって、さっきの漁師が口にしていた?」

「ああ、間違いないだろうな」

「それじゃあ、僕たちにあの招待状を出したのは、その人なんでしょうか」

「いや、志々村鉄雄はすでに他界しているはずだ。鉄雄の妻の八重(やえ)はまだ存命と聞いたが。我々を呼び寄せたのが誰にせよ、志々村家一族の何者かであることは間違いないだろうな」

「その何者かが、待っているんでしょうか、この島で」


 乱場は港から続く一本道の先に視線を送った。その道は左右に広がる、木がまばらに立つ林の中を抜けており、十メートルほど先で折れ、木々の中に消えている。


「島に誰がいるのか知らないが、港まで迎えに来てはくれないようだな」


 湖條も同じように、先の見えない細い道の向こうに目をやった。


「ところで」と湖條は私たちに目を戻して、「この島、絶命島で、何が待ち受けていると思う?」


 私も含め、誰も即答はしなかった。他の三人の顔色を窺うように見てから、乱場が、


「探偵に送りつけられた謎の招待状。行き先は絶海の孤島。普通に考えたら……」

「殺人事件が起きる、か」


 言いあぐねるように濁した乱場の語尾を受け取るようにして、湖條が言った。こくりと頷いてから乱場は、


「でも、探偵ばかり四人も集められるなんて、おかしいとは思いますけれど」

「四人……これで全員だと思うか?」

「えっ?」

「招待状には、何人の人間を集めるかまでは書かれていなかった。ここにいる四人で全てだとは限らない」


 湖條の言葉が終わると、私たちは互いの顔を見た。今までひと言も言葉を発していない影浦も、顔は静止させたまま眼球の動きだけで私たち三人の顔に視線を刺す。一瞬だけ目が合った。その影浦は、おもむろに真っ黒な背広の裾を翻すと、港から伸びる道を歩き始めた。


「影浦」


 湖條の呼びかけに答えることも、一瞬でも歩調を弱めることもせず、影浦の姿は折れ曲がった道の先、木々の中に消えていった。


「ふん、勝手なやつだ」


 湖條は吐き捨てるように言った。


「あの、影浦という人、何者なんですか?」


 真っ黒な背広の後ろ姿が見えなくなって少ししてから、私は湖條教授に訊いた。


「死神探偵」


 そう答えたのは、教授でなく少年探偵のほうだった。

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