第18章 密室再び
「影浦は、体にロープで大きめの石をいくつか括り付けられた状態で沈んでいた。片方の靴が脱げて浮かび上がってきていたんだ」
砂浜に影浦の死体を引き上げた私たちは、馬渡が話すのを黙って聞いていた。彼は表館に帰ってから寝間着に着替えていた。
影浦涯は確かに死んでいた。後頭部に裂傷があり、これが死因とみられた。他にも体には打撲痕が確認出来る。長時間水中にあったため詳しいことは分からないが、死後二、三日程度経過しているだろうと湖條が見立てた。影浦の姿が見えなくなった頃と一致する。
「ということは」と乱場が、「三日前、二十四日に影浦さんは殺された。後頭部を殴られてから崖下に落とされたのか、生きたまま突き落とされて頭を打ったのかもしれませんね。その日の夜、馬渡さんが影浦さんの死体をあの崖下で発見する。それから翌日の朝、僕たちが確認しに行くまでの間に、犯人は影浦さんの死体に石を括り付けて海に沈めた。こういうことになりますね」
「とりあえず、このままにしてはおけない。影浦の死体を屋敷に運ぼう。何か担架のようなものを作って」
馬渡が提案する。とはいえ、影浦の死体のそばから誰もいなくなることもはばかられるため、この場には私と理真の二人が残って番をすることになった。
「気をつけろよ」
馬渡は十分念を押して、湖條、乱場、妹尾と四人で表館に戻っていった。私はすぐに影浦の背広を調べ始める。
「盗聴器ですか」
理真も私の行動の意味を察したらしい。そう。湖條の話では、影浦は常に背広にマイクを仕込んで、人との会話を録音していたらしい。恐喝の材料に使うために。理真も一緒になって背広をまさぐる。
「美夕さん、これ」
理真が背広の一部を開くようにしている。裏地の生地に切れ込みが走っている。糸がほつれており、明らかに何かを隠していた形跡に見える。私も生地を調べて、
「ここにマイクと録音機が忍ばせてあったみたいね。でも……」
「ええ、なくなっていますね」
切れ込みの中はからっぽだった。
「犯人が持ち去ったと見て間違いないわね」
もっとも、機材が残されていたとしても、これだけ海水に浸かった状態では間違いなく壊れていただろうが。影浦の体からは、携帯電話や財布の類いも見つからなかった。全て犯人が持ち去ったのだろうか。
「ねえ、理真さん」
影浦の死体のそばに立ち、何とはなしに海を見つめていた私は声を掛けた。同じように水平線に視線を送っていた理真が向く。
「正直なところを教えてほしいの。探偵Xは、いると思う?」
「いるとも、いないとも断定は出来ませんね」
「もし、いないとしたら、よ」
「はい」
私は屍となった影浦を一度見下ろしてから、
「影浦さんと田之江さんを殺した殺人犯は、私たちの中にいるということよね……」
「そういうことになりますね」
意外なほど、理真の声は淡泊だった。
それから数十分ほどで、急ごしらえの担架を持った馬渡と乱場が戻ってきて、影浦の死体を運び、私たちと一緒に表館に戻った。
「湖條さんはお部屋で休んでおられます。顔色も優れないようでした」
帰ってきた私たちに妹尾が告げた。
影浦の死体は、とりあえず田之江のそれと一緒に裏館一階の未使用の部屋に寝かせておくことにした。妹尾が持って来てくれたシーツを、冷たくなった二人の体に掛ける。私と理真は、影浦の背広から盗聴器が抜き取られているらしいことを告げた。全員が、切れ込みの入った影浦の背広も確認していた。
私たちは表館の広間に集合した。湖條も自室から出てきており、妹尾が出してくれた温かいミルクを飲んでいる。湖條の顔色は優れない。田之江の死が余程堪えているのだろう。広間は沈黙に支配されていた。
「犯人が分かりました」
数分間は続いただろう沈黙を破ったのは、乱場だった。彼は広間に入ってから、いや、担架を持って馬渡と一緒に影浦の死体を運びにきた頃から、ずっと黙って何か考え事をしているような顔つきになっていた。全員の、驚きを湛えた視線が少年探偵に向く。
