第14章 深まる謎(5月26日)
五月二十六日
「美夕さん、朝ですよ」
理真の声で私は眠りの世界から呼び戻された。まぶたを開け、目を擦って視界をクリアにすると理真の顔が見えた。視線を動かすと、ベッドの上では妹尾真奈が気持ちよさそうに眠っている。私はソファから体を起こして、
「何もなかったみたいね」
「ええ。妹尾さんも、一度も目を覚ましませんでした」
「私が番をしていたときもよ」
「余程、疲れていたんでしょうね」
「無理もないわね。四日間も地下室に監禁されていたんだから」
「朝ご飯、作ってきますね」
「私がやるわ。理真さんはここで彼女を見ていて」
またあの不揃いなおにぎりを作って、妹尾に監禁のことを思い起こさせてしまうのではないかと心配になったのだ。と、そこに、
「おはようございます」
その妹尾も目を覚ました。
「妹尾さん、おはよう。今、朝ご飯の用意を――」
「いえ、私がやります。そもそも、それは私の仕事なんですから」
彼女はベッドから跳ね起きた。
その日の朝食は、純和風の立派な献立となった。レトルトなど既製品の類いは一切使われていない、百パーセントの手料理だ。私も料理には一家言あるつもりだが、妹尾の腕には素直に白旗を上げざるを得ない。恐らく田之江もだろう。見た目だけでなく味も絶品だった。志々村八重がこの島で探偵たちの世話をするのに彼女を指名したのには、こういった理由もあったのだろう。
「すみませんね、妹尾さん。つい昨夜まで地下室に監禁などという大変な目に遭っていたというのに、食事の用意などさせてしまって。とてもおいしいです」
箸を動かす合間に馬渡が言った。誰よりも美味しそうに食べているな。別にいいけど。
「ありがとうございます」と妹尾は笑顔で返事をしてから、「でも、思っていたよりも人数が少なくて拍子抜けしました。八重さんの話では、もっと大勢になる可能性もあったので」
その言葉を聞くと全員が、一瞬ぴたりと箸を止めた。馬渡、田之江、湖條が目配せをして、湖條が、
「そのことなのですが、妹尾さん、この島には全部で何人の探偵が来ることになっていたのですか?」
「詳しい人数までは分かりません。八重さんも、招待状を出した探偵全員が来てくれるとは思っていなかったでしょうから」
「招待状は何通出されたのですか?」
「十通程度出したと聞いています」
十通。ここにいるのが、私、湖條、乱場、馬渡、田之江、理真。死んだ――いや、まだ行方不明といっておこうか――の影浦を含めて、全部で七人の探偵が島にやってきた。では、まだ三人程度、招待状に応えていない探偵がいる? その中に、探偵Xが? 湖條は続けて、
「妹尾さん、昨日の話の続きなのですが、あなたを監禁した人物に心当たりはありませんか? この人、と特定は出来なくとも、性別、身長、年齢、何でも構いません、何か得られた情報はありませんでしたか?」
妹尾は考え込むような表情をしてから、
「……すみません。やっぱり、何も」
「そうですか。全身をシーツで覆って、声も変えていたということでしたね」
「ええ。なので、年齢や性別さえも、さっぱり」
「この中にいる誰かと似ている、ということは?」
湖條のその言葉に、私たち全員は動かしかけていた箸をまた、ぴたりと止めた。妹尾も、「えっ?」と絶句したまま固まり、一歩後退すると、
「わ、分かりません。今言ったように、年齢も、男か女かも……」
「すみません。怖がらせるつもりはありませんでした。一応、確認だけしておきたかったもので」
湖條は小さく頭を下げると、食事を再開した。
「わ、私、お茶の用意をしてきます」
妹尾は足早に台所へ向かった。
「教授」乱場が箸を置いて湖條を見ると、「今のは、いったいどういう意味なんですか? 僕たちの中に、妹尾さんを監禁した犯人がいるとお考えなのですか?」
