第16章 トリック解明への道
「犯人の足跡を、鉄雄自身の体が押し潰してしまった、ということか……」
私が自分の推理と、馬渡の体を借りて実験した結果を昼食時に話すと、湖條はそう言ってから顎に手を当てた。
「そうです。下が固い地面であれば、体が覆い被さっただけで完全に足跡が消えるとは思えませんけれど、雪だったら、どうでしょう」
「確かに、事件当夜は表面が固まった凍雪状態だったそうですけれど、大人が倒れ込めば、足跡もろとも、完全に押し潰してしまうでしょうね。それに、玄関まで五十センチ程度の距離なら、誰でも楽に跨ぎ越えることが出来るでしょう」
乱場からも、このトリックの成立に賛成を得た。
「これで、報奨金は美夕さんのものですか?」
微笑みを浮かべながら理真が言ってくれた。午前中は理真自身も事件の調査をしていた、いわば私とはライバルになるはずだが、私の推理に肩入れしてくれているのだろうか。いい子だ。
「証拠は?」
異論を唱えたのは田之江だった。
「……そこまでは、まだ。トリックの解明を思いついて、つい先ほど試してみたばかりですので」
「どうなんですか、妹尾さん。志々村八重さんは、どういった条件が揃えば、十九年前の事件の解決と認めてくれるのでしょう?」
「それは」と田之江に顔を向けられた妹尾は、「雪密室トリックの解明はもちろん、それに伴う証拠も必要になってきます。ですが、なにせ事件から十九年も経過しています。さらに鉄雄の死の秘密が関わることですから、警察を入れての鑑識作業なども御法度です。ですので、八重さんを納得させられる十分な論理的説明が出来れば、それでよいかと思います」
私は思わずため息をついた。証拠に論理的説明と言われても。彼女の言った通り、事件が起きたのは十九年も前のことなのだ。
「それに、朱川さんの推理では」と再び田之江が、「犯人がどうして凶器のナイフを死体のそばに放置したのか。その理由が不明です」
そうか。その問題もあった。私はパスタを食べるのを中断してフォークを置いた。朝が豪華な和食だったため、昼はあっさりした洋食がいいと皆のリクエストで妹尾が作ったものだ。味付けはバターしょうゆで、濃すぎず薄すぎず、皆の要望に見事に応えたレシピだった。
「でも、美夕さんの推理が正しいとしたなら、犯人は半分に絞られますね」
理真はパスタを口に運ぶ合間に言った。馬渡も、フォークにくるくるパスタを巻きながら、
「美夕の推理した殺害方法は、裏館にいる人間にしか不可能だから、ということですね」
珍しく探偵っぽいことを言った。
「ええと、裏館にいた人は……」と乱場が視線を上に向けながら、「鉄雄さんの妹銀子、使用人の佐山、家政婦の大谷、家庭教師の神谷、医師の山村、それに……妹尾さん、の六人ですね」
最後の名前を口にするとき、乱場はその当人を横目で見た。
「わっ、私は違います! 絶対にやってませんから!」
慌てた表情で妹尾は、ぶんぶんと両手を顔の前で振る。
「分かっていますよ。妹尾さんは当時六歳でしたっけ。六歳の、しかも女の子に大の大人を殺せるわけがないじゃないですか」
「もう、乱場さん、かわいい顔して怖いこと言うんですもの」
妹尾は頬を膨らませる。「殺してしまえば早いのに」妹尾について、乱場はさらに恐ろしいことを言っていたのだが。
「私が問題にしたいのは、凶器が遺留していたことだけではありません」
田之江がさらに突っ込んでくるようだ。
「殺し方そのものについてもです。朱川さんの推理通りなら、犯人は正対した鉄雄さんの背中に腕を回して刺したということになりますね。それをやるとなると、ほとんど体の正面同士を密着させることになりませんか? 鉄雄さんがそこまでの接近を許す人間が、当時の裏館にいましたか?」
「考えられるとすれば……」と先ほど裏館に寝泊まりしていたメンバーを言った乱場が今度も、「妹の銀子さんくらいですか? あとは、鉄雄さんにとっての大姪である、妹尾さん……」
「乱場さん! またですか!」
今度の妹尾は慌てるでなく眉を釣り上げてきた。乱場は、「いえいえ」と手を振る。
悔しいが、今の私は田之江の突っ込みに反論出来る材料を持たない。なにせ、たった先ほど思いついた解決策だ。証拠集めなりの、さらなる捜査はこれからになる。私は残りのパスタを掻き込むと、ごちそうさまをして立ち上がった。
「朱川さんも本領発揮のようだ」
それを見て、ゆっくりと味わっているためか、まだ半分ほどもパスタを残している湖條が言った。私に次いでごちそうさまをした人物がいた。田之江だった。私と田之江は、妹尾が勧める食後のお茶も辞して広間を出る。向かう先は当然、裏館だ。
「朱川さん」並んで廊下を歩く田之江が話し掛けてきて、「あなたは手強いライバルになりそうですね」
「そんなことありません。私など、田之江さんに比べたらひよっこ同然ですから」
「はは。正直、馬渡くんや安堂さん相手では楽勝だと思っていたのでね」
「あら? そうなんですか」
馬渡はともかく、理真も同列で語られるとは意外だった。
「私、理真さんはかなりの場数を踏んでいる手練れだと思っていたのですけれど」
「ええ、私もそう思っていました。でも、今朝から一緒に裏館に入り浸っていたのですが、彼女、積極的に捜査をするというよりも、私や馬渡さんのことばかり窺っていて、まるで見張られているように感じましたよ」
理真。裏館に行ったのは、十九年前に事件の捜査をするというよりも、田之江を監視するため? どうして? 彼が怪しいと思っているということなのだろうか? でも、何に対して? ……影浦殺し?