「本当か? 乱場くん。 犯人って、影浦と田之江さんを殺した?」
馬渡の声に、乱場は頷いて、
「まずは、田之江さん殺害のトリック解明からいきましょうか」
乱場は、ゆっくりと立ち上がった。その所作は、高校生には似つかわしくない落ち着いたものだった。
「僕も、朱川さんのトリックを聞いたときは、いい線を行っていると思いました。被害者と密着するほど正対して、ナイフを持った手を背中に回して刺し、犯人は後退して玄関の敷居を越えて屋内にジャンプ。前のめりに倒れてくる被害者の体で自分の足跡を消してしまおうというやつです。ですが、僕たちが確認した通り、あのトリックが通用するのは十九年前の事件に対してだけです。雪の上についた足跡であれば、倒れてくる被害者の体で完全に掻き消してしまうことも可能でしょうが、雨でぬかるんだだけの地面ではそう上手くはいきません。実際、田之江さんの体の下には、体が被らなかった部分が多くありましたが、そのどこにも足跡らしきものは確認出来ませんでした。そう都合良く犯人の足跡を田之江さんの体が押し潰したとは考えられません」
乱場は、ここまではいいか、といったような意味の視線を私たちに投げてきた。全員、異論はない。それにしても、この乱場の視線。いつものかわいらしさは息を潜め、妖艶と形容してもいいような鋭さを帯びている。投げてきた乱場の視線と一瞬目が合った。こんな子供相手なのに、不覚にも少しだけ、どきりとしてしまった。乱場は再び口を開き、
「では、どうしたか。簡単な話です。田之江さんを、死んでいた状態と同じ位置にあらかじめ俯せに寝かせておいて、犯人はその背中に跳び乗ってナイフを突き立てたのです」
「何だって?」馬渡の声が響いて、「田之江さんを地面に寝かせるって、そんなこと、どうやったら……あっ!」
「そうです。僕たち全員が見たはずです、田之江さんが自分の意思で地面に俯せになったところを。あれは、昨日の朝でしたね。十九年前の事件の様子を再現してみるとかで、田之江さんと馬渡さんが交互に志々村鉄雄の死体役を演じていました」
「あんな深夜に、わざわざ現場の再現をもう一度やっていたっていうのか?」
「それについては次に解明します。今は田之江さん殺害の状況を。犯人は上手く言い含めて、田之江さんを玄関のすぐ先に俯せにさせることに成功します。田之江さんの足跡が表館まで行き帰り分ついていたことから考えて、実際に表館から裏館まで、十九年前の鉄雄のように歩いてこさせるところまで再現したのでしょう。裏館の玄関前まで来た田之江さんは、そこで俯せになる。そうなると、玄関敷居から田之江さんの頭までの距離は僅か五十センチ程度。背中まででも、一メートルありません。誰にでも容易に跳び移ることが可能な距離です。犯人は、このとき裸足になったのでしょうね。田之江さんの背中に靴跡を残すわけにはいきませんから。田之江さんの背中に跳び乗った犯人は、倉庫の戸棚から持ち出していたナイフをすぐさま突き立てます。さらに、突き刺したままナイフをぐりぐりと動かし、傷口を執拗に抉ります。十九年前の犯行と同じ状況にするためでしょうが、田之江さんが暴れることで自分がバランスを崩して転落してしまわないよう、即死させる意味合いもあったのでしょう。田之江さんが絶命したことを確認すると犯人は玄関敷居を越え、ロビーに戻ります。田之江さんの背中の衣服に乱れがあった場合、持ってきていた棒などを使って整えたのでしょうね。あとは、凶器であるナイフを死体のそばに投げ捨て、犯人は自室に戻る。これで、田之江さん殺害の状況が完成します」
「自室に帰る……ということは、犯人は……」
私は言った。乱場は、「そうです」と頷いてから、
「犯人は、あの夜、裏館に泊まった人の中にいます」