「言っただろう。確認したかっただけだよ」
「ですが」と田之江が入ってきて、「その確認は不完全でしたね。彼女は『いない』とは言いませんでした。『分からない』と」
「アリバイがあります」
乱場は椅子から立ち上がってテーブルに両手を突いた。
「僕たち全員は、三日前の五月二十三日に始めてこの絶命島に上陸したんです。妹尾さんの話では、彼女が監禁されたのは、その前日の二十二日です。この中の誰にも犯行は不可能です」
「前日にこっそりと島に渡り、彼女を監禁して再び本土に戻ることは可能でしょう。島への行き来には同じように漁船に乗せてもらい、漁師に口止め料を握らせておけば済む話です」
「何のためにそんなことを?」
「そこまでは分かりません。ただ、全くの不可能ではないと言いたいだけです」
「湖條さん、ちょっとよろしいですか?」
理真が湖條を呼んだことで、乱場と田之江の口論は収まった。全員の顔が理真に向く。
「皆さんにも意見を貰いたいのですが。影浦さんのことを妹尾さんに話すべきなのではないでしょうか」
それを聞くと湖條は腕を組んで、
「影浦、か。確かに、このまま黙っているわけにはいかないだろうな」
「ええ、それに、もしかしたら……」
「もしかしたら?」
「妹尾さんを監禁した犯人が影浦さんだということもあり得るのでは?」
「影浦が監禁者?」
確かに。私たちの中に監禁犯がいる可能性があるというなら、その条件は影浦にも当てはまる。
「そうです」と理真は、「であれば、一昨日の日に妹尾さんにおにぎりが差し入れされた経緯も、よりクリアになると思うのですが」
「影浦か。影浦はあの日、島の散策の帰り、ひとりだけ先に屋敷に戻った。そのときに差し入れを?」
理真は頷いた。湖條は、ひと呼吸おいてから、
「しかし、影浦は殺されてしまっている。その犯人は皆目見当が付かないことは変わらないな。いや、X……」
そこで言葉を止めた。広間の出入り口に妹尾が立っているのを見たためだろう。彼女は人数分の湯飲みを載せたお盆を抱えていた。
「殺された……? どなたかが殺されたのですか?」
妹尾の手が震え、湯飲みがかたかたと音を立てている。
「妹尾さん、掛けて下さい。我々がこの島に上陸してから起きたことをお話しします」
湖條の声に、妹尾はゆっくりと椅子に腰を預けた。
「……そんなことがあったのですか。もうひと方、探偵がいらして、その方は何者かに殺害され、死体が消えた。それに、もしかしたら、皆さん以外にも、こっそりと島に上陸した探偵がいるかもしれない?」
話を終えて、あくまで可能性の域を出ませんが。と湖條は付け加えた。その通りだ。影浦の死体を目撃したのは馬渡だけで、探偵Xが上陸しているというのもボートを発見したことによる推測に過ぎない。
「おかしい」乱場が珍しく声を荒げて、「おかしいですよ、この事件は。影浦さんが死んでいる、もしくはそうでないにせよ、さっぱり動機が分からない。殺される理由も、姿が見えない理由もです。妹尾さんが監禁された目的も分からない。彼女が邪魔だったのなら、監禁なんてしないで殺してしまえば早いはず――あ、すみません」
乱場は、俯いている妹尾を見て謝った。少年探偵を見返した妹尾は、「いいんです」と微笑む。が、その笑みは力のない、恐怖を拭い切れていないものだった。
「なかなか過激なことを言うね。かわいい顔をしていても、やっぱり探偵なんだな」
と馬渡が囃す。
「いえ、昨日の田之江さんの推理の受け売りですから。すみません」
乱場はもう一度詫びを口にした。
「どうだろう、もう一度、最初から事件を洗い直してみないか」
その場を収めるように湖條が言うと、ひとり以外全員が頷いた。そのひとりは、
