第11章 十九年前の事件
女性は、妹尾真奈と名乗った。喉が渇いたというので、馬渡に水を持って来てもらい飲ませる。
「それで、妹尾さん」落ち着いた口調で湖條が話し掛け、「私たちの質問に、順に答えてもらいたいのですが、大丈夫でしょうか?」
妹尾は頷く。湖條も頷き返して、
「この島で何が起きたのか説明してもらえますか?」
水を飲み終えた妹尾は、もう一度ゆっくりと頷いて、
「私、志々村八重さんに頼まれて、この島に来たんです。島に来る探偵さんたちに食事を出したりと身の回りの世話をする仕事をするために」
志々村八重。この島に上陸した直後、湖條から聞いた名前だ。確か、かつてこの絶命島に住んでいた志々村家の当主、志々村鉄雄の妻だ。鉄雄はすでに他界しているが、妻である八重はまだ存命であるとも聞いた。やはり、私たちを絶命島に招待した、あの招待状を出した主は志々村家の人間、前当主の妻だったということなのか。
「失礼ですが、あなたは、その志々村八重さんとは、どういったご関係で?」
「八重さんの親戚です。私の祖母は鉄雄さんの妹でした。私も子供の頃、何度かこの島に来たことがあるんです。八重さんから先月の半ば、突然連絡をもらって、『仕事を頼まれてくれないか』と。その仕事というのが、五月二十三日に、島に何人かの探偵が集まるので、その食事の世話などをしてやってほしい、というものでした」
「それが、どうして地下室に監禁……ですよね。されてしまうことに?」
「私がこの島に来たのは、二十一日でした」
「今日が五月二十五日だから、四日前ということになりますね」
湖條が言うと、妹尾は「四日前?」と驚いた声を上げ、「時間の感覚がなくなっていたものですから」と言うと、現在に至るまでのことを話しだした。
五月二十一日。妹尾真奈は、私たちが船に乗った温海よりも北に位置する加茂港で船をチャーターし、食料や日用品などの物資を積んで絶命島に上陸した。加茂港は、温海港よりは島からの距離が遠くなるが、港の規模が大きいため、大量の物資を輸送する船も見つけやすかったのだろう。船には技師やハウスキーパーも乗り、発電機の復旧やガスの設置、屋敷の清掃などを行ってもらった。その日のうちに船は本土に帰り、島には妹尾ひとりだけが残ることになった。妹尾はそこで、来るべき二日後の五月二十三日に備えていた。志々村八重によって招待された探偵たちが訪れる、その日に向けて。
翌、二十二日は何事もないまま過ぎていた。夕方になるまでは。夕食を済ませた妹尾は、準備の疲れと明日を迎える緊張からか、広間のソファに横になったまま寝込んでしまったという。
目を覚ましたときには、真っ暗な空間にいた。そんなに遅くまで寝入ってしまったのかと慌てた妹尾だったが、自分が横たわっている場所が、広間のソファではないことに気が付いて驚いた。自分は布団の上に横になっている。体には毛布も掛けられていた。いくら目を凝らしても何も見えない。湿り気を帯びた空気からも、そこが自分が最後にいた広間ではないことは分かった。布団は床の上に直接敷かれていた。立ち上がって手探りで歩き回ってみたら、そこは窓のない六畳間程度の狭い空間であることが分かった。ただし、閉ざされてはいないようだ。壁際に階段があったからだ。手探りで階段を上った。階段は天井にまで到達しており、どうやら階段がぶつかった天井が開いて上に出られる構造らしいと理解した。しかし、蓋状になっていると思われるその天井の一部は、押しても引いても全く動かなかった。この時点で、私たちが見たように冷蔵庫を重しにして蓋がされていたためだろう。
妹尾は脱出を諦めて、もとのように布団にくるまってじっとしてることにした。携帯電話も財布も、自分が泊まることにした私室に置いてきたままだ。現在の日付も時刻も知る手段がなかったが、自分でも繊細な性格とは思わないこともあったのか、不思議と怖いとも寂しいとも思わず、ただただ「?」で頭の中が埋め尽くされた状態だったという。
天井から音が聞こえてきたのは、それから体感時間で十数分程度経過した頃だった。天井の一部にひと筋の光が差し始めた。あの階段の先にある蓋が、外から開けられようとしているのだ。さすがにこのときは恐怖に襲われ、身を強ばらせた。蓋が上がりきると、何者かが立っているのが見えた。その状態から、ここは地下室だということが推察され、同時に妹尾は思い出した。かつてこの島に来ていたとき、裏館(期せずして私たちは、二つの館に対し、かつての住人たちと同じ呼び方をしていたことになる)の台所に食料貯蔵庫に使っていた地下室があったことを。自分がいる、ここがそうなのか? そう考えていると声がした。
「体調はどうだ?」
