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第10章 探偵X

 馬渡(まわたり)は再び崖を下りていった。ボートを回収するためだ。彼の姿が見えなくなって少しすると、ぎいぎいと木材の軋む音とともに、海面に一艘のボートが姿を見せた。当然、馬渡がオールを握っている。彼の言った通り、公園の池などでよく見られる二人乗りの小型ボートだった。船体には元々何かしらの塗装が施されていたらしいが、経年の劣化と、岩などへぶつかってきたためか、そのほとんどは剥げて木材の地が露出してしまっている。


「このまま海岸までボートを持っていく。二人は屋敷に戻って報告を頼む!」


 馬渡の大声に、手を上げて了解した旨を伝えると、私と理真(りま)は屋敷に急いだ。腕時計を見ると集合時間の十一時半までまだ二時間以上ある。

 表館に到着した。時刻は午前十時。当然、湖條(こじょう)乱場(らんば)も戻ってきてはいないようだ。私と理真は台所でお茶を煎れて広間に入る。


「まだ集合まで一時間半あるわね。私たちも晃平(こうへい)についていたほうがよかったかしら」

「いえ」と理真は窓外を見上げて、「湖條さんと乱場くんは、もっと早くに戻ってくると思いますよ」


 空に広がる雲は、いつ溜め込んだ雨を落としてきてもおかしくない黒さだった。


「そういえば、田之江(たのえ)さんは?」

「ああ、先に戻ったんでしたね。早起きが堪えたから休むと言っていましたけれど」と理真は、「お茶でも持っていってあげましょうか」

「そうね。さっきの態度も反省してるかもしれないし」


 私と理真はお茶と菓子を載せたお盆を持って二階に上がった。


「田之江さんの部屋はどこだったかしら」


 馬渡以外の男性陣が使っている部屋が並ぶ、館左翼側の廊下を歩きながら、私は片側に並んだドアを見渡す。反対側は玄関側に面した窓だ。


「確か、奥から二番目ですね」理真が、そのドアをノックして、「田之江さん」


 呼びかけるが返事はない。次に理真がドアノブを握って回すと、ドアは開いた。さらに中を覗き込んで、


「あれ? いませんね」

「奥の寝室かしら?」


 私も部屋に入る。田之江のものと思われる鞄がテーブルの上に載せられている。理真は寝室のドアをノックしているが、やはり返答はない。と、ドアが開いた。理真がノックした寝室のドアではなく、私たちが入ってきた廊下側のドアだ。


朱川(あけかわ)さん、安堂(あんどう)さん……」


 田之江が立っていた。


「田之江さん、すみません、勝手に上がり込んでしまって」


 私が詫びると、


「い、いえ。それより、お早いお戻りでしたね。私はお昼くらいまで捜索を続けているのかと」

「ちょっと発見があったので、一旦戻ってきたんです」

「発見? 何を?」

「まあ、とりあえず、お茶でもどうぞ」


 私と理真はお茶と菓子をテーブルに置いた。

 田之江が帰ってから、私たちが話した推理の内容と、馬渡が発見したボートのことを田之江に話して聞かせた。私がメインで喋り、理真が時折補足をする。


「ボートが……」

「はい。何者かがこの島に上陸している可能性もあります。田之江さんも十分に気をつけて下さい」

「わ、分かりました」


 話が終わり、私と理真は田之江の部屋を出た。ドアを閉めると、


「あれ?」と理真が廊下の左右を見回す。

「どうかした?」

「田之江さん、どこから来たのでしょうか?」

「それは、一階からでしょ。娯楽室かどこかにいたのかも……」


 と言ってから、それにしては妙なことに気付く。田之江の部屋は奥から二番目、階段まではかなり距離がある。先ほど田之江は、理真と私が部屋に入ってから、数秒と間を置かずに現れた。まだ私たちが廊下にいた間に階段を上ってきたのであれば、必ず私と理真の視界に入るはずだ。ということは、私と理真が室内に入ってから田之江は階段を上がってきたことになる。だが、階段から部屋の前まで来るのに十秒以上は有するだろう。走ればもっと短縮できるだろうが、そうであれば足音が盛大に響いていたはずだ。私はそんな足音を聞いてはいない。理真にも確認したが、私の考えていた通りだと答えた。