「私は、十九年前の事件の調査をしようと思います」
田之江はそう言って立ち上がった。
「もともと、それが私たちがこの島に招待された理由なのですからね。私は現場を、中庭を見てきます」
そう来たか。だが、誰も意外そうな顔をするものはいなかった。昨夜、妹尾が、十九年前の事件を解決したら八重が払うと言っていた報酬、その金額――平均的なサラリーマンの年収に匹敵するだろうか――を聞いたとき、一番目を丸くし、そして輝かせていたのが田之江だった。彼は古本屋を本職に持つ素人探偵で、探偵行為に対して報酬は貰っていないと思うのだが、相手が謝礼を申し出てきた場合は別なのだろう。そういう関係者は、たまにいると聞く。
私は……。確かにあの金額は魅力的だが、そうすぐに頭を切り換えることが出来なかった。と思っていると、
「俺も行きます」
馬渡も立ち上がった。そうだな。見事事件を解決して、報酬を貰って、フィリップにいいご飯を食べさせてやってくれ。無理だろうけれど。
「私も行きましょう」
三人目に、何と安堂理真が名乗りを上げた。作家って、あまり儲からないのか? まあ、いいけど。
「他には? 遠慮する必要はないぞ」
湖條が言いながら私と乱場を見たが、二人とも首を横に振ったため、私たちは十九年前の事件と現在の事件に捜査班を分けることになった。
「妹尾さん、あなたも中庭組についていってあげて下さい。当時、まだ小さな子供だったとはいえ、我々よりはずっと当時の状況に精通しています」
湖條の頼みに、分かりました、と答えて、妹尾は田之江、馬渡、理真と一緒に中庭に向かうべく広間を出た。四人の姿が完全に見えなくなり、足音も聞こえなくなってから湖條は、
「さて、では、こちらはこちらで話を始めようか」
私と乱場が湖條に近い位置に席を移ると、
「この島で起きた出来事を時系列にまとめてみよう」
湖條は私と乱場に確認を取りながら、これまでの動きをおさらいしていった。
まず五日前の五月二十一日、妹尾真奈は私たちを迎えるべく、発電機の整備や清掃の要員を連れてこの島、絶命島を訪れる。様々な準備を終え、彼女ひとりだけが島に残り、あとの人員は本土に帰る。
翌、二十二日、夕方に準備の疲れから眠ってしまった妹尾は、裏館の地下室で目を覚ます。その地下室には、毛布をはじめ水、サプリメント、簡易トイレキットなど、最低限生きていくのに必要なものが用意されていた。十数分後、地下室天井の蓋が開き、彼女を監禁したと思われる人物が現れる。しかし、その人物は頭からすっぽりとシーツを被り、全身を隠していた。しかも変声機を通したような異様な声で話しており、老若男女の判別も全くつかない状態だった。その怪人物は、そこでおとなしくしていれば妹尾に危害を加えるつもりはない、と語り、料理の差し入れをして去っていった。
二十三日。私たちがこの島を訪れた日だ。最初に上陸したのは理真。彼女の住居はここに一番近い新潟のため、予定時間よりも早く到着して先乗りしていた。次に私、湖條、乱場、影浦の四人が時間ぴったりに上陸。ここで影浦はさっそく単独行動を起こして私たちと離れた。乗船の疲れから休憩していた私たちの前に、遅れて馬渡と田之江が到着する。先に理真がいた表館に着くと、影浦も合流して七人全員で昼食をとった。食事を終えると影浦はまたひとりでどこかへ行ってしまい、私たちは館の捜索をすることにした。表館と裏館。もっとつぶさに調べていれば、このときに妹尾を発見、救出出来ていたことが悔まれる。一階を担当したのは私、理真、乱場の三人だったため反省することしきりだ。そのときは何も見つからずに広間に戻ると、影浦も帰ってきた。彼は島の散策をしていたと言うのだが……。その夜、私は奇妙な唸り声のようなものを聞いたのだが、それは地下室に監禁されていた妹尾が発した声だということが後に分かった。