外に出ると、田之江はそのまま中庭を突っ切って裏館に入っていった。私はもう一度現場をよく見るべく、裏館の玄関前で立ち止まった。私が推理した方法なら、雪の上に足跡を残すことなく鉄雄を殺害せしめることは可能だろう。だが、可能だからといってそれが真実とは限らない。田之江に指摘された疑問点もある。そういえば、さっき田之江は、私が自分のことを「ひよっこ」だと言ったことに対しては否定していなかったな。……何だか、だんだん腹が立ってきた。だが、しかし、それは現実だ。この島に来た探偵たちの中で、私ひとりだけ足りないものがあると実感した。それは、実績だ。湖條、田之江はもとより、乱場もあの年では多くの事件を経験、解決しているほうだろう。馬渡もジャンルこそ違えど実績については申し分ない。理真もだろう。あの落ち着き、影浦がいなくなったときの冷静な判断を見ればそれは一目瞭然だ。その影浦にしても、良くない噂がつきまといはせよ、事件解決に対しての実績は十分にある。七人の中で私ひとりだけが「ひよっこ」なのだ。この島、絶命島に来てから、色々なことがありすぎて翻弄されるばかりだったが、そんなことでは駄目だ。
私は中庭のぐるりを見回す。裏館、噴水、井戸、発電機のある地下室、表館、視線は再び裏館に戻る。私はここに雪が降り積もっている情景を想像した。表館の裏口からはひと筋の足跡。その先には、頭を裏館に向けて伏臥している鉄雄の死体。背中の真ん中にはナイフで抉られた真っ赤な傷口。そのナイフは死体のすぐそばに落ちている。この傷口も問題だ。犯人は、どうしてこうも執拗に傷口を抉ったのか。刺すだけでは飽き足らなかったということなのだろうか。深い怨恨があったことを思わせる。妹尾の話では、当時島にいた大人全員が、鉄雄を何かしらの理由で恨んでいたという。
表館の裏口が開く音がした。見ると、理真が歩いてくる。彼女も昼食を終えて――きっとパスタをお代わりしたのだろう――午後の捜査に繰り出すのか。いや、捜査というよりは。
「美夕さん、見事な推理でしたね」
彼女が笑顔で声を掛けてきた。「ありがとう」と答えて私は、
「でも、まだまだ全然よ。突っ込んできたのは田之江さんだったけれど、きっと他のみんなも同じことを思ってたんでしょうね。理真さん、あなたも」
理真は笑みを浮かべたまま首を横に振る。別に気を遣ってなんてくれなくてもいいのに。
「ねえ、理真さん、それよりも、あなた――」
「おおい!」
また裏口方向から声が。やはりこいつも捜査を再開するのか。馬渡が手を振りながら歩いてくる。彼のいる前で話してもいいだろうか。理真の――あ、私が馬渡のほうを向いた隙に、理真はさっさと裏館に入っていってしまった。
「美夕、さすがだな」
私の隣に来た馬渡が言ってくれたが、お前に褒められても嬉しくない。私は理真を追うべく裏館の敷居を跨ぎ、
「協力してくれて、ありがとう」
立ち止まると振り返って、一応、礼を言った。
裏館に入ると、物音がする方向に向かって歩く。程なくして理真と田之江の姿を見つけた。田之江は二階への階段を上りかけていたところだった。
「これは、朱川さん」
足を止めた田之江が、ちょこんと頭を下げる。
「田之江さん、さっきはご指摘ありがとうございました」
「なあに。少しばかり探偵経験が長いですからね。アドバイスをしたまでです。それで、不明点への答えは出せそうですか」
「いえ、それはまだ……そうおっしゃる田之江さんのほうでは、何か手掛かりを掴んでいらっしゃるのですか?」
「ふふ。もしそうでも、そう簡単に口にしないのが探偵という人種です」
まったくその通りだ。思わぬところからトリックを解明できるかと舞い上がって、べらべらと喋ってしまった。こういうところは今後気をつけないと。
「では、お互い頑張りましょう」
そう言い残して、田之江は階段を上がって二階に姿を消した。
「理真さん」
私は田之江を追うように階段に足を掛けた理真を呼び止める。
「あなた、何かに気付いてるんじゃない?」