「それじゃあ、田之江さんはどこから?」


 私と理真は声を聞かれないよう、窓側に寄って小声で会話をしている。


「あれだけ短時間で音もなく現れたということは、隣室……」


 理真は田之江の部屋の左右にあるドアに目を向ける。向かって右は空き部屋、左の角部屋は影浦の部屋だ。顔を見合わせてから私たちは、足音を消して角部屋の前に立つ。理真がドアノブを握って回すと、ドアが開いた。施錠されていない。そうだ、昨日の夕食時、影浦の在不在を確認しようとした馬渡が部屋の鍵を開けてしまい、そのままになっているのだ。理真は私に目配せしてから、ゆっくりと、さらにドアを押し開ける。部屋の窓際、テーブルの上には黒いビジネスバッグが置かれている。見憶えのある、影浦のものだ。バッグは口が開けられており、何枚かの書類が乱雑にテーブルの上に投げ出されている。不気味だがきっちりとしていた影浦らしくない。咄嗟にそう思った。部屋に入り書類を見ると、それは事件関連の資料だった。現在手掛けていたものなのか、過去のものか。バッグの中には、他にはシステム手帳が入っているだけだった。私と理真は頷き会うと、音を立てないように部屋を出た。


「田之江さんは、隣の影浦さんの部屋にいた?」


 広間に戻ってきて、改めてお茶で一服しながら私は言った。理真も湯飲みを口に付けてから、


「ええ、多分。隣の空き部屋にいた可能性もありますけれど、わざわざそんな場所に入る理由がありませんよね。私たちが部屋に入ってから、あんなに早く現れることが出来たということは、一階にはいなかったことは明白です」

「影浦さんの部屋にいたのなら、鞄を漁っていた、ということね?」

「あの鞄の様子からして、間違いないでしょうね」

「何かを探していた?」

「影浦さんは、死神探偵と呼ばれていたそうですね」

「そうらしいわね。事件を通じて知った人の弱みをネタに……。田之江さんは、影浦に強請られていた? 今朝、私たちよりも先に戻ったのは、屋敷に誰もいない隙に影浦さんの鞄を漁るため。その目的は、自分の恐喝のネタを探し出すため……?」

「でも、あの様子では影浦さんはネタを持ち歩いてはいなかったようですね。最も今はそういったものはデータ化して自宅のパソコンなどに保管するのが普通でしょうけれど」

「自宅に置かず、鞄になども入れずに、肌身離さず持ち歩いているという可能性もあるわね」

「肌身離さず……」

「田之江さんには、影浦さんの死体を持ち去る動機があった?」

「それ以前に、殺す動機もあったということになりませんか?」


 私は黙ってしまった。

 窓が鳴った。見ると透明なガラスに水滴が付着している。雨音が広がる。次第に水滴の数が増えて水玉模様に変わったガラス越しに、湖條たちが玄関に駆け込む姿が見えた。


 湖條、乱場、馬渡にタオルを渡し、熱いお茶を出す。田之江も下りてきている。ひと息ついたところで馬渡が、私、理真と三人で岩場を捜索中にボートを発見したことを話した。


「僕たち以外の誰かが、いる? この島に?」乱場が呟く。

「そいつが、影浦を……?」湖條も口にした。

「その可能性は大いにあるのではないでしょうか」と馬渡は、「しかも、この時期にこの絶命島を訪れたということは、我々と同じ、あの招待状で呼び出された探偵のひとりだということなのでは」