私、馬渡、理真、妹尾は、それぞれ視線を交差させた。湖條も黙ったまま、当該の四人の顔を見つめている。
「ところで」と乱場は、全員の視線を再び自分に集めて、「田之江さんが、どうして犯人に従って、当時の鉄雄役をやることになったのか。恐らく、田之江さんは、犯人にこう言われたのではないでしょうか。『十九年前の事件のトリックが分かった。それを検証してみないか』と」
「犯人が先にトリックを見破っていたっていうのか?」
馬渡が叫んだ。
「そうです。僕が観察していた限りですが、田之江さんは、十九年前の事件捜査組に僕と教授が入らなかったことで、何か余裕のようなものを感じていたのではないでしょうか」
田之江が時折見せていた、余裕めいた表情を思い出す。あれは、自分のライバルが頭脳労働に不得手な馬渡と、女二人だけであったことに対する安堵の余裕だったのだろうか。
「ですが、そこへ、全くのノーマークだった人物から『先に謎を解いた』と言われ、田之江さんは焦ったのではないでしょうか」
「だからといって、田之江さんが素直に鉄雄役をやるとは」
馬渡は、田之江が素直に犯行の再現に力を貸したことを訝しがっているようだ。
「そうです。ですが、田之江さんが犯人から、こうも言われたとしたら、どうでしょう?『犯行の再現を行ってみて、上手くいけば、この案はあなたに譲る』と。影浦さんからの恐喝で金銭的に逼迫していた田之江さんは、この甘言に乗ってしまったに違いありません。とりあえず犯人は、田之江さんを表館から裏館に歩いてこさせ、地面に俯せにさせます。地面に伏せるということは、その時点で鉄雄が背中を刺されたということにもなるのですが、犯人は適当に理由をでっちあげるか、『やってみれば分かる』などと言いくるめたのかもしれませんね。田之江さんにしてみれば、それをやることで報奨金が手に入るのであれば、何も断る理由はない。犯人に操られるように地面に伏せた田之江さん。その背中に、犯人は隠し持っていたナイフをかざして躍りかかった。こうして、田之江さんを殺害し終えた犯人は自室に戻った、というわけです」
ここで乱場は、小休止とでも言いたげに深い息を吐いた。
「それで……」数秒の沈黙を馬渡が破って、「犯人は、誰……なんだ?」
「その前に、十九年前の事件。あの事件で鉄雄殺しに使われたトリックは、恐らく朱川さんが考案したトリックで間違いないでしょう。被害者と正対して背中を刺すというやつです。これが行えたのは誰か? 条件は二つです。ひとつは、当時、裏館にいた人物。もうひとつは、鉄雄がほぼ体が触れあうほどに接近を許した人物、ということです。そして、僕はここに、今度の事件の動機も見いだすことが出来ると考えます。それは、田之江さんを殺害したのは、十九年前の事件の真相を見破られたくなかったからだということです。トリックを見破ったのは朱川さんですが、それはすぐに田之江さんからの激しい突っ込みが入りました。それを見た犯人は、真相に最も早く辿り着く可能性のあるのは田之江さん、と思ったのかもしれませんね。実際に田之江さんが殺された以上、これは間違いがないでしょう。十九年前の事件の真相を知られたくない、というのは、どういう立場の人間でしょうか? 決まっています。犯人そのものです。僕は先ほど、犯人は田之江さんに『自分が先にトリックを見破った』ことダシに田之江さんを操った、と言いました。今の考えを付け加えると、これには語弊がありますね。犯人はトリックを『見破った』のではなく、『最初から知っていた』ということになります。ここに、第三の条件が加わりました。犯人は、十九年前の事件の当事者である。この全ての条件を満たすのは……」
私を含め、ひとりを除いた全員の視線がその人物に向いた。
「えっ? えっ……?」
彼女は狼狽えた顔で、五人の探偵の視線を浴びている。
「妹尾さん、あなたが田之江さんを殺した犯人ですね」
乱場の声が妹尾を刺した。