そう訊かれた。その声は変声機を通したような異様な声だった。改めて見上げてみると、声を掛けてきた人物は頭から爪先まで、すっぽりとシーツのようなものを被っており、先の声とも相まって、老若男女何者とも判別が付かなかった。まず自分の体調を気遣う言葉を掛けられ、妹尾は大いに当惑したという。次いで謎の怪人は、妹尾をしばらくの間、ここに閉じ込めておくと語った。そして、その間の水、食料として、ペットボトルの水とサプリメント食料を用意してあるとも言った。地下室の隅を見ると、確かに大量の水とサプリメントが山積みになっている。「それだけでは味気ないだろう」と怪人は階段の一番上の段に一枚の皿を置いた。いい香りが漂ってくる。皿には料理が盛りつけられていた。蓋が開かれた空間から差し込む明りで分かったが、地下室内には水とサプリメントの他に、電池式のスタンドと簡易トイレキットが置かれており。さらには、彼女が島に来た際に持参した、着替えなどが入ったスーツケースも隅に投げてあった。ただ、携帯電話と腕時計だけはみつからなかったという。時刻を知られたくないため、監禁犯が持ち去ったとみられる。
「しばらくの間、そこでおとなしくしていれば危害を加えるつもりはない」
そう言い残すと、怪人は蓋を閉めて去った。念のため階段を上がり蓋を持ち上げようとしたが、やはり重いものを載せられているらしく、びくともしなかった。仕方なく妹尾はスタンドの明りを点け、怪人が持って来た料理を食べた。レトルトのカレーライスだった。これを食べ終えたらもう、しばらくは味気ないサプリメントか、と思い味わって食べたという。
「……それから、何度か寝起きして、最後に眠って目が覚めたら、ここにいた、というわけです」
妹尾は長い話を終えた。彼女が監禁されたのが二十一日の夜であれば、四日近くも地下室に監禁されていたことになる。それを伝えると、
「ええ。さっき、そちらのおじさまから、今日が二十五日だと聞いてびっくりしました」
おじさま、か。彼女は名探偵湖條忠俊を、少なくともその顔はご存じないようだ。
「日にちの感覚が完全に狂っていたということですね」
私が訊くと、妹尾は、「はい……」と力ない声を出して、
「私、あの地下室に入れられている間、ほとんで寝てばかりでしたから。起きていても、今が昼か夜かも分かりませんし、もう何日経ったのかという意識も消えてしまいました」
「さぞ、怖かったでしょう」
「ええ、まあでも、怖いというよりは、さっきも言いましたけれど、『どうして?』という気持ちのほうが大きかったですね。あまりに暇なので、大声で叫んだりしたことも何度かあって、それでストレス発散になっていたのかもしれません」
それか。私が聞いた呻き声のようなものの正体は。
「妹尾さん」ともう一度湖條が声を掛け、「あなたを地下室に閉じ込めた怪人物とは、一度しか会っていないのですか?」
「はい、そうです。でも、私が眠っているときに、何度か来たことはあったようなんです」
「どうして、それが?」
「最初に出されたカレーライスの皿が、いつの間にかなくなっていました。私が眠っている間に監禁した人物が下げたのでしょう。それからも一度、差し入れがあったんです。目を覚ますと、ご飯のいい匂いが漂ってきていて、階段の上におにぎりが置いてあったことがありました」
湖條は私、そして理真に向き目を合わせた。そのおにぎりは、もしや?
「そのおにぎりは、大きさがまちまちのものが複数あったのではないですか?」
湖條の質問に妹尾は頷くと、
「ええ、そうでした。よく御存じですね。でも、形は変でしたけれどおいしかったですよ」
それを聞いた理真は、少しだけ顔をほころばせた。しかし、どういうことだ? 理真が作って冷蔵庫に入れておいたおにぎりを、監禁者が持ち出して妹尾に食べさせたということか。いつの間にそんなことを。が、それについての話は後でじっくりと探偵たちで話し合うことになるだろう。今は、
「それで、妹尾さん」と再び湖條が、「あなたは、志々村八重という人に、ここに来る探偵の世話をしてくれと頼まれたそうですが、八重さんが探偵をこの島に呼び寄せた理由というものは、聞いていませんか?」
そう。彼女の口から、それを訊き出すのが先決だ。私を含め、六人の探偵は皆、色めきだった。妹尾は意外そうな顔になると、
「招待状に書かれていなかったのですか?」
湖條は頷く。
「そうですか。念を入れたのでしょうね。あれは、事故ということになっていますから」
「もしかして、十九年前に起きたという?」
「そこまでは御存じなんですね。そうです、この島で、十九年前、ある人物が亡くなりました。世間的には、それは事故ということで済ませたのですが、本当は違います。あれは間違いなく殺人でした」
「それは、殺人事件を事故として処理したということですか」
「はい。この島は、御存じとは思いますが、電話線が引かれておらず、携帯の電波も入りません。何か不測の事態が起きたら、こちらから船を出すしか外部に知らせる方法がないのです。それをいいことに、あの事件は事故死として本土の警察に報告されました。隠蔽するだけの時間は十分にあったためです。八重さんは、その事件の真相を暴いて欲しいと思い、皆さんをこの島に呼んだのです」