「八人目の探偵、か」


 湖條は嘆息して腕を組んだ。


「八人目の探偵、じゃ長いので、〈探偵(エックス)〉と呼びませんか」


 誰からも異論はなかった。特にこだわるところではないためだろう。


「とりあえず、これからどうするんですか?」


 田之江が訊くと、湖條は、


「昼食のあと、裏館の捜索に入ります。今度は徹底的にやります。田之江さんにも手伝ってもらいますよ」

「ええ、構いません。あれからたっぷりと寝て、体の調子もいいですから」


 寝ていただけではないはずだが。

 田之江が影浦の鞄を漁っていたことは、理真と相談してとりあえず伏せておくことにした。状況証拠しかないし、いたずらに事を荒立てる必要もないと思ったからだ。夜に、湖條ひとりにでも話して相談することになるだろう。


 簡単な昼食をとってから、私たちは裏館に向かった。屋外の中庭を通ることになるが、十メートル程度の距離で、それほど強い雨でもないため問題はない。


「今度は全員まとまって行動しよう」


 玄関からロビーに入り、湖條の言葉に私たちは頷いた。先頭には馬渡が立ち、乱場と湖條が私と理真を警護するように後ろにつく。殿(しんがり)は田之江が務める。乱場、私、理真の三人は携帯電話のライトで周囲を照らす役割も与えられた。まだ日は高い時刻だが、電気が点かないうえに外は雨で、屋内は薄暗いためだ。

 馬渡と湖條は、今度は家具を動かし、カーペットを剥がして、入念に各部屋を調べていく。ロビー、広間と調べ終え、台所に来た。表館のそれに比較すると狭いが、この裏館の中では広い方の部屋だ。馬渡と湖條が室内を歩き回り、乱場、私、理真は二人の指示に従ってライトを部屋の各箇所に当てて行く。出入り口では田之江が廊下側を警戒している。

 馬渡の足が止まった。彼が立っているのは台所の半分ほどを占める大きなキッチンマットの上。馬渡はそのマットを見下ろして、靴の底でタップするように何度か叩く。


「教授、この下は空洞かもしれません」

「何?」


 湖條もマットのそばに寄ってきた。マットの片側は壁にぴったりと付いており、その上には高さ二メートル程度の冷蔵庫が載っている。


「剥がしてみましょう」


 馬渡はマットを端から丸めていったが、冷蔵庫の直下は当然めくることが出来ない。


「教授、これ」


 馬渡はマットの下になっていた床の一部を指さした。そこには、フローリングの床を分断するように一本の線が入っている。線の長さは一メートル程で、その両端からは直角にさらに線が伸び、


「この先は冷蔵庫の下だ」


 馬渡が言ったように、線は冷蔵庫の直下へと続いている。


「これは、ドアじゃないのか? 床に取り付けられた、蓋のようなドアの真上に冷蔵庫が載っているんだ」


 湖條の言ったとおりに思える。一メートル程の線はドアの外枠の一辺なのでは。馬渡は立ち上がって冷蔵庫を持ち上げに掛かるが、


「馬渡くん、マットを元に戻せ」


 湖條の言葉にしたがって、丸めていたマットを戻して広げる。湖條はマットの端を持つと、そのまま引っ張った。マットは床を滑るように、上に乗っている冷蔵庫もろとも簡単に動いた。そして冷蔵庫の直下だった床に、


「間違いない、ドアです」


 馬渡が言った。果たしてそこにはフローリングの床を切り取るように、一辺が一メートル程度の蓋状のドアが取り付けられていた。片側に回転式の取っ手が、その反対側の辺に蝶番が付いており、持ち上げて開けられるようだ。私たち三人のライトが、スポットを浴びせるように床に付けられたドアを照らしている。田之江も室内に入ってきてドアを見下ろしていた。馬渡は屈み込んで、


「開けます」


 湖條に確認した。教授は頷いてから、「気をつけろよ」と声を掛けた。馬渡が取っ手を掴み持ち上げると、蝶番を軸に蓋が開く要領でドアは引き開けられた。そこには、地下に向かって急な階段が付いていた。乱場に頼み、自分の肩越しに階段の奥を照らしてもらった馬渡は、