二十四日。屋敷で何の手掛かりも見つからなかったため、全員で島の捜索に出ることになった。が、島にも特に見るべきものはなく、帰る途中で野外昼食をとった。ここで食べたのは理真が作ったおにぎりだ。ここでもまた影浦は食べ終えるとさっさとひとりで屋敷に戻ってしまう。屋敷に戻った私たちは、今度は各自思い思いに表館の徹底捜索を行うことにした。しかし、やはり何の収穫も得られなかった。ここで、動き回ったことで空腹を憶えた湖條が冷蔵庫を覗いたが、この時点で理真のおにぎりの残りは消えていた。早めの夕食を用意したが、影浦の姿が見当たらない。馬渡が屋敷捜索時に、ひとりで屋敷を出て行く影浦を目撃している。何かあると思った私たちは、手分けして影浦の捜索を開始。ここで馬渡が影浦の死体を発見する。海に面した崖の下で俯せに倒れていた頭部から血を流していたという。夜も更けていたため、全員での確認は翌朝に回すことになった。
二十五日。朝早く起床し、馬渡の案内で影浦の死体発見場所に向かう。が、そこに影浦の死体はなかった。馬渡が崖を下りて確認したが、死体はどこにも見当たらない。周囲の状況から、自然に死体が消えるとは考えられない。であれば、起こりえることは二つ。何者かが死体を持ち去ったか、影浦が実は死んでおらず、自分の足でどこかへ消えたか。
「あとひとつ。そもそも影浦の死体が存在しなかったか」
「教授」
乱場は声を荒げたが、湖條の言った通り、その可能性は私も完全に否定出来ないと思う。……私情は抜きにして。
そのあと、もう一度隈無く島を捜索することにして、私、理真、馬渡のチームがボートを発見した。正確には発見したのは馬渡だが。それによって、新たな可能性が出てきた。私たち七人以外に島に潜んでいる八年目の探偵、探偵X。新たな発見と、加えてひと雨きそう(実際に降ったが)だったため、私たちは予定時間よりも早く表館に戻った。ここで私は、理真と一緒に目撃したことを話すことにした。田之江が影浦の部屋で鞄を漁っていたかもしれないということを。
「……田之江さんが、影浦の部屋に?」
それを聞いた湖條は驚いた表情になった。
「そういえば」と乱場も難しい顔をして、「あの日の朝、影浦さんの死体発見現場にみんなで行って、田之江さんひとりだけが早くに戻りましたよね。あれは、影浦さんの鞄を漁るため?」
「その可能性はあるな」
「どうして田之江さんは、そんなことを?」
私が、理真と二人で考えたその理由を話すと、
「田之江さんが、影浦に恐喝されていた……?」と乱場は、「田之江さんが、十九年前の事件に対してやる気になっているのも、報酬が目当てで? 今まで、散々影浦さんに搾り取られていたから、その埋め合わせにと……もしそうであれば、田之江さんには影浦さんを殺す動機もあったということになりますね」
それも彼女と話をしていたときに出てきた話だった。
「……整理してみよう」と湖條は、「この島で起きた、または起きたと推測出来る事件は三つ。妹尾さんの監禁。影浦の殺害。その死体の消失だ。今は、十九年前のことは置いておこう。これら三つは、全て繋がっており同一犯の仕業なのか? それとも、全く別個の事件がたまたま重なったのか?」
「影浦さんの死体がフェイクであった可能性を捨てないとなると、また話がややこしくなりますね」
乱場の言葉に湖條は苦い顔をすると、
「ああ。馬渡くんも、携帯で写真でも撮っておいてくれたらよかったのにな。せめて、死体にしろ何にしろ、影浦らしき人物がそこに横たわっていたという証拠にはなった。彼も余計な疑いを持たれずに済んだだろうにな」
「あいつにそこまで気は回せませんよ」
私が言うと、二人は同時に笑った。