「真相を暴く。十九年前の事件の……真犯人を捜せと?」
「そうです。八重さんは犯人を知りたがっているのです。今から十九年前の冬、当時の志々村家当主で八重さんの夫、志々村鉄雄が殺された事件の」
「志々村鉄雄が殺された? それでは、十九年前にこの島で亡くなった人物というのは、志々村鉄雄だと?」
湖條が大きな声を上げる。驚いたのは彼だけではなかった。私も含め全員が驚愕の表情になっていた。妹尾は「そうなんです」と頷いてから、
「鉄雄の死が事故として処理されたのは、世間への、とりわけ志々村家が経営していた事業への影響を考慮したためです。こんな辺鄙な島で生活していたことからも察せられるでしょうが、当時、鉄雄はすでに経営の第一線からは身を退いていました。ですが、その威光は根強く、当時社長職にあった鉄雄の長男は、ほとんど父親の威を借る狐状態だったそうです。そんな鉄雄が死んだとなると、事業への、いえ、志々村一族による経営支配に影が差すことは避けられません。社内では、あまりにワンマンで強引だった鉄雄への反感を持っていた役員たちが寄り集まり、彼の引退を機に反志々村派閥を結成していたのです。当時、鉄雄の死がいかに一族に影響を与えたか。ましてや……」
「ましてや……?」
「その死が他殺、しかも……家族の誰かに殺されたなどと知れたら……」
「犯人は、志々村家の中にいたということですか?」
「鉄雄の死体が発見されたとき、この島には外部の客や訪問者はひとりもなく、志々村家の人間と、ごく近しい関係者しかいなかったのです」
「それは、とんでもない醜聞になりますね」
湖條の言葉に、妹尾は頷いてから、
「その通りです。鉄雄の死をいたずらに隠し立てしたら、それがまたスキャンダルにならないとも限りません。そのため当時の志々村家の人たちは、鉄雄の死体に細工をして、事故死として警察に通報したのです。その間に、鉄雄亡き後の事業経営について、反志々村派を封じ込める手段も含めて、入念な話し合いが行われ、全ての準備が整ってからの行動だったと聞きました。今から十九年前、私はまだ小さな子供でしたから、当然、そこまで突っ込んだ話に参加も、聞き知ることも出来ませんでした。私が話しているのは、この仕事を頼まれる際に八重さんから聞かされた話をそのままお伝えしているだけです」
「そういった醜聞絡みであれば、招待状に何も書かれていなかったことには、まあ、納得とはいきませんが理解は出来ます」
妹尾は「すみません」と頭を下げる。彼女が詫びる道理はないとは思うが、八重の代理として来ている責任からのものなのだろう。
「十分に対策を練ったうえで鉄雄の死は発表されました。そのおかげもあり、事業に対して志々村家の威光が弱まることは最小限に押さえられたそうです。そういった理由もあり、それからもずっと、鉄雄の死の真相は誰からも語られることはありませんでした。鉄雄が殺されたとき、島にいたのは志々村家に関係する人ばかりでしたから、そんなことを喋って得をする人などひとりもいなかったためです。以来、鉄雄の死、実は鉄雄は事故死ではなく殺された、しかも、その犯人は志々村家の人間でしかありえないということは、志々村家では絶対のタブーとして処理されてきました」
「それが、ここに来て八重さんが事件の真相を知りたがるようになった、と?」
「はい。八重さんは病床の身で、自分の寿命が残り少ないことを察したのではないでしょうか。そのため、せめて自分だけは鉄雄の、夫の死の真相を知りたいと願ったのではないかと」
「その謎を解いてもらうため、何人もの探偵を呼び集めた、というわけですか……。それで、鉄雄さんは、いったいどのように殺されたのですか? 殺人だったというのは、確かなことなのですね?」
「はい」
「妹尾さん、あなたは先ほど、『あれは間違いなく殺人でした』とおっしゃいました。まるで、実際にその現場を見たかのような言い方に私には聞こえたのですが」
「その通りです。あの現場に私もいました。それが、八重さんが私をこの役目に抜擢した理由でもあるのでしょう」
「なるほど。とはいえ、今から十九年前となると、先ほどの話にもありましたが、あなたはまだ小さな子供だったでしょう」
「はい、当時、私は六歳でした。ですが、あの事件のことは強烈に記憶に残っていますし、私の憶えが曖昧なところは、ここに来る前に八重さんから補間してもらいました」
「何か、書類に書き留めたということは?」
妹尾は首を横に振って、
「ありません。この事件について、八重さんが形のあるものに残すことを嫌がったためです。でも、問題ありません。事件のことは、今言った通り、私の記憶と八重さんの話を総合して、全て頭に叩き込んでありますから」
ここで妹尾は一度言葉を止めて、大きく息を吸った。