「そう深くはないですね。携帯のライトでも床まで届きます……。あっ!」

「どうした?」


 湖條も馬渡の後ろに回って階段の先を覗き込む。


「誰か、います!」


 その言葉で狭い台所に緊張が走った。馬渡は、さらに、


「倒れていますね。両足が見える……。女性のようです」


 言いながら馬渡は階段を下りていく。その後ろから携帯電話をかざしながら乱場も続く。中からは、


「生きています」


 と馬渡の声が聞こえてきた。そして、乱場、馬渡の順に地下から出てくる。馬渡は女性を抱きかかえていた。ドアの大きさが一メートル程度しかないため、枠にぶつけてしまわないよう、慎重に階段を上がってくる。


「何者だ……?」


 湖條が呟いた。ライトに照らされた女性の顔は若く、二十代半ば程度に見える。まぶたを閉じており、気を失っているか、ただ単に眠っているのだけのようだ。セーターにデニム、スニーカーという出で立ちをしている。馬渡が抱きかかえたまま、その女性は表館一階の空き部屋に運ばれた。


「ここまで運んできても、まだ目を覚まさないな」


 ベッドに女性を寝かせた馬渡が言った。


「ええ、睡眠薬でも飲まされているのかもしれませんね」乱場も寝息を立てて眠る女性を見下ろして、「でも、顔色は悪くないし、衰弱している様子も見られません」


 部屋にいるのは女性の他には、馬渡、乱場、理真、私の四人。湖條と田之江は裏館に残り、女性が発見された地下室を調べている。

 ドアが開き、その湖條と田之江が戻ってきた。湖條は、女性の容体を訊いてから、


「地下室は六畳間くらいの広さの空間だった。中にはペットボトルの水がひとケースあり、何本かは殻になっていた。恐らく、この女性が飲んだのだろう。サプリメント系の食料もあり、これもいくつか消費されていた。あとは寝具が一式と電池式の照明スタンドに、簡易トイレキットも用意されていた」

「この女性の身分を証明するものは?」

「スーツケースが置いてあったが、中身は着替えなどばかりで、免許証の(たぐ)いはなかった」


 馬渡の質問に湖條はそう答えた。その湖條の横に立つ田之江が、


「こ、この人が、八人目……探偵Xなんでしょうか? 影浦さんを……殺害した?」


 それを聞くと、乱場も、


「裏館にずっと潜んでいたということですか?」

「いや」と湖條が、「みんなも見ただろう。あの地下室の出入り口はマットと冷蔵庫で隠されていた。地下室に入ったあとに、中からあのカムフラージュは出来ない」

「そうか。ということは、この人は閉じ込められていた?」

「しかし、これで、二日続けて朱川くんが聞いたという謎の声の正体が判明したな」

「あっ」と私は、「この人の声だった?」

「間違いないだろう。位置的にあの地下室は表館の右翼に近い。地下室の天井には小さい空気穴が設けられていて、その先は恐らく中庭のどこかに出ている。その空気穴の管を伝って、この女性の声が漏れ聞こえていたのだろうな。だがそれは、ごく小さなものだったため、静かな夜中でないと聞き取れなかったと考えられる」

「話を戻しますけれど」と乱場が、「地下室のカムフラージュがこの人に不可能ということは、誰かに閉じ込められたということですよね」

「そいつこそが、探偵X……」


 馬渡が呟いた。


「目を覚ましそうです」


 ベッドの脇で理真と二人で女性の様子を見ている私が声を掛ける。女性のまぶたが動き、唇の隙間からまどろんだような声が漏れた。

 ぱっちりと目を開けた女性は、まず、不思議そうな顔で私たち全員を見回した。


「心配ないわ。私たちは、あなたを助けに来たのよ」

「もう大丈夫ですよ」


 精一杯の微笑みで、私と理真は語りかける。怯えるでも、恐慌をきたすでもなく、意外なほど静かに女性は頷いて、もう一度私たちを見回す。そして、


「……探偵の方々ですか?」

「……そうよ。この絶命島(ぜつめいとう)に呼び出された探偵たちよ。あなたも、そうなの?」

「い、いえ……。わ、私は……、皆さんのお世話をするように言いつかっていたものです」

「えっ?」

「皆さんに招待状を出した、志々村八重(ししむらやえ)さんに頼まれて……」

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