「……美夕さん、どうしたんですか、突然」
「あのね――」
「あ、馬渡さん」
私の肩越しに理真が視線を投げた。振り返ると、理真が名を呼んだ男が廊下を歩いて近づいてくる。
「馬渡さん」と理真はもう一度声を掛け、「捜査のほうは、どうですか?」
彼は首を横に振ると、
「駄目ですね。何も分からない。午前中は田之江さんについて、色々と見て回りましたが、全然です。でも、田之江さんのほうでは、何か掴んだんじゃないですか?」
「本当ですか?」
「ええ、何か余裕のようなものを感じましたよ。全く同じものを見ているというのに、俺と彼とでは受け止め方が違うようだ。探偵という人種の観察力には恐れ入ります」
お前も一応探偵だろ。と心の中で突っ込んでおく。
「私は二階を見てきます。お二人はここでごゆっくり」
そう言うや理真は掛け足で階段を上がっていった。こらまて。私も彼女を追おうとしたが、
「美夕」
馬渡に声を掛けられて足を止めてしまう。どうして、そのまま階段を上ってしまわなかったんだろう。無視すればいいのに……。
「何?」
私は努めてぶっきらぼうに返事をする。それが影響を与えたのか、馬渡は「あ、ああ」と二の句を言い淀んだあとに、
「なあ、美夕。俺と組まないか?」
「組むって、何を」
「決まってるだろ。この事件の捜査だよ。俺の力と美夕の頭が合わされば、解決出来ない事件はないぜ。……昔みたいに」
何を言ってるんだ。私が馬渡と一緒に事件捜査をしたことなど、数えるほどしかない。「足手まといだと思ってるんだ」そう感じていたが、それは違った。彼は私を危ない目に遭わせたくなかっただけだった。それにはあとになって気が付いたが、その頃には、そんな感情は焼け石に水だった。私はもう、彼のもとを離れると心に決めていた。
「それで、事件を解決出来たら報奨金は折半?」
「いや、それは全部美夕にやる」
涼しい顔でこんなことをさらりと言ってのけられるのは、一種の才能なのだろうか。私はため息をついて、
「フィリップにおいしいご飯を食べさせるんでしょ」
「そうだったな……」
そう口にしてから、さらに何か言おうとしたのか口を動かしかけて彼は黙った。フィリップを口実に、私に事務所に戻ってこい、とでも言おうとしたのだろうか。
「邪魔したな」
馬渡は踵を返して廊下を戻ろうとしたが、
「待って」
私が声を掛けるとすぐに足を止めた。
「ねえ。午前中、田之江さんと理真さんが、この裏館で何を見たか案内してよ」
振り返って馬渡は頷いた。口元が僅かだが上がっている。明らかに嬉しそうだ。やっぱり、全然ハードボイルドじゃない。
馬渡は私を案内して回った。裏館の一階は私、理真、乱場の三人で一度見て回っていたのだが、そのときの調査が随分といい加減だったと反省した。さっと一瞥しただけだった物置では、ブラウン管のテレビ、古いソファ、鍬や鋤といった農機具、物干し台と竹製の物干し竿、様々なものが詰め込まれているのを見た。戸棚の中には、食器などの日用品の他、ナイフも見つかった。十九年前に鉄雄の背中を刺した凶器と同種のものが残されていたのだろうか。
台所に開いたままの、妹尾が監禁されていた地下室にも入った。私も直接見て調べて、この地下室に隠し通路などがないことを確かめた。妹尾がここから自力で出入りするとなると、乱場が言ったように、怪力でもって載った冷蔵庫ごと蓋を開け閉めするしかない。試しに馬渡にやってもらったが、さすがに無理だった。マットと冷蔵庫を除けた状態で地下室に入り蓋を閉め、何か糸やロープを使った機械的な方法で冷蔵庫を動かせないかとも思ったが、これも無理だろう。大体、地下室内にそれらしい道具は一切見当たらない。妹尾の監禁が狂言だという疑いは、これで捨ててもよいのではないかと私は思った。乱場も連れてくればよかった。
一階の次は二階も当然見て回る。田之江と理真の姿はなかった。もう捜索を終えて表館に戻ったのだろうか。二階はほとんどが私室ばかりで、特に見るべきものはないように思えた。が、田之江、そして理真も結構長い時間二階にいたようだった。ということは何かあるのか? だが、私と馬渡にその答えは出せなかった。
「もうすぐ夕食だな」
二階の廊下に並んで立ち、窓から外を眺めながら馬渡が言った。西の空が赤くなってきている。言い終えると馬渡は両腕を大きく伸ばして、ため息を吐いた。
「疲れた?」
「ん? いや、全然」
少し顔をしかめていた馬渡は、私に訊かれるとすぐに笑顔を作った。今日は私の要請に応えて、重い家具をひとりで動かし、冷蔵庫の載った地下室の蓋を開け閉めしようとしてくれたのだ。それに昨日は朝早くから二十メートル近くもある崖を上り下りして。もう三十になったのだ、いつまでも若いつもりでいると……と、ここで私は、
「そういえば晃平。みんなで自己紹介するとき、年をひとつサバ読んだでしょ」
「え? そうだったっけ?」
「そうよ。晃平、もう三十になったでしょ」
「……そうだったかな」
「そうよ。自分の年齢も憶えてないの?」
「誕生日を祝ってくれる人が誰もいないものでね」
寂しげな笑顔を夕日が照らした。何よ、その顔。思わず横顔を見つめてしまう。
「お、少年探偵」
馬渡の視線を追うと、表館裏口から乱場が出てきていた。乱場は二階の窓に私たちを見つけたのだろう。手を振ると、
「夕ご飯ですよ」
と両手でメガホンを作って声を掛けた。
表館に戻り広間に向かおうと廊下を歩いていたところで、田之江と出くわした。いつの間にか表館に帰っていたのか。「捜索で腹が減りましたね」などと言いながら、田之江は私たちと並んで広間に向かう。
「私、今夜は裏館に泊まろうと思うんです」
夕食の席で田之江が宣言した。
「田之江さん、何か掴んだのですね」
箸を止めて湖條が訊く。「いやいや」と田之江は首を横に振って、
「ちょっと、確認したいことがありまして」
「でしたら」と妹尾が声を上げて、「私も今夜は裏館に泊まりましょうか? 当時の状況を何か思い出すかもしれません」
「おお、それはぜひお願いしたい」
妹尾が、はい、と返事をしたところで、
「私もいいですか」
「えっ?」
田之江をはじめ、全員の顔が私に向いた。
「私も、裏館に泊まります。お邪魔ですか?」
「いえ、邪魔ということは……」
そうは言っているが、田之江は明らかに迷惑そうな顔をしている。
「私も泊まります」
続いて理真が、そして、
「俺もお願いしたい」
馬渡までもが裏館への寝泊まり組に名乗りを上げてきた。これで五人。残る二人は、と見ると、湖條と乱場は揃って首を横に振っていた。
夕食を済ませると、湖條と乱場を残して私たち五人は裏館へ向かった。裏館では、全員が二階にある部屋を一室ずつ使って就寝することになった。この夜は風呂も裏館のものを使うことにした。水汲みは男性陣(というかほぼ馬渡ひとり)にやらせて、そのくせ一番風呂は女性陣がいただいた。夜が遅く時間がもったいないからと、妹尾の提案で女性三人同時に入浴することになった。裏館の浴場も表館には及ばないが立派で、三人同時の入浴にも十分耐える広さだった。
就寝前に理真が「何か飲みたい」と言ってきたため、小雨の降る中、理真が表館から牛乳を持って来て自らホットミルクを作って振る舞ってくれた。小雨は、私たちが入浴している頃から振り始めていた。
温かいミルクを飲んでリラックスして、全員が自室に入る頃には雨は止んでいた。二階の部屋の窓は裏館のさらに裏側に面しているため、中庭は望めない。窓を開けると、雨上がり直後の澄んだ空気が部屋に流れ込んできて心地よい。
翌朝になったら、妹尾が何か思い出したことがないか私たちに教えてくれることになっている。それにしても、どうして田之江は突然裏館に泊まるなどと言い出したのだろうか。やはり、十九年前の事件について何かを掴んでいる? 私の考案したトリックとは別の何かを……。私もさらに考えようとしたが、昼間の行動で疲れていたのか、襲ってきた睡魔には勝てず、そのままベッドに横になった。